第1回東京マラソン
(2006年2月18日実施)完走記

雨 寒風 でも ハートは 快晴i
                                           利根川楽走会 KWさん

  走ってきました!42.195km。完走です。
前の晩は子供の頃の遠足にいく前のような気持ちで,すぐに寝付けなかったし朝は4時に起きてしまいました。生まれて初めてのマラソンにチャレンジした12年前もそうでした。久しぶりのワクワク感。もうフルマラソンは十数回なのですが,今回は何か特別な気持ちがありました。
一つは大都会を車の排気ガス臭もなく走れること。3万人規模のビッグな大会のしかも第一回目に出られること。もう一つはこれまでで一番練習を計画的に積んで臨めたことです。11月から3ヵ月間,月間150km以上トレーニングで走る目標を実行できて,快走できる身体を作れました。唯一不安は雨!心配したと通り朝から冷雨で止む気配がありませんでした。

 7時に都庁に着きました。新宿までの電車内でもマラソンに参加すると一目でわかる人達とその応援の人達ばかりで,否が応でも興奮が盛り上がります。更衣をして朝食を食べ,ストレッチで体をほぐし,トイレへ・・・・・ここまではマラソン大会のいつもの通り。トイレ前に並んで5〜10分待つのも毎度のこと。でも男性専用のトイレ(つまり小用のトイレ )が無なかったのでどのトイレも長蛇の列だった。男性のトイレは早いのです。小用トイレがあれば個室トイレの渋滞が緩和されるし女性にとっても,もっと助かったはずです。ともあれ用を済ました後は荷物あずけ。荷物用大袋(大会でくれた結構デザインがGoodなもの)に入れ運送トラックへ...でもまたここで「?」事前の大会案内パンフにはスタート会場新宿の地図があってトラックの位置,選手のスタート待ちの場所が載っていたのですが,トラック番号(選手のゼッケンナンバーにより預けるトラックが違う。何せ3万人分なのでトラックにもナンバーがある)が案内図にかいていないし現地でも案内誘導の掲示図が見あたらないのです。
誘導スタッフがあちこち多勢いて訪ねればすぐ教えてくれたのですが...?  確かに新宿西口の都庁近辺のビル街は慣れない人には迷ってしまう場所です。やっとトラックへと思ったのですが数十台のトラックが間隔も少なくずらっと並んでいて,そこへ荷物を持った何千人(7:30〜8:30まで預け時間があったのですが集中するのは8:00〜8:30 )いやもっとかな,人人人でラッシュの電車並み!せめて,もっとトラックの間隔が離れていればと思った。でも無理かな,たくさんのトラックが4車線道路の両側に並んで200mはありそうなトラックの列だもの。

いよいよスタート待機場所へ。ゴール予想タイム(自己申告)毎のグループブロックに分かれます。私はFブロック。8時45分までにここにいないとだめなのです。スタートは9時10分。私は8時30分過ぎに行きましたから,30分以上雨に打たれていたことになります。ウォーミングアップどころではありません。寒かったです。ウエアは濡れてくるしシューズも水を吸ってくるしで。足踏みしたり前後左右のひとにあたらないようにストレッチしたりしていました。気分は高揚してましたし,スタート近くになったら3万人の雄叫び「ウォー」で盛り上がりました。そして号砲!走る,走る,走る,人人人 応援の声声声・・・・・・・・
とても気分良かったです。これは練習の成果も出て好タイムが期待できるかなと思っていました。しかし皇居手前で尿意が。こんなはず無いのに・・・・・
出走前は水分を控え,必ず用を足して,走り始めてゴールまでにトイレによったのはこれまで2大会のみの経験。尿意を我慢するのはペースが落ちるし,ものすごいストレスになります。そこで指定トイレを見つけて寄りました。これで3分近いロス。ひとまずスッキリしてペースアップ,品川方面に南下。追い風もあっていい調子で走りました。品川駅近くで折り返し,今度は向かい風。

体の大きい人の後ろに付くなどして風を避けるようにしても寒い。!
雨でびしょ濡れに,この北風はこたえます!そうしたら何とまた尿意が ・・・・(ハハハ)笑い事ではありません!給水所でドリンクをとっていないのにです。
しかたなくまたトイレにそしてまた3分近いロス。でもどうやらもう大丈夫のようで風に負けずぐいぐい走りました。銀座4丁目から東京駅,日本橋,浅草橋,蔵前,浅草へ,と中間点を過ぎ,また同じルートを南へ。いよいよ、30q。歌舞伎座を過ぎマラソンで誰もがきつくなる35qがこのあたり。浅草までの向かい風で体が冷えたのと30q過ぎの残り少なくなっている体力でペースダウンする人が多くなります。このペースダウンを少なくするのが事前の練習量です。道端で立ち止まってけいれんする足をマッサージする人や,屈伸やストレッチをする人も多くなりました。私はややペースは落ちたし寒さで足が硬くなって,乳酸がたまってきた自覚がありましたがここからは気持ち。!「足よまだ動くか?」「うん,ちょっときついけれどまだいける。」と自分の体と対話しながら「よし」「がんばる!」の気持ちを保ち続けます。やはり今回は練習を十分積めたおかげで足がリズムを保って動きました。豊洲,有明,台場へと橋を渡るアップダウンに負けずに,見えてきました。「ビッグサイト」じーんと涙が出てきます。スポーツ選手が良く聴く歌があるといいます。私の場合走っていてきつくなったなったりゴールに近づくと,ZARDの「負けないで」やドリカムの「何度でも」の曲を思います。いよいよ感動のゴールです。
『42.195q』とてつもなく長い道のりですが,一歩一歩進み,やめることがなければ,必ずたどり着くゴールです。そこには大切な何かを実感できます。あと100  50  20 。。。。。。。グリコ!
そうグリコです。両手を挙げたあのポーズが自然と出るのです。
恥ずかしくも何もありません。誇りと感動のポーズなのです。笑顔に涙がにじみます。ゴールした人皆が仲間に思えます。
メダルかけてもらい,ドリンクをもらい(ここで飲むドリンクの味は言葉では言い表せません。) 達成感と成就感いっぱいの幸福な時間がじわじわとわいてきます。
荷物の受け取り。ビッグサイトの駐車場にまたトラックの列,そして途切れることなくゴールしてきたランナー達。荷物の受け取りにまた混雑します。
でもここで文句を言う人は了見が狭いな。
3万人の大マラソン大会。運営の改善は当然検討されていくでしょうし2回,3回と育っていってほしい大会です。外国人ランナーと4人話しました。スイス人,アメリカ人,韓国人でしたがどの方も日本語が上手で日本語でおしゃべりしました。
どの方も良い大会だと言っていました。運営面も海外の大会に比べ劣らなくしっかりしていたとも言っていました。ニューヨークマラソン,ロンドンマラソン等にも出場経験のあるスイス人は「日本の人はきちんとならんで待つけれど,不平の声が多いですね。」と感想を言っていました。「トイレでも並ぶのはどこの国のどの大会も同じ。でも,もしかしたら日本は,これだけ治安が良く安全でどこでもサービスが良く親切でそのサービス,何かしてもらえることに慣れてしまっていて,至れり尽くせりが当然と思っているのじゃないですか?」
「だから,至らないと感じることに出くわしたり,サービスが足りないと思うとすぐにいやがる。」流暢な日本語でそう言っていました。なるほどそうなのかもしれないと考えさせられました。
 最後にボランティアの人達に深く感謝します。そして長時間不自由や支障のあった人達にお礼を言います。多くの人のサポートや善意なくてはこんなすばらしい体験ができなかったからです。給水所で力いっぱい声援しながらコップを手渡してくれた高校生ボランティア,給食所でもバナナやあんパンおいしかったです。交通整理の係員と警察官,その他
一万人をこえるボランティアの人達ありがとうございました。
 そしてゴールで「よくやったね。」と強く両手で手を握ってくれた係員のおじいさん,笑顔いっぱいにメダルをかけてくれた女子高校生ボランティア。
その手の感触と笑顔がとてもうれしかったです。

3時間53分3秒の私の最大限のパフォーマンスであり,自己表現でした。