長崎県 
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長崎は新婚の時期に
教育研究集会に妻と一緒に行った場所だ
父が宮崎、母が福岡出身だから私は九州とは縁が深い。
マラソン、生物を通してもっと九州を知りたい
長崎県の基本データを見てみよう
対馬、壱岐、五島列島などの島嶼(とうしょ)が971あり、その数は日本一だという
県の花 雲仙つつじ・県の鳥 おしどり(美しい鳥だ)・県の木 ひのき つばき
そうかぁだからつばきマラソンか
第16回五島つばきマラソンと原子爆弾と長崎の出島
 2016年(平成28年)2月26日(金)~3月3日(木)
 旅を終えて
短期間だったけれども濃密な時間を過ごすことができた。旅をすると毎日が変化の連続。初めての道、初めての建物、そして会う人。快い緊張の連続だ。
今回長崎原爆資料館と市内各地にある原爆関連のものを
限られた時間でできるだけ多く見るよう努力した。
何故長崎に、どうして広島に続いて長崎に
詳しい経過を知り
その理不尽さに怒りがこみ上げる
それ以来続いている核兵器開発
世界で今どのくらいの核兵器が保有されているか
のコーナーには
アメリカ、ロシアが断突の数であることが一目でわかるように
展示されていた。
北朝鮮の核開発を許さない
口実をつくらせないために
アメリカ、ロシアが核全廃を実行すればいいことだ
それができない
アメリカ、ロシアこの二大国こそ平和の妨害者ではないか
長崎原爆資料館は広島の資料館と共に
日本人のすべて、そして世界の人々が
見なければならない場所の一つだと思った
世界の指導者が
時間をかけてしっかり訪問するべき
場所だ!
3月3日
3月3日(木)
・自宅着。仏壇に「ただいま!精一杯頑張りました」。次の旅の準備に入る。次はハワイだ!
・駐車場に連絡。出発フロアー 2番ゲートでお待ち下さいという。運転手から帰り道の情報を得た。ナビがあるからという安心感はあるが地元情報はありがたい。
首都高から常磐道へいくつかの危ない箇所がある。気を引き締めて運転席へ。
飛行機で休めたから頭はスッキリしている。
・天気も穏やかで安定したフライトだった。この後車を運転しなければならない座席に着くとドッと疲れがでたか眠くなった。隣に夫婦連れがいた。着陸間近のアナウンスと共に機内のイルミネーションをお楽しみ下さいという。何事かと回りを見回すと機内の天井が虹色に光っている。着陸時の不安を紛らすためか。でも着陸までは嫌な感じだった。
・長崎空港も大きい。ラウンジで一休み、この時間が落ち着く。
・ホテルの近くから空港行きのバスがある。荷物は多いがそれを利用する。早めに出よう。
・目の症状が改善されてきての目覚めがうれしい。
もう1日ほしいところだが今日帰宅の日だ。お医者さんにお世話になったが寝込むこともなく予定通りだ。最後羽田から自宅まで愛車利用というところが今までと違うところ。自宅に無事たどり着くように心を引き締めていこう。 
3月2日(水)
出島和蘭商館跡(一部復元工事中だった)
・日本が江戸時代の鎖国の時、海外に門戸を開いていた唯一の場所に大変興味をもった。受験の知識として「出島」は知っていたが、科学博物館で学んで江戸時代の知的な人達がその門戸を通じて西洋の進んだ知識を学ぼうと困難を押して長崎に集まっていたこと。その歴史を伝える資料を見たかった。再現された建物とそのわかりやすい展示は興味深かった。復元が完成したらもう一度訪問したい。
長崎原爆資料館訪問
・核保有国
長崎原爆資料館 追悼平和祈念館 浦上天主堂 原爆落下中心地 平和の泉 平和祈念像 人もまばらで一つ一つじっくり読み、見ることができた。
・知らないことを知るということは「へぇー」「そうかぁ」などという感嘆の声がでる。しかしこの訪問で知ることによって気が重くなり言葉は出ず悲しくなり怒りもこみ上げてきた。今日は覚悟してきた。長崎原爆資料館は現役のときから訪問しなければと思いつつできないでここまできた。
・症状がそれほど改善されないが、薬をもらい医者から静かに安静の指示もないので本日の旅のメインともいえる長崎原子爆弾資料館訪問、長崎の「出島和蘭商館跡」訪問に気合いを入れた。
 
3月1日(火)
・長崎駅前のホテルに入ってから医者探し。幸いホテル近くにあった。五島ではこのようにはいかなかった。
トラブル 近くの医者へ 休む。
高速船ジェットフォイルで福江港から長崎港へ移動

・ユースのオーナー若い夫婦 比較的長めの宿泊でいろいろお話しする時間があった。ユースホステルにつてこれから役に立つお話を聞くことができた。ご夫婦おそろいの時
私のランニングの話に耳を傾けてくれた。
2月29日(月)
・夕食の声がかかり食堂へ。最初に会った中国の青年がいた。日本語が達者だけれど時々英単語を交えての交流となった。23歳中国河南省南陽市からの留学生。何と金沢大学の学生だった!!後輩にあたる。大気の観測のために金沢大学の教授の指導をあおぎながらこの五島に滞在しているという。まじめな青年だ。「日本での生活はどうだい?今の日本と中国の関係どう思う?爆買いって知っている?遣唐使知っている?」多くの質問を投げかけてみた。「日本の生活味あうと中国に帰りたくないです。」「母も教師をしています。私も恵まれている方だと思います。」本当に中国と日本が仲良く若者達が住みやすい場所になることを願います。フェイスブックでつながりました。でも中国では使えない、グーグルも使えない。しかしそれを知った中国の若者はきっと新しい中国をつくる人達なのだろう。青年の前途幸あれ!
・無事ユースに戻ることができた。宿泊者は二人。気持ちよいお風呂に入り夕食まで一休み。疲れたぁ。
・刻々変化する天気。今日は昨日のフルマラソンコースの海岸線の素晴らしい地点をもう一度できたら走ろうと思った。そしてユースのスタッフの推薦、大瀬崎灯台、そして点在する教会にできるだけ立ち寄ることを目標にした。とにかく凄い景観大瀬崎灯台、きっと祝日は観光客が繰り出すスポットだろう。しかし観光客ほぼゼロ。怖いぐらいの風と巨大なうねりと激しい波。灯台までは駐車場から1.1㎞だった。誰もいない、風で大きく揺れる低木林をすすむ。遠くに灯台が見えてきた。断崖絶壁に激しく波が打ち寄せる。灯台が近づいてきた、あれ人の姿。男性らしい一人の姿を確認。こんなところで遭遇する人。会うまで少し怖かった。若い青年だった。「こんにちは、凄い景色だね、写真撮ろうか」と声かけるとニッコリと「お願いします。」そして私も撮ってもらった。どんな事情できているのかな。
・一日違えばこれだけ天気が違うのか。今日の天気でフルマラソンだったらゾッとする。昨日は海岸沿いが苦しいけど気持ちよかった。でも今日は体も持って行かれそうな風がすごかった。そして雪まで降り出した。
2月28日(日)
まだフルマラソンのダメージが残っている今日はこのくらいで止めてねる!
・交流:一人旅の寂しさは思いもよらない出会いがあって喜びに変わる。必ず初めてお会いする人にはこちらから挨拶をしてその方のお話をよく聞くことを心がけている。今回うれしかったこと、30㎞過ぎの苦しいとき若い女性から声をかけられました。「ユースで挨拶をしてくれた方ですよね。」「いつまでおられるのですか。私は明日長崎に戻ります。」しばらく併走してくれた。横にピタリと若い男性がついている「彼氏かな?」「そうです。」優しい人柄を感じました。きっとこのカップルはうまくいく!長崎の女性はみな素敵に見えてきた。
 ユースで一人で完走祝をやろうとしたら、同じランナー30歳兵庫から来たという。あのコースを3時間40分で完走した高速ランナーだ。誠実で話をよーく聞いてくれる。陸上部出身だがランニングに取り組む姿勢に共通点ががある。これからの成長が楽しみだ。東京に来たら連絡してと言って別れた。
第16回五島つばきマラソンの詳細は別ページ。
2月27日(土)
・一気にランナーの数が増えた。夕食は初対面だけれど賑やかな交流。愛知県自衛隊員の40歳台、兵庫の30歳台、神奈川の70歳台。自衛隊のランナーのランニング情報がおもしろかった。ビールとワイン。控えめにしておいた。
・昼食は中華料理店「上海」
・明日のつばきマラソンの準備とマラソンコースに沿った観光ドライブをした。
・魚津ヶ崎(ぎょうがさき)公園、地名は難しい。自然の港として使われていたという。そこは唐へ向かう遣唐使の船が日本と別れる最後の港だった。その記念碑の前に立ち海を眺めた。もう一度受験の知識としての遣唐使をもう一度学ぼうと思った。
その横に「遣唐使船寄泊地の建立に寄せて」と題しての説明文が刻まれていた。
その最後に「私達はこの魚津ヶ崎に佇んで偲ぼう。一国の文化のために世界にも類のない航海をした人達を、、しかし共に勇気にみちて海を渡った人達であった。我々の先祖のその勇気を讃えよう。そしてこれからの我が国の文化の向上の踏み台としたいものである。」と結んであった。
・7時朝食もgood!
 
2月26日(金)
五島三井楽サンセットユースホステル:インドネシアと中国の青年二人と私。今日は100人収容できる施設で3人だ。若いスタッフが感じよい。「まだ2年目でこれからです。」と一生懸命やっている姿勢がいい。夕食も出るというけれどあまり期待しなかったけれど五島牛を使った料理very good!だ。しかも寒いからとこたつを出してくれていた。暖かい!有り難い!こんなにお客さん少なくて成り立つのか心配になる。スタッフとお話しするうちにわかってきた。今はガランとしている近くの広大な運動場にプール学生の合宿にもってこいの施設。夏が大変忙しいという。大分、福岡などからも申し込みが多いという。安心しました。
・出会いがあった!!見知らぬ土地に行って一番不安なことは知っている人がいないということ。私が五島つばきマラソンを走ることを知ったお仲間が私に五島福江港前にすてきなカフェレストランがあることを教えてくれた。帰路は福江から長崎港に船で渡るつもりでいたので帰りの準備もあり空港から港に向かった。お客さんは私を入れて三人でした。すてきな音楽と正面にお城のような五島観光歴史資料館の建物がみえる。食事も美味しくユックリさせてもらいました。お邪魔にならないように、会計を済ませて店を出るとき「実はこのお店友人のIさんに教えてもらったんですよ。」とお話したところ話がはずみました。店の名は「たゆたう」周辺の美味しいお店をメモしてくれた。「困ったときは連絡して下さい。」といってくれた。心に沁みる言葉だ!
・景色が違う!海の見えるところに出るといくつもの島が重なるようにみえる。太陽光と自然が織りなす景色も独特だ。
・小さい空港だ。迎えの業者は違ったレンタカー業者が3人。電車はないからバスかと行き先と時間を見るとこれは短期間の移動には使えないと思った。しょうがないレンタカーにしよう。「思い切って安くしてね。」と人の良さそうなお兄さん、ニコニコといい価格を出してくれた。ナビもしっかり着いている。小さな島といっても観光スポットがたくさんありナビなしでは効率的に動けない。
・今日も無事終わりそうだ。早朝6:25で羽田出発、初めての福岡空港で乗り継ぎだけど北九州の玄関の福岡空港は大きい。そこから少数の乗り継ぎ客は別のバスに乗って五島福江空港の飛行機のタラップ近くで降りた。何とプロペラ飛行機だった。窓から飛行機の車輪が収納されるのが見えたりジェットエンジンとはちょっと違った乗り心地だった。客室乗務員は二人、定員80名程度でほぼ満席。途中少し揺れたけれど「快適だったホッ!
 【準備】
・羽田近くの宿からのアクセス。車も人も目の回るような早さで動いている。さぁ明日から飛び立とう。ギターを友にがんばろう!
・首都高速をビュンビュン、それはないだろうの高速での割り込み運転にヒヤリ。ニュースでは大阪梅田の車が歩道に乗り上げ歩行者の死傷を伝えていた。本当に無事でよかった!旅は頭と体をフル回転する。トラブルをどう乗り越えるか、ひやひやモノだけれどこれが楽しい。この経験はきっと役に立つ!
・人間ドックの日と重なり、前日歌舞伎鑑賞で遅く帰宅。過酷なスケジュール
・旅慣れてきたとはいえ、こんな基本的なミスは情けない。どうしようと考え羽田付近前泊。それなら車でいってやれと25日まだ暗い早朝から都心へ向けたドライブ。
・失敗した。できるだけ安く、できるだけ早く現地に着きたいという思いでフライトの予約手続きをゆとりをもって終えていた。宿も確保し安心して楽しみにしていた。そろそろ具体的に旅の準備に入り気がついた羽田発6:25のフライトの予約にあれ?これ取手から始発でも間に合わない!特別割引だから変更できないという。