「ヘンテツさん・随随・メリケンに絶句」
                                                                                深沢亜企
 幸せな女。そう。あたくしはどうやら、幸せらしい。
 ニューメキシコの気候というのは、言わずもがな乾燥。そして、雲一つなく晴れ渡っているのが常識のようで。雨など降りはしても、ものの五分でサクッとやんでしまうのが常らしい。
 しかし。あたくしがここ、ニューメキシコのソコロに入国を果たしたまさにその時から、メリケンはあたくしを歓迎してくれていたらしい。
 雲が、すごいのだ。
 入道雲。うろこ雲。霧のようにかすんだ雲。
 こんなに素晴らしい空を、あたくしは未だかつて目の当たりにした事がない。
 きっと日本人なら、例外なくこう言うだろう。
 「信じられない」。
 国が違うと言うだけで、空まで姿を変えてしまうのか。それを自覚したのは、メリケンに入国して二日目の夜だった。
 「星を見に行こう」。
 暁美姫が、誘ってくれたのだ。
 その夜は、晴天。そして、背筋に緊張を与えてくれる、冷たい空気。とてもキレイな夜だった。
暁美姫と、あたくしと、暁美姫のご友人のキンパツ氏の三人で、防寒服に身を包み、暖房のきいた車に乗りこむ。
こちらの道路の街灯は、とても危なげで、そしてお飾りなのだ。
そう。闇を走り抜ける。
頼りになるのは、車のライトだけ。なんと自殺的な道路だろうか。タチの悪い冗談でしかない。
なのに、暁美姫ときたら……
「コレが好きなのよ」
などと、水を得たようにハンドルを操るのだ。
あたくしはというと、気が気ではなかった。いや、既に正気は失せていたかもしれない。
「テレビゲームみた〜い」
と、一緒になって、はしゃいでいたのだから。
スーサイドカー(自殺車)を走らせること十数分。あたくしはとうとう我慢できなくなり、「ちょっとくらいなら……」と、後部座席の窓から、外の景色を見てしまった。
「!!!!!!!!!!!!」
そして、後悔した。やはりメインディッシュは食い急ぐべきではないのだと。
「すごい」
としか言えない景色だったのだ。
東京に暮らす限り、プラネタリウムでしか拝めない空が、惜しげもなくあたくしの眼前に現れていたのだ。
「ぎゃああああああ」
絶叫は、最高の誉め言葉なのだから、叫ばせてくれ。
だだっぴろい闇の中に輝く、金剛石にも劣らない星辰。その一粒一粒が、瞬くことで、あたくしに何かメッセージを送っているようだった。
「よく来たね」とか、「きれいでしょ」だとか、いやや、もしかしたら「誰だよあんた」だったかもしれないし、そのすべてのメッセージが英語だったかもしれない。
「着いたよ」
あたくしが喉を絞って誉め言葉を撃ちつづけている間に、目的地に到着した。
そこは、岩場だった。かなり足場が悪い。しかも真っ暗闇だ。そしてあたくしは鳥目だ。
キンパツ氏と暁美姫の手を借り、なんとか岩場を上って行く。
「ここからの景色が最高なんだよ」
『最高』とは、『最も高い』と書く。
ならばあたくしはそれを、『最も尊い』と書いて『最尊』と名づけよう。
夜中なのに、地平線が見えた。あっちからそっちまで、ぜ〜んぶ、星空。
宇宙だ。宇宙が、あったのだ。
「……」
言葉など、出ようはずもない。
「きれいだね」
暁美姫が言ったのか、キンパツ氏が言ったのかは、この場合、どうでもいいことだ。
なんという絶景の中に、あたくしはいるのだろう。
「あっ。流れ星」
事もなげに言ったのは、キンパツ氏だった。
当然、あたくし共は、それを聞き逃さなかった。
「え〜〜〜〜っ」「どこどこどこどこ!?」「もう消えちゃったよ」「うわぁ、見そこなった」「どうしてもっと早く言ってくれないの!?」「また流れるよ。ほら」「あ〜〜〜〜〜見た!」「うそ! どこどこ?」
大騒ぎ。
流れ星は、日本と違って珍しくもないのだ。それもそのはず。これだけありあまるほど星があるのだから、それこそ十分に一度はポロリと落ちるのが見える。ハハハ。お願いごとしたい放題ではないですか(でも、めずらしくないのだから、それほどの有難味もないってことか)。
あたくしもこの日、四つの流れ星を見てしまった。はははは。柄にもなく願い事もしてしまった。
ラメラメスーパーボールの中に閉じ込められたあたくしたち三人は、いくつもの流れ星を見つけ、冷たい風の中で、コヨーテの鳴き声も聞いた。
「こんな景色が、あったとはね」
世界への冒涜だ。と、あたくしは、意味なく自己嫌悪していた。
指先はもう、氷のように冷たいのに、気持ちはとても暖かかった。幸福の温度は、こんなにも心地よかったのだ。
キンとした寒さの中で、コヨーテの泣き声が旋回した。あたくしたち三人は、お互いの体をさすり合って、しかしまだ、宇宙を眺めていた。
……有難味のないはずの流れ星の効力は、もしかしたら、本当は絶大だったかもしれない。
だって、あたくしの願い事が一つ、この旅で叶ってしまったのだから…… ヴフフ。それはまた、後日の事であります。


2001.1.14

                
                                                                              深沢 亜企

  以前、海の向こう側へ渡ったのは、三年前だったなぁ……。
 英会話学校に通っていたから、それなりに英語に苦労していなかったし、何より、若かった。好奇心旺盛だった。
見るモノ見るモノ珍しく、新鮮で、触らずにいられなかった。  
でも、今は違う。
 違うと言っても、三年しか経っていないんだから、そんなに大げさに変わりようがないのだが、きっとこれって、気分とかの問題なんだろうなー。
 『老けた』と思った。
 そう。出発前の緊張の仕方から。
 あたくしは普段、緊張というものを全くしない。周知のとおり一応、役者という金にならないことをしているのだが、舞台に立つときも、緊張をしたことって一度もない。
 出発前日。オールナイト明けのだらけた体を引きずりながら、銀行へ走る。高田馬場のマツキヨで薬類・洗面用品などを買いあさる。さて、いざパッキング。
 ……耳が痛い。
 耳が痛いのだ。
 なんと、ピアスホールが化膿している。
 あたくしの現在、右耳に二つ、左耳に三つ。計五つ、ピアスホールを開けているのだが、そのうち、ここ七年間、一度も化膿などしたことのない耳が、赤くはれ上がっている。
 何故に?? どうして??
 とりあえず、まあ、どうでも良かった。そんなことで、旅行に支障が出るはずもないのだから。
 さて、準備もなんとか済み、体調万全(化膿を除いては)。いざ出発である。
 ……タクシーは失敗だ。どう考えても、大失敗だ。だから、無難に地下鉄と成田エクスプレスを使おうって言ったのに。
 大渋滞。月曜日の昼間だぞ! 何故に渋滞なのだ!
 ドキドキ、ハラハラ。とりあえず心に余裕が欲しかった。なのに、時間は残酷に過ぎて行く。ちっとも動かない車。
 「どうしちゃったのかなー。ちっとも動きませんねー。いやー、普段はこんなことないのになー。で、アメリカのどこに行くの??」
 あんたは運転してりゃいいんだよ!
 イライラのおさまらないまま、なんとか上野駅にたどり着き、京成線で成田まで。
 間に合った! 食事もできた! 一安心である。
 出国審査を終え、さて、お次は飛行機に乗る。
 なんと、あたくしのシートは貸切状態。他の二席誰も座っていないのである。
 言わずもがな、足を伸ばし、横になり、寝る体制は万全だ。
 そりゃ寝るでしょ! だって他に誰もいないんだもの!
 だが…… なんと宇宙人到来。スペイン系の、サッカーチームのメンバーであろう子供達が、あたくしのちょうど真後ろの席で、きゃいきゃいやり始めたものだからたまらない。
 枕を投げるな! シートベルトを締めろ! 見ないのならTVを消せ! 椅子を蹴るな!
 安眠などできようはずもない。十一時間、宇宙人達の雄叫びにさいなまれながら、あたくしは、空の旅を満喫した。
 唯一、心が洗われたといえば、飛行機の窓から見下ろした砂漠の絶景だろうか。
 霜の降りた小窓から覗くと、まるで、ありの巣の断面図。実験箱のようだ。
 砂丘。砂丘。町へのグラデーション。そして砂丘。テニスコートのように区切られた敷地。
 「あれは、六花亭の生チョコレートに似ている」「あれはモンブラン」「あれは氷山」
 次から次へと涌き出てくる活字の数々。しかし、言葉では例えようがない。この一級品の景色の前では、シェイクスピアのペンも止まってしまうだろう。
 実物大シムシティ−。きっと神様は、こんな気分で地上を見下ろしているのだろうな。
 などと、柄にもないセリフが脳みそを旋回しているうちに、ヒューストンで乗り継ぎを済ませ、無事、あたくしと伊東暁美は再会を果たすことができましたとさ。
 ……飛行機内で流感にやられていたとも知らず、唯一無二の親友といだき合うあたくし。
 しかしこの後、流感よりも頭の痛くなるような珠玉の景色たちが、あたくしを待っていたなど、この時点では、予想だにしていなかったのだ。全くもって、幸せな女である。

2000年10月20日