秋−そして、感謝

歌ったうた

  今年で4回目の美知子の一門会。そこに便乗させてもらって3回目のコンサート。毎回テーマを決め、それに合わせて曲の順番も考える。今年はエノケン。エノケン(榎本健一)生誕100年を迎え、浅草でもいくつかのエノケン関連のイベントがあった。今年は仕事のポジションも変わり、またプライベートな面でも困ったことがあり心の晴れない日が続いた。
ただ一人 さびしく 悲しい夜は
帽子を 片手に 外に出てみれば
青空に 輝く 月の光に
心の悩みは 消えて 跡もなし
<月光値千金>
  そうだ。これなんだ。今年はこれで行こう。核が決まった。すると周りが動き始めた。詩の朗読の企画が持ち込まれた。上村正子さんが詩の朗読をしたいと言う。司会ではプロだが、これは初めての挑戦。詩はすぐに決まった。浜田広介の「まごのこおろぎ」。これにギターをどう絡ませるか。試行錯誤の末、「里の秋」〜「まごのこおろぎ」〜「つづれさせかとうさせ」をメドレーで演奏することになった。歌でサンドイッチにして「まごのこおろぎ」は朗読だけ。空気をうまくつなげていきたい。「秋三部作」である。エノケンと「秋三部作」をどうつなげるか。上村さんはしきりに自分の前はどんな曲かと気にしている。私は無責任なもので、「エノケンの後です。」と言うだけ。数曲歌い、エノケンをやって「秋三部作」のつもりでいただけで、直前まで曲を決めていなかった。
  いよいよ本番。歌い始めて10分ほどでフッと「里の秋」が頭に浮かんだ。ギターを古いクラシックギターに持ち替えて「秋三部作」に入っていった。そこでエノケンを歌っていないことに気が付いた。頭からすっ飛んでしまっていたのだ。次にエノケンを歌うことにした。結果的に、これが良かったようだ。
雰囲気が華やいだところで菊池さんの登場。説得力のある歌い方で「わが大地のうた」を歌い上げる。この曲は2年越しの実現。昨年5月に一緒にやるチャンスがあったが、私の都合で実現しなかった。11月の一門会・コンサートは、菊池さんにご不幸があり参加してもらえなかった。ようやく実現。万感の思いを越えてのコーラス。次に池田さんが加わって三人で「一本の樹」。安定した温かい声で、とても聞きやすい。私はバックに徹すればよい。おかずを沢山入れよう(旋律の間やつなぎに細かいメロディを入れること)。お客さんも大きな声でシングアウトしている。木の、雨の風景が浮かんでくる。よい仕上がりになった。
 最後の最後は「感謝」。この曲は北山修作詞、加藤和彦作曲。フォークル再結成で歌われた。今回のコンサートの前日に心理学・思春期問題の講座があり、そこに高石ともやも出席してこの歌を歌ってくれた。死を迎える歌ではあるが、死を恐れてはいない。誰にも訪れる死。積極的に生き、自分の命を慈しめば人の命も愛おしくなる。そして、心から感謝が言える。そこで急遽歌うことに決めた。けれどもこの歌を歌うについては、実はひっかかるものがあった。今回の書道展には江田啓子先生の書が三枚出ている。一枚は二年前の作品。明日をも知れない中で、生への願いをこめて「望」。しかし、入院をして会場には来られなかった。末期がんであった。昨年は骨髄移植が成功し、無菌室で心に浮かんだことばをそのまま書いた。それが一編の詩になった。生きていることの喜び、かかわってくれた人たちへの感謝、その素直なことばに感動を受ける。このときも自分の作品を見ていない。そして今年は職場に復帰し、今の喜びをしたためた。今年ようやく、会場で見ることが叶った。このようなことがあるだけに、「感謝」は重すぎるな、と思っていたのだが菊池さんに励まされて歌うことにした。
  この会場を貸してくれているテプコ浅草館の北林館長の作品は、来館された方々への「感謝」。お弟子の田中さんは今まで見に来てくれた方の名前を、一字ずつ感謝をこめて書いている。二十数年ぶりの友人も来てくれる。初めて担任したクラスの教え子や初めて卒業させたクラスの子も来てくれる。美知子の遊びに付き合ってくれるお弟子さんたちがいる。ようやくふんぎりがついた。思い切って歌ってよかった。

            打ち上げのお酒がおいしい。来年も歌おう。