1964年(昭和39年)
世田谷区立新星中学校      生徒会雑誌         こすもす 


2年生の作品

ギター
2年C組   菊池  亮
 もうすぐ3年生。学校の勉強に追われている毎日。学校は,はやくて3時ころ帰り遅くなると6時頃になる。息つく暇のない一日。この息つく暇のないところにたった一つ心を気持ちよくしてしてくれるのが,あの日焼けし,2カ所ぐらいヒビの入っているギターだ。縁側に座り「お手々つないでのみちを...」と声を合わせてひくときは何もかも忘れてただ指先にだけ集中する。なんて気持ちがよいのだろう!  このギター。手にしたことのないものが思いがけないことで,手に入った。
 この前の冬休み,僕は新星中学校生徒会雑誌こすもす にのせる写真を取材にいった。
カメラをポケットに密かにしまっていいスナップを撮ろうとそこらじゅうを歩き回ろうとした。
 友達がバーベルを持ち上げているところに出くわしたりした。ちょうど新星中学校の近くを歩いていると廃品回収業のお爺さんがリアカーを引いていた。僕はそのお爺さんを追い抜こうとすると
「おにいちやん。後ろのギターもっていけよ。10円でもいいからおいていけ。」とお爺さんが軽く言った。」僕は迷った。手にしたことがないギターが急にほしくなった。しかし「10円でもおいていけ。」という言葉に迷わされた。どっちにしょうか。黙ったまま,しぱ゛らくお爺さんについて歩いた。
しかしこのお爺さんの意地汚いことに腹が立ち止めてしまった。
なんだか,
もったいないような気がした。取材のために僕は新星中学校の方に向かって歩いた。そのお爺さんもすぐ後ろでリアカーをいっしょうけんめい引っ張っている。僕はまだあのギターに名残が惜しくチラッとそのお爺さんのリアカーに積んでいるギターを見たりして先を歩いていた。すると後ろでお爺さんが一人でぶつぶつと何かを言っていた。なんだろうと思ってみると,あの重そうなリアカーが,ストップしている。「ウーウーウー」ときつそうな声で力を入れるがびくともしない。僕はただ呆然と見ていた。そしてわれにかえり「お爺さん押してやろうか。」と言った。今まで真剣な顔をしていたお爺さんがこちらを向いた。しわのたくさんある顔をほころばして「じゃそこまで頼む」
といった。僕は後ろから力一杯押した。リアカーはじゃんじゃん進む。あーぁこのお爺さんギターをくれるかもしれないぞと思いながら一層力を入れて押していった。「悪いなぁ,ありがとう ヨシ
後ろのギター持っていけ。」待ってました!
リアカーが通りりまで出てきた。リアカーを止めてお爺さんがにっこりした顔で,ギターをたくさんの古荷に中から出してくれた。そして自分でギターを手にして「わしも若い頃はやつたものだなあ」と言ってギターをはじいた。今まで聞いたことのないいい音色がした。おじいさんが僕の手にギターをわたした。僕も思わずうれしくなった。こんな気持ちの晴れ晴れしたことはない。おじいさんもほんとうにうれしそうに「ほんとうにありがとう,ありがとう。」と言った。そして「さようなら」というとおじいさんはまた一生懸命リアカーをひいていってしまった。僕は飛び跳ねるようにギターをもって手ではじいてみたり肩にかついだりした。写真の取材のことなど忘れて家へいそいだ。
すると帰りに中学2年の子に会った。「このギターもらっちゃった」と僕が言った。その人は僕についてきて歩きながら言った。「おい,これ150円で売ってくれ,たのむ。」と言った。その人は真剣な顔で言う。無理矢理ギターを手にしょうとするが僕は渡さなかった。このギターには150円以上の値打ちがあると思ったからだ。あのお爺さんからもらったこのギターをおかねでこうかんするのは間違っていると思ったからだ。
 うちに帰って「お父さん,これいいでしょう。」と言った。「また亮がひろってきたぞ。」と笑った。お母さんがぞうきんでみがいてくれた。どんなにみがいても,あまりきれいにならない。その日は,初めて手にしたギターをぶっつつげで弾いた。しかし全然弾けないので,ただテレビでやっているようなまねをするだけだ。その翌日には,「十日間ギター完成」という本を買い練習した。練習が終わると僕のたなの上に置いた。そしてちょくちょくそれを見た。そのきたないギターが新品のようにきれいにみえた。そしてあのときのお爺さんの顔を,かすかに思い出した。あぁぁあ,あの時
10円でも20円でもお爺さんにわたしておけばよかったと今になって考えついた。