菊池 利夫  1915年(大正4年)8月1日生 85歳

□現在の体調□

現在 週2回の透析治療を受けている 水曜日はヘルパーさんの力を現在 週2回の透析治療を受けている 水曜日はヘルパーさんの力をお借りしている 
土曜日は亮と淳が送っている足もあまり歩くと膝が痛み,杖を頼りに一生懸命歩こうとしている今一番つらいのは,目が見えないこと 歩くには不自由しないというが見ていて危なっかしいこんな不自由な身になっても,「米をといでおいたよ」とか前向きで,愚痴を言わないおじいちゃん 由貴や聡美が大事にしてくれる。「亮寝不足じゃないのか」などと息子の心配もしてくれる。
1999年8月23日(月)白内障の手術を受ける とりあえず左目 少しでも明るくなればよいが
利夫





□人生を語る□ 
少しずつお話を聞いていくことにします

●今日は1999年八月六日,広島に原爆が投下されて54年目になりました,その頃の様子を教えて下さい

利夫 : 日本にいなかった 。全くその事実は知らされていなかった。 そのころ僕は兵隊に2回目の召集を受けていた。(7月。)
それはなぜかというと,満映(満州映画協会)では絶対召集は受けないことになっていた。トムカに兄貴がいたところから召集がきた。
7月にはシベリアのほうにいかされた。そこで何をやったかというと,シベリアでソ連のタンクを迎え撃つ訓練をした。竹の短剣(戦う武器がなくなっていた)とそれから手榴弾を胸に,何回も何回も突入の練習をしていたら終戦になった。

★亮の勉強 利夫は1915年に生まれている。この年は1914年8月日本がドイツに宣戦布告して第一次世界大戦に参加した翌年のことだ。





菊池 雪枝              1924年(大正13年)2月21日   76歳  


2000年2月20日(日)誕生日
 2歳の時に母を失った。38歳だった母の顔を知らないその寂しかったことを由貴聡美に話した。
だから世界に一人しかいない,お父さん,お母さんを大事にしてねと語った。

雪枝利夫の写真

 1年前の1923年9月1日に関東大震災が起きている。
翌年に男子の普通選挙実現 

 この時代の女性に共通しているのか よく働く 腰が痛い痛い 首が痛いといいながら進んで仕事をする。