つぶやき  

2000年
12月

●12月31日(月)ただいま午後9時, 紅白歌合戦を見ながらの更新。何かしながら見ないともったいない時間。
明日には21世紀幕開け記念行動と称し早朝から外にでる予定だ。家族はみんな寝静まっていることだろう。元気な世紀越えを演出して21世紀自己満足の世界をスタートさせよう。
●12月26日(火)リリオホールでの打ち合わせ。いよいよ始まるといった緊張感が快い。舞台にはじめてたち意外とこじんまりした感じだった。奥行きが広く様々な舞台発表に対応している。照明の位置とか各パートの位置の確認。
 200人くらい入ってもらえば盛り上がるかなぁ。チケットはかなりの枚数(600枚以上)が出回っているが実際に来てもらえる人はその何分の一かな。
楽屋には大きな窓があり大変良い見晴らし。夕日に映える富士山に思わず声が出た。デジカメを持っていなかったのが残念だ。打ち合わせも終わる頃は夜景が徐々に色濃くなってきた。リリオホールもなかなかイイねえ。
終わってからのミーティング(忘年会)音楽仲間は楽しい。最後はカラオケでなくライブスポットで気持ちよく終了。
●12月24日(日)明日が終業式。娘の学校はもう冬休み。昨年はY2K問題で大騒ぎだった。今年は21世紀21世紀の言葉が飛びかっている。20世紀最後の実験と言って今学期最後の実験をした。20世紀最後の何々が教室でもいろいろな先生の口から出たそうだ。20世紀最後の忘年会があと一つある。20世紀最後の年賀葉書を今から書き始めている。
●12月17日(日)いよいよ明日から2学期ラストの週に入る。全体に落ち着いた雰囲気と温かい生徒の雰囲気を感じるのがうれしい。街はジングルベル 買い物に行くと何かあわただしい人の動きを感じて自分もあわただしくなる。2001年の準備をそろそろするかぁ。
j●12月14日(木)ゆっくりと歩いて亀有駅まで歩けた!あれだけの腫れが日毎に減って急速に回復した。
びゅんびゅんと走り抜ける車の横 バス停でジッとバスを待つ苦痛  タクシーを使っての通勤 何と味気ないことだろう 「歩くこと」の楽しさ喜びを身に沁みて感じさせてくれた1週間だった。 完全回復まであと1日か 
●12月11日(月)○「先生ホームページを見たよ。」と声をかけてくれた。何か恥ずかしいけれどもうれしい気持ちになる。このホームページのアドレス http://www2.justnet.ne.jp/~ryo_kikuchi/の ~ チルダ  _ アンダーバー の入力がうまくいかない場合が多いようだ。それをクリアーしてのアクセス ご苦労様でした。ありがとう御座いました。
コンサートのチラシが出回るに従ってアクセスしてくれる人が増えていくようだ。 
○アクセスカウントが3000回を突破した。温かいぬくもりのあるホームページ 役に立つホームページ 授業でも使えるホームページをめざしていきますか....特に厳選リンク集にご注目を!
●12月8日(金)婆ちゃんの杖を借りて出勤した。駅からタクシー。大人からも生徒からも温かい声をかけられた。不思議と足が弱くなると一挙に元気がなくなるような気がする。皆さん気をつけましょう。マア休み明けには元に戻そう!
●12月7日(木)全く失敗続き。取手駅の階段を降りているとき足を踏み外し,しばし座り込んでしまった。私をよけて足早に通り過ぎる通勤客。「大丈夫ですか」と声をかけてくれる人もいた。最後までついていてくれて「救急車を呼びましょうか」とまで言って心配してくれる人もいた。  ただ何とも恥ずかしい。まだ片目が不自由なのに階段で降りながら携帯のメールを見ようとした。寝不足による注意散漫。すべて自分の責任だ。  腫れがひどく,救急病院で見て貰った。固定され実に不自由な足運び。  深く反省。  「お酒飲んでいいですか。」お医者さんにまず聞いた。「ほどほどにね」
 明日大切な会合があるのだ。
●12月3日(日)たかが ものもらい(瞼にできる一種のはれもの)経験的に自分の自然の力で治るとほーっておいた。ところが1ヶ月近く経っても消えなかった。心配になって病院に行ったら「切開しましょう。もっとはやくくれば治るのに」
小さな手術とはいえ あの嫌な体験は二度としたくない。あの瞬間,お医者さんの偉大さを感じる。手術の最中ずーっとしゃべり続けているおもしろいお医者さんだ。「ここは血管が縦横に走っていて出血が多い所なんだよね」何ていいながら目に麻酔注射 ああ怖かったぁ....... 
●12月1日(金)電車を待つ時間にすることをいくつか用意している。文京五中 志村五中と遠距離通勤時の電車の中,待つ時間,これをいかに有意義に過ごすか考えたものだ。その癖が残っている。いくつかの本を持ち歩いているがこの頃はもっぱら推理小説。夢中になって乗り過ごすこともある。そして読みながら眠くなってくることも多くなってきた。今日は本屋さんで衝動買いをしてしまった。約2000円もする本おもしろそうだ。 帰りに亀有駅に行く途中に八百屋さんに寄った。威勢の良い元気な声を響かせている。今どき珍しいお店だ。やっぱりいいよなぁ 人との繋がりを感じさせてくれる。 

11月

●11月30日(火)あと10分ほどで12月1日になる。いよいよ20世紀最後の月にはいる。
本ホームページのアクセス回数もまもなく3000回を越える勢いだ。 12月に一挙に増えそうな気配。何かおもしろいことができそうだ。
●11月27日(月)期末テストが始まった。東京の中学は3日間テストこれが普通だと思っていたら2日間でしかも6時間授業をやっている学校もあるのを知って驚いた。生徒と先生のためには東京がいいのかなぁ。
有珠山の噴煙
●11月26日(日)北海道の姉から間近に撮った有珠山噴煙の写真。まだ岩石が飛んでくると言う。自然の凄さを実感したそうだ。でも洞爺湖温泉が営業を始められてお客さんも集まっているという。 安全になれば噴煙が観光のために利用できるのだろう。
●11月25日(土)体調が少しずつ戻ってきた。2000年1月27日(土)「らすとボーイズと仲間たち」コンサートの準備が少しずつ始まった。らすとボーイズの人達との顔合わせでこれはおもしろくなりそうだ。初めてのホールでのソロ演奏に挑戦する。もちろん入場無料だが500から600人の大ホールを借り切ってやるという冒険。一人でも集まってくれればヨシと言う気持ちでやることにする。とにかく一応600のチケットができあがってきた。「らすとボーイズ」はやる気十分。私もあらゆる繋がりで宣伝するつもり。 さあ どんなことになるのかなぁ まだ一度も行ったことのないリリオホールとの打ち合わせの日程も入っている。もう戻れない
●11月19日(日)秋の深まりを毎日感じられる場所がある。亀有駅から大谷田団地にぬける桜並木。桜の木の紅葉も実に目にしみる。大きな葉が毎日毎日微妙に色づけられていく。自然の絵を見ているようだ。桜は春だけでなく秋も楽しませてくれるんだ。 18日(土)久しぶりの晴天 気持ちいいなぁといつもの帰り道を亀有駅に向かって歩いていた。若い母親が立ち話をしている。通り過ぎようとしたら「先生!」と声をかけられびっくり。しばし記憶をたどる。名前がでてこない「安藤です。」奥戸中時代の教え子だった。1987年に卒業させた生徒だった。懐かしい出会い。そして幼稚園の送迎バスが近づいてその子供が降りてきた。「コンニチワ!」とぺこんと頭を下げる。思わず頭をなでてしまった。「ママの中学時代の先生よ」 秋の日差しが特別にやさしく感じた一日でした。15日(水)おもしろいメールが届いた。「市政についての要望に対する回答」 いつも病院に行くときキリンビール工場のわきを通る。大型トラックが中椅子を押していく人のスレスレを通り過ぎる。広大な敷地を擁する工場の周辺をもっと人間が安全に暮らせるようにさせることが市のやることではないの!といったメールを送ったそれへの回答だった。まず返ってこない反応だと思っていたので,聞く耳を持っているのを知ってうれしかった。個人の要望を市政に反映するこれもインターネットだからできるのかなぁ。
●11月5日(日)天気予報に反し久ししぶりの青空。布団干し 洗濯物干しに絶好な日和だ。利根川運動公園では柔らかい日差しを浴びながら ウォーキングする人 ジョギングする人野球をする人 じっとスケッチをする人 お弁当を食べている人 テニスをする人 ギターをひいている人 等々 障害物がないからすく近くにいるようなに響いている。そんな中サイレンの音土手沿いに人が集まっている 黒い煙がのぽっている 火事だ。それを見にあわてて走る人ぼーっと過ごした一日でした。



10月

●10月29日(日)この間に初めて有料サポートを利用してみた。ダイヤルQ2を利用してかかった時間だけ
代金を取られると言う仕組みだ。まずрェすぐにつながった。あの何回かけても話し中のイライラがないのは
助かる。そして応対したインストラクターが真剣勝負といった応対を感じた。一通り説明すると,即答できない
内容と判断するや,すぐにр切り「後ほどこちらで動作を確認してお電話します。」ときた。なかなか手応え
あり。約束の時間にрェ入り,マニュアルにはない内容を丁寧に教えてくれた。
そして,ワクワクしながら言われたとおりにやってみたら,もうダメか!と思ったデータの復元に成功した。
大した料金はかからなかった。ただインストラクターとの会話をスムーズにするにはそれなりの知識が必要だ
と思った。一つ賢くなったかな。
●10月15日(日)20qウオ−キングしながら考えた。今の中学生に走るより「歩く喜び」を教えられないか
なぁ。
●10月11日(水)本当に困り果ててしまった。IBMのサポートセンターの女性の声が救いの神に聞
こえた。ますます盛んなコンピュータネットワーク。今度体験した個人的失敗からの回復,他人が原因の
失敗からの回復を常に頭に置いておかないとダメだ,長く続けてインターネットを利用するための常識になるの
だろう。この経験をしっかり記憶に留めよう。
●10月8日(日)この1週間は大変であった。私のパソコンに重大なトラブルが発生し,その修復のた
めに苦闘した。メールはたまるはホームページの更新もできなくなるのではと一瞬真っ暗。何とか自力
でもう一つのパソコンを使って今までやれたことをやれるようにしてから,トラブルの解決に当たろうと言
うことで.....やっとこの文章を書いて更新するところまでこぎつけました。パソコンにはトラブルが,
つきもの。これへの対応を日頃からしていればこんな慌てずにすんだのだ。データーだけでなく,全体の
システムのバックアップも日頃からやっていなければならないと痛感しました。
さて何故こんな事になったのか,まだ回復しないパソコンを回復させるために何とかしてみよう。
●10月1日(日)オリンピックが終わりました。男子マラソン 閉会式とゆっくり見るぞと思っていたのに
できませんでした。我が家の生活のために買い物で走り回りました。あーあぁ 終わっちゃたぁ−。
4年後のアテネ 何が変わっていくののかなぁ。それまでこのホームページが続いていのかなぁ。


9月

●9月30日(土)明日でオリンピックが終わる。オリンピック情報としてインターネットから
の情報を印刷し1年生のフロアーに掲示してきた。少しでも良い雰囲気を作ろうと始めたが,な
か続けることはたいへんだ。しかしこんなにオリンピックを意識したことも初めてだ。
 10月18日から始まるパラリンピックにも力を入れよう。  
日本の放送事情と外国のそれと大分違うらしい。日本のテレビもラジオも新聞も「金金金金メダ

メダルメダルと強調しすぎる」 とにかく日本のマスコミは至る所でおかしい。
●9月25日(月)オリンピックで生活が乱されている。4年に1回だからまぁいいや!
オリンピック情報を1年生のフロアーに掲示し続けている。続けることが大変になってきた。
パラリンピックの最後まで続けたい。
●9月19日(火) オリンピックで揺れているが,日本列島も何かこの頃揺れが多い。夜寝て
いても「あれ?揺れている。」と言うことないですか。そんなとき科学雑誌「Newton」
10月号を見た。ど迫力のシミュレーション。科学的根拠を示しつつ説得力がある。東京に行く
ときは覚悟して行かねばと思った。
●9月17日(日)サッカーが2勝目。自分でも珍しく食事中にもかかわらずヤッター。これに
家族ものってきた。オリンピックでないとできないことかなぁ。
 田村亮子の金メダルで,大騒ぎ。この金メダルで田村亮子の名前がしばらくは日本国民の記憶
に残ることが私にとってありがたい。 「菊池 亮です。」と言うとき,キクチのチは地ですか
池ですかとまず聞かれる。そしてリョウはどんな字を書きますかと聞かれる。今までは「美濃部
亮吉の亮です。」「田村 亮の亮です」と対応してきたが,この頃,これが通じないことがある
のだ。これからは「柔道の田村亮子の亮です。」でしばらくは通じるのかな。うれしいことです
●9月16日(土)授業の最初5分オリンピックの話しをしている。オリンピックの歴史 何
4年ごとに開かれるか。自分が調べたことをトクトクとしゃべる。生徒は目を輝かせて聞いてく
れる。アスリートってどんな意味。なんて聞いたり そして理科の授業に入るのです。
 ○携帯でホームページにアクセス。オリンピツク情報も携帯でもとれる。田村 亮子 3回戦
突破を知ったのが携帯でだった。面白いことができるね。
●9月15日(金)27回シドニーオリンピックが開幕した。昨日はサッカーの日本と南アフリ
カ戦があり日本が2−1で勝利。テレビを余り見ない,プロのスポーツにも熱狂的になれない
私がシドニーオリンピックには気合いが入っているのです。オリンピック特集の雑誌5冊も買い
込んでオリンピックに対しての様々な意見を聞きたいと思っています。
 人類がどこまで運動能力を伸ばし切れたのか  そんな観点で見たいのであります。(パチパ
チパチパチ... )
●9月12日(火)中秋の名月 大荒れの天気の後のお月様 東海地方に大変な被害をもたら
した。まだまだ蒸し暑い 異常な天気が続いている。でも夜は秋の虫の音が快い。2学期もい
よいよ本番。
●9月3日(日)昨日は少し異常な暑さだった。その中でガスバーナーを使う実験をする。生
徒に説明している時,あごからポタポタ汗が落ちる。ワイシャツには少しずつ汗のしみこみが
広がる。「先生! 汗すごいね」こんな声をかけてくれる生徒がいて,うれしくなってしまう
。4階の教室に40人 そこにいるだけで大変な生徒達。さぁ 今学期も生徒との関係で,自
分の中のどんなやる気が引き出されるのか楽しみだ。 今日は少し涼しい秋を感じる。
●9月1日(金)始業式。学校が人で溢れた。生徒も先生も生活の切り替え,頭の切り替える
ために,動き回った。軽く1万歩越えてしまった。健康にgoodな仕事かな。



8月

●8月31日(木)夏の最後は 救急車に乗りました。何がなんだかわからないでしょう。
一家6人に襲いかかった15歳(3人が殺された) のニュースがこの夏を象徴するような事件だった。生きて再び会える。わずか
40日ぶりとはいえ,大変貴重に思える。明日からいよいよ 2学期スタート。少し早めに床につき明日に備えよう。  
ホームページ開設2周年
●8月25(金)
 区切りのいいところで少し後ろを振り返ってみます。アクセスカウント数も2000回を突破して良く続いてきたなぁと思います。ファミリー向けホームページとしてスタートしたのがだんだんと,羽を広げていったようで今ではファミリーは一番後回しと言うのが現実です。やはり見てくれる人が少しずつ増えているという手応えが次の更新のエネルギーになっているようです。そしてHPのおかげで,予想もつかない意外な人間関係ができたり,人間好きな私にとっては益々面白いツールとして,HPを続けて行ければと思います。

@懐かしい母校の名前を入れて検索 そして私のホームページにたどり着いた。そのときの驚きをそして
,みんなどうしているのかなぁと思ったというメールをくれた4年前の卒業生
A「実は私も同じ高校の同窓生です。」と本当に身近な意外な人生の繋がりを感じさせてくれました。
Bそして遠く海外で留学中の教え子の生き生きとしたお便り。私一人で読むのはもったいないと始まった
ページ。遠いアメリカからホームページを見てくれています。(当たり前だけれどもちゃんと見えてるようです。)
C生徒そしてその保護者 せっかくこの世で一緒に生活する時間を共有したのだから友達になろうよ 
先生も生徒も父親も母親もみんな同じ人間だから

D海外の見知らぬ人とのメールの交換も始まりました。つたない英文をしっかり読んでくれて,すぐさま返信メールを送ってくれる。同じ地球に住む仲間は全世界にいるのだを実感させてくれます。本当に悪い人間もいるけれど善良な人達との交流の輪がもっともっと深く広げるのにインターネットが役に立つのかなぁと思います
 この1年でこのようなことができました。

今や名刺代わりに「ホームページ見て下さいね」とお会いした人と別れることにしています。「別れ」が「始まり」 これがインターネツトがあるから言える言葉に思えます。 コンピューターのプログラムも作る友人がHPづくりの熱が冷めたと言っていました。私もいつ熱が冷めるのだろう。でも,まだまだ様々な可能性があるようで続けていきたい。2006年に会おうとか自分勝手な呼びかけも,できたらその日までHPを続けられたらいいなぁと言う努力目標でもあるのです。HTML言語を知らなければ作れないホームページがそれを知らなくてもできてしまう時代になって珍しくなくなってきたがその使い方はまだまだ未知の部分があるように思います。引き続き よろしくお願いします。
●8月20(日)あーあ 甲子園の高校選抜も明日が決勝 いよいよ夏休みも終わりか と思わせる年中行事だ。
●8月10日(木)いよいよ明日ナイトウオーク。11日夜8時東京駅スタート。元気なおじさん おばさん達
20人〜30人が西へ西へと徹夜で歩き続けます。翌朝の9時過ぎに取手駅近くにゴール予定。最後の調整に,
今日も5キロ歩いた。足下もかため準備はOKだけれども少し不安だ。 
●8月6日(日)9日(水)20世紀最後のヒロシマ・長崎原爆の日  「6日の平和記念式典には、核保有5大
国の大使としては初めて、ロシアのアレクサンドル・パノフ駐日大使が参列。被爆者や遺族らとともに黙とうする。
」という。もっともっと国として世界にアッピールする必要があるのではないか。
また全国の被爆者手帳所持者は29万7613人(今年3月末現在)で、30万人を割り込んだという。50年以
上も経ってまだ30万人の人が原爆で苦しんでいるという事実を世界に知らせよう。そしてその経験が風化しない
ように教育の場でしっかり伝えよう。         黙祷.....
●8月2日(水)2日目 酷暑の中 水戸駅から歩いて会場へ
●8月1日(火)第47回全国中学校理科教育研究会 茨城大会に参加した。会場の水戸まで取手から1時間30分
以上。文部省初等中等教育局主任視学官 という肩書きを持った 江田 稔氏の講演が一つのメイン。教える内容が
削減され時間も削減されその分総合学習の時間が設定されているという。だいたいの流れはわかったが,果たしてこ
れで,良いのか?難しいから高校へ 基本的な事柄を教えることを諦めてしまっているのでは 何をどのように教え
るか考えねばならない。科学雑誌「ニュートン」等を見ると遺伝のことなどもう少し詳しくやるべきだと思うのに
軽く扱っている。何故かいろいろ研究しなければならない。分科会では思わず発言してしまった。豚の内蔵を生徒に
見せるのを導入に使っている。「実験が終わってその豚の内蔵をどうしたのですか」「生ゴミで捨てました」生徒へ
の精神的ケアは大丈夫なのか。解剖の後味の悪さ カエルを殺したり 豚の内蔵を見せたり 生徒にワイワイやらせ
て良いのか どうも抵抗を感じてしまう。詳しい図 インターネットでのデーターで充分ではないのか。人間に似た
豚の体を切り刻んで,現在の中学生に大事なことが抜けているのではないか..など考えてしまった。

7月

●7月31日(月)暑くて 風があってなかなか寝苦しい夜が続いている。お茶の水 新宿と都心に行くことが
多かった。そびえるような高層建築が風景を変えてしまった。
●7月28日(金)インターネットによる人のつながりを感じさせてくれることが,あった。私の自己満足的な
ホームページを見て「実は.....です」こんなメールが届いた。驚きと喜びと新たな人と人とのつながりを
実感できる。遠くアメリカから頑張っている教え子の思いが届いた,本当にインターネツトによる人と人との心
の交流がてきる。これを大事にしたい。
○人間ドッグ 同じ服を着て病院を歩く 何か囚人服のようで嫌だなぁ と思ったものだが 回を重ねるごとに
嫌なことの中に楽しみを見つけた。週刊朝日 アエラ 週間新潮 などあまり日常読まない週刊誌をじっくり読
めること。(自分の子供を殺そうとした准看護婦の母について,本当に狂った事件 おかしな事件 人が死ぬと
お金が手にはいるという仕組み..)本を読めること。ドクター(やっぱりいろんな人がいる)と面接できるこ
と。空腹の後の食事のおいしいこと。等々○中川5丁目グラウンドの盆踊りにいった。あいにくの雨だけれども
踊りの輪ができた。和服で決めた婦人達の踊りを見て懐かしい昔の盆踊りを思い出される。雨で和服が汚れるの
も何のそのその踊りたい気持ちが伝わってくる。盛大なヤグラ 久しぶりの盆踊り こういうことが今住む自分
の回りにはないなぁ 大人どうし 子供と大人 子供どうしが集える地域のお祭りをこのようにやれる地域の大
人達の和が貴重に思える。雨の中本当にご苦労様でした。 
自分的パソコン購入の方法
●7月23日(日)終業式がら3日たった。夏休みが滑り出した。暑い暑いの毎日が続きそうだ。
今までたまっていたことを次々と片づけたいところだが,なかなかそうも行かない。毎夏ごとにパソコンライフ
のレベルアップを試みてきた。今年もまず,秋葉原に情報の収集に出かける。
秋葉原私の好きな町の一つだ。初めていったときは,きっと父親に連れられてだったと思う。だからだいぶ前に
なるが,今でこそパソコン インターネット関連商品が溢れているが,秋葉は家電の店が軒を連ねていた。
電卓を持った店員が,値引き交渉に応じてくれるおもしろさ。あんなに同じお店やさんがあってみんな売れてい
るのかなぁと心配したものだ。溢れるような人の波 その活気は今も変わらない。
 秋葉で初めてパソコンを購入したのがもう10年以上も前になる。ある大きな家電ショップで飯田さんという
店員さんがいた。親切で感じの良い人で,その人の助言を聞いてパソコンとプリンターそしてお薦めソフト
として一太郎ver.2を購入したのを今でも覚えている。なぜその店員さんの名前まで覚えているかというと,
その飯田さんの誠実な商売ぶりに感心したからだ。パソコンの初心者でわからないことだらけ,電話での質問に
何回かけても丁寧に答えてくれた。それだけではない,困り果てたトラブルに遭遇し電話をしたら自宅にまでき
て今で言うサポートをしてくれたのだ。もちろん無料で。 飯田さん御指名のお客さんも多く次にその店に行っ
たら,もう本店の重要ポストに栄転になったいた。
優秀な店員さん 自分的基準@誠実な態度 雰囲気 Aよく勉強して商品について知っている,お薦め商品を自分
の言葉で勧めることができるB売った後を大事にしてくれる
 「どんなパソコンを買ったらよいか」質問を受けることがある
私的 パソコンの購入方法
@まず何をやりたいかはっきりさせるA聞きかじりでも良いから少し勉強する 店員さんに質問する内容を用意
するその答えも一応知っておくA秋葉原とかに行って大きな店で店員さんを捕まえて質問 その答え方で良く知
っているか,感じの良い店員さんかがわかる。(人の多く集まる秋葉には優秀な店員も多い)B最後に「それで
はあなたのお薦め商品は」と質問これに即座に自分の感情を込めて語れる人に出会えたらgoodCその場で迷
ったら買わないで名刺をもらっておくDC迄のことを体力が許す限り他の店でやってみる(秋葉原はその点店が
密集しているのでできる)
 Dまでやれば見えてくるはず,どこで何を買えばよいかが そしてくれぐれも購入後のサポートについてしっ
かりと確認する。パソコンと家電の違いは 今でこそ楽になってはいるが,購入してからのトラブルが必ずある
と思っているとよい それに自力で解決するための勉強 それを助けてくれる人(サポート)なしには使えない
のだ。

 この夏は,家庭内ネっトワークの構築 メモリー ハードディスク増設をやっておくか。
高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン
コンサート2000
●7月14日(金)高石ともや&ザ・ナターシャ・セブン   コンサート2000
何はさておき行きたいコンサートの一つだ。ともやさんのコンサートで歌わせてもらって以来その人柄にひかれ
た。私よりずっと先輩58歳が元気で頑張っているだけで励まされる。中身は心にしみこむ音楽と言おうか,と
もやさんの自然体,メンバーの一流のテクニック,詩を聴いているような響き。この響きを今の中学生からの若
者に聴かせたいなぁ,生徒をひっぱっていきたいけれどなぁ 学校に呼べたらなぁ ヨシまた明日から頑張るか
ぁ という思いで渋谷駅へ向かった。ハチ公前で何やら音が響いている...なんだぁと近づくと4つの場所に
それぞれの若者のバンドがけたたましく音を出していた。コンサート帰りでその思いを大事に胸にと思っていた
ところがこのパフォーマンス。これもかなりの時間見てしまった。その中でとりわけハデなセッティング 本格
的演奏で目を引いたのが クラウン ベリーというバンド。渋谷のライブでも人気あるらしくなかなかの演奏。
これはこれで面白いが,今日は聴きたくなかったなぁ...でも公衆の場であんなことできるのって歌う者にと
っては最高だろうな...(ハチ公前といえば私が高校時代よくこの広場で,「安保 沖縄 小選挙区制」など
で市民が討論し若い私も熱くくなっていたのを思い出す,それが今は様変わり 時代の流れなのか...)
私もやって見たいなぁと本気で思ったのでした。若者だから許されるのかなぁ..一番くたびれ自殺者も一番多
い50代の世代 若者には真似できないパフォーマンスもあっていいんじゃないかなぁ。 

              あらぬ事を考えたひと時であった。

高石ともや&ザ・ナターシャ・セブンのメンバーのプロフィールを記しておこう
高石ともや 1969年「思いでの赤いヤッケ」でデビュー後「受験生ブルース」「主婦のブルース」等のヒッ
トにより”関西フォークの旗手”として活躍。1971年”ザナターシャセブン”を結成。
アトランタオリンピックで有森選手が「自分を誉める..」は高石が言った言葉だと後日知り,高石自身が感激
今年「自分を誉めてやろう」を収録したCDを発売。

城田じゅんじ 1971年”ザナターシャセブン”に結成から参加。”ザナターシャセブン”脱退後86年に
渡米し,アイリッシュミュージシャンとして活躍。専門誌の主要ギタリストに名を連ね,著名ミュージシャンと
ジョイント・ツアーを繰り返すなど,世界的規模でライブやレコーディングなどで活躍。

坂庭 省悟 1969年「マヨネーズ」でプロデビュー後「はしだのりひこ&クライマックス」など数々のグル
ープを経て”ザナターシャセブン”に参加。”ザナターシャセブン”解散後は「SAM」を結成しライブハウス
等で活躍,現在は新しいユニットのコンサートを展開中。代表曲に「クライマックス」時代に,北山修の詩によ
る「花嫁」がある。

松田 幸一 (通称アリちゃん)はアリスの前身である”ロックキャンディーズ”に参加するかたわら,”赤い
鳥”の結成にもむ参画するなど,関西フォークになくてはならない存在として活躍。その後 泉谷しげる ユー
ミン 大瀧詠一 イルカ 中島みゆき等数多くのミュージシャンのライブやレコーディングに参加するマルチプ
レ−ヤとして活躍。 
●7月12日(水)昨日雪印 全国の雪印乳業の工場の操業中止 そして本日の給食から急遽 停止その代わり
に,ウーロン茶。安全と全く疑いもしなかった食品がとんでもない製造過程が明らかに,そして今 森永牛乳
も一部回収のニュース。この大企業を監督する立場の者の責任も問われるだろう。それにしても,食べる物への
不安がこれだけ身近に大規模なのものも初めてだ。 不安な世相が増幅されるのが心配だ。
金魚が死んだ
●7月10日(月)4階1年生のフロアーに多目的室がある。そこを生徒達の憩いの場にしょうと,植物を持ち
込み,掲示物を貼りそして6月5日に大事にしていた金魚を持ち込んだ。「この金魚は昨年度卒業した生徒が約
2年間,大切にしてくれていたものです。できるだけ長く生きていけるように皆さん!協力して下さいね。」
と言うメッセージを掲示した。 この金魚は昨年度私の教室で飼っていた。少し学校を休みがちだった生徒に世
話をお願いしたり,それをきっかけに学校にも来れるようになった。みんなで大事にしていた金魚だ。
 だからまず真っ先に,金魚は大丈夫かなと,多目的室をのぞいた。あれ!おかしい!泳いでいる自然のままで
動かない。元気に餌をほしがるはずなのに,あわてて水槽のガラスをたたく....死んでいる...
 昨日の台風3号か通過した後の晴天で,一気に温度が上がったからか。日日草もしおれきって死にそうになっ
ていた...あああぁ死んでしまった.... すぐにいつもの場所に丁寧に葬った ありがとう  合掌
●7月8日(土)○台風3号接近中。風雨がだんだん増している。岡山の高校3年生17歳か秋田県で逮捕され
た。「後輩を殺せば母に迷惑だから母親を殺すしかないと思った」と供述しているという。文章が間違っている
のでは,と思えるような短絡ぶり。この悲劇がなぜ起きたのか,冷静な分析が教育現場でも必要だ。特殊な事件
として片づけられない広がりを感じる。○こういう事件が起こるたびに思う。この悲劇によってたかって騒ぐマ
スコミの皆さん,子供を取り巻く環境の悪化を促進するような情報,番組を提供していることへの反省取り組み
が必要ではないか。若者達が感動する番組づくりをしているのか。
○1学年のPTA委員との懇談会。率直な雰囲気が作れたのが良かった。○いよいよ1学期も大詰めになってき
た。○「給食で飲んでいる雪印乳業の牛乳は大丈夫か。」という問い合わせが学校にあった。買い物をするとき
の基準に知らないうちにその会社の信用度が現れてくるように思われる。雪印をみるとやはり揺るぎない信用が
あり安心して買ってきた。それがあっと言う間に信用を落とし危機に瀕している。横暴怠慢な大企業が国民の命
に直接関わっているところから事態は深刻だ。これを監督している行政の責任まで問われることは必至だろう。
本当に おかしなことばかりが起きている。
●7月2日(日)○30度以上になった。クーラーを一時使用,体には自然が何よりだがあれば使ってしまう。
先週は期末テストの週,汗をかきかき真剣に取り組む生徒達。本当にみんな良い顔をしている。親に見せてあげ
たい。○久しぶりに近くの家電にいった。すっかり模様替えしていた。パソコンのフロアーがグーンと広がり,
その品揃えも秋葉原のパソコンショップ並になってきた。そしてインターネットインターネットの音頭にみんな
が踊るように売れている。家庭でのネツトワークに取りかかるために,ルーターの購入の検討に入った。より快
適なインターネツト環境の構築がこの夏の課題かな。それに詳しい人がインターネットを通じてメールマガジン
を発行していた。本当にありがたいね。無料で顔も知らない人の質問に答えてくれるのだから.....
インターネット上の犯罪が取りだたされるようになってきたが,インターネット上の多くの善意の人達の存在を
大切にしたい。


6月

●6月26日(月)渋谷に行った。渋谷駅南口 バスターミナル 下馬一丁目 野沢竜雲寺 懐かしい私
の生活の場所だった。246号線の上を首都高速が走っているが,その高速道路がない時代を知っている
。高速道路ができ確かに便利になったが,下の道路が昼でも暗くなってしまったのを嫌だなぁと感じた。
 ライブに行くため渋谷に行った。取手からは大変な距離だが,新宿とか渋谷に出るのはうれしい。
自分のふるさとに帰るような郷愁を覚える。
●6月25日(日)第42回衆院選の開票速報真っ最中。自民党が単独で過半数をとると言う予測が現段
階出ている。安定多数が国民の幸せの安定につながることを願うばかりだ。各党がどんな公約を掲げたか
有権者はしっかりと4年間見届ける義務があるような気がする。あらゆる面での日本社会の行き詰まりを
今日の選挙を境に少しでも上向きになるかどうか,忘れずにウォッチしょう。そのためにも総選挙のため
に開設したページで勉強を続けよう。私たちの生活と政治は直結しているのだから。
●6月19日(月)選挙 南北朝鮮 卒業生からのメール(アメリカ・ニュ−メキシコ州) とつぶやき
たいことがたくさんあった先週でした。選挙真っ最中で,やはり有権者としてインターネットを通じて
積極的に参加したい。そんな思いで新たなページも立ち上げました。そして6月13日の南北朝鮮の首脳
会談には万感迫るものがある。とにかく平和への新しい動きこれを何とか促進するために選挙ではと考え
ても良いのかな。教え子から遠くアメリカからうれしいメール 2000年の会があったからできたつな
がりこれを契機に インターネットでこんなこともできる新たな実験を計画中。6月18日の劇的な運動
会これもおもしろい。  
●6月11日(日)○職場までの歩きで汗まみれになる。そんな季節になってきた。何人もの卒業生とす
れ違う,少しずつ顔つき,服装と高校生らしくなっていくようだ。この夏が一つの山。中退した生徒は
夏休みを境に生活が変わってしまうことが多い。暑さに負けないでガンバッて欲しい。○衆議院がやっと
解散しいよいよ総選挙が始まる。しっかりと見極めて投票したい。そのためにも各党の政策を良く研究し
よう。インターネットを使っての情報 新聞 テレビラジオ そして駅頭で配られるビラ 民主主義の基
本 人の話を良く聞いて自分の頭で考える。これを実行しよう。そのためにこのホームページでも総選挙
に向けての勉強といったことをやってみたいなぁ。一人一人がしっかりしないとこれからの日本が心配と
いった状況が至る所で感じられるのです。
●6月 4日(日)中間テストの週が終わった。もうこの1年生が3年で行く修学旅行の大まかな構想を
考えなければならない時期だ。目前の運動会の準備が始まり暑さも加わり一学期の正念場を迎える。



5月

●5月28日(日)○5月24日(水)山中自然教室から帰ってきた。常磐快速が遅れているという。何があったのだ。予想もしないことが起きていた。取手市に(ヒョウ)が降ったという。風もただならないもので空は真っ暗,昼時だというのにだ。ミカンほどの大きさの氷の固まりが落ちてきたというのだからすごい。我が家でも帰ったら少し開けていた窓から大量に水が進入。畳をぬらし大変だったという。イヤハヤ 「富士山きれいだなぁ」なんて見ていた時刻だ。
○ハウスメーカーから被害の調査があった。縦の雨樋がだいぶやられた家が多いそうだ。,
話題の「FUJIYAMA」に乗ってみた97年度版ギネスブックに世界一として掲載されているキング オブ コースター「FUJIYAMA」怪物マシン揃いの富士急ハイランドの人気アトラクション。こんなふれこみの乗り物。
○山中自然教室最終日 富士急ハイランドで思い切り遊ぶと言う企画。朝9時から遊びに来れることはまずできない場所だ。子供たちも興奮状態 目指すはFUJIYAMA あっという間に列ができた。55歳以上は乗れませんと言う表示が注意事項の掲示板に書いてあった。前の若い女性は10回目だという。「半端な乗り物ではないですよ。泣いてしまう子もいましたから。」イヤー子供に誘われなければ乗らないだろうなぁと思っていたので少し不安になる。一緒にいた教頭はまだ若い。いよいよ私たちの番がきた,「先生頑張って」何よりの子供の励ましを背に前に進もうとしたら係員の厳しい視線「年齢はいくつですか」とストップをかけられた。憮然として「51歳だよ」と言ったら通してくれた。「畜生!!」「55歳以上に見えるのかよ!」回りが中学生若者だらけだからよっぽど老けて見えたんだと自らを励まし「よし」と気合いわいれてのりこんだ。
 いやぁーすごい体験 65度の急斜面を滑り落ちたのは初めてだ。お尻が座席から浮き上がり体が落ちていくあの数秒の恐怖 後は  この後続く
 
●5月20日(土)○今週はやはり何かありました。呆れました「日本は天皇を中心にしている神の国であるぞ,ということを国民にしっかりと承知していただく」森首相の発言(16日)で大騒ぎ。事の重大性を認識して声を上げた人達がマスコミを含め圧倒的なのがまだ日本が正常な証拠か。でもこれが庶民レベルにまで浸透しているか?選挙をやればどうなるのかな。日々接している子供たちにどう説明すればいいのぉ まともにやっていられないよね
 高額納税者発表 一生懸命はたらいている人が一生働いてもえられないお金を高校生の歌手が簡単に手に入れてしまう。???  
○新宿高校のHPを立ち上げた若い後輩(ちよっとおかしいかな)のHPを見つけた。そしてその中で同じクラスの酒井君と出会えた。うれしかつたなぁ。インターネツトがあるからできる事だよね。
同じ世代を過ごした仲間とまた人生を経験しての交流もきっとおもしろいだろうなぁ。
中学生 卒業生 そして高校時代の同窓生と私のHPで老若の世代の交流ができるとおもしろいなぁ
こんな事を考えました。○来週22日いよいよ泊まりの仕事。山中自然教室160名の中学生とのドラマでどんなことが起きるのかなぁ ただ 年々子供のからだ(健康)がおかしいなぁという感を強くしてきたが,やはりおかしい。もうすでに病に苦しんでいる子供が多すぎる。親にも子供にも責任がないのに苦しんでいる。何が原因なのか。環境が危ないのか。全員が元気に過ごせることを願っている。天気は絶対晴れ。
●5月13日(土)先週は卒業生が顔を見せてくれた。高校生活が楽しい,勉強がきついけどガンバッているそんな話を聞くとホットする。
●17歳がとんでもない事件を起こしている。
●山中自然教室の準備であわただしい学校生活になっている。そんなときに不合理な教職員自己申告書なるものを提出しなければならない。とにかく現場を理解していない人が教育界で大きな顔してい
るとしか思えない。年々息苦しくなってきている。
●5月7日(日)昨日久しぶり?に子供たちに会った。連休を挟んだ日は休日にすれば良いのにとぶつぶつ....みんな元気そうで何より 担任がないので,ピンチヒッターのような教室へのはいり方が何とも言えない。その日の朝に一日の流れがわかる これがチョとキツイ。喉の痛みを押して声を出すのが辛かった。51歳になった。さぁこの1年どのようにしようか。

 「雲取山に生きる」ランプとともに30年余の山暮らし 新井慎太郎
 「戦略的年の取り方」今時の年寄りの頭のいい生き方  多湖 輝
をかなりの速さで読み終える。何か響くものがあった。先輩達の生き方すごいなぁと感心することしきり..の中に俺にもできそうだ,俺ならこうすると言ったヒントがたくさんある。濃密に年をとりたいなぁ。
●5月5日(木)快晴 本当に気持ちよい天気 鯉のぼりがゆったりと泳ぎ 新緑の緑も刻々と濃いくなってきている。 大好きな風情だ 
この1年,50歳を意識して過ごしてきたが,今日で最後 明日から51歳。
●5月3日(水)またまたおかしな事件が世の中を騒がしている。バスの乗っ取り 一人が殺されたという。高校生が人を殺す経験をしてみたかったと人殺しを実行。日頃は「優秀な生徒」だったという。どこか狂っている。特殊な人間の行為として片づけられないような広がりを感じる。


4月

●4月30日(日)雲取山縦走・50歳にして初体験・から無事帰宅。仕事から解放され,家族の理
解もえての宿泊を伴った山行。英気を養い新たな世界が広がった。企画を立て誘ってくれた仲間に感
謝。
●4月28日(金)やっと明日から連休 担任無しだけれども家庭訪問期間中結構大変だ。
準備室の金魚に餌をやるとき 通勤途中の花屋さんで買った「日日草」を見るとき 安らぎのひとと
きだ。50歳 50歳と言ってきたがあとわずかで51歳 50歳最後の記念行事を明日から..
●4月21日(金)歓送迎会 会場に大幅に送れていく ギター&ドラムで時間がかかる おもしろ
い動きがあった。
●4月20日(木)副担任 学年主任 の仕事。新鮮な1年生160名の担任としてやろうと張り切
っているが,4月7日からの日々は激務だ。頭と体をフル回転。あっ忘れたと戻ったり,事務室に入
ったとたん何しに来たか忘れたり,「おいおい大丈夫か」と言った感じ。元気よく「お願いします」
と言う生徒の声に励まされる。
 生徒もいろいろなキャラクターがそろそろぶつかり合い始める。丁寧に子供の関係を見て指導のチ
ャンスを伺っている。T君との心の交流がおもしろい。中学生は可愛いなぁと思う。
●4月16日(日)肌寒かった 授業参観日 父親として中学校へ 嫌なものだ学校へ行くのは,
みんなこんな気持ちで授業参観 父母会に来るのだろう。ただ保育園時代から知っている子供たちが
どのように成長しているか見るのが楽しみだ。 カッチンと呼ばれていた子供が見上げるような身長
になっていた。そのほかの子供たち,毎日接している自分の子供の成長ぶりをあらためて確かめるこ
とが出来た。そして何か落ち着いたゆったりした雰囲気を感じる。何なのだろう。教室から外を見て
見るとまだ黒々とした田んぼが広がり空とつながっている。毎日こんな景色を見ながらの学校生活
これだ!! 父母会を楽しく有意義な時間にする これはすべての先生達の課題だ 授業参観もそっ
ちのけにして,おしゃべりしているお母さん達。そうか,おしゃべりしたいために来ているのかも。
父母会でうんとしゃべってもらう。そんな工夫が必要かも。
●歩いて我が家まで帰る 道すがらタンポポやオオイヌノフグリなど可愛くてきれいな野草を見た。
いいなぁ春は すべての生き物が生きている姿を見せてくれる
●初めて家庭菜園に挑戦 何とトマトの栽培をする事にした さて続くかな
有珠山 虻田町のみなさん頑張って
●4月15日(土)札幌にいる「わらび座の姉」からのレポート
知ってのとうり有珠山の噴火で、交通網が狂って、函館に行くのに不便で困
っています。今年の6月に虻田高校の公演が入っていて、もうだめになるかと
思いましたが、連絡のとれなかった虻田高校の先生から電話があって、
「こういう時だからこそ生徒に見せたい」と、隣の豊浦高校を借りて公演す
ることになりました。私は大感激。厳しいときこそ必要だと本当に思うよね。


わらび座の舞台はいつも生きる励ましを与えてくれる。そんなことを知っている虻田高校先生達
の心意気が伝わってくる話だ。芸術の力これが心からの元気を作り出す

●久しぶり朝から夕まで雨 今週は長かった。早く職場を離れたかったけれども1時30分開始
の「取手市歩こう会総会」に大幅に遅れて出席できた。久しぶりのグリーンスポーツセンター。
ふれあい通りの桜並木もしっとりとしていた。
●4月11日(火)亀有から十二中までのウォーキングが一番快適な季節なのかもしれない。
大谷田の団地まで続く桜並木は心弾む満開の桜のトンネルをくぐっているような感じがする。
ワーいいなぁ と思わずつぶやいてしまう。満開も束の間,今日は花吹雪がが舞っていた。入学
進級と心浮き浮きする春が来た。保護者会だった。ほとんどの高校が入学式だった。
3月卒業した生徒が続々と来校。再会の歓声 懐かしさでひとしきり華やいだ。こんなに大挙 
卒業生が来校したことも珍しい。それほど中学校への思いがあるのだろう。うれしいことだ。必ず
2006年の会を開こう!
高校での活躍を期待したい。中学校をしばし忘れて,新しい地で頑張って欲しい。今度は卒業証書を
見せに来い。
●4月8日(土)爺ちゃんと透析に行った。体重が少し多くなっていた。100g単位の体重制限
思い切って食べられない。車椅子でエレベターに乗り込んだ。若い夫婦家族がいた。子供が車椅子
を横切って先に降りようとした。若い父親が「だめだ」と言って子供を静止させ,道をあけてくれた
。「ありがとう御座いました」と頭を下げる。子供にも「ありがとね」と言った。この子はきっと
優しく育つだろうなぁ..と良い気持ちで病院を出ることが出来た。
●4月7日(金)入学式 小学校の入学式も可愛かったけれども中学生も可愛いなぁ。私たちの職
業は入学式と卒業式があるからやれる仕事かな。桜が満開で何ともいえない風情だ。
今年度は学年の代表者として仕事することになった。担任でない寂しさがあるが4クラス担任のつ
もりで何か新たなことをやってみようと思う。160名で4クラス。40名学級も今までと違う。
あと一人いれば5クラス32名学級になった。教室一杯に生徒が詰まっている。いろんな意味で大
変だ。3年B組金八学級は30名学級なのだ。明日休み有りがたい 今週は寝不足きつかった
●4月6日(木)始業式 二人の娘も中学校の始業式 今年は小学校の入学式に校長代理で出席。
可愛い小学1年生。いったん話し始めると顔が崩れる優しいはなしっぷりになる小学校の校長先生。
おもしろかった。娘の小学校の入学式が思い出された,もうあれから8年くらいになるのか。
 明日の始業式の準備で,結構忙しく走り回った。世の中は小渕首相が脳梗塞で倒れ森首相が誕生。
全く実体は変わらないのに,盛り上げようとする某大新聞の論調が気になる。庶民の生活は厳しさを
増している。
●4月5日(水)前日出勤 25年目の教師生活がスタートした。たまたま昨年卒業させた学年と
同じスタッフでスタートできるのがうれしい。もちろん解散した方が良い場合もあるが,人が良く
こどもに目をむいた教師集団か一致団結したらこれはおもしろいことが出来る。みんなやる気,積
極的で一番年上の私もやる気がモリモリ。さあ新しい中学生とのドラマが始まる。先生していて良
かったと言う思いをまたしよう。卒業生が高校生の制服姿できた。笑い声がはじけた。
●4月3日(月)日直  将紀君が顔を見せた。ずっと生き生きしていた。重要会議。
●4月1日(土)介護保険スタート ケアーマネージャーが来てくれた。何とか形を作るのが精一杯
といった感じ。今より少し不便そしてお金もかかることになってしまう。まだ家の場合は爺ちゃんが
寝たっきりでないだけ,助かるが,きっと大変な思いをしている人がいるのだろう。要望をどんどん
出さないと大変なことになる。

3月

●3月31日(金)「高石ともや58歳を歌う」コンサートに行った。そしてあこがれの高石
ともやさんと酒を飲みながらおはなしできた。温かい人の心がわかるすばらしい歌声のままの人
だった。そして私の歌をほめてくれた。「あなたは歌える」この一言どれだけの励ましになった
か。50歳記念に当たるすばらしい時を過ごせた。家についたのが深夜。ああよかった。
 北海道 有珠山 予想通り 大爆発
●3月28日(火)都立定時制2次の合格発表があった。受験した全員が合格した。ホットし
た。「4年後必ず卒業証書を見せに来るんだよ。」少人数でゆっくり温かく教えてくれる定時
制。まじめにコツコツ頑張ればきっと「定時制に行ってよかった」と言う日が来るだろう。
172名の卒業生全員の進路が確定した。1999年度の進路日程が終了した。みんな頑張れよ!
●3月27日(月)春休みに入ってるが毎日忙しい。インターネットのアクセスポイントの変
更 コースの変更 やれねばならないけど時間がなくて出来なかったことを実行。何せ通信費
がかなりの負担になってきた。プロバイダーがこちらの料金体系に移ったらとおすすめしてく
れているのにやれなかった,やっとそれをする気になったのです。
パソコン通信時代の設定のままだった。 プロバイダーもいつの間にか巨大に成長していた。
通信費を気にせずやれる時代が来ないと普及しないだろうなぁ。
本日 都立定時制高校の2次試験 頑張れ頑張れ 明日発表 
○昨晩,保護者からお礼の電話 うれしいですね これをきっかけに大人同士の輪が広がる。
●3月20日(月)卒業式を終え祝う会の余韻がまだ残る。この1週間は毎晩8時過ぎ,大変
ハードな時を過ごした。それは卒業前日のライブのためだった。ぎりぎりの生活で迎えたライ
ブそれは頑張っただけの大きな喜びが待っていた。中学生のすばらしさ,こどもと心通わせ自
分がそれに励まされ,ポスターづくり コンピューターミュジック披露など新しい試みをやる
ことが出来た。こんな体験も24年の教師生活で初めてだった。
インターネット教育フォーラム
●3月11日(土)「インターネットと教育」フォーラム2000に万難を排して参加。
これは学ぶ価値があると思った。申し込みからすべてがインターネット。海上の案内図ま
でつけられていた。 中身はかなり刺激的であった。自分が今興味のあることホームページ
についての実践とその問題点。自分の問題意識が結構的を射ていた。人物画像 生徒の名前
の掲載についての論議が興味深かった。とくに若くて新鮮な感じを受けた発言者に共感した。
ホームページで優秀賞をもらっている早稲田大学の横田幸之介さんと意見を交わした。若者の進
取な考えを大事にしよう。
最後のまとめの挨拶で2005年までもうレールが敷かれてしまった。教室に2台+プロジ
ェクターそれがインターネットにつながる環境が全校に実現するという。

続く
●3月10日(金)都立2次募集発表 うーん厳しい結果となった 
千石先生に会う
●3月9日(木)卒業前の3年生が松戸で映画を見た。「アンナと王様」涙が何度となく流
れた。映画はいいなぁ 中身の詰まった時間を過ごせたようで充実していた。

帰りの松戸駅のホームで3人の生徒が「先生あの人「動物奇想天外」という人気のテレビ番組
にでている千石先生似ていませんか」「えっ 似ているよ 本物だよ でも横顔を見ると
違うような気もするなぁ」生徒に確かめて来なよとけしかけたのでした。なぜって,教室で私
が生徒に観ることを勧めた数少ない知的でおもしろい番組のひとつで,おもしろい先生だと知
っていた。おもしろい話が聞けると思い私自身が話しかけたかったが少しためらった。だから
将一君 一夫君 綾佑君に話しかけるようにけしかけた。
 3人も千石先生の偉大さを知っているので,緊張。三人でその人の間近に接近しながら話か
けずに戻ってくる。「先生怖いよ こちらを見たよ」そして今度はじゃんけんをして負けた者
が声をかけるという。近くに行ってその人が読んでいるものを覗き込むようにするが(かなり
失礼なことなのだが)話しかけられず。ただ読んでいる内容から千石先生に間違いないと確信
し「それじゃー先生がやってみるよ」と言って近づいた「失礼ですが,動物奇想天外に出演し
ている千石先生に大変に似ておられるのですが..」「本物だから似ているよ」とぶっきらぼう
に答えてくれた。思わずうれしくなり「おーいここにおられるの千石先生だ」と叫んでしまっ
た。(恥ずかしいぃぃぃ)そして亀有の駅までご一緒できた。持っていたデジカメで無理矢理
写真も撮ってしまった。回りの乗客はシラー きっと動物奇想天外を見ていない人が多いのだ
ろう。生徒の中にも知らない人が多かった。これが人気のアイドルだったらみんなが私のよう
な行動をとり出すのだろう。(-_-;)
 私が理科の教師だというと千石先生はいろいろ話してくれた。そして別れ際に「特別企画
千石シリーズ第3弾 珍奇妙まる進化の賜 極採色舞う神秘のジャングルパプアニュー
ギニア
」と言う4月30日出発のツアーのお誘いのチラシをくれた。そして握手をして別れた。
そしてそのチラシを読んだ。千石先生の行動する学者としてのすばらしい実績が紹介されてい
た。そして「1949年生まれ」に目が止まった。私と同じ年だ。同世代の仲間か!!
それを知っていたら,もっといろいろ話せたのになぁ.....
●3月8日(水)カウント数1000回(648+352)突破した。結構長続き
しているなぁと感慨深いが,これを機会にこのホームページを何のために作っているのかを
整理しておこう。
すさまじい勢いでカウント数をあげているホームページもある。1日500以上のアク
セスがあるホームページはバーナー広告で黒字になるという,1日3000回を越すと
商売ができるという。一発検索で登録すれば増えるという。いろんな掲示板に書きまくれ
ば増えるという。あるいは裏技で,書き換えてしまうこともできると言う。

□ファミリーに許せる範囲の近況と自分の考え活動 仕事について知ってもらうこと。
【姉から弟の仕事の様子を知ることが出来る ファミリーの様子がわかってうれしいとのメール
が寄せられた】  これがこのホームページの始まりだ。
□教師という仕事は生徒の心を理解し寄り添い手助けすることだ。人間同士のふれあいなくして
決して指導は入らない。メールの交換で心を開いてくれる生徒もいた。ホームページで学校の外
での一人の人間として生きている様を生徒や父母に知ってもらえば,もっとおもしろい関係を育
てていけるのではないかという期待を抱かせてくれる。
3月7日(火)わらび座牛久公演歌舞集「いのちの祝祭」長野オリンピック
      文化・芸術祭参加作品 牛久市民センター大ホール

ぎりぎりで駆け込んだ。舞台は始まっていた。わらび座の創作が幅広く進化している
舞台を感じた。わらび座といえば躍動あふれる踊りが一つのパターンだった。しかし
静かさの中に込められているものを表現する内容がかなりの部分しめたように思う。
子供にはきっと退屈ではと思ったが,一緒にみた中学生の娘はおもしろかったと言っ
た。 外はまだヒヤリとする寒さだが何か春の気配も感じられる。そして気持ちも軽
くなったような喜びを感じる。今日は学校ではミラクルパーカッションアンサンブル
の人たちの演奏で楽しく,一緒に舞台にまで上がってしまった。忙しい中ホッとした
一時でした。卒業を前にして大学年集会,ギター&ドラム卒業ライブとかなりあわた
だしくゆとりがなくなってきた。頑張らなくては!!!
●3月6日(月)運動靴の通勤を始めてどれくらいたつだろう。今日久しぶりに
革靴を履いて通勤した。何が違うか。歩くたびに頭にカッンカッンと衝撃を感じる。
歩く快さが得られない。いかにも仕事をしに行くといった歩き方になる。運動靴通勤
サイコウ!
●3月5日(日)庭に土を入れた。何が始まるのか。
●3月4日(土)都立2次募集の受付状況が発表された。新設の桐ヶ丘高校21人募
集の所385人が押しかけて競争率18.3倍。どんな基準で合格出すのかもわから
ず,合格の可能性が厳しいのにまじめに受験に取り組んでいる中学生のことをなんと
思っているのか。
●3月3日(金)ひな祭り 耳の日 金魚の日
●3月2日(木)ホームページに掲示板を設置して1ヶ月になる。本当におもしろい
ことが出来る。意見交換に伝言板に可能性は様々。設置してから自分のホームページ
を見るのが楽しみになった。ただ書き込みがほとんどないと,変に気にしたり。しか
し「書き込みも意外に大変なのだから,見ていただくだけで有りがたいもの」と思う
ことにしょう。
●3月1日(水)都立二次募集高校が発表された。二次に挑戦する生徒と作戦ミー
ティング明るく困難を乗り越えようと励ます,意外と元気なので安心。最後までがん
ばろう。

2月

●2月29日(火)400年に一度のうるう年 Y2Kコンピュータ誤作動 気象庁海上予報でミスだって 
●2月28日(月)都立高校の合格発表日 悲喜こもごも 不合格者が少ないだけに合格しなかった生徒のフォローが辛い。全員が進路を確実にするために,これからが正念場だ。「2次に向けてガンバルといっている」電話口からお母さん
その励ましている親心が痛いほどわかる...ほんとうに頑張れ頑張れもうすぐ春が近い 明日はY2Kの29日 年末ほどの騒ぎはないが心配だ。
●2月26日(土)カウンターの勉強もできました。本当にコンピューターは正直者ですね。記述に/がないだけで受け付けてくれませんでした。当たり前だよね。まだまだ修行が足りない!
●2月23日(水)御迷惑をかけました。「トップページは開くけれども,リンク先が開けない。」といったと問い合わせがありました。原因がわかりました。今日近くのコンピュータショップでインターネット接続して確かめました。全く初歩的なことでした。ファイル名を日本語にしていました。世界共通のファイル名 英数半角 これに名前を変更中。すべてのコンピューターに受け入れられるようにしなければならないこと一番大事なことが抜けていました。
 その作業中今度はカウンターが表示されなくなってしまいました。いやはや,カウンターの仕組みを少し勉強するか。648+272=920迄確認したのですが。自己満足的なホームページに来ていただくだけて゛ありがたいのに,ファイルが見つかりませんはないですよね。全部書き換えまでもうすこしかかります。それにしてもカウンターなぜ表示できないんだ! 誰か教えて
●2月22日(火)「さあ9時だ。都立の入試1時間目国語のスタートだ。」3−1の教室で生徒に知らせると「〜君頑張れ 合格しますように」と手を合わせる生徒達。ホントに願うような気持ち....可愛いなぁ○亀有駅に向かって歩く 遠くからとぼとぼK君  電車に乗り込もうとしたらNさん お疲れさん
●2月21日(月)○明日はいよいよ都立高校の一次・分割入学試験 学年全体の注意を学年放送を通じてやった。今日も寝坊して10過ぎに来た生徒がいた。明日試験場に時間通りたどり着けるのか心配だ。楽天的なのかごまかしているのか,もう少し緊張感が欲しいなぁ。本当にこの頃子供たちの{生活力}の低下が気になる。すぐに壁により掛かる,まっすぐ立てない(立たない),仕事をしたがらない 何が変わってきたのか○携帯電話の使い方が変わったメールが中心 アンパンマンの曲が鳴るとメール着信 子供が小さいときいっしょに見ていたアンパンマン一人で笑ってしまう。携帯がインターネットにつながり今までとは違ったおもしろさが出てきた。
●2月19日(土)○合格の電話があった。電話口で涙。本当に良かった。いよいよ来週早々都立高校一次入試。心配だなぁ 最後まで諦めるなよ 遅刻しないで試験場に行けよ。
●2月14日(月)都立再提出の日 日比谷高校に事務手続きのために行った。初めての日比谷高校 前から一度は行ってみようと思っていた。日比谷で降りて歩いた。久しぶりの国会周辺さすが物々しい警備 その中を正門越しに国会に耳を傾ける。何やら声が響いて聞こえた。
丸の内警察署の玄関前のお巡りさん親切だった。機動隊員みんなみんな親切だった。
●2月13日(日)○10,11,12私立高校の入試 発表  自宅にうれしい電話 ホットした子供の声にホッ○今年初の筑波山登山2日前に降った雪がしっかり残っていた。○7日都立日本橋高校に行った。日比谷線 茅場町で降りて日本橋水門を左に見ながら 霊岸橋(れいがんばし)を渡り 港橋を渡って ビルの林立する中に日本橋高校はあった。進路指導で高校名を否応なく覚えてしまうが,考えると実際に。訪問した学校は少ないなぁ。良いチャンスとばかり日本橋高校周辺のウォチング。校庭は狭い。学校の裏側に当たるところに小さな箱崎公園があった。巨岩を回りに配置して噴水が勢いよく吹き上げていた。ホットするが回りを見てあぁぁ ビルで取り囲まれている。特にIBMの建物が巨大だ。空を遮る壁のようだ。帰り道 感じの良いお店に入ったら,そばで有名な店でした。越後十日町そば「かんぎ」確かにうまい。進路相談の中で「日本橋高校に行くと美味しいおそばやさんがあるよ」こんな話が出きると,楽しいなぁ。都立高校周辺のお店調べなんかおもしろいなぁ。
2月6日(日)○土曜日の朝の電車で友人が声をかけてくれた。同じ職業で話し出したら話題がたくさん。これからの交流を約して別れた。○パソコンライフのレベルアップ USB対応の周辺機器を購入 接続してみた。これは便利だわ!ドライバーのインストールが超簡単。電源を切らずに接続できるのはありがたい。
●2月4日(木) 漫画喫茶ってご存じ 小生 自分のホームページを確かめるため24時間インターネツトやりたい放題 の看板に引き寄せられて 入ってみたのです。
漫画とインターネットなかなかおもしろい組み合わせ ただ小中学生で落ちつきないのでは,と思いきや 真剣な顔をしたおじさんから 青年まで なかなか落ち着いていて 漫画を読まなくても インターネットがかなり高速で楽しめる。
店員さんも一人でまじめな雰囲気。「いつもこんな調子なんですか」「こんなものです。」
 トップページからリンクに飛べないという問い合わせがあり気になっていました。漫画喫茶ではちゃんと見えました。ただ画像がずれたり,見にくいホームページた゜と痛感。少しずつ改善していこうと思った次第。ファイル名を日本語にしているのもまずいのかもしれない。これも改善していこう。 
●2月3日(水)都立高校推薦入試の発表日 泣く子 笑う子 今まで見たことのない子供の表情に可愛いなぁ 頑張れよ! ○昨日 理科部の研修会 本当に疲れ切った教師の表情 自分の鏡を見るようで好きじゃない でもその日はコンピュータを使っての研修一生懸命説明する今野先生とメールアドレスの交換が出来たのが収穫だった。

●2月1日(火)1953年の2月1日初めて日本でテレビ本放送が開始された日だという。もちろん白黒。今やテレビは各家庭になくてはならない物になった。でもその中身は年々感動のないうるさい物が多くなっている。名犬ラッシー,若者達 ,判決,怪傑ハリマオ,ララミー牧場,ローハイド,うちのママは世界一,等々大人と一緒に見て感動し温かい心を感じる番組が多かった。子供が影響されるメディアのトップにテレビがあげられるならテレビ番組を製作している者達はもっと感動と人間を大切にする番組づくりをしてほしいな。

1月

●1月30日(日)あの2000年の会で22歳になる若者達から元気と刺激をもらった。インターネット上での交流に末広がりのおもしろさと質の変化を感じた1週間だった。「先生 掲示板作ったら 簡単よ」と教えてくれた。それを作ったらどんなことになるかちょっと予想がつかないけど,「やってみるかぁ」という思いにさせてくれた。こういうことがおもしろい。本日より掲示板(ゲストブック)の始まり始まり。

●1月29日(土)○日中は春の日差し それに誘われるように足先は水元公園に向かっていた。あのナイトウォーク以来 生活が変わった。歩くことが楽しくなっている。 こんな近くにこんなみずみずしい公園があるのだ。この職場にいる間にこの場所をじっくり探訪しょう。○


●1月25日(火)いよいよ3年担任の仕事も佳境に入ってきた。寒い体育館で生徒達に明日の都立推薦出願 私立出願の注意の話 もうすでに合格通知をもらっている人 いない人 が混在する。不安な状態にある仲間の気持ちを考えよう。など話した。真剣な眼差しが多かった。頑張れ中学3年生。 


●1月24日(月)大きなイベント(2000年に会おう会)が終わってその充実感と安堵感と満足感と余韻が残る...........
気持ちのよい若者達と夜の5時30分〜朝の5時30分すぎまで一緒にいたということはうれしい体験だった 元気をたくさんもらった
すがすがしい朝帰り 家族みんなが迎えてくれた  サイコ−−−−−−

●1月21日(木)○3年の担任としての仕事の正念場に来ている。体調を崩したのが響いて遅れ気味だったが一気に挽回した。2000年の会には,元気いっぱい,気持ちスッキリで参加できるように26日に生徒に渡す書類を明日までに完了することにする。朝のウォーキング通勤も快適になってきた。胃や腸が調子悪いと言うことは今まであまりなかった,ひょっとして生牡蠣3つも食べたかもしれない。

●1月16日(日)○14日(金)早退15日(土)体調を崩してしまった。高熱 食欲がなくなる こんなこと,この十年になかったことだ。やっと回復の見通し。何はさておき健康。○教師になって24回目の始業式(11日)。前日は緊張していた。そして生徒のいない教室に飛び込んで見た!よかったー 金魚3匹みんな元気に生きている。とにかく元気で会えればよい。それが貴重に思える。生きて会えることこれが何よりだ。生徒達の元気な顔を見て,さあいよいよ仕事の始まりと体が動き始める。学級開き 久しぶりに気合いを入れて話した。「卒業式まで頑張ろう」


●1月9日(日)早速 私の「Y2Kの質問」に大手有名商社に勤める友人か゛メールで教えてくれました。意外と知られていないことではないかと思うのですが?教えられて「ああそうか」とつぶやいていました。ありがとう御座いました。スッキリした気持ちで新学期に生徒の前にたてます。

「K」は「kilo」の略です。つまり「千」ということで、「2×1000=2000」ということです。
日本で「Y2K」という言葉をマスコミが使い始めたのは割と最近ですか、外国では初めから「Y2K」と言っていました。
ちなみに中国では「千年虫」と言っています。「千年」はミレニアム、「虫」は「バグ」のことです。


●1月5日(水)昨年から飛びかつている言葉に ミレニアム と Y2K 最初に耳にしたときわからなかった。何回か聞くうちに何となくわかったような気がしたが,はっきりしなかった。そのために用語辞典 イミダスを買ってしまった。ミレニアムmillennium 宗教的歴史的な意味があるのだ。なるほど  Y2K コンピューター2000年問題 それわかっている YはYearsのY 2 は2000年の2の略だろう Kは何なのだ? 新聞を丁寧に読んでもその説明がない。誰かわかる人 教えて。


●1月2日(日)コンピューター問題で大騒ぎをして2000年に突入した。一応風呂に水をいっぱいため,ポリタンクに水をためたぐらい。コンピューターの誤作動による一般生活への影響が,真剣に心配された。1000年に1回の経験を無事に通過できそうだ。と言っていいのかなあ。今年いっぱい続くという話も聞く。○ホームページの「掃除」をした。サーバー上のいらないファイルの削除をやった。全部削除して必要なファイルだけの登録をしたらなんと領域使用率が92%から11%になりゆとりのスペースが確保できた。○昨年うれしかったのは,ホームページを見てくれた友人からメールを頂きました。そして時々見てくれていると言います。会って話したいなぁそんなつながりができそうです。今年もホームページを通じたつながりができることを願って更新続けるつもりです。○ますますインターネットが盛んになる。それに伴ってそのトラブルも多くなってくるでしょう。私も本日WEB110の会員になり,インターネット上のトラブルとそれへの対策などこの1年は意識的にそれに関する勉強もしたいと思います。とにかく勉強することがいっぱいあります。

●1月1日(土) 2000年になって10分 何事も起きていない。花火らしい音がしている。○初日の出を見た。6時過ぎに利根川土手に余り人がいなかったが。日の出とともに人が湧いてきたように出てきた。太陽が堂々と昇る幾億幾万年同じように太陽が昇る その偉大さに自然と頭が下がる。