つぶやき  

2003年(平成15年


12月

j● 12月31日(水) 2003年1月9日午前3時母が死にました。そして11月から年を越しその日までつらい日々でした。後何日といはれ これから生きたいと希望を一杯語っていた母でした。死んでしまったら何も残らない。何の慰めもいらない生き返ってほしい。そんな思いにおそわれた1年でした。

 だから人の死 自分の死を考えました。外交官が殺されました。イラクの人達が多数殺されました。アメリカ兵が遠く離れた地で殺されました。名誉が与えられました。生前のことが語られました。政治屋は盛んにその意志を継いでと悲しんで見せました。死んだ人は帰らないない。何というむなしさ。
 自衛隊派兵先遣隊の人がマイクに向かって「行ってきます」と言いました。ある党の議員がイラクを突如訪問。
防弾チョッキに回りを護衛に囲まれ2時間で 「比較的安定してる。」 だから自衛隊派兵大丈夫という。
イケという人 行かされる人 イケという人は死からほど遠い安住の地から,行かされる人は まさか自分は死なないと思っているのでなければ行けない。
これを止めさせる力を大きくするにはどうすればよいのか。つい最近の選挙がチャンスだったのに。

死に直面してアッこなんなはずではなかったと思うのか。
それでは遅いのです,「私は行きたくない。死の危険があるから。」と本音を言って派遣を拒否する人はいないのか。それほど社会の縛りが厳しいのか。
このようにしていつの間にか戦争の雰囲気が作られていくような気がするのです。話が飛躍しすぎたでしょうか。
 
父の死 母の死で次はいよいよ自分もあのように死ぬ日が来るのだと死が近づきました。

だから12月15日坂庭省吾さんの死はショックでした。そして直後にあった高石ともやコンサートは特別な気持ちでした。 そしてともやさんが「感謝」という死を真正面から取り上げた歌を歌いあげたときは不覚にも涙が止まらなかった。

      2004年すべての人にとって生き生きした年となりますように
   そして 即時平和をこの地球に
   重たい1年が終わります。 
 ●12月27日(土 )1年の締めくくりは 手術。昨日新宿の執行クリニックにて手術。そして翌日の今日退院。妻に付き添われてやっと家に帰りました。イテテテテぇ 今その痛みが最高潮。 何という1年の締めくくりでしょう。
●12月18日(木) 忙しさで和島さんからの書き込みで知りました。何という悲しい訃報でしょう。「花嫁」の作曲者というよりナターシャセブンの坂庭省吾さんが亡くなられた。53歳の若さです。私54歳でそれだけでも親しみを感じていたのに。
あのナターシャセブン復活のステージですばらしいギター演奏とユーモアあふれる語りに惹かれました。そして独自の演奏活動も旺盛にやられていることを知り必ずライブに行こうと思っていました。そして11月にやった稲石一雄ライブでは一緒に出演した池田さん(お医者さん)が坂庭省吾のライブから聴き取った 「1本の木」をみんなで歌ったのでした。いい歌を作る人だなあとますます坂庭省吾に近づいていました。その坂庭さんが
...残念でしょうがない。本人の思いを考えるとかわいそうで...

一本の樹

1 春 緑の雨が降る 立ち尽くす一本の樹
  朝の光斜めに 萌えいずる葉に露が光る

  雨の日には雨の歌を 晴れの日には晴れの歌を
  歌いながら立ち尽くし 樹は空を目指す


2 夏 青い雨が降る 立ち尽くす一本の樹
   昼の光あふれて 緑なす葉の影が揺れる

   雨の日には雨の歌を 晴れの日には晴れの歌を
   歌いながら立ち尽くし 樹は空を目指す


3 秋 赤い雨が降る 立ち尽くす一本の樹
   宵の光 ほのかに 移りゆく葉が時を染める

  雨の日には雨の歌を 晴れの日には晴れの歌を
  歌いながら立ち尽くし 樹は空を目指す

4 冬 白い雨が降る 立ち尽くす一本の樹
   夜の光静まり 梢を鳴らし風が渡る

   雨の日には雨の歌を 晴れの日には晴れの歌を
   歌いながら立ち尽くし 樹は空を目指す


明日のコンサートはどんなことになるのだろう。みんな泣いてしまうよ。

              合掌
●12月7日(日) いよいよ一年最後の月。去年の今頃はと考えると何か遠く感じる。
職場も違っていたんだ。仕事を終えて毎日病院に通っていたなぁ。仕事もきつかったけれどもっとつらかったのは後何日 年を越せるかどうかわかりませんと医者に宣告された母の病状が刻々と悪化していくのをただ言葉だけの励ましで看ていなければならなかったのがむなしかった。でもそのときは生きていた。今はいない。死んでしまったら何もない。 イラクの日本大使館員が殺害されその遺体が自宅に帰る様子伝えられた  どんな言葉で慰めようが空しい。あなたの意志を継いで何々すると言うのも空しい。   二度とこのような犠牲が出ないようにすることが残された者がすることだ。
自衛隊の派兵 派遣 止めるべきだ。もっと悲劇が広く深くなる。平和憲法が泣いている。


11月

●11月18日(火)自衛隊の勧誘のポスターが中学校にも堂々と届けられている。それがなんと言いましょうかこんなポスターでいいのかい?と考えさせる品のなさ。  
 そしてイラク派兵の命令が下り,苦悩する自衛隊員の家族の記事を読んだ。
悲劇が目に見えている。
●11月16日(日)  久しぶりにいい気持ち。今日は,女房のかわりにはたらきました。掃除 布団干し 買い物。車で20分くらいの食料品の店(タイヨ−)に行きました。都会では考えられない安くて量が多い。それに魚屋さんが生きのいい魚を新鮮な状態で売ってくれる。『ミカンを袋一杯(こぼれても結構です)198円』こんな表示があるんですよ。みんなニコニコしてたくさんこぼしていました。思いっきり買っても,得した気分の値段。

●11月4日(火) 今日は学習発表会の代休。 1日に学習発表会を終え2日に久しぶり職員旅行 そして本日の午後にやっと回復。 一仕事を終えてホッとしてどっと疲れも出てもう一日休みたいなぁ。   
 まだ本来の生活には戻っていないが,足がほぼ回復状態になって,歩くのが楽になってきた。走るのはジッと我慢して完全回復まで慎重になっている。
もう大学受験が始まっている。高校とは違って早いなぁ。
 11月に入り寒さとともに受験に向けた仕事が重くなってくる。 ガンバルか。

10月

●10月26日(日)大きなイベントが終わりました。新宿高校卒業35周年の集い。司会という責任ある役割を終えて同じ54歳の仲間と心ゆくまで飲みました。そして終電車に間に合わず松戸止まりの電車で何とか松戸まではたどり着きました。時刻は午前2時近く。松戸のちいさいサウナをみつけ風呂に入りおなか空いたので
「ラーメンちょうだい。」と注文したとたんにラーメンが出てきて眠そうにしていた私の目が驚きの目に変わった。「どうしてこんなに速いのおじさん。」ニコニコしながらまあタマタマだよ。だって! インスタントでなく本物の美味しいラーメンでした。
●10月19日(日)      足が不自由なって嬉しかったこと
・高齢者の方が杖をついて歩いている私を見てすぐに席を譲ってくれた。素直に「ありがとう御座います」といった。
・早朝通勤 六号線 環七 4号線と渋滞を何度もくぐり抜けてやっと到着  食事もせずの運転に生徒達もよく利用しているという学校近くのコンビニに立ち寄ると驚いた。弁当中心のすばらしいお店
・少しでも手間を省くためネクタイをしない服装で行くと生徒から「先生オシャレですね。」といはれた。
 最初意味がわからなかったがいつものネクタイ姿でない自分のことを言っているのだ。
●10月6日(月) 普通にできることがとれだけありがたいかを痛感しています。54歳にもなって...と言われそうですが。通勤の流れからはずれています。10月 今月は良い月にしたいなぁ

9月

●9月28日(日)先週は私にとって特別な想いの週であった。昨年の9月24日父倒れる 26日午前1時35分死亡。忘れられない数々の場面が次々と思い出された。
●9月15日(月)敬老の日   
 あっ!忘れていた ホームページ開設5周年 が過ぎてしまった!

● 8月25日はホームページを開設した日でした。今年はその日に入院しインターネットどころではなかったので忘れていました。でもこの日を大事にしたい。
今までのを振り返ってみると,パソコンでパソコン通信をやっていたときとは比べものにならないくらいの規模でパソコンが世の中の生活の中心にすわっているようなかんさえ覚えます。
 しかしやはり中心は人間です。このインターネットの環境をどのように利用していくかです。
ホームページを持っている中学生もどんどん増えています。しかしそれに伴いインターネっットによるトラブルも,場合によっては学校にまで持ち込まれることも出てきています。人と人と直接目を見て,表情を見て,声を聞いて 肌で感じるつきあいをすることができてインターネットかなと思いますが....インターネットの普及はおかまいなしに進んでいるような気がします。
 ホームページで重要な位置を占める「掲示板」。皆さんのおかげでネチケットを心得た書き込みと 
カウント数の更新が続けていこうというやる気につながっているかなと思います。
 この間 やる気があってもやる気が出ない(ちょっとおかしいかな)そんな場にたたされてホームページの更新をストップした時期がありました。  今の私にとってホームページの更新を続けていけるということが自分の健康 心の持ち方が前向きの時だなぁと思います。

 これからもよろしくお願いします。
●9月6日(土         夏を振り返る

・ 天気が異様な夏でした。初めて雷の被害にあいました。未だテレビアンテナは元通りにならず業者の方との打ち合わせが続いています。被害総額は30万円以上は確実のようです。これを保険でまかなってもらうための書類づくり業者の方の診断被害箇所の写真撮影と面倒な時間が費やされています。果たして全額保証されるのだろうか。雷の被害もう二度と起こさないよう対策を立てて臨みます。  

・ そして初めての父母のお盆。このような習慣とはあまり縁がなかった。しかし死んだ人が帰ってきてくれると信じてのこの催し。まだ記憶に新しい。今だから忘れられないがきっと年がたつに従って忘れられていくのでしょう。しかし,このようにして忘れないようにしょうという人の情を大切にして受け継がれてきた慣習。素直にそれに身を任せることで穏やかな気持ちになれるように思いました。本当に父母がもう一度あの姿を見せてくれたらいいのに。そんな切なる願いをもってお墓の前で手を合わせました。
お寺さんとのつき合いが始まりました。

・初めての甲子園 老いも若きも子供も大人も男性も女性も初対面の人もみんなが心一つになれる喜びがそこにはありました。これも大きな楽しみに加えることにしました。

・今年の夏は我が子が自立するための動きが始まりました。北海道 京都が身近に感じられました。

・初めての自分たちが作った第1回利根川平和祈念マラソン&ウォーク大会 ランニングのおもしろさ楽しさがウンと広がりました。

・そして最後が入院 手術 退院。今年の夏も自分自身にとっても波乱の夏でした。
比較的に早く退院できたけれども長期に入院している人のお話 そして父母が入院していた時のことなどが思い出され,とにもかくにも健康が何よりを感じました。
 
50歳代を乗り越えるための試練かな。3ヶ月後に再びマラソン大会のスタート台にたてることを目標に体調を整えます。

・8月27日に約5万7千年ぶり火星最接近5576万q(地球から太陽までの距離の1/3強)次回接近2287年(自分は何歳かな?)。 石器時代だった。紀元前5万5537年以来の大接近 見かけの大きさはソフトボールを1q先においた場合と同じくらい(直経12.2p) ・火星 地球の外側を回っている 2年2ヶ月ごとに地球に接近   

そして混沌とした地球 国連施設への爆弾攻撃 地球の未来 人間の未来には悲観的な事件が相次ぎました       

さあ また気持ちを新たに生きていこう。

8月

●8月12日(火) 久しぶりのつぶやきです。この間いろんなことがありました。

@昨日 起きてみると,家の前に大きな消防自動車が横付けされ人の話し声がする。出てみると消防の人が「○○さんの屋根裏にスズメバチの巣がありますのでその除去作業をします。窓を閉めておいて下さい。」屋根裏にスズメバチ!
炎天下 防護服を着て殺虫剤を持って活動する消防隊員の皆さんに「ありがとう御座いました。」と自然と頭が下がります。 そしてとったスズメバチの巣を見せてもらいました。まだ幼虫は生きていましたがこれが蜂の幼虫かとおもわれるほどおおきいものでした。スズメバチによる被害がたまたま見たテレビで話題になっていました。

A8月5日 関東地方に豪雨 落雷。ちょうど車にいたとき,みるみる道路が川のようになるスゴイ雨に驚いた。そしてうちに戻ってみると,家にいたものが,近くの電線から火花が出たという。2台あるテレビの1台は電源も入らない2台目は画像がめちゃめちゃ クーラーがだめ そしてその様子をインターネットで調べようと思ったがつながらない。何とモデムが異常な高温を発しさわっていられない程。これもやられたのか。電源は入れっぱなしだった。そしてウォシュレットまでまともに動かなくなってしまいました。早速 火災保険が何とか助けになるかと
問い合わせたら,私の入っているのは家財には保険がつかないと言うことで,
クーラーとウォシュレットが家屋の一部として認められるそうです。それも被害の写真が必要だとか,電気屋さんの「落雷による。」という証明が必要だとか。
 屋内配線の電気屋さんがこれも汗ダクダクで屋根まで上がりアンテナを点検。
降りてきて見せてくれた。「アンテナのの心臓部が完全にやられている。」と黒くなったアンテナの一部を見せてくれました。周りにいっぱいアンテナあるのに何故,家なの!  でも火災にならなくて良かったと考えた方がよいのかな。ただ数百件規模で問い合わせがありあの雷は大変だったようです。

B京都へ深夜バスで行きました。経済的でしかも早朝に着くから体力さえあれば非常に有効です。今回ある目的で言ったのですがレンタカーがありがたかった。そのカーナビが実に役に立ったのでした。出始めの頃のカーナビを使ったことがあるがこんなの普及するのかなぁと思っていた。しかし今やカーナビなしでは,なんて言う人もきっといるのではないかな。知らない町を走るには都合がよい。  深夜バス確かに経済的ですが窓から見る「景色」は凄まじい。大きなトラックの列に負けじとびゅんびゅん飛ばす。雨が降ってもスゴイスピード。ブレーキかけたらひっくり返るのではと恐怖 スリル満点の深夜バスでした。バスジャックの心配はありませんでした。

C明日は新盆。「父と母が戻ってくる。」それを信じての初めてのお盆です。
あの日のことがまだ鮮明に頭に残りその声までが聞こえてきそうな気がします。

D8月2日(土)第1回利根川平和祈念マラソン&ウォーク大会 大成功でした。
平和への願いを自分たちの体と少しばかりのお金で表しました。


7月

●7月28日(月)夏に入ったら毎日のようにHPの更新をしょう。と考えていましたがとんでもない。何でだろう?教師生活の中ではじめて休みに入って三者面談をやらねばならない等 残念ながら今までの夏とは違う条件が出てきたのだ。 それにしても毎日毎日やることがたくさん。
まあ 8月2日の第一回利根川平和祈念マラソン・ウオーク大会の準備など今までにない積極的な遊びの企画もあるから充実したものになりそうだ。最近,ある会合で六本木に行く機会があった。お久しぶりだったけれど,あの話題の六本木ヒイルズにも立ち寄ったけれども何か違和感を感じた。六本木交差点付近の雰囲気が六本木らしい気がするがそこもごちゃごちゃした感じでもっと情緒のある繁華街ではなかったかなぁ。ちょっとガッカリ。今気になる場所 摩周湖 と 京都。
●7月13日(日)朝から曇り。高石ともやコンサート後の疲れもとれて久しぶりにランニングのため運動公園に。先日「利根川楽走会の仲間と距離をペインティングしたのでくっきりと表示が見えて何故かうきうきしてしまう。ところが5キロ過ぎたあたりから雨が激しく降り出す。こんな時の雨は気持ちがよい。自然あふれる場所だれともすれ違わない。そんなとき遠くから走ってくる人の姿。段々近づいてきた大きな外国人。お互いに連帯の挨拶。そしてその人とまた自宅付近でお会いした。自ずと「さっき雨のなかですれちがったね。」もちろん日本語。おもわず話が弾んでしまった。そして私の自宅のすぐそばに住んでいる隣人の外国人ランナーとまたおもしろいことが始まりそうだ。
●7月6日(日)新しいパソコンへの移行やらなにやら環境の変化に時間がとられホームページのこの欄になかなかたどり着けませんでした。
 この土日と過ごしやすい天気がうれしかった。7月5日いよいよ念願の「利根川楽走会」をランニング仲間としっかりと立ち上げました。そしてその会長になりました。”遊びの会”の会長は私の「あこがれ」でした。早速8月2日第一回利根川平和祈念マラソンを企画し「黄金の時間」を創出して美味しいビールを飲もうとみんなに呼びかけをしていきます。利根川楽走会のページも立ち上げました。どんな展開になるか楽しみです。

6月

●6月10日(火) パソコンライフを変えるための楽しい勉強をしました。そしてパソコンについては秋葉原に行かなくてはという思いこみから抜け出した。たまたまふらっと寄った大きな
電機屋さん 価格を見て 商品を見て驚いた。こんな近くにこんな店があったのか。新しい発見でした。そして そこでの詳しい店員さんとのやりとりがおもしろい。買わせる店員さんはよく勉強している。 

先週の日曜日 荒川一中区域のお祭り 天王祭を見に行った。その御輿とそれを担ぐ人の元気さに久しぶり活気のある雰囲気がすばらしかった。もっと大きなお祭りにも行ってみよう。という気持ちになりました。  


5月
●5月25日(日)私の大先輩から一枚の葉書が届きました。『突然このような形で失礼ですが,今参議院で審議されている有事法案は私には一大事なので,私見を述べさせていただくことにしました。....この法案は「攻められるときに備えて」をたてまえにした「攻めるときに備えて」の法案であり.....』その先輩とはもう大分御無沙汰しているのですが一貫したその姿勢に何か背中をピシリと打たれたような気がします。イラク戦争の次は何?忙しい毎日自分の元気を保つのにひぃひぃ でも大きな世の中の流れに抗する気概か貴重に思えます。
●5月18日(日) 今週は定期券が切れました。初めてのSUICA定期を買いました。スイスイスイスイとうるさいくらいの宣伝にホント?の気持ちだったが使い出すとホントに便利何故こんな事ができるのかと疑問を持ちながらの使用。 「なんでだろう」がまた一つ増えた。
パソコンにしろドンドンバージョンアップ。人類の知恵が速いテンポで発達しているのか。
余り中身もわからず使わなければならないことも多いような気がします。まあイイカぁ。
今日の東京シティーロードレース2003これはなかなか魅力的な大会だった。
●5月11日(日) 今週は第3回富士箱根ふれあいスポーツフェスタ ハーフマラソン参加のための一週間と言うことで,準備していたが諸事情で参加できず。エントリー代とその手間暇がむだになってしまった。今日はそのために久しぶり23キロコースを走った。最後まで気力体力が続きゴールできた。運動公園の土手にはカップル そして家族連れが弁当を広げて
ピクニックの雰囲気。チョット派手なランニングウエアでランニング。まだまだ自分の思い通りに動けない。来週こそは東京シティーマラソンで都心を走り抜きたい。
●5月4日(日)今週は4/28(月)の離任式 そして4/29(火)休日の稲毛海浜公園音楽堂での野外ライブと大きな事が終わった。去る者の寂しさそして新しく起こっている事へのため息。野外ライブは海岸に近い屋根付きの音楽堂で潮風を感じながら思い切り声を出して歌えた喜びはこれまた初体験。しかも通りすがりの人がじっと聴いて拍手までしてくれた。
野外で大声を出すしかもマイクでボリュームを上げて!これだけでうれしいことなのにそれを聴いてくれる人がいる。贅沢な楽しみです。そしてまたこれを機会に何か音楽の和が広がりそうなのです。うれしいことです。 5月6日 私の54歳の誕生日。53歳もいろんな事があった。これからの一年一年が精神的解放 より豊かな自由に近づけるようにしたいものだ。 
4月
●4月27日(日)田んぼに水が入り始めました。カエルの”合唱”も少しずつボリュームが上がってきました。いよいよじっとしていた生き物が動き始めました。春から夏を感じさせる日 そしてまだ肌寒かったり。今週はダウンして1日初めて休暇。やっと回復しました。ランニングも中止。家の仕事で行ったり来たり。去年の今頃 親父 おふくろが生きていたんだ。そんなことをフト思ったりまばゆい光のなかで何とも言えない寂しさを感じます。
 今日は娘達に自慢しました。ほらここでもインターネツトできるようになったぞ!ほとんど使われなかったノートパソコンに無線ランカードを装着 設定してやりました。不思議でしょうがない。無線でしかも高速。部屋のどこでもインターネット。話で聞いていても実際にやれるとなんだかうれしくなってしまう。トラブルも覚悟だったが実にスムーズにスムーズに完了。
新しいシステムの構築が楽しみになってきた。明日足立十二中学校の離任式。
●4月19日(土)新しい学校での2週間が終わった。通勤もまだ回数券と定期を組み合わせ
まだスムーズとは言えないが南千住駅から歩く道が気に入ってしまった。朝は通り道に定食屋さんうどん屋さんと朝早くから営業している店もあり,帰りは元気なかけ声のある店もあり生き生きとしたにぎわいを感じるのがうれしい。
 今日は久しぶりに利根川河川敷運動公園をランニングした。タンポポが一面咲き小さな花が美しい。コースを外れ野を越え山を越えの走りをしました。本当に走ることが快適な季節になりました。
●4月12日(土)今週はきつかった。職員室では「今週長かったね。」うちに帰ると娘達と「今週スゴク長く感じたね。」始まりの4月。生徒達も大変な環境の変化でそれへの不安と期待で気を使ったことでしょう。私は荒川区立第一中学校の教師としての初めてづくしの一週間でした。まだ教室探しでウロウロすることもあり自分で笑ってしまいます。3年生5クラス私だけがいきなり3年と言うことで生徒達がきっと不安に思っているのではと思います。しかし優しい生徒達でドンドン動いてくれるので「ありがとう。」の言葉をたくさん使いました。頑張らなければの気持ちが強まっています。自分としては4月10日の生徒会ガイダンスが荒川一中の全体の活動の雰囲気を知る「一つの山場」と思いました。そして荒川一中でもギター&ドラム部が認められそれを生徒達に初めて披露する場でもありました。なかなかキビキビとした運動部の活動ぶり など3年生がリードしている姿を見ることができました。
そして最後に今年度から新しくできるギター&ドラム部の紹介の番になりました。言葉よりわかりやすい方法でやりました。ギターを抱えて「生きて生きて生きて」を歌いました。これで白けたらどうしようかと不安もありましたが,足立十二中学校での生徒達のようすを思い浮かべ思いっきりやってみました。全校生徒の目 そして先生方の目を見ながらの演奏ができたのです。そして途中から手拍子も入れてくれて明るい笑顔をたくさん返してくれました。
「今日はギター&ドラム部です。今はは一人ですがこれにリードギター ベースギター キーボード そしてドラムがはいるともっと楽しいですね。 よろしくお願いします。」
 とうとう打ち上げてしまいました。まだギター1本しか学校にないのに。とにかくキダー&ドラム部を22年前足立区立第一中で始めた最初のようなスタートです。部室もない。これからどうなっていくのか人ごとのように楽しみかな。
 
 ☆今週はイラクでの戦争が連日のように毎日のトップニュースでした。イラク兵500人死亡
とかバクダッドに進撃とか大新聞の見出しは米英軍の動きを中心に攻撃する側 爆弾を落とす側にたった報道ぶりでした。「最小限の犠牲で....」本当に犠牲になった人達の命をどうしてくれるのだ!自分たちは一番安全な場にいて戦争戦争と言っている。
国連査察を無視して戦争に突入。他国への侵略を平然と独裁者を倒すため等と言っている。
大量破壊兵器を探すためと言って自分たちは非道な大量破壊兵器を使って無実の人達を殺傷している。両腕を切断された子供の写真をみた。イギリスではこの写真がマスコミで大きく報道され人々の怒りと同情を集めているという。即刻戦争の中止を。まだまだ犠牲者は出ている。そして米英軍にも犠牲者が出ている。その後ろにはその死を嘆き悲しむ人達がたくさんいるのだ。
●4月6日(日)昨日の大雨が晴れて風が強く青空が広がりました。本当は今日は鶴沼100キロランニングに出る予定でしたがパス。明日の始業式を考えれば妥当な判断だったかと思います。4月4日第7回高石ともやバングラディシュ奨学基金コンサートに出かける。6時開演に間に合わせるため心を鬼にして職場を出る。うれしいことに今度の職場は都心に出るのに大変便利。ゆとりで到着した。久しぶりの知っている顔がいっぱい。忙しさの中でほっと一息,,そして元気をもらえるコンサートになった。十二中に来てくれた高石ともやと言うことで親しみを感じた。そして生徒達のメッセージを涙流して読んでくれたという。うれしかった。


3月

●3月30日(日) 桜の花ももうすぐで満開。2002年度もおしまいです。
昨年の11月25日「ホームページを長く続けるために,今 お休みした方がよい時期かな。
あまりにいろいろなことが押し寄せて,ユトリがないというのが本音です。またいつかこの時期を振り返って見るときがくるでしょう。そのとき また。」以来の「つぶやき」です。
 この1年本当にいろいろなことがありました。心の支えであった父母を失い何にもやる気をなくしてしまいました。 私が生き生きしているときは,ランニング 歌 そしてホームページの更新ができるとき。
つぶやきの再開です。 とにかく毎日のイラク攻撃報道。この言葉自体が攻撃する側に立っているのではないかな。    爆弾の下でどんなことが起きているのか。