つぶやき  

2004年

12月

●12月29日(水)年賀状を書いている。外は何と雪が降っている。(都心での初雪は平年より4日早く、昨年より2日遅い。そうです。)2年続けた喪中のために年賀をストップしていたため久しぶりと言うことになる。だから11月1日の発売と同時に200枚購入その後素早く追加もして,やる気十分だったのに年賀を作り始めたのがやっと12月26日頃。 クラスの生徒には必ず年賀を出すようにと敢えて宿題にしました。メールの普及により「年賀状文化」が廃れていくのでは。それを何とかということで宿題にしたのでした。ただ強制された年賀状もどうかと思うし....昔ながらのよい習慣を伝えていくのが大人の責任ではと言いながらも自分の年賀もパソコンで主要な部分を作り手書きはちょこちょこと一行。あーあ どうすればいいの!

・とんでもないことが起きている。本日の新聞の見出しインド洋大津波 犠牲5万人超す 外国人2100人死亡・不明。巨大地震。大陸岩盤プレートの跳ね上がりによるとされている。それならば日本付近でもそのようなことが起きるのか?とにかく今年は水害 地震 等 大きな災害で多くの犠牲者が出た。

●12月11日(土)またまた御無沙汰しました。もう12月もここまで来てしまいました。本日久しぶりの利根川運動公園のコースを走りました。やっぱりこれがなくては生きていけないなぁ!この月にしてはポカポカ陽気で絶好の日和で何はさておき走るぞと思いきや,それでもやることはやらなければと買い物などしてそれではと思ったら
ご来客。そして夕方になってしまった。多様な雲 利根川のユッタリとした流れ 夕日に染まる鉄橋 おもちゃのように見える電車の走り ああいいなぁ! 

「都電巡り」という行事をやりました。都電の駅に荒川一中前があります。これを使っての学習は大変魅力的です。何よりあの都電が路面に出てくると昔よく乗った玉電を思い出してしまいます。あの頃はある面でよかった。
なんかユックリしていたよなぁ。 


11月

●11月14日(日)本当に御無沙汰してしまいました。
・法事,三者面談等々仕事,私事,遊びで本当にゆとりのない日々でした。といいながら超忙しいときに新宿のライブに行くなど新しい刺激をえてそれでストレス解消しています。
・この1ヵ月で心に残る出来事「人質となり殺害された香田証生(こうだしょうせい)さん(24)」「アメリカ大統領選挙でブッシュが再選されその直後にイラクファルージャ総攻撃でテロリストより多くの市民が子供が犠牲になっている。
・作家 五木寛之の講演をラジオで聞きました。『本当におかしな世の中。精神科で鬱病が多いというけれどこんな世の中でハイな気分で元気いっぱいの方が病気ではないか』といった内容。
なるほどなぁと思いました。
・私も表面的に見れば100キロ走ったり,歌ったりして元気そうだけれども,こうすることによって
自分を保っているような気がします。毎日悩み一杯。ため息ばかりです。
12/25コンサート私にとって意義深い。


10月

●10月10日(日)御無沙汰しました。
・10/9雰囲気を変えるため髪の毛を染めました。もちろん白髪を黒く染めることです。初体験です。行きつけの床屋さんにその希望を伝えると「染めない方が良いですよ」と商売げなく言うので動揺しましたが「まあ1回やってみる。」とお願いしました。
 家族はおおむね反応がよかった。さて教室の中学生そして職員室の先生方の反応は。 職員室では何事もなかったような反応でした。教室に行くと「先生染めたでしょう!」と様々な反応と顔つき。配慮なしのストレートな反応が返ってくるから怖いけれどおもしろい。ある生徒は私につきまとい「先生の黒い髪 イヤだ おじいちゃんが白髪だから..」等というのです。私をおじいちゃんとダブらせているのか?と,あーあ
職員室では私から切り出しました。「髪染めたんだ!」その一言で「やっぱり」みんな気がついていたけれど,「微妙な髪の毛」の話で配慮してくれていました。その後はひとしきり髪を染める話が続きました。大人と子供の反応の違いが面白かった。
・10月2日(日本時間)「イチローが新記録」の新聞号外が配られました。シーズン最多安打の記録を更新。この時点で259本。イチロー選手に興味をもっています。
「メジャー1年目のすべてを語ったイチロー公式ロングインタビュー」というふれこみの本
を読んでその記録までの軌跡を何となくたどることができたようです。
 国民栄誉賞を断ったイチロー。これからの野球へのさらなる挑戦が楽しみだ。頑張って欲しい。
・ 9月は9/19のウルトラマラソンで新たな意気込みでランニングへ
  9/25に大学の説明会のために久しぶりに新宿へ3年間通った新宿南口近辺の新宿が変わっていた。元新宿高校の名残はわずかな樹木のみ。林立する高層ビルを見上げて凄いなあとため息が出てしまう。人がユックリ住む場所ではないな。


9月

●9月17日(金)部活の日。今日は早めに切り上げようと思ったけれども,11人の部員の熱心さにやっぱり6時過ぎまでやってしまった。ウルトラへの準備はほぼ完了しているがゆとりで就寝したいと思ったがダメでした。少し不安な気持ち大きくなってきた。 娘から52q以上はしれればよいと思って走ったらとの励ましの言葉。受験生に励まされました。
「合格を祈願して完走するぞ」と強がっても100キロという未知の距離でどんな状態になるか我ながら興味深い。なんて
言えるのも今だけでしょうね。 
●9月12日(日) 先週は生活を変えました。学校に到着が一番か二番。ゆとりの朝です。これも9月19日のウルトラマラソンスタート朝4:30にあわせるためです。3時には起きなければなりません。でも早く寝るとよく眠れますね。質の良い睡眠は体と心にいい感じ。ウルトラが終わっても続きそうです。
●9月7日(火) 8月29日のウルトラマラソンでこの夏は終わりました。忘れられない出会いやインターネットを通じた交流も活発におこなわれました。 なんだこれと言う驚いたこともありました。夏の初めに沖縄旅行をしたので沖縄が身近に感じられ何かにつけ沖縄に目がいきました。そんなとき8月13日アメリカ軍ヘリコプター墜落の事件。あの近くを通り過ぎたものとしてその事件はの展開には驚きました。
 日本の警察が現場に張り巡らされた縄の中に入れなかったという信じられない事実。日本は植民地なのか。全く奇跡的に人の命は失われなかったけれども,オリンピックの報道で片隅におかれるような報道で良いのだろうかと思いました。あるニュースのコメンテーターが「オリンピックオリンピックという中で水を差すようですけれど沖縄の事故は見過ごすことはできないと思うのですがね。」とコメントしているのを聞いてその通りと思ったものでした。沖縄だけの問題ではない日本の平和にとって”暗雲”がおおってきそうな不安を感じているのは私だけでしょうか。 沖縄国際大学


8月

●8月25日(水) ホームページ開設6周年

 本日でホームページ開設6周年を迎えます。
先週こんな事がありました。ホームページを見ましたというメールが届きました。それを開いてみて驚きました。何と私が教師になったばかりの学校の卒業生からのメールでした。もう20年くらい前になるのです。そして中学卒業後の多難な人生を語ってくれました。生徒の顔が鮮明に脳裏に浮かびながらその話を聞くとその時の流れを感じ共に中学時代を過ごした人間として励まし励まされる交流の始まりです。教師として本当にうれしいことです。
今は東京から遠くはなれたところで生活しているといいます。「やっとインターネットにつなげる環境ができて」私のホームページに遭遇しびっくりしたというのです。これからも交流していきます。こんな再会もインターネットのお陰です。
 私にとって自己満足の世界なのですがこのホームページを見てくれる人達に自分の気持ちや行動予定を明らかにすることによって自分の励みにしてきたように思います。長い間本当にありがとう御座いました。そしてこれからも宜しくお願いします。
●8月2日(月) あーあ8月になってしまった。これからが時のたつのが速い。

昨日は網戸の張り替え作業 ちょっとした技術が必要。ぴたっと貼れたとき汗だらだら流しながらもその喜びはひとしおだ。そしてぐったり疲れたところでお昼寝。久しぶりのお昼寝。

  休みが入ってすぐ沖縄へそしてさらに飛行機で40分くらいで石垣島そしてそこから高速観光フェリーて10分くらいで竹富島 そしてさらに遠く30分小浜島へと行きました。
 竹富島では水牛車に乗ってその町並みの歴史と風格を感じました。水牛のダイちゃんとその主人の案内はゆっくりゆっくりユーモラスで楽しかった!そしてサイクリングして昼食場所も行き当たりばったり事前に知っていたのは,カレーライスがおいしい「ぐるくん喫茶」 それを目指してやっと探したら「本日休業」そしてそこから少し離れたところに見えた「ちろりん村」
何も知らずに入ったけれど今インターネットで調べてみるとなかなか有名な店なんだぁ!
 そこで掲示板でも紹介した「奇跡の出会い」がありました。 何とも不思議な気持ち。いろんな偶然が重なってこんな離島で教え子に声をかけられた。すばらしいことだ!!!

 『沖縄から飛行機で石垣島へそしてそれから船で離島の竹富島へ,水牛車に乗り自転車で走り回り,村のはずれのチロリン村というお店で一休み,暑い中冷えたビールを出してくれました。2杯目を飲んでいたときですタマタマ通りかかった若い二人づれの女性の一人が「先生じゃない?」と私を見るなり話しかけてきたのです。「ちょっと待ってよ。どうして私が教師だと言うことを知っているの?」ここは 沖縄 の離島の小さなお店の前。
「足立十二中の菊池先生でしょ。」そこまで言われて目を丸くしたのでした。ジッとその生徒を見ても思い出せない。「ごめん 名前を言って!」「1学期だけお世話になったNです。」「あっ!Nさん!」7年ぶりの再会か!何ということでしょう。こんな事ってあるんでしょうか。沖縄 竹富島 チロリン村というお店。忘れられない店となりました。
教師をしていて良かったという瞬間でした。』


7月

●7月23日(金)ご無沙汰しています。本日の新聞の一面に自殺最多3万4千人 経済苦激増 初の8千人超えるとありました。明るい見通しが見えてこない。    
 夏休みに入りほっと一息。この時期をねらって人間ドックに入ることにしています。一泊で自分の健康について考えようということですが,このごろはなれてきて,人間ドックを楽しむようにしています。まずたいした検査をしないのに待ち時間が多いけれど普通の外来でならイライラするけれどゆったりと本が読める。健康な状態での病院というのも落ち着きます。
 医師との面談でもできるだけ多く質問する。ちょっと困らせてやろうと質問も考える。そして1日目遅くとも午後4時には解放されてホテルへ またとない珠玉の時間。今までは秋葉原の電気街でじっくりパソコン関係の情報を集めたりするのも楽しみだったが今は迷うことなくランニング。近くに皇居があるのだ。ランニングパンツに着替えてホテルのフロントに行くのは少し抵抗を感じるが平気で通過。
 気象庁の前からスタートしてゆっくりラン。さすがに車の量が多いから利根川の河川敷を走る爽快さはないがそれに変わる刺激があるように思う。左回りでいくと半蔵門あたりが頂点でそこから桜田門までの下りが皇居でなければ見られない絶景に当たるのでは。    そして翌日朝4時起床  まだ人のいない皇居周りを走ったのでした。気持ちいいなあ 気持ちいいなあ
そして歩道を離れて皇居二重橋前のきれいな砂利が広がる広場に足を進めた。誰もいない広大な広場。そうしたら後ろから
「おーい」と人の声。誰もいないと思ったのに....何と ポリボックスにお巡りさんがいたのだ。「おはようございます。どうしました。」「ここはジョギングで入ってきてはダメな場所です。」とまだ朝5時前の清々しさとは違った厳しい顔。「へぇーそうですか」(お巡りさんと2人きりなんだからいいじゃないですか)と言おうとしたけれども,まじめに勤務する皇居前のお巡りさんに敬意を払って「ハイ」と従いました。大変な仕事ですよ。じっとして見張ること。
 私にとっての人間ドックは,お金に換えがたい読書の時間とゆっくり皇居を走る時間をを過ごすためにあるようです。

6月

●6月20日(日)今週は14.15.16と清里移動教室があった。4月26日27日の初めての実地踏査に行き担当者として,その日から常に頭の中からはなれなかった移動教室が終わり大きな荷物を下ろしたような安堵感でホッとしています。今回の移動教室はすばらしかった。
 梅雨の中休みなどと天気予報が盛んに天気が良いと報じていたが予報を裏切らずに3日とも快晴。入笠山山頂から360度の視野がくっきりと見えた。北アルプス 南アルプス 雪をいただく槍ヶ岳もみえた。
何とラッキーなことか。宿舎の管理人さんも「珍しいことです。」と言ってくれました。  そして荒川一中では初めての試み 朝6時起床の目覚ましがわりにギターで歌いました。5時に起きてウォーミングアップ。
寝不足で歌うには最悪のコンディションだけれども生徒達がきっと喜んでくれる,ただそれだけが楽しみでした。 舞台で歌うより緊張し,2曲目はカポタストはずさなければならないのにはずさずに歌い出したり,ドキドキものでした。   それでも生徒達にはかなりの驚きだったようです。 幸い 先生も生徒にも好感を持ってもらったようで一安心。でも目覚ましがわりだから何を言われても「ごめんね。」です。
 ただ今回は意欲的に2日目の2曲目に最近作った自分のオリジナル曲を歌ってしまいました。 

 本当に忙しい。持ち帰りで仕事をしなければならずランニングの時間がとれなーい。  
●6月13日(日) 御無沙汰してしまった。コウモリが我が家に入り込んだり,面白いこともあったがやはり憂鬱な2週間でした。それは6月1日午後0時20分に発生した長崎県佐世保市東大久保町の市立大久保小学校で起きた事件が6月のスタートだったのです。1997年神戸市であの少年A酒鬼薔薇 聖斗
による殺人事件を想起した。しかし今回はもっと衝撃だった。あの7年前はあの少年が逮捕されるまでに
大人の容疑者が何人も疑われた。それは学校の外の反抗でまさか中学生がという世論を裏切った展開が衝撃的だった。そしてその想像に絶する残虐性に身も凍る思いをした事を覚えている。しかし今回は発生現場が学校の中 しかも小学校 しかも楽しい給食時間のはず..
 大事件発生のおきまりの流れ テレビワイドショウが取り上げ毎日「新事実 」を競い合いそして電車のつり革の雑誌のこれでもかこれでもかの報道。   辟易とさせられるが,今回は私も積極的に情報を得ようと努力した。これは特別な事件ではない!おかしいなぁおかしいなぁと思いながらの忙しい教育現場にいる者として何故あのようなことがを自分なりに考える必要があると考えました。以下続きます


5月


●5月31日(月)回復するまで1日かかりました。飲み過ぎでした。また反省しています。あそこで止めておけばよかった。運動会という大きな仕事が終わった安堵感と今回は1500メートルレースを無事走ることが出来た喜びが重なりました。今回の運動会生徒達は短い時間の中本当によく頑張りました。こんな強行スケジュールでできてしまう。これでいいのなかなぁと思いつつも無事に終わって「ヨカッタ ヨカッタ。」
 自分にとって印象深い運動会になりました。 いつもビリから何番目で,運動会は余り好きでないけれど走るのが好きだった少年時代以来 40年ぶりかなぁあのように本気で運動会に出たのは。 それもフルマラソンとか長距離で鍛えているので1500ぐらい完走は確実だけれども,何といっても体力がドンドン向上していく中学生と体力がドンドン落ちていく50代 途中でダウンしたり極端に遅れて,運動会の進行に差し障りが出なければと願っての出場でした。 
 いやーやはりそれぞれの走り方があるんですね。フルマラソンでは1.5キロは自分の体調を見極めながらの走りで勝負は30キロ過ぎ そんな走りでは1.5はダメなんですね。やはりちょっと無理をしました。
でも走った後から,生徒達から「先生格好良かった。」とか先生達から「フォームがきれいだったとか。」お世辞ではないかと思われるような反応があって戸惑いました。自分は好きで走っているだけで短足の走る姿は恰好がよいなどと思いもよらないからです。生まれて初めて走ってほめられました。そして「走るの楽しいよ 楽しく走ろうよ」と生徒達 同世代の大人達 若者達にアピールするキッカケになればよいがと期待しています。
 うちに帰ってメールを開くと「 こんばんわ!先生今日メッチャ格好よかったです(*^o^*)でも、ちょっと無理しましたよねぇ?ダメですよ(;-o-)体こわしちゃもともこもありませんから…最近僕も、4キロくらいだけどスゴいスピードで走ってます(^o^)僕は先生と違って長い距離を走るよりも、1500メートルくらいのタイムをいかに縮めるかで楽しんでいるんですよ!区でやった大会にでれなかった悔しさ…それをバネにしています。とにかく、今日は暑いなか本当にご苦労さまでした!」という優しくて暖かい卒業生からのメール。有り難いと思いました。
○30日まだぼやーとした頭で新聞を眺めていて扱いは小さいけれど大きな事件の記事に目が凍り付いた。「まさか−馬鹿な!」憂鬱な気分がおおいました。私の好きなミュージシャン城田じゅんじが犯罪を犯してしまったのです。その音楽を愛している多くの人達にとって大きなショックです。音楽は人と重なっているのです。残念でなりません。その人の見えない部分が白日の下にさらけ出されあの私たちにすばらしい音楽を聴かせてくれたミュージシャンのイメージか音とともに崩れそうです。54歳 寂しいです。
●5月16日(日) 10キロを積極的に完走できました。スタートラインにいることが感動です。荒川市民マラソンで転倒して指を骨折した人が走れないからボランティアとして参加していました。
受付時は雨で,ごった返すなかとっしーさんともお会いできました。
 スタート時ほとんど雨も上がり走るにはまあまあの日和になりました。   一時停止の規制にも引っかからず気持ちよく国立競技場に走り込みました。 昨年の記録を更新できたようです。
 私は今日4時に起きる予定でしたが大幅に寝坊したのは実はETV特集「フォークであること...高田渡と高石ともや」を見て眠ろうとしたら珍しく目が冴えてしばらく眠られなかったからです。
他の人にも見ている途中でもいいから「見て!!」と連絡したくなるぐらい中身のある内容でした。高田渡と高石ともやを全然知らない人が見ても実に興味深い映像とともに二人の人の生き様がおもしろい。
 1967年〜1968年に受験生ブルースがヒットしたとき私は18歳〜19歳
でした。あの白黒の映像が懐かしくその社会の背景の中であの二人のフォーク歌手がどのように生きてきたか,考えさせるものがありました。高石ともやの歌を中学生に是非聴かせたいと実現したあの「高石ともや 講演と歌」で多くの中学生に感動を与えそして一人一人の生徒のメッセージを丁寧に読んでくれた高石ともやさんがあのように大きく取り上げられると言うことはうれしいことです。これから益々注目される人です。
●5月6日(木)55歳になりました。本当は5月5日が誕生日なのて゜すが親が届けるとき1日間違ったそうです。   50歳になったとき50歳の記念ページを作りそこのページを作るために新たなことに挑戦しました。
オールナイトのウォーキング 高石ともやコンサートでの歌 これが50歳で大きな新しい自分から起こした「行動」でした。ウォーキングがランニングに変わりましたがランニングと歌が私の生活の大きな部分を占めるようになりました。

 あれから5年 55歳 このキリのいい年で心に決めたことを公表します。

@52歳からの実験ランニング を 55歳を記念して100キロマラソン大会に出場します。
2004歴史街道丹後100qウルトラマラソン9月19日(日)
 フルマラソンもやっとなのに無謀な計画かもしれません。物忘れがちょっとひどい 老眼も進んできた 老化の兆しは確実 その体にむち打つような試みと思えます。でもやってみたい。ランニングというのを初めて3年くらい。何かますます長い距離を走りたくなっています。記録もまだ更新できそうですが加齢とともに衰えるのは必至だけれど走り続けることは長くできるのではと期待しています。スタート台に立ちたいという意欲がどこまで続くのか。やる気が萎えてしまったらおしまい。そのおしまいがいつ来るのかも我ながら興味深い。

A12月25日ラストボーイズと仲間達コンサートに出演
音楽的にも自分なりに納得のいく演奏ができるように練習します。
20曲を目標にCDに残せるようにしてみます。

 ラストボーイズに誘われて初めて大きなステージで歌わせてもらいました。そして3回目のステージではどんなことになるのだろう。ハラハラドキドキだけれども何か新しいことができそうだ。
●5月4日(火)久しぶりのつぶやきです。4月から一人暮らしの生活を始めた娘が連休の始めに帰郷そして本日また旅立ちました。今年の4月は大きな生活の変化か゜あり無事に乗り越えられるのか心配でした。
自分も新しい学年のスタートで何かと気を遣うことが多い。何より無事に連休までたどり着けたと思ったらもう休みも終わってしまう。

・蛙の鳴き声が日増しに大きくなり 連休中は水の入った田んぼに稲が植えられた 小さな苗がまっすぐきれいに植えられ風と水に揺られて心地よさそうだ 道路に長いひものようなものがあった,車で通りすぎようとしたら動き出した,あっヘビだ! 陽気に浮かれて道路で寝そべっているのか..危ない危ない 春から初夏への移り変わりがおもしろい。

・仕事で八ヶ岳山麓 清里へ行った。宿舎から朝4時過ぎ空が白んで来る頃ランニングスタイルで防寒もしっかりとして目指すは美し森展望台。清里駅前を通りまだ人も車も通らない清里の大通りの真ん中をユックリと走り始めた。そしてながーい坂を気持ちよく走り続けた。途中野生の鹿が飛び跳ねていくのに遭遇 そして30分も゜たたないうちに美し森展望台の下に到着 そしてそらから長い階段を一気に上って回りを見て思わず声を上げてしまった。「すばらしい!!!!」昨日の大雨大荒しのおかげか 雲一つない 360度の山々がくっきりと見えるではないか。八ヶ岳の一つ一つ そして美しくそびえ立つ富士山..そして太陽が昇り始めてきた。一人で見るのがもったいない。山を駆け下りる強い風に自然の凄い息吹を感じた。ああまた来よう,走ってきて良かった。走っていて良かった。こんな所に走ってこようなどと思わないだろう。宿舎の主人に「走って展望台に行ってきました。」と言うと目を丸くして驚いていた。その後午前10時ごろみんなでまたその展望台に登ったが雲だらけ。  あの一瞬の貴重な風景だったのでした。   清里が一辺にに気に入りました。

4月

●4月1日(木) 3月は何と忙しかったことでしょう。先輩の退職を祝う会 娘の高校卒業式 そして3年担任としての卒業式 そのすぐ後のミニライブ この間に架空請求のいかがわしい葉書 メールが届いたり...  そうこうしているうちに桜は満開 もう春の真っ盛り。 今年の春は大きな節目になりそうです。18年間一緒に生活をともにしてきた娘が親元を離れ一人生活に入ります。何という時の速さ。多くの大人達にお世話になりここまで成長しました。不安が一杯ですが,自立への旅立ちになることを願って明日送り出します。

 架空請求トラブルについて
債権回収通告書なるものが3月15日届きました。

請求金額297,890円 心当たり全くないのに何これ

その文面を見ると

2日以内にご連絡お支払いいただけない場合
担当者が自宅 勤務先まで訪問させて頂きますが,接見不可能な場合必要とあらば
貴殿の身辺調査を探偵会社に依頼 その費用も請求させて頂く......

と続きます。

こんな事初めてなので一瞬血の気がひいた。しかしお金に関してはきちんとしてきているのでおかしいと思いこんな時はWEB110番だと開いてみたらやっぱりあった。
名犬ヨッシーさんが頼りになります。


ヤフーBBの個人情報問題などがあったけれどこんな風に利用するやつがいるんだ。

3月

●3月7日(日)本日は私の娘の卒業式でした。茨城常総学院です。740名あまりの卒業式がどのように行われるか興味深かった。
さすが高校生。2時間30分にも及ぶ卒業式を厳粛な雰囲気を保ち続けることができました。一人一人の呼名に我が子がどのような返事をするのか
それだけでした。教室に入ってからの担任の田中先生の言葉に感動しました。今だから言うんだけどさ..と率直な先生の思いが胸に響く。いつもあっち向いたりこっち向いたりする生徒が微動だにせず先生の話を聞いているという。高校の先生の大変さ 同じ同業者として感じるものがありました。  甲子園で活躍した生徒達も全く普通の高校生として卒業しました。木内監督も元気な姿を見せあの時の感動が再び卒業式の会場を包みました。生徒の答辞に自然と涙があふれてきました。3年間の時の流れが走場灯のようにかけめぐり入学式には生きていた父母が今はいない。

あれほど楽しみにしていた孫の成長を卒業を見届けずに死んでしまった父母の思いが私の胸をおおいました。      とにもかくにも卒業おめでとう。
次は 3年の担任としての卒業式が待っている。
●3月1日(月)あわただしい月末となりました。夜行高速バスを使って京都を往復したのです。確かに安くて早く着いて有効な時間を使えるのですが,やはりバスの中での睡眠はかなりキツイ。立ち直るまでに家庭での十分の睡眠が必要でした。
  京都がかなり近くなってきました。

 2月25日 夜間走行9時過ぎ 懐中電灯を手に自宅からの1qコースを走りました。
大変気に入ったコースです。夜でも街頭 門灯で明るく 犬も2カ所で必ず吠えてくれます。2周回れば2q と わかりやすい。 6qを過ぎて調子に乗ってきた頃 同じく夜 走っているランナーとすれ違う   やぁー ケン! 何と久しぶりに隣人のランナーと会ったのです。お互いに手袋を取って 固い握手。 そして二人でおしゃべりしながら走ったのでした。外から見たら不思議な光景だったことでしょう。
2月
●2月22日(日)今日は娘達がひな人形を飾り終えた。結構大変な仕事。私が屋根裏にある箱を出す係。自分たちだけで飾れるようになった娘達を横から見ていて成長したんだなぁと感慨深い。それに来年度から上の娘が家を出て地方で一人暮らしの大学生活にはいる。こうやって二人で準備するのも最後なんだなぁ と本人達はけらけら笑いながらやっているのだが..横で見ているものが感傷的になっていた。ひな人形は昨年と変わらない表情だった。
●2月14日(土) 2月7日 そして10日と続けてわらび座のアテルイ と響を見に行った。家族で鑑賞に出かけるのも久しぶりで自分はウキウキしていた。わらび座には姉がいるその子供の子供もいる。そして今回は「響」に綾ちゃんが出るということで気合いが入った。
 わらび座がまだ小さい歌舞団の頃姉はその舞台に感動して,高校卒業後すぐに秋田県仙北郡という所に本拠をかまかえるわらび座に入った。まだ18歳のときだ。上野駅に姉を送りに行ったときの情景がまだ記憶に残っている。まだそのころデッキのある列車でデッキで別れの涙にくれる姉を高校の同期生と我が家族で見送った。列車のテールランプが遠ざかる何とも言えない別れであった。あの頃私も16歳。父母もまだ若かった。
姉が入る前からわらび座の歌舞を見てすごいなぁと元気をもらっていた。そして姉が入ってから姉の舞台をハラハラしながら何度も見に行った。   わらび座について語り出したら話が尽きない..いつかまとめて記録に残したい。
       そして,私の友人も見に来てくれた。本当にありがたい。
 そして今回は新たなつながりを感じた。何とわらび座員が座の公式ホームページとは違った自分のホームページをもってわらび座を発信しているのだ。これも画期的なことだ。
イチわらび座のファンとしてこれから新たな楽しみが増えてきそうだ。

 悲報に接した。
このホームページでも紹介した江幡玲子先生が2月8日亡くなられた。詳しい事情はわからないが夫の死12月ご2月に亡くなられた。すぐに私の父母の死を考えた。父が9月母が1月。

 江幡先生のおかげで高石ともやさんとも直接お話しするチャンスを作ってくれた。そして毎回江幡先生がコーディネイトしたバングラディッシュ支援YMCAコンサートで高石ともやさん歌う前に素人に歌わせるという企画のとき,高石さんが私の歌を聴いて,厳しく注文をつけてくれた。
それがキッカケでいろんな事が始まったような気がします。ほんとうに人との出会いで自分が変わってしまうそして思わぬ自分が発見できる。 ずーっと教育現場でも教師を相手に思春期問題の専門家として数々の実績で知られているけれども,身をもって私たちにチャンスを与えてくれました。   感謝しています。    ご冥福をお祈りします。   合掌。
●2月8日(日)今週は守谷ハーフマラソンのスタート台にたちたい。そのための特に健康管理に気をつけた。この時期インフルエンザの流行で人混みはできるだけ避けた方がよいのに,前日まで人混みにいて(劇場)気持ちはハラハラしてた。
●2月1日(日)今日は久しぶりの本格ランニングに取り組むため,昨日は少し早めに寝たのです。もう遠足並みです。家族も呆れているけれど,協力してくれるのがうれしい。私が走れるときが一番元気なのです。河川敷は朝はウォーキング ランニングする人 犬の散歩 そして10時頃から野球をする人 少年野球 テニスをする人 ゲートボール そして昼に近づくと家族連れ。  あーあ 子供が小さいときはあんな風に子供と遊んだなぁ おじいちゃん おばあちゃんもいたなぁ。黙々と走りながら,いろんな場面が思い出された。 さあ もう2月 春がもうすぐだ。

1月

●1月30日(金)もうゴゼンサマです。珠玉の時間を過ごしほろ酔い気分での更新です。一人でホット行き着く場所。家庭がその一つだけれどもそれ以外にどこがあるだろう。私にとっては利根川の河川敷と....。そして今日新たな場所を見つけたのです。私が求めていたライブスポットが新宿にありました。そこにいた初めてお会いした北海道の若いビジネスマンと交流できました。マスターと同世代で話が弾みます。何か面白くなりそうです。     そこを教えてくれた仲間に感謝です。

●1月18日(日)久しぶりの雪を見ました。でも朝だけ。天気もよくなり絶好のランニング日和。いつもは閑散として利根川河川敷に人がたくさんいた。
何事かと思ったら新春マラソン大会(取手市主催)だった。懐かしいなぁ娘達が小学校の時一緒に参加したなぁ。時がの経つ速さを感じました。
 大会には関係なくいろんな思い出の場面を思い浮かべながら黙々と一人で自分のコースを走りました。ランニングについて詳しくはランニングのぺージで。http://www.geocities.jp/ryo_kikuchi2003/52saikaranorunning3.htm
●1月11日(日)お酒のない正月が1月8日まで続きました。12月25日から続いて年末年始こんなにお酒を飲まない年はありませんでした。ない方が生活に無駄がなくなるかなぁ。でも缶ビール1本ですむのだからやはり飲みます。傷の痛みが消えたので,生活が正常に戻っています。
 久しぶりに大好きな運動公園でウォーキングとウォーキングに近いジョギング7qやりました。風邪が猛烈に強く冷たかったけれども雪化粧した富士山が見えて大きく息を吸いました。さあ 少しずつランニングできる状態に近づけていこう。  この喜びは何よりだ。 
 図書館の帰り,成人式を終えたばかりの多くの若者とすれ違った。女性の晴れ姿。着物がよく目立ち豪華さを競い合っているようでした。和服の男性も目立ち奇抜な格好の若者もいました。あ−あ,もうすぐ娘も成人式かぁ。
女性も男性も知的な大人になってほしいと願うばかりです。
・うれしい電話が入りました。北柏リハビリ総合病院の方から「1回といわず不定期でもよいからきてやって下さい。」という出演依頼だ。今年は,リハビリ病院 老人ホームなどで歌を歌いたいと考えていた。早速いい話だ。
・1月9日 母の一周忌だった。それを過ぎると去年の今頃はもう母はいなかった。ということになる。これもまた寂しい。「去年の今頃は何々していた。」
と言えなくなってしまった。確実に時は流れている。
●1月4日(日)いよいよ明日から仕事が始まる。という感じ。始業式は1月8日だからまだだけれども。ただ,いまだに痛みが残り明日は医者に診てもらうまでちょっと気持ちは晴れない。正月から晴天が続き 静かな日和で今までなら間違いなく走り回っていただろう。昨年といい今年の正月といい正常ではない。 しかし良いこともあった。手術後と言うことで家事をいっさいやらずに安静させてもらったおかげで勉強ができた。歩くこともできて食欲もあってただ自分の好きな勉強に大きな顔して専念できるなんて,久しぶりだった。 まず読書そして大きな成果は,今もっているパソコンの能力を引き出すのにマニュアルをみたりいろいろ動かすのに集中できたことだ。これからにつながる大きな成果だ。   いやアーパソコンでできることスゴイ。やりながら感心してしまう。  まず今回はホームページを刺激に映像の世界に足を踏み入れた。 父が映画関係で映像のプロだった。カメラ ビデオと立派な遺品があるが何故か父の世界に足を踏み入れるのをためらっていた。

 しかし,驚いたのは父の時代ではマニアしかできなかった。高価な機材をそろえてしかできなかったことが簡単にできてしまう。そしてビデオカメラとパソコン 音楽とパソコン カメラとパソコン みんなが統一的に取り扱うことができてそれをCD−Rなどの媒体に作品として記録してそれを簡単にコピーして配ることができるのだ。今回私の特別な経験 FACES OF JAPANというドキュメント。アメリカPBSで全米に放映されたものだ。この自分の教師生活を撮ってくれたビデオテープの動画をデジタルに変換してホームページに貼り付ける動画として発表する。これが課題だった。それができた。30分番組だがこれを1分刻みの動画にして公表する見通しができた。今までは分解写真のような「映像」が音入りの動画らしくなっている。これがデジタルビデオから直接だときっと画像もきれいだろうな。

 そして図々しくも,自分の歌う姿を入れたムービーの制作 僅か1分以内だけれどもその作品を作るなかでこれは面白いなぁと盛り上がっていったのでした。  まあ 正月早々 いきなり気分悪くするような映像で失礼して申し訳なく思っていますが,わたしにとって画期的なことでした。

やりたいことがまた増えた。

今年は100qを完走したいなあ。自分の体を通して歌える歌のレパートリーを50曲。 生徒と一緒に歌える教室ライブ。ギターの練習 スリーフィンガー奏法とかギターだけで聴かせられる力をつけたいなぁ。コンサート活動も新たな分野を開きたいなぁ。そして 映像 画像にこだわってみたいな。

仕事以外にやることが一杯だ!!!!!