つぶやき  

2005年(平成17年)

12月


●12月31日(土) あと3分くらいで2006年になります。我が家は一所懸命に頑張っている大学受験生と心を一つにテレビも見ないで,努めて普通の夜にしています。年明けとともに就寝。
そして明日は早朝30q以上ランニングを予定しています。
1年間この掲示板を通していろいろな知的刺激を受けて生き生きと生きることができたように思います。これからもよろしくお願いします。


12月22日(木) 「あーあいゃんなちゃったぁ.ああああくたびれた」
と歌い出しました。そして最後に
「若者達」(君の行く道は果てしなく遠いだのに何故歯を食いしばり君は行くのかそんなにしてまで)を教室で中学生の前で歌いました。聴いてくれました。拍手もしてくれました。「ありがとう。」と深々と頭を下げました。2学期が無事終わりました。ホッとしました。疲れがどっと出てしばらく生徒のいない教室にいました。

12月4日(日)お互いに歩いて10秒のところで待ち合わせ。午前10時でも冷たいどんよりした日曜日。久しぶりに実現したランニングでした。お互いに忙しくて声を出せば聞こえる場所にいてもメールでの打ち合わせを何度もしての実現です。ランニングで繋がる友情は強いものを感じます。つのる話をしながら,ランニング歴の長い隣人ランナーのお気に入りのコースを走りました。トイレもあり 自販機もあり 素晴らしい快適コース。こんな場所があったのか。再会を約束しての心温まるランニングとなりました。

 12月に入りいよいよ慌ただしくなってきました。来週はそんななか京都・奈良方面への出張も入りなかなかハードになりそうです。皆さん!体調を万全にして生きましょう。


11月

●11月18日(金) 明後日11月20日(日曜日)(22:00〜0:15)NHK教育テレビで放映!
昨年12月の芸術劇場でわらび座「響」が放映されました。その時のリードボーカルが高田綾。そして今度は夫の高田鵬がミュージカル「棟方志功」で少しですけれど出ます。役は材木屋。踊りも踊るそうです。まだ私も見ていないので久しぶりの「鵬」の舞台が楽しみです。私の姉がわらび座に入って40年が経ちました。その息子(高田鵬)が舞台に立ちその子供も育っています。そんな関係だから特別に皆さんにお勧めしています。わらび座を見て下さい。田沢湖芸術村のわらび劇場(NHKホール並みの舞台)にいってみて下さい。
18歳高校卒業してその芸術に惹かれ大学進学を目指していた姉は入座しました。まだ地方の小さな劇団でした。厳しい生活を見てきました。
上野駅にみんなで送りに行った日を今でも思い出します。遠い秋田の奥深い田沢湖神代に娘を送った今は亡き父母の思いが今になってわかります。わらび座と私,いろんな事が思い出されます。だから全国の人が見てくれるこんな場にわらび座が出るということが大変うれしい。
是非劇場にも足を運んで下さい。2月にはミュージカル「百婆」が東京新宿文化センターで予定されています。

●11月13日(日) 気持ちのよい天気でした。半蔵門から桜田門の並木道の紅葉が素晴らしかった。手作りの温かいマラソン大会でした。宇佐美先生が帽子を空に投げあげてスタートしました。スタートのピストル音はダメ,テント張るのもダメ,机出すのもダメという条件だそうです。皇居周辺は観光客が列をなして走路を横切ります。駅伝練習の大学生が疾走していきます。長い上り坂長い下り坂で足にはかなり応えるコースでした。でもこの大会が気に入りました。どこにもない雰囲気がありました。ストップウォッチでスタッフが計時。そのたびに声をかけてくれました。キロ表示もなく,フルマラソン71名が互いに離れていて競うことができずに自分のペースを維持するのが難しかった。それでもそのよい雰囲気に調子に乗って記録を更新できました。3時間32分12秒10位でゴール。トップランナーの気分も味わいました。詳しく後日レポートします。
やはりフルの消耗は応えます。次回は1月の勝田マラソン。まだ記録に挑戦できそうです。今日はこの後すぐ寝ます。また明日からの1週間頑張りましょう。

●11月12日(土)冷たい雨で今日(12日)が始まりました。利根川楽走会11月の練習会の日です。私は明日の大会のため休養。自転車で距離表示のペインティングで参加するつもりでしたが
朝起きての強い雨と風で止めました。ただ楽走会の仲間が5時30分スタートでやると言っていたけれどこの雨でやるのかなと気になっていましたが,携帯で連絡をとってもコールをしているけれど出ない。昨日までのメールのやりとりを見ているとかなり気合いが入っており,ひよっとしたら走っているかもしれない,からきっと走っているという確信にかわり急いで身支度をし車で急ぎました。寒々とした運動公園。その駐車場に見慣れた車がありました。車の中をのぞかしてもらいました。確かにMさんの車でした。車で高速でコースを一回りしましたが遭遇できず,ゴールで待つことにしました。30q走った防寒をしっかりした3人のランナーが現れました。いい顔でした。うれしかったですね。これで楽走会の練習会は雨天決行当たり前になりましたね。

私は明日 NPO法人日本スポーツボランティア・アソシエーション(NSVA)主催第6回(秋季第1回)東京シティマラソン・RUN&WALK大会のフルマラソンに出場します。まず 東海大学教授・元五輪マラソン3回代表の宇佐美さんが代表として活動しているこの団体に興味があります。ホームページを見ると多彩な活動をしています。スポーツボランティアという活動に感心しています。私はそんな人とは知らずに,一緒に食事していたのですが親しみを感じていました。
そして皇居の周回コースでフルマラソン・ハーフ・10キロ・ウォークの部(申告距離)の4種目をどのようにするのかも興味があります。皇居1周約5キロということは知っていましたが,もう少し正確に4.98qだそうです。折り返しもあって正確な距離が測定されているようです。参加者650名でフルは80名の参加ということで,これもおもしろいと思いました。



10月

j●10月1日(土)授業参観日。秋晴れの気持ちよい天気。休日出勤はなにより通勤の電車が空き空きだから気持ちよい。それによって疲れ方も半分くらいに感じられる。
 南千住駅から開通したばかりの「つくばエクスプレス」に乗って久しぶり秋葉原に行った。所要時間何と9分。ただし南千住のホームから秋葉原駅ホームまで。それから地上に出るまでが少しかかるが私にとってはありがたい。秋葉原は懐かしい街でもある。パソコンを買うために何度も訪れその際に食べる場所も頭に入っている。
しかし今回久しぶりに訪れつくばエクスプレスの秋葉原駅周辺が一変していた。そしてJR駅周辺には巨大ビル。
さらにまだITの拠点としての建築物が建設中だ。 その巨大なビルを見上げて「あーあ すごいなぁ。」
何故かため息が出てしまった。

9月

●9月30日(金) 26日に父が亡くなって3年になります。だんだん秋の気配が感じられるときあの日のことを思い出していました。毎朝父母と握手して「行ってきます。」というのを常としていました。目が悪くて充分に私の顔が見えていないだろうと思われる父の手のぬくもりを感じて出勤していたものでした。 手のぬくもりは心のぬくもりでもありました。それを今切に感じます。  本当に死んでしまうといろんな「ぬくもり」がなくなってしまう。あのぬくもりをまた感じたい。
    こんな年になっても子供のようなことを思うのです。


8月

●8月25日(木)ホームページ開設7周年
 本日一番最初に始めたプロバイダーを解約しました。パソコン通信時代からの会員です。丁寧に解約の手続きを案内するオペレーターが最後に「何かご不満がありましたか。今後のサービスのために参考にさせて頂きます。」と言いました。本当は止めたくないのだけれどもという気持ちと率直にサービスの違いを指摘しました。
 パソコン通信時代は今から考えればまだ限られたもの達が狭い世界で今までにない通信を楽しんでいました。今やインターネットは世界に開かれ,凄まじい勢いで私たちの生活に入り込ンできました。7年前のホームページ開設1周年の時の自分の書いた内容を読んでおもしろいと思いました。少し長いですが引用します。

『インターネット インターネットとますます声高に聞こえてくる。1年前とは全然違った雰囲気を感じるインターネット環境。
学校の各教室をインターネットに接続する 教員に一人1台パソコンを与える など上の方から号令がかかっているようで余り快いものではない。しかしホームページを開設して1年 カウント数こそ少ないがホームページを作ってよかったと思うことが何度かあった。
 遠くにいる姉が年老いた父のほぼリアルタイムの写真を見て喜んでくれた。  近くにいる弟も忙しい仕事の合間に見て,より理解してくれている
 7年前別れた教え子と約束したクラス会の準備をホームページで知らせている。そしてそれを見てくれた教え子が少しずつ増えているように思う。 現在の教え子にホームページを知らせるのをためらっていたが,もうすでにホームページを見る環境が整っている家庭が現れてきた。まだ少な いが。きっとあと5年もしないうちにホームページを持っている生徒達が多数出てくることだろう。そうしたら子供たちとの関係も,大分違ったものになるだろう。メールをしたいためにパソコンを買い求める若い女性客が増えているという。回りに次々とメールを持っている人が増えている。生徒の家庭とダイレクトでメール交換できるのも普通になるだろう。

 このようにファミリーとの連絡を主にしてスタートした私のホームページも,少しずつ領域が広がってきている。そしてますますおもしろい出会いおもしろい企画ができそうな気がする
 ホームページはかなり自己満足的なものだ。しかしそれは見たい人だけが見ればよい,相手の時間を拘束しないから気が楽。人の前で話したらきっと,自慢話で不愉快に思われることも図々しくかける。お互いに知り合ったものがより知り合えるツールとしても役に立ちそうだ。

 フアミリーのために作り始めたホームページがクラス会の呼びかけに広がり,掲示板の設置でその反応に励まされて続けられたように思う。 止めようと思えばすぐにでも止められるけれども,私が前向きに生きていく上で欠かせないものになっている。少し見栄を張ってホームページに発表したことはやらねばならない。そしてそのレポートをしなければならない。しかし,いつまで続けられるだろうとフト考えるときがある。
 父  母  が亡くなったときは一時中止した。更新する気もしなかった。ボーと虚脱状態だった。
ホームページが続けられるような毎日でありたい。
 
 新しい試みもやっている。職員が全員インターネットができる環境で,私は9月の移動教室の担当としてその実踏
(事前の下調べ)の様子をホームページで公表。これを見てもらって初めていく人にもイメージしてもらうために説明と一緒に見てもらっている。 これはかなり有効だ。生徒全員がインターネットを使える環境になれば何か面白いことができそうだ。  ただもっていない人が損をするようなことではおかしなことになってしまう。
もっているのは当たり前にはなっていないことを銘記しておく必要があるでしょう。そしてホームページがあるからおかしな事件もたくさん起きている。 

           これからも宜しくお願いします。


●8月23日

8月16日(火) 7月から8月に入ると日にちの経つのが速く感じるのは私だけかなあ。
ちょうど1週間前の9日はやはりこの夏で印象深い日になった。 高石ともやさんとその仲間たちとお話しする時間がとれたことだ。特に高石さんとじっくりお話しできた。足の小指を骨折しあの元気な高石さんがどんな状態になっているのか心配でした。松葉づえにまだ少し頼っているけれどもあの宵宵山コンサートでの車いすを使わなければならないときよりも回復していました。そしてあの元気さは変わらず楽しい元気をもらう話をたくさんしてくれました。
 サロマ湖100キロマラソンは本人が走るつもりでエントリーしていたのに参加できなかった。でも骨折して間もないのに走れなければ応援にとギターをもって参加したこと。定点応援でなくて移動応援ができたことそれを支えてくれる人が回りにいること。太鼓のドンドンという音よりギターと歌にランナー達が反応してくれたこと等。
 ケガをしても気持ちはランナーの意気込みがうれしい。
 車いすの不自由な生活でイライラして回りに当たってしまうこともあったという。本当に不自由になってわかることがたくさんあるとしみじみと語られた。きっと高石ともやさんのことだからきっと新しい歌が体中にわき起こってくるのではないかな。期待してしまいます。ただ連続出場のホノルルマラソン12月までに走れるようになるかそれが一番気がかりのようでした。大丈夫 きっとまた感動のドラマが待っているでしょう。
 8歳年上の高石さんは私にとっては大きなチャンスをつくってくれた人。歌を聴いて話を聞いて励まされるかけがえのない存在になっている。

7月

●7月27日(水)御無沙汰していました。台風7号が去った朝は気持ちがよい。利根川の土手から富士山の裾野までクッキリと見えた。利根川は増量しこれから溢れてきそうな勢いだった。
 つぶやく暇がないくらい7月は忙しかった。私の今の生活はランニングの時間が確保できているかいないかが生活のゆとりに繋がっているようです。7月学期末ということでの何はさておき最優先の仕事が時間内に終わらない。これは私だけではないところが今の現場の厳しさを表しているように思います。とはいえその忙しさに負けずに京都に必ず行く,と手はずを整えてそれを実現できたことが大きな成果かな。「あっ忘れた!」の多い毎日。ウロウロしながらもやる気と元気があるから何とかなっているのかな。



6月

●6月19日(日) 匿名の書き込みについて(掲示板で書いた内容です。大切だと思い..)

   書き込みありがとう。お二人とも「匿名」の書き込みで誰なのかホームページの管理者である「りょう」も申し訳ないけれどわかりません。
ただこの機会にこの掲示板のしくみを少しお話ししておきますね。少し長くなりますがこの掲示板を利用していただいている皆さん!とりわけ中学生の皆さん聞いてくださいね。

 私は「りょう」というハンドルネーム(本名の代わりに名乗るニックネームのこと)を使っていますがこの掲示板の管理者で本名も菊池亮と公にしています。
そしてこの掲示板に書き込んでくれている人もハンドルネームを使っていますけれども管理者である「りょう」はその本名も知っていますし直接お会いすることもできるようになっています。掲示板では不特定多数の人が見ている可能性があることを考えて書きますのでなかなか通じないこともあります。そのためにメールで連絡取り合ったりして交流を深めているのです。掲示板というのはこのメールでの交流,あるいは直接お会いしての交流があって初めてお互いに安心して書き込めたり読んだりしてお互いに有意義な情報の交流,心の交流が可能になるのです。 
 そういう意味で誰だかわからないという匿名の人はいないのです。それでなくては責任ある書き込みはできません。皆さんも後存知のように,人の悪口中傷を平気で書き込みそれを放置したままの掲示板も残念ながら数多くあります。

 限られた人だけの掲示板に設定することはすぐにできますが,インターネットでなくてはできない思いもよらない交流を私は楽しみにしています。
むしろ中学生が卒業してからこのホームページが生きてくると思います。

私が初めて教師になって担任した生徒が今は主婦(30歳代)として近畿地方に住んでいる人がたまたま私のホームページをみて懐かしさの余りアクセスしてくれたことがあります。インターネットでなければできない交流の例です。これからも私は大人同士,若者達と大人が私を通じてみんなで繋がっていけたらと考えています。

 今の世の中は,大人にとっても子供にとってもなかなかつらい現実があります。少しでもみんなが仲良く毎日生き生きとして生きていければと願っています。そのための掲示板を目指しています。  引き続きよろしくお願いします。

神さん・ 匿名希望の二年生さん 私は職場では先生という立場ですがこのホームページではただ一人の人としての交流を望んでいます。まずは3人のネットワークから少しずつこの輪(和)を広げていきましょう。そのためには対等の立場で交流できるために顔を見せてください。学校の勉強以外に教えたいことがたくさんあります。
●6月10日(金) 生活が変わりました。異動して2年以上南千住駅から約1.2キロを歩いて通勤してきました。初めて新しい職場を訪問したとき何故かその道が気に入りました。にぎわいのある商店街を通り抜けることが趣深かったのかと思います。都電を使えば歩かずにもう少し楽に通えたかもしれません。  ただこの2年間でその商店街でも閉店する店を見ることが多くなり寂しくなります。その商店街で寝ている人も目立ちます。やはり何かおかしいのではと言う思いがつのります。  6月9日より自転車を使うことにしました。あっという間に職場に着きます。私は自転車乗りが得意。少年時代まだ街の中に「貸し自転車屋」(レンタルとは言わなかった)さんからお小遣いをもらって30分10円とかいって借りたものでした。それが楽しみだった。
 2歳年下の弟といつも二人乗りで乗り回したものでした。だから自転車大好き。
私が自転車通勤に変えたら「トライアスロン始めるの」という声がかかりました。私のランニングと結びつけてくれたのです。   あと水泳ができればできるのだけれど。一度は挑戦してみたいと思うのだけれど....まだまだまだです。


5月

●5月14日(火) 5月の連休を超えて56歳になりました。何というか1年がスゴク重く感じます。50代はつらいよ。
 昨日ホッとした気持ちで帰途につきました南千住の改札に入った塗炭に携帯電話がポケットにないことに気がつきました。「あーあ またかよ。」忘れ物を絶対いないように注意して出てきたつもりが一番必要なものを忘れてしまう。本当に情けないなぁ。どうしよう。やっぱり取りに帰りました。今来た道を戻るのでは余りに疲れる。ふと見ると最近走り始めた地域バス「さくら」がとまっていました。あと4分で発車と言うことで乗りました。1度乗ってみたかったのでこれで少し慰めました。そして南千住野球場前という停留所から歩いて5分くらいで職場にそしてきれいに整頓された机の真ん中に携帯電話がありました。
「どうして忘れちゃうわけ。」自分への腹立たしさ。というわけで日常的にこんなことが多いのです。これを年のせいにしてはダメですね。新たな気持ちで1日1日大切にしていきます。


4月

●4月10日(日)またまた御無沙汰しました。このページにたどり着くまでフーフー。
卒業式が終わってから兵庫の宝塚劇場に透真かずきさんのデビューを見に行きました。本場宝塚の劇場での鑑賞は文句なしの楽しさがありました。「純色の世界」というか舞台全体が輝いていました。かなり良い席でたまたま隣り合わせになった宝塚ファンの女性から舞台の展開を教えてもらいました。独特な舞台作りとその仕掛けが大変面白かった。
宝塚を後にして大阪の梅田で4年ぶりの教え子と再会。一線の記者として活躍しているYさんと沖縄料理店で心ゆくまで交流。
 それから京都に。  娘の下宿転居の準備。管理人さんへのご挨拶。
そして一端東京に。そして再び車で京都へ。この間に思いもよらぬハプニング(うれしくない)があったりしてやっと東京に戻りました。そして新学期へゆとりのない始まりとなりました。


3月

●3月21日(月) 昨日春分の日。久しぶりのランニングで日の出を見た。春分の日はほぼ真東から出てくるとは理科の授業で教えていること。方角を意識しながらのランニングとなりました。
 ・この休み中にまた今度は九州福岡中心の地震が発生。震度6弱と被害がでている。
 ・イラク戦争開戦2年目 ・オームによるサリン事件後10年 等々一つ一つじっくりと振り返り考えなければならないことが続いたが
 昨日は北柏リハビリ総合病院での春を呼ぶミニライブ そして今日はお墓参りとなかなかユックリできない日が続いています。本日はすっかりと春めいて来ました。
 



2月

●2月28日(月)本当に久しぶりになりました。2月の寒い時期絶好調でこの調子なら1月を超える走行も期待できるとやる気でいたら10日体調よろしくなくランニング中止から連続16日間休養。この間に体調は整ったのに自己管理できず(気持ちのよい酒を飲み過ぎて)崩してしまうということでずるずると2月が過ぎていきました。それとともに気持ちが萎えてしまい更新の気力も失せてしまいました。やっと100キロを超える走行距離でした。
 今回の更新で力を入れたのが 日本と世界の民主主義を考えるページです。
やっぱりインターネットで発信しておかねばならないことがあるように思いました。少し危機感を抱いての一言。
●2月6日(日) 強い北風が吹いていました。田んぼはまだ土色。耕耘機が入り土を掘り起こす音が響きました。来週は花粉が大量に飛ぶと言うことです。 鼻・口を完全にガードしたマスクが目立ちました。私もいつ症状が出るか心配しながらなのですが,今のところ何とか大丈夫。これからなのかな。

・体重計の針が今までにない目盛りを指しました。2月に入り63q走りました。昨日は21キロ本日は22qこの調子だと1月の走行距離を上回れるかもしれません。
確かに今までより運動量が増えています。確実に脂肪が燃焼しているといった感じです。
話は簡単ですダイエットを気にするなら運動量を増やせばよいのです。昔人は狩猟生活をしていました。空腹になると狩猟(運動)をしてそして食べていた。今やこの運動抜きに食べることができてしまう。太るはずです。
食べたら”狩猟”にいきましょう。

掲示板5周年に際して
2000年1月30日から掲示板を設置しました。掲示板を設置してからホームページが交流の場に変わっていきます。
 5年前には考えられないようなインターネットの普及により今やホームページをもっていることが珍しくはなくなってきました。その中で掲示板をでのやりとりが元でのトラブルが多発しています。中学生がホームページをつくりその掲示板の書き込みが元に大変な事件になった事もまだ記憶に新しいところです。私自身も中学生から相談を受けてとりあえずホームページを閉鎖することを勧めたことがあります。それも掲示板が原因でした。直接人と人の接し方など学び,もっともっと直接人間同士の交流を経験しない子供たちにはホームページ開設掲示板設置は危なっかしくて心配です。

1月

●1月23日(日) 相変わらずゆとりのない生活です。ただ今私の優先順位は仕事はもちろん最優先ですがその次はランニングです。55歳の体でどこまでできるかこの実験は今このときにしかできません。一ヶ月200q走れる体はどんなことになるのか。1月は新春と言うことで夜の会合が多くなりがちです。昨年は手術後で124qでした。今年は本日で140q。あと1週間少しで200q可能です。体調万全。風邪の気配もありません。
昨日(22日)久しぶり利根川河川敷運動公園を走りました。土手から富士山がそして多くの凧が強い風に勢いよく揚がっていました。体を押し戻されそうな冷たい風に凧のように身を任せ少し前傾姿勢でユックリ走りました。不思議と強風が自分の体を浮かせてくれるようでした。あのハーフマラソンのコースを行ってみました。キロ表示がしっかりと残っていました。冬場に走ったことがない。緑はないけれど何という見通しの良さ。時々道を外れて土のうえを走りました。柔らかい感触が何とも言えない。枯れススキをとおして太陽に輝く利根川の川面がキラキラと光っている。時間を気にしないユックリユックリのLSD(ロング スロー ディスタンス)トレーニング。「超気持ちよい!」
 自分がこんな強風で冷たい風のなかなぜ走っているのか。自然と自分が解け合って超気持ちよい瞬間があるから,そしてだんだん長距離になるに従って走った後の食事のメニューが頭に浮かび,普通に食べたときには得られない美味しい食事のために走っているのかな。結局30q以上を3時間30分走りました。汗びっしょりになった防寒バッチリのウエアのまま体重計にのると2キロ近くの減。 ダイエットを気にしている人に自信をもって勧められる方法です。
●1月2日(日)こんな年賀が届きました。「あの時ゲームを止めさせて下さった先生のお陰です。ありがとう御座いました。」
ゲームに夢中で勉強どころではなかったY君。家庭訪問でゲーム止めようという約束したのを覚えている。しかしもう卒業して何年にもなるというのにこんな事を年賀に書いてくれる。先生のお陰でなくて本人の努力の力。
でもうれしい。
●1月1日(土)お墓参りから始まった。日差しがあって冷たい風だけれどもそんなに感じなかった。父母の墓の前で手を合わせるとまだその声と顔が聞こえ見えてくるようだ。「お父さん お母さん 家族みんなが健康であるように頼むよ!」戦争 災害 事故 事件 がこれだけ多い社会で普通に生きていける,健康に生きていけるのが殊の外貴重に思えます。今年は昨年とちがって10qのランニングもできました。



















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