つぶやき  

2019年(平成31年)

12月13日(金) 
 ランニングストップして8ヵ月が経過した。当初50m歩くのも辛くて自然に歩けなかった頃と違い10kmくらい歩けようになった。確かに回復していると思うのだが毎日足の具合を気にしながらの生活になっている。
100km走っても翌日には歩きそしてまた走ることができた。この繰り返しでランナーとして鍛えられていく。走るたびに記録が更新され3:20:39が出た。この体験が自分を支え、これを更新しようとまた頑張ろうとする。いつかまた更新できる!もっと練習すればといつまでもランナーを続けられると思いこんでしまう。人のからだはロボットではない。 2019年は我が人生の曲がり門をしっかりと自覚させられる年となった。翌日には回復、長くて1週間もすれば回復が9ヵ月近くになっても回復していない!切りのいい70歳で今までできていたことができなくなっている。年をとるということはこのような現実と向き合い受け入れていくということの連続だろう。
 ランニングでの喜びは仕事では得られない。自分だけが知るスタートラインに立つまでのドラマとゴールまでの苦しみと完走したときの喜び,達成感,自分なりに頑張ったというはっきりした証が完走の記録でありときには完走できなかったときの悔しい記録として残る。オリンピックで金メダルをとった選手、メダルをとれなくて過去の記録をもっていることで生きている元ランナーが多くいる。その努力と結果が評価されているのだ。過去の頑張りを誇りにして生きていくこう。
11月 忙しかった。
10月31日(木)
19号台風、それに続いて大雨と連日被害の状況が伝えられた。利根川河川敷も川底に沈み、泥がズブッと入るくらいに堆積していた。今月は科博ボランティアに10回通い、ウォーキング、そしてピアノ練習、老人施設でのライブ、そのための練習。そして新たな人との出会いと毎日濃密な日々だった。
勉強がますます面白くなってきた。周期律表、あの無機質な表がじつに面白い自然を読みとくカギにみえてきた。
 バス旅行に参加した。65歳以上のおじいちゃんおばちゃん、ベートーベン作曲「エリーゼのために」をピアノを弾こうと努力していることが共通の趣味だ。ピアノを続けるために必要な旅行だと考えた。バスでたまたま隣り合わせた人から多くのことを教えてもらった。この仲間たちの中にいればピアノは続けることができる!と確信した。山梨方面へのぶどう狩り、団体旅行の不自由さを感じながらもこれからに続く大事な繋がりを、得た気がする。
09月25日(水)
ある日を境に何か変わったような気がする。そんなこと長い人生で何度かあった。
9月21日もそんな日だった。大きな喜びと寂しさと悲しみ,内から突き上げるような号泣とともに混じり合ってからだから流れでていった。何ともいえない清らかな気持ちになった。今までの人生で大方想像していた結婚式とはちょっと違った。仲人もいない。披露宴のスピーチも新郎新婦の上司それぞれひとり。後は歓談と要所要所で新郎新婦がテーブルに回ってきた。ゆっくり食べる時間もあり,遠方から参加された人達が旧交を温めている。二人が招待した人達を見て親として安心した。お互いどうし理解し合えるいい時間になったのでは。参列者の「いい結婚式だった。」のお言葉にホッとした。二人が健康で幸せな家庭をつくり人生を歩んで欲しいと心から祈る

09月07日(土)
 娘の結婚式が迫ってきた。ディズニーランド近くの大きなホテルが会場だ。何とも落ち着かないそして滅多に泊まらないホテル平日だから少し割安だ。旅からご無沙汰してるので1泊とはいえ旅気分を味わうことにした。結婚式の下見を父親がというのもどんなものなのだろう。家族で来られる方もありますよといはれたけれど。大きなホテル内の駐車場,部屋の配置,エレベーターの場所など知り少し安心した。遠方から来られる方が気持ちよく参加して満足してもらえることを願うばかりだ。
 パソコンを持ち込んで発信しているがネット環境はより快適でサクサクとネットに繋がる。パスワードなど必要なし。
08月08日(木)
7月を飛び越えてしまった。参議院選挙も嵐のように過ぎ去った。憲法改悪の流れに少しストップが掛かるような結果だけれど尚も改憲の動きを進めようという力がはたらいている。知れば知るほど理不尽なことがまかり通っているのにNHKの世論調査でまた支持率を盛り返したという。「あーあ」ため息がでてしまう。消費税が上がっていいの!年金が減らされていいの!1%の人達のための政治に気がついていない人が多すぎる。1%の富裕層と呼ばれる人達の生活ぶりをもう少し具体的に示さないと自分たちも富裕層だと勘違いしている人がいるのではないかな。とにかく一人一人に話して理解してもらわねば日本は変わらない。山本太郎さん,あさか由香さんの演説など心に響き印象深い。 ちょっと熱のこもった話になったけれど
 8月1日に自分の人生にとって大変な経験をすることができた。
ピアノの発表会で2曲暗譜で弾いたのだ。家族もきてくれて緊張が極点に達しての演奏となった。教室で一人一人弾いたときはパニックになって一番弾けない人だった。何とか無事最後まで弾き終えたときの達成感,安堵感はマラソン完走したときと同じだった!
65歳からのピアノ講座 G8月1日発表会F7月24日E7月10日D6月26日C6月12日B5月29日A5月22日@5月8日  Eは与那国島にいたため欠席
06月20日(木)
本屋さんにぶらりと立ち寄って店頭の本をみるだけもおもしろい。売れてる本や題名を見るだけでも参考になる。今回,買ってみようという本に出会った。
70歳がどんな年齢なのかを説いている本だった。
 まさに70歳になったばかりの自分にとってたいへん興味ある内容だった人生終盤戦,やり残したことをやり旅立ちの準備くらいの認識だった。70歳はまだ若い!これから新たなことを始めることもありなんだ!自分の生き方を再認識することができたピアノの練習を始めたことへの励ましのように聞こえた。
表紙に書いてある「キャッチ文章」を記しておこう。
題名「70歳のたしなみ」
・70代こそ人生の黄金時代 「終わった人」にならない後半生の新生き方論,発売たちまち4刷!
・上機嫌に振る舞う・終活は急ぎすぎない・人は人自分は自分・子どもに期待しない・身近な人の成功を喜ぶ・たとえ病気になっても・自分の人生を肯定する・今日が一番若い日・終わった人にならない・孤独を楽しむ・まだまだ未熟・目指せ中流老人
・晩年としてではなく,たしなみを持って希望とともに後半を生きていくために
「もう」70歳だから「今さら」何をしても遅すぎる,「どうせ」成果は上がらないと自分のおとしめるのは金輪際やめよう。失った若さや体力を数え上げるより,今持っている力を数えて感謝する,人に少しでも役に立つように行動する,それが私たち高齢者のたしなみである。
作者 板東真理子 小学館
05月22日(水)
・ 70歳を少し経過した。何が違うのか。早速高齢者ということで医療が窓口2割支払いになるという。ありがたいことだ。今まで病院には行かない方だと思うけれど,今は股関節の故障で病院に通っている。整形外科も私のような高齢者と思われる人がたくさんいる。
・全身から汗が噴き出す運動,ランニングを中止してからほぼ2ヶ月を経過した。この間の足の状態はほとんど変わらない。長く歩くときつくなる。毎日回復の兆しを期待しているがなかなか訪れてこない。決めたわけでないのに70歳を境にランニングのない生活が始まった。もうジタバタせずなるようになると気持ちは落ち着いた。「塞翁が馬」のはなしのごとく,ランニングできないという不幸がランニング以外のことに時間を使えるという福をもたらしている!と考えるようにした。

05月07日 (月)
・3月下旬に4Kアンドロイドテレビを購入した。生活が変わった。ランニングなしの生活でテレビを「見る時間が少しふえた。しかし素晴らしい映像での番組もあるけれどほんとにこれでいいのと思われる番組が多すぎる。令和令和と大騒ぎ。連日のように皇室が登場しての報道でどんな雰囲気をつくろうとしているのか。大事なことを覆い隠すはたらきをしているのではないか。とテレビに対するイライラもアンドロイドテレビで少しおさまる。ニュースとしての大事な情報は得た後は自分のお気に入りの分野の映像,動画を連続的に見ることができる。学習にも使うことができる。4Kの映像も素晴らしい。

・昨日70歳を迎えた。世間でいう古希という。この際学んでおこう
「古希(こき)とは数え70歳。原文表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では「古希」と表記する場合が多い。唐の詩人杜甫の詩・曲江(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」(酒代の付けは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。還暦は数え61歳(≒満60歳)だが古希は数え70歳(≒満69歳)。古希は長寿と考えられている。色は喜寿と同じ紫色。」(Wiki)
70年生きる人は稀であったという。今はどうだろう80歳すぎの元気な老人は珍しくない。でもやはり人生いつ終了してもいい領域に入ってきた。あと1年あと1年とどこまで続けられるか。次は77歳喜寿まで生きられるか!
・現役のひとは4月27日から始まった10連休が終わり今日からまた仕事が,また学校が始まる。きっと重たい気分だろうなと想像している。それに比べると実に気楽だけれども,自分にはまた違った重たい気分が続いている。
04月25日(木) 
生活の激変,にからだと心を対応させるのに苦悩している。まずランニングなしで体調を整えるにはどうすれば,歩くのも困難ならばどんな運動か。短時間でもハードなランニングは無理さえしなければ一番のスポーツだった。しかし無理しないで走り続けるということができなかった。10kmからハーフそしてフルマラソン。これだけでも相当な激しい運動なのに記録を追い求めていく。さらに飽き足らずウルトラマラソンと多くのランナーが引き込まれていく。自分もその道を辿ってきた。いずれは走ることができなくなる瞬間は老いとともにやってくると分かっていても無理してしまう。そんな魔力がランニングにはある。 
03月11日(月) 
東日本大震災が8年前のこの日に起きた。「止まった時間 かなわぬ再会」こんな見出しの記事があった。福島第一原発事故のためいまだに全町避難が続く福島県双葉町を取材していた。『「また会えるといいなぁ」震災当日に卒業式が行われた双葉中の3年生の黒板には,生徒達が書いた言葉が残る。』原発被害の悲惨さを訴えている。不明今も2533人。そして未だに大変つらい生活を強いられている人がいることも伝えられている。暗い気持ちになる。こんなときこそ国が手厚く最後まで被災者を支えるべきなのに冷たい施策しかできない。
 自分にとっては8年前の3月4月5月6月は暗い絶望的な気持ちに覆われる日々が待っていた。20日闘病の末妻が人生を終えた。寒さから解放され春が来た明るさとは裏腹の気持ちだった。多くの人が桜桜と喜んでいるのに暗い気落ちで桜の木の下を歩いた日々。そんなことを思い出させる。被災者の心の内と重なるような気がして人ごとではないように思う。
02月09日(土)
1月は飛ぶように過ぎてしまった。こんな調子で時が過ぎていくと人生終了の日もすぐ近くに来ているような気がする。さあ1日1日を濃密な日々にしていこう。今日は関東地方にも雪が積もり我が家の庭の雪景色を見ることができた。昨日は利根川楽走会イベント退職記念ランの下見で友人と箱根駅伝9区を走り抜いた。箱根駅伝の選手は車の通る道を走るからコースはわかりやすいが,私達はその通り走ることができない。自動車専用のエリアもあり迂回する道を探さねばならない。行き止まりだったり2人で走り回って迂回路を見つけることができた。。そして時間が経つに従って寒くなってきた。本日雪の天気を感じてのランニングとなった。
 
01月23日(水)
・あっという間に月末だ。
01月02日(水) 
・箱根駅伝3区の放映をテレビで見ている。東洋大学がトップを走っている。昨年から楽走会退職記念ランとして箱根駅伝コースを走り3区の逆コース8区をみんなで走ったことを思い出す。今年は2月に9区5月に10区を走る。

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