つぶやき  

2023年(令和5年)
昨年のつぶやきを読みながら上書きしていく

12月11日(月)
・昨日山口県宇部から飛行機で帰宅した。鳥取についでの中国地方。
今回は劇団わらび座の宇部公演を観たくての訪問だった。
新しく訪れる場所は空港を降りたとき、電車の駅に降り立ったときワクワクした気持ちになる。ぱっと見の印象を言葉に表すと、キレイ、道が広い。そして初めて知ったエバンゲリオン。漫画に疎い自分にとって空港がアニメ画像、大きなアニメショップがあるのに「何これ」と通り過ぎていた。知らない世界だ。

「庵野 秀明(あんの ひであき、(1960年〈昭和35年〉5月22日 - )
幼いころよりアニメや特撮、そして大規模建造物などの絵を夢中で描いていたという。生まれ育った
山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景は人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという。」(Wiki)
鳥取空港には名探偵コナンのアニメ画像がこれでもかとばかり飾られていた。
青山 剛昌(あおやま ごうしょう、1963年〈昭和38年〉
1963年、
鳥取県大栄町(現・北栄町)に4人兄弟の次男として生まれる[4][5]。子供のころから漫画が好きで描いてはいたが親に叱られるためこっそり描いていた。(Wiki)アニメの世界にも足を踏み入れたいな。世界中の人を虜にしているアニメだ。

・やっとここまで来た。同じことを言っているようだけど、ときの流れが速すぎる。
毎日毎日自民党派閥の裏金報道がなされている。安部がいなくなって顔色見ないでの報道も少しはできるようになってきたのか。この問題をいち早く報じたのが日本共産党の機関紙しんぶん赤旗だという。安部首相の桜を見る会を初めて報じたのもしんぶん赤旗だった。小さい一政党の機関誌のスクープだ。大手メディアしっかりしろよ!といいたいですね。まぁ赤旗の後追いでも他のメディアが取り上げないとこのように大きくならないから大手メディアガンバレ!
09月29日(金)
まだ酷暑が続いている。

孫も生後10ヶ月経過した。
ますます活発にアーとか言葉にならない音を発しながら見るものにさわり口にくわえます。これも脳を発達させる活動らしいのだが周りの大人が気をつけてやらないと子どもの安全は保てない
自分たちの子育てのときゆとりもなく子どもの動きをじっくり見ることができなかったけれど、みなこのようにして人間らしく育てられていくのだと自分の生後10ヶ月のころの父、母の大変さを想像しながら孫をを見ている。
9月ももう終わってしまう。
やっと日本全体のニュース話題になったジャニーズ問題。かなり早くからユーチューブなどで話題になり何故テレビ、お手マスコミが沈黙しているのかそれがやっとNHKの反省、紅白にはジャニーズタレントを出演させないという所まで来た。ほんとにおぞましい未成年の少年達への性加害が長年放置されてきた。マスコミがその事実、問題を報じていればこれだけの被害は出なかった。
 そして今さらに木原問題として心ある人たちが声を上げていることがある。
そのとんでもないことが日本国で起きていること。このニュースも一切報じられていない
08月28日(水)
8月25日(金)
ホームページ開設25周年
 カウント数 11万1221回
よく続けられたと思う。49歳のときから始めたことになる。日記のようなモノだけれども誰が見ているともわからないけれども確かに見ている人がいると認識するだけで意欲が湧く。人に見られるからがんばる、応援があったからがんばれたとか人間の特質なのだろう。49歳前のことも知りたくなってきた。人生のゴール前に残された資料写真で蘇らせようかな。またいろいろ学習できるかもしれない。 
04月18日(火)
世界中を大騒ぎさせているソフトの登場
ChatGPTについて思うこと。
ぼくがこのソフトの存在を知ったのは高校同期の仲間で作っているメーリングリストのなかでこのソフトを使っての感動を熱く語っている投稿をみてだった。それは3月の初旬。これはただモノではないと即使い始めた。そしてホームページにとりあえず使い始めたことを公表した。
パソコンの歴史を振り返り、自分との関わりを考察しておこう。
自分がホームページを立ち上げたのが1998年ちょうどGoogleが創業始めた年だ。この企業が世界の巨大企業へと成長し今や世界中の人々の生活を変えた。例えば人との待ち合わせ
紙の地図を見ながら待ち合わせ場所へ今や紙の地図は必要としない。この場所に何時と言えは集まれるのだ。その後ネットを通じたツール、Facebook、ライン、インスタグラムと多くの人が使うようになった。例えばラインの便利さ「ぼくはそういうモノ嫌いだ」と拒否してた人が使い始めるや人1倍使う人になった例をたくさん見てきた。
ChatGPT私達の生活を変える。日常的にパソコンを開きスマホをを持ち歩いているものにとってすごい秘書が側にいて何を聞いても冷静に文章でこたえてくれる。冷静に間違ったことも言うからそれを判断するのも自分の責任になる。人類の生活をより快適にするためにさまざまな道具が使われてきた。いわばハードなツールだ。、
AI(Artificial Intelligence)【人工知能】)と言われるツールは人間がつくり出したか一人の人間が身につける知識を遥かに超える知識を持っている。それを人間らしい言葉で返してくれる。何より我々が使う言葉づかいが自然なのだ。
ここで人類の生活を飛躍的に変えてきた
代表的な
◎ハードウェアの例を考えてみた。。 。
・蒸気機関: 産業革命を引き起こし、交通や製造業に大きな変化をもたらした。
・電気通信技術::電信や電話の登場により、遠隔地での通信が可能になり、情報伝達速度が飛躍的に向上した。
・コンピュータ: 電子計算機の登場以降、情報処理やデータ解析の効率が大幅に向上し、科学技術やビジネスの発展を遂げた。
・インターネット:コンピューター間のネットワークが世界規模でつながり、情報共有やコミュニケーションがスムーズに行えるようになった。
・スマートフォン:携帯電話がインターネット機能やアプリを搭載し、いつでもどこでも情報やサービスにアクセスできるようになった。

◎ソフトウェア (ソフト): ソフトウェアは、ハードウェアを制御し、機能を実現するためのプログラムやアプリケーションを指す。これらもまた、人類の生活に大きな変化をもたらしてきた。

・プラットフォームシステム (OS) :コンピューターの基本的な機能を管理し、ユーザーがコンピューターを使いやすくするためのソフトウェア。 例えば、WindowsやmacOS、Linuxなどがあります。
・ウェブブラウザ :インターネット上の情報にアクセスするためのソフトウェア。Google ChromeやMozilla Firefox、Safariなどがある。
今話題の

04月16日(日)
かすみがうらマラソン、そして富士五湖62.5km参加の皆さん!お疲れ様でした。
富士ハウスでの宴会盛り上がったでしょうね。懐かしい!
42.195km、10マイル(16.093km)、62.5km
ほぼ普通の人に戻った(笑)菊池にとって異常な距離ですね。凄い!普通ではない!
 同日僕はランナーで混んでいる土浦行き常磐線を横目に六郷土手駅に向かっていました。第9回大田区多摩川新緑マラソン5km参加のためです。意外と六郷土手駅まで近く感じました。素晴らしいですね多摩川河川敷!ランナー、ウォーカー自転車多くの人が繰り出していました。

長沼さん!多摩川ラン続けてください。必ずウォークでも参加したいと思っています。

※再会
 島田さんは新緑マラソンのフルに参加していました。島田さんと2011年9月角館駅の改札で出会って以来の再会でした。第21回100kmチャレンジ参加のための秋田行き。その年の3.11東日本大震災の年で東北を応援元気にするために開催を決断した大会で、二人で抜きつ抜かれつで励まし合っての完走でした。
嶋田さんは千葉県南房総市在住、小学校校長として退職後もランニングを続け50回目の宮古島を最後にウルトラはやめ、フルマラソンは73回目で100回を目標にしているそうです。
京都丹後ウルトラマラソン参加終了後のバスの隣りの席になったことが出会い。その後城内坂ウルトラで牧さん、鈴木さんとご一緒して以来楽走会のユニフォームを見ると声をかけてくれました。牧さんから送られたその時の写真と手紙を大事に保存されていました。いつも気になっていたが会う機会もなかった友人との再会に心あらたにがんばろうと思いました。最高の1日でした。

長いメール失礼しました。

菊池
 
03月07日(火)
 チャットGPTを使ってみた。いろいろ議論のあるところ。しかしおもしろい早速旅行に使えそうだ
01月11日(水)
2023初めてのつぶやき
今年もはや11日経過。今年1年をどうするか。まず毎日のルーティンを決める。
朝起きたらまず筋トレ体操15分 そしてすぐホームページチェック更新と今日はやってみた。
マラソン大会10kmを目標に松戸七草マラソンにエントリーしたが前日の七福神の疲労がとれず残念ながら
取りやめ。応援に来てくれる友人に早めに連絡したらもう会場に向かっているとのこと。会場に向かうだけ向かえばよかったのか。
 
 
2022年のつぶやき を読みながら2023つぶやいていこう
12月31日(日)
ここまで来てしまった!
2022年12月31日。11月をすっ飛ばしてしまった。

正月ごとにときの流れと我が家の変化を感じる。
そのために昨年の今頃はどうしていたかを振り返ると忘れていたことが蘇る。

今年は
お爺ちゃんになったことが一番の変化。11月生まれたばかりだから年末の外出控えると言うことで
娘夫婦の来宅がない。餃子は大望年会で542個ストックした。出版、音楽、ランニングとまだまだ時間が欲しい。

2021年の掲示板最後の書き込みが12月25日。まだゆとりがあったのか?

皆さん!元気に生きていますか!
もう年末です。我が家の年末年始行事があります。 今年はちょっとゆとりなし
大掃除を少しカットしてやらねばならないことが山積。その一つに餃子作り。大晦
日は手作り餃子を食べて年を越します。年始には娘夫婦が来宅してまた餃子を食べ
ます。 我が家の伝統料理で今は一人で小麦粉を練り、具をつくり、伸ばし、包むと
いう作業をします。 結構大変ですが不思議と苦にならずエネルギーが湧いてきま
す。 父、母そして兄弟とこの餃子つくりをしながら話した日々が記憶の底にしっか
りと残っています。 エネルギーの源泉のような気がします。 おもいでの詰まった食
べ物があることありがたいことです。 父、母に感謝です。27日から餃子作り開始。
娘婿殿の食欲を考えると300個つくらないと安心できません。 新たな挑戦です。
 

10月24日(月)
 この2ヶ月間に大きなできごとがあった。書籍の出版という日常とは違ったことに時間を費やしてきた。そして出版おめでとうのお言葉を頂いた。結婚おめでとう!出産おめでとう!よりは気軽なひびきに聞こえるがやはり我が人生にとっての一大事であることは間違いない。これによって自分の生活が変わるわけないが精神的に書籍としてて自分を表し残せるということでからだの中からじわじわとした喜びを感じる。この喜びも初体験だ
08月25日(木) 
昨日のニュースで海外旅行での72時間前のPCR検査陰性が日本入国の条件を解除するということだった。自分が経験したことで最悪の事例が紹介されていた。コロナ陰性で日本に帰国できない!ホントに自分はラッキーだった!あの多国籍ので混み合った所にいて陰性だった。

ホームページ24年が過ぎた。
ホームページを立ち上げた頃どんなことを「つぶやいていた」のか振り返ってみた。ああそう言えばそんなことあった!と思い出す。
「●12月31日(金)紅白歌合戦をやっている。1999年もあと2時間余りで終わろうとしている。2000年問題のその瞬間も刻々と迫っている。」

完全に忘れていたことがかすかに蘇ってくる。記録をとることで振り返ることができる。これだけで結構楽しい。
これからどこまで続けられるか!
78歳フルマラソン完走が52歳の時に掲げた大目標だ。
ランナーとしてスタートしたときこの目標は軽くクリアーできると根拠がないのに信じていた。年齢を重ねること!そんなに甘くない。今せいぜい5kmしかまともに走れない。
しかしこの大目標は下ろさない。果たしてそこまで生きていることができるのか。
この目標を掲げてのランニングの実験は我が人生をかけた実験のようになってきた。
おもしろい!
ホームページとともに25年目を目指して生きていこう!

 
07月14日(木) 
掲示板に投稿できた!海外旅行での非日常の生活からまた日常的な生活にもどった。この日常のありがたさを感じるために旅行はあるのだろうなぁ。

日本・取手より 投稿者:りょうメール 投稿日:2022年 7月14日(木)06時35分32秒
みなさんお元気ですか!
ザルツブルクより発信して1ヶ月になる。旅行は日常生活から抜け出し毎日変化のある生活だ。それだけに体全体が要するエネルギーが大きい。とりわけ一人旅、すべてが変化の連続でありハプニングにも自分で対応し乗り越えていかねばならない。今回世界中がコロナ感染が収まらず一時的に規制を緩和した状態での高齢者の海外旅行一人旅はリスクが大きかった。教え子のマラソン大会参加の報がなければまだまだ海外旅行は先だと思っていたからホントに有り難いチャンスが到来したと振り返ることができる。
海外での3回のPCR検査も陰性で無事に帰国できた。その旅を振り返るネットでの「旅」が楽しみになっている。そして次の旅への準備へと心は向かっている。あんなにヒヤヒヤしたのにもうコリゴリだとならないのはまだ「若い」と言うことだ。
 それにしても誕生日からもう2ヶ月が過ぎてしまった。
05月30日(月)
・チャンス到来か。コロナ,ウクライナへのロシア侵略戦争これが収まらないのに普通の生活にもどる動きが世界中で起き始めた。これでホントに大丈夫かという不安を残しながらも久しぶりの海外旅行の準備にワクワクしている。今までの経験をすべて生かしての質の高い充実した旅にしよう。
04月03日(日)
・まだ5kmをやっと走れるようになったぐらいでランナーとは言えないが、やはりランナーは普通じゃない。ということを病院に行って自覚させられる。この頃自分が普通の高齢者になっている、そのような心持ちにさせられる。病院へ行くことが多くなった。それに伴い薬の数も増えた。どこの待合室も満席。私のような高齢者が圧倒的だ。しかしどんなに長い待ち時間でも退屈しない。スマホ、タブレット持参で「仕事」ができるからだ。ときには夢中になって呼び出されても気がつかないときもある。人との待ち合わせも苦にならない。特にパソコンでやらなければできないこともスマホでできてしまう。待合室で最新の情報を得ることもできる。すごい時代になってきた。
 
・身体に不安があったら病院へ。当たり前のことだけれどありがたいことだ。このようになるまでに大変な年月がかかっている。人間の知恵が私たちを救っているのだ。人間らしさの一つ、当たり前に医療が受けられると言うこと。コロナそしてウクライナへのロシア侵略の戦争で医療を受けられない人たちの惨状が伝えられている。 一刻も早く戦争止めよ!

↓こんなサイトを見つけた 医療の歴史(1)全文引用した。勉強したい!
医療あれこれ: 医療の歴史アーカイブ (suehiro-iin.com)
医療あれこれ
医療の歴史 (1) 医療の始まり
2011年12月 1日
医療、つまり病気やけがの人を手当することは人類の歴史の中でいつから始まったのでしょうか。原始時代から、病気やけがで苦しんでいる人がいれば、まともな医療ができなくても、何とかその人を何とか助けたい、あるいは少しでも楽にしてあげたいと周りの人は思うでしょう。それが医療の始まりです。そうすると「医療はいつから始まったのか」という疑問は、「人間の病気はいつ頃から発生してきたのか」と同じことになります。その答えは、今から約300万年前、人類の誕生と同時だったのです。このことは多くの考古学的発掘調査でも示されています。例えば、ピテカントロプスという原始人の骨には、結核という病気が悪くなって膿を持った塊の跡が証明されています。

 旧石器時代、人間の主な死因は「自然の猛威」と「暴力的行為」でした。時代は下って新石器時代になると、人間は農耕生活を始めるようになり、集落を作って集団生活するようになりました。するとその集団のなかに疫病が流行することもたびたびあったことでしょう。人間はこのような疫病は、神々の仕業に違いないと考えるようになり、神官が「祈とう」して何とか疫病を抑えようとしました。これが今の内科の始まりです。つまり内科医の祖先は「祈とう師」ということになります。後で述べますが、外科医の祖先は刃物を使って外傷の治療をしたことから古代の「散髪屋さん」でした。おなじ医師でも内科医と外科医の祖先は違うのです。

 さて記録に残る医療ということになると、紀元前2000年ごろのメソポタミア文明の遺跡には、粘土板医書がありこれは最古の医学書といわれています。さらに紀元前1700年ごろのエジプトには古代の紙パピルスに医術の教科書と思われるものが残されています。人名として医師が登場するのは紀元前1200年、ギリシア時代のアスクレピオスです。アスクレピオスはギリシア各地にお籠もり治療をおこなう保養所を作りました。ギリシア神話では彼はどんどん病気の人を治して、最後には死んだ人まで生き返らせたため、神の怒りにふれゼウスに殺されてしまったとなっています。

アスクレピオスから少し時代が下ったギリシアに登場するのが有名なヒポクラテスです。このことは次回の医療の歴史で述べてみたいと思います。
03月23日(水)
・二つの戦争が進行している。コロナ菌との戦争がまだ終結していないのに、2月24日ロシアがウクライナ侵略。明日で1ヶ月経過する。
毎日のように戦争により殺された人の数がメディアで報じられている。昔の映像ではなく私たちが住んでいる同じような建物と、マーケット、きれいな街並みが破壊されていく。これを止められないで見ているだけがなんとも苛立たしい。そして核兵器を使うぞという脅しまでプーチンは公言した。広島、長崎を経験した日本がこのときこそ全身怒りを露わにしても抗議そして行動に立つべきではないか。なんと日本政府の姿勢にもいらいら。アメリカと足並みを揃えての無難な対応?でいいのか。日本だからできる外交があるのではないか。
。ふざけないでよ、こんなニュースまででてきた
 核兵器使用の可能性について「ロシアの存亡に関わる脅威があった場合にはありえる」と言及し、状況次第では核の使用も辞さないとのプーチン政権の姿勢を強調した。
02月14日(月)
・本日〜3月6日まで蔓延防止等重点措置が延長された。
・二つの本を併読している。「わがままだっていいじゃない」(室井摩耶子著)92歳ピアニスト「今日」を生きるという副題がついている。現在室井さんは100歳で現役ピアニストということで活躍されている。現在ピアノを始めたばかりの者にとって急傾斜の山の頂点を見上げるような驚きを感じる。とにかく70歳を過ぎると80歳90歳100歳と生きている人たちがどうしてそこまで生きているのが大変興味深い。お医者さんに行くより90歳以上で元気な方のお話しを聞いた方がよっぽどためになるのではと思う。やりたいことをやり食べたいものを食べる。これが人生の贅沢ね。から始まり何もかもゼロにして死ぬつもりという章で終わる。まさに死を見据えての毎日を楽しんで生きている。もう一つが「70歳が老化の分かれ道」(和田秀樹著)ズバズバと今日の高齢者の直面した問題に発言されている。たいした経歴の持ち主で様々な肩書きを持っているが老年精神医学の専門家で長く高齢者を診てきた知見からの自信を感じる本だ。この人の言ようにやってみるかと思わせる説得力がある。この二つの本で共通していることを見つけた。週に6日は”肉”の「肉食女子」ですと室井さん。健康のために節制して肉食を遠ざけているのであれば、そのようなことは今日から止めることをお勧めします、」日本の高齢者の食生活を見ていると、自ら進んで「しょぼくれた老人」になろうとしているように、私には思えてしまいます。と和田さん。
ちょっと考えてしまいます。

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