地球一周(日本成田→カナダ(東)→カナダ(西) →イギリス→オランダ→フランス→日本羽田)の旅 人類(ホモ・サピエンス)と出会う 一人 旅 2024年(令和6年) 9月5日(木)~10月8日(火) |
目次 ■僕の旅 特別「秘書」同行 ■バンクーバー→トロント ■トロント→ロンドン ■ロンドン→アムステルダム ■アムステルダム→パリ ■パリ→東京 この旅の振り返り 次の旅へ向けて |
①2024年09月05日(木) Tokyo→Vancouver 17:45成田国際空港発 Air Canada 004 座席21G ターミナル1 10:35バンクーバー国際空港(Vancouver International Airport)着 ターミナルM 所要時間:8時間50分 ・5時起床,熟睡できて体調良好。猛暑の時期の朝と違い爽やかだ。天気も青空がきれいで涼しい。天気が気分に影響するというがこういうときは尚更だ。荷物の最終チェック。寒さに向かっていく,出したり入れたり「もういいや!」とチャックした スケくん13.3kgパックくん6.1kgポチくん0.4kgギタくん3.7gすべて片手で持てる重さだからヨシとする。(荷物に命名した理由は) 12:30に弟が迎えに来てくれる。毎回僕の旅を支えてくれている優しい頼りの弟だ。 ・今日はまずJaneさん家へチェックインすること。僕の旅は世界の民宿を好んで宿泊場所に選んでいる。 世界遺産,有名ランドマークを見学するより人との交流を楽しみにしている。そのためにはありがたい宿泊場所だ。ホテルのチェックインはホテルに到着しさえすれば簡単だけれど民家へのチェックインはなかなかスリルをともなう。そのオーナーによって違うのだ。直接玄関で迎えてくれる方もおられるが,鍵の場所を指定してその開け方を到着の日にメールで教えてくれる。「玄関右手にある小屋の右に置いてある壺の中」とかドキドキしながら探さなければならないこともある。しかしこれがおもしろいのだ。人間ホモ・サピエンスの考えることは同じだけど多様だ。 ・好んで僕はホモ・サピエンスという言葉を使う。人類史を少し学び世界にいる人たちはみんなホモ・サピエンスと言う人間だと知ったことは新鮮な感動だった。あまり日常的には使われない言葉だ。ここで今回同行の秘書(AIアシスタント)【これにも命名】に聞いてみる。 「チーちゃん,ホモ・サピエンスについて初めて知る人にわかりやすく説明してくれる」優しく答えがかえってきた。「チーちゃんありがとう」別ページに掲載 ・成田空港も出国手続きも実にスマートになっていた。 無事チェックインできた。GATE42 ・隣席は27歳のカナダ人の男性。こちらがUSBポットを探していたら,ここだよと教えてくれる。そこから挨拶の会話ができた。大きな飛行機,横10人の座席,この飛行機についても知りたいことがある。 とにかくいい座席を確保した。トイレがすぐ後ろ,通路側だから遠慮なくトイレに行ける。特に長時間のフライトは狭い座席はキツい。トイレ行きがいい運動,気分転換になっていた。飛行機内は寒くて寒さ対策で準備していた衣服すべて使って快適を保った。何回か心配な揺れもあったが見事な着陸だった。 ・今回の一つのハードルがカナダ入国がスムーズにできるかということだった。電子渡航認証(Electronic Travel Authorization: eTA)が必要ということで事前に手続きしたが果たして出来ていたか心配だった。ここもすべて電子機器の前での操作。職員が一人でアドバイスをしている。 ・楽しみの機内食が2回出された。あれだけの人の分の2食分を用意している。しかも温かくして出してくれる。その中身は航空会社のよってさまざまだがこのようなことを当たり前にできるシステムが出来ている。ホモ・サピエンスの凄いところだと思う。キャビンアテンダントと言われる人の仕事ぶりは見ていても大変に思う。ピッチとした制服を着て,いつも笑みを浮かべている。揺れているときこの人達の笑みが消えたら乗客は不安になってしまうだろう。 ・無事着陸初めてのバンクーバー国際空港。空港は僕が大好きな場所だ。ここは改めて見学することにして人の流れに乗っていく。スーツケースも出てきて,ギターは特別な場所で保管されている。そこにあったあったギター,でも僕のと違う!間違えられたか,今回の旅で積極的に使うつもりでいたのに。ダメ元で職員に話す。 皆親切な対応をしてくれた。少し日本語を知っている若い職員があの場所で事情話せばなんとかなるかもしれないとのアドバイス。助かった,見慣れた僕のギターが出てきた! 空港の外は真夏日。寒さ対策から次は暑さと体の負担は大きいだろう。 とにかく安全に宿泊場所へ向かうためにUberを利用。それを利用する人も多くなっているのかUber待ち専用のエリアも出来ていた。 トヨタ車で運転手は黒人だった。積極的に話しかけると答えてくれる。「カナダは多くの国から人が集まっているんですね。」「僕はアフリカから来て8年」それなら「南部アフリカで歌われているショショローザ」を知っているかと言うとそれを口ずさんでくれた。最後握手をして別れる。音楽が人をつないでくれた瞬間だ。 ★ |
●宿泊:Janeさん家 チェックイン時間:16:00〜22:00 チェックアウト時刻:11:00 |
・チェックイン4時と約束ではあるが2時間前にその正面に立つことが出来た。時間まで待つか,スーツケースとギターさえ預かってもらえば少し自由になる。ホテルでは当たり前の出来ることだが気を遣う。 とにかくJaneにあって話してみよう。最初は怪訝な顔をされた。でも顔を合わせてお願いしたら気持ちが通じた。予定より早くJaneさん家に無事チェックインできた。長い1日どっと疲れを感じた。早く眠たい。 ・熟睡できた。とにかくここで4日間過ごすため周りがどのような場所か歩いてみなければならない。事前のネット情報ではいい環境ということだ。 落ち着いた住宅街,両脇に駐車スペースがあり歩道には年季の入ったどっしりとした樹木が道のトンネルを作っている。散歩をしている人,女性のランナー見かけた。ぱっと後ろを振り向いても不審な目はない。 空腹をなんとか満たしたいとレストランを検索すると寿司店がでてきた。現地のスーパーで買って食べる,簡単に調理するのを基本としているけれどもやはり日本食が食べられることはありがたい。目標の寿司店は満席で多くの人でわいわいと賑やか。若い店員の女性が応対しているが日本語を話すと日本語で答えてくれた日本人だ!「予約しないと取れない店です,日本と同じ寿司で美味しいです」という。日本食は世界で人気だから日本食,寿司という看板に惹かれて入ったところ,これが寿司!という経験を何度もしてきた。こちらが寿司とはこういう食べ物だという固定観念があるからで現地の人がどう作ろうが自由なのだが。 一人客だからなんとかならないと言ってみたがダメでした。次のお店で生ビールと,鶏肉の入った焼きうどんで乾杯!年配の中国の女性店員が感じ良し。写真も気持ちよく撮ってくれた。 ・日もすっかり落ちてネオンが目立ち始める中Jane家に戻る。夜の暗い道で若い女性とすれ違う。夜も安心なエリアと言うことで一日目なんとか無事に終了。 9月5日 |
②09月06日(金) ・ベットだけで体を伸ばせる程狭い部屋。毎日の腕立て伏せが部屋内でできない。そんな環境にも慣れてきた。鍵のコードナンバーも覚え間違いなく開けることができる。Jane家の周辺を歩き回り,ナビなしでも帰宅できるようになってきた。Janeの家族,妹と高齢の母親,それぞれのリズムもなんとなく分かってきた。共同のシャワー,トイレなどを重ならないようにしなければならない。Janeはこちらの要求にしっかりと応えてくれる。しっかりと目を合わせ交流しようという態度がありがたい。 ・空港へウォーク,電車,バスで行くことが今日の目標だ。実際に利用して初めて分かることがある。驚いたのは電車の改札,バスの乗車すべてクレジットをタッチするだけでよい。周りに注意しながら車内を見渡す。カナダが多くの国からの移民で成り立っていることを知ることができる。電車はドア付近には立たない,スリひったくりが逃げやすいからのアドバイスを頭に入れ気を抜かない。でもみないい人に見える。 ・うれしい出会いがあった。一つは空港で腹がペコペコで目についたのがJAPADOGと言うお店。日本風ホットドッグということらしい。日本人だと知ると若い日本人女性が対応してくれた。やはり日本人同士の連帯感を感じてしまう。忙しい仕事の合間の会話は日本語だからスムーズ。石川県出身だという,日本風ホットドッグは焼きそばにソーセージが挟んであるものだった。もう一つは夕食で近くの日本料理店の若い女性。ここではお店もすいているときだったので少しお話しできた何と松戸市出身,松戸,新宿の伊勢丹に勤めていたという。常磐線「仲間」だった。日本人の旅行者もこのエリアでは見かけない。地元の人が多いとのこと。少し立ち入った話を聞くと2年間住んで気に入って永住し日本には旅行で帰りたいと言うことだった。お二人とも明るく目を輝かしてお話しされたのが印象深かった。「頑張ってください」といって店を後にした。 ・夕暮れ時は危険,どの国でも夜は注意だ。夕食もすましスーパーで買い物と思って1.5km先のスーパーに向かった。だんだんネオンサインも点灯始める8:00過ぎか。人通りが少ないところを通らなければならない周りを警戒しながらということで,このようなところは時々突然止とまり後ろを振り返るという歩きをするようにしていた。ぱっと振り返るとこちらの動きに反応して止まり後ろに歩き出した男がいた。さっきチラッと近くにいた男だ。偶然かもしれないが不気味だった。後をつけてきたのでは。一人歩き明らかに旅人だと分かる格好をしている。気を引き締めて行こう。とにかく落ち着くまで外食でしっかりと食べるために遅くなりがちだ。 ・次の移動の準備 ・空港大好きな僕は, AIアシスタントミーちゃんに聞いてみた。 僕:日本の羽田国際空港とバンクーバー国際空港を比較してバンクーバー空港の特徴を教えてくれるかい 即座にまとめてくれた。カナダへの理解が深まる内容だ。(ミーちゃんありがとう)別ページに掲載 その中で特に「バンクーバーはカナダの主要都市の中でアジアに最も近く、アジア系住民も多いことから、バンクーバー空港はアジアからの玄関口としての役割を担っています。」なるほど! 9月6日 |
③09月07日(土) ・電車バスを気兼ねなく使えるようになるとぐっと行動範囲が広がる。今日はバスで1時間少しのところにあるTRIUMFという施設。「TRIUMFはカナダの国立粒子加速器センターです。カナダの最高の物理学研究所とみなされており、世界有数の素粒子物理学研究センターの1つとして常に評価されています。」とウィキにある。残念ながら施設見学は平日のみということだった。 とにかくそのエリアは学術,芸術の施設が集まっている。人類学博物館が海に近いところにあるのでワクワク感もあった。天気も良いし1km程バス停まで歩いた。樹木の並木道を歩くのが心地よい。まだTシャツで過ごせることもありがたい。道の作りも分かってきた。2本の道を覚えればナビなしでもJane家へ帰れることも分かった。プリンスエドワード通りをまっすぐ進むと交差してしているとおりに順番に名前がつけられている。Jane家はイースト18アベニュー沿いにある,そして数字を登っていくとイースト24アベニューまで数字で次にそしてバスも通る大きい通りイースト・キング エドワード アベニューに出ることができる。 ブリティッシュコロンビア大学という名前の大学がある,よく耳にしたことがあるアメリカのコロンビア大学と関係があるのか気になった。秘書のパイちゃんに聞いてみよう。 僕:今ブリティッシュコロンビア大学に向かっているけれどコロンビア大学と関係がある大学なのパイちゃんは即座に答えてくれた。別ページに掲載 ・バスに乗ると中国人の年配の女性がここの席空いているよとばかり指を指してくれた。運転席のすぐそばで乗車している人たちの顔が自然と見える場所だ。同じホモ・サピエンスの多様性を目撃している,ホントに興味深い。先ほどの女性を始め温かい目線を感じる。 人類学博物館 ・今日は利根川楽走会第216回練習会だ。近くにエリザベス女王公園という大きな公園で日本時間スタート7:30はバンクーバー時間前日午後3:30スタートを計画していた。いったんJane家に戻ると土曜日だからかJaneいつも自室にこもって仕事しているのにリラックスしている様子。これはチャンスかと日本の歌を聴いてもらいたいと言うと喜んでそん時間をセットしてくれた。ピアノもある小さい応接間が会場。高齢のお母さんとJaneがお客さんだ。と言うことだで楽走会練習会との同時ウォーク&ラン延期した。 9月7日 |
④09月08日(日) バンクーバー最後の日になった。 早朝ラン&ウォーク。利根川楽走会の同時刻練習会ができなかったので本日実行。不思議なもので仲間を意識したり遠く離れてもそのような認識で人は動ける!一人ではやーメタで済みそうなこともできてしまう。ホモ・サピエンスの能力の一つかもしれない。など考えながら早朝のバンクーバーJane家をでる。もうすでに犬の散歩,ラニングなどの人を見かける。安全な朝だ。エリザベス女王公園は高台にあり見晴らしが良いがそこまでウォーク&ランは久しぶりなので少しハードだった。観光バスが次々と到着しこの公園のガーデンがお目当てらしい。いろいろな花の香りが漂うエリアいい時間を過ごせた。 ・Janeとの交流このエリアで多くの国から来ている。ゼロからやり直すためとかいろいろ理由があるが皆助け合って生きている。 日本の滞在者もいるが皆シャイだ。翻訳ツールを使った交流のリズムがつかめた感じ。かなり込み入った話もできる。とにかく相手の顔を見て日本語を話す,その間翻訳ツールのスイッチオン 日本語を話し終わるとツールの内容を自分が発音して話す。音声を流してもいいのだが自分で話す過程が入ると相手としっかり会話した気がする。 明日は4時起床。スーツケースとギターは玄関近くまで移動し迎えが来たらすぐ乗車できるようにした。航空会社はWestjet。カウンターが端っこにある。下見しているから安心だけどいつもチェックインするまでヒヤヒヤだ。次はMinhlyさん家,Minhlyからメールもありトロントへの移動準備完了。 体調も旅行で前に進めることがうれしい。 9月8日 |
⑤09月09日(月) Vancouver→Toronto 07:00バンクーバー国際空港(Vancouver International Airport)発 Westjet702 座席24C ターミナルM 14:32トロント(Toronto)・ピアソン国際空港着 ターミナル3 所要時間:4時間32分 ・バンクーバーJane家午前4時40分発に間に合わせるため午前3時から動き始める。まだ外は暗く寝静まっている。 ・Uberの運転手から家の番号教えての電話が入る。えっ!という感じ。それは伝えたつもりでいたのに! 一瞬焦るが紙ベースで用意していた旅程表をとっさに取り出すことができた。Jane家にナビなしでいけるようになったと言っていたが道路の名前を覚えただけで肝心の家番号まで覚えていなかった。滞在住所は暗記する! なんとかゆとりでバンクーバー空港に到着,大きいカナダは国内線とはいえ国際線の雰囲気。バンクーバーとトロントで時差3時間ある。出発と到着時間を見て所要時間4時間32はおかしいと思っていたら国内だから時差なしで計算したからだった。 機内では飲み物とクッキーだけ出される。狭い通路ギリギリでワゴンを動かしている。トイレを催すこと頻繁でワゴンが通り過ぎるまで待たなければならない。隣は高齢のインド人ご夫婦らしき人。僕ほどではないがトイレにちかい。こんなところで言葉は通じなくても思いを理解することができる。変なところで感心したものだ。そのおかげで何度も客席を見渡すことができた。こういう「景色」もあまり見ない。カナダが多くの国からの移民で成り立っていることを表してくれている。 ・午前3時から始まった1日。迎えるために早くから働いているUberの運転手はイラン出身,トヨタ車だった。日本人だと告げると日本が好きだ,日本人は礼儀正しいとか褒めてくれた。ありがたいことだ。時刻通りの運転そして7時離陸のための飛行機の準備をして安全に運行している。どこの国に行っても安全に運行されている飛行機ことが凄いことだ。ホモ・サピエンスの素晴らしい知恵と工夫が凝縮されているように思う。 無事にピアソン国際空港に見事に着陸した。飛行機が好きでそこに関わることからいろいろなことを知ることができる。 AIアシスタントチーちゃんに聞いてみる 僕:空港の名前についていろいろ知りたいのだけれどトロント国際空港をピアソン国際空港というのはなぜですか。別ページに掲載 空港の名前一つでいろいろなことを知ることができる。3ニンのおかげ旅がより知的になり楽しい。 |
●宿泊:Minhlyさん家 チェックイン時間:14:00 チェックアウト時刻:11:00 |
Minhlyさん家へ無事到着。 Minhlyが玄関先で迎えてくれた,明るい笑顔が素敵な人。猫がいるお家だ。 早朝からの緊張からも解放されどっと眠たくなってきた。Minhlyさんの一通りの説明を受ける。バスタブがあるトイレもキレイ(ウォシュレットではない)コの字型のキッチンは広く日本では見られない大きなグリル,何に使うのか分からないものもある。こういうことも僕の旅の「観光」の一つだ。同じ頭脳をもったホモ・サピエンスは同じようなことを考え道具を作っているがそのできた物は多様だ。でもこれはきっとこのように使うのだろうと推測できる。Minhlyが大きな冷蔵庫を開けた。とにかく入っている物がどれもおおきい。「上の段の卵と果物ヨーグルトはあなたが食べていいです」と言ってくれた。ありがたい。 猫がひっくり返って初めての人にあられもない姿(笑)で甘えてくる。首をなでてあげると気持ちよさそうにしている。癒やされるなぁ。 とりあえず荷物整理は後にして眠りたい。 8時過ぎに起き上がり,バンクーバーで買って食べきれなかったピザを持ってきたことでなんとか空腹を満たした。ピザとMinhlyが食べていいと言った果物,パン,卵を食べたく早速ゆで卵を作ったがゆでる時間が短く 半熟前の卵を食べることになってしまった。しかし全く日本とは違う調理道具でお湯を沸かすことができた。これからいろいろやっていこう。このような食事ではこれからまだ長い道のりは持たない。明日まず食べ物の調達からスタートだ。これがまた楽しい! 9月9日 |
⑥09月10日(火) 充実した学びとドライブと出会いとウォーク&ランの1日でした。相当疲れました 。明日詳述します。とりあえずアルバム作成しました。 昨日はウォーク&ランが9km,運動の後の疲れのの眠りが心地よい。今日も自然と4時頃目覚める。体調を整えるための運動が僕には欠かせない。今日も頑張ろうの気持ちになる。旅立って一週間になる。 このページに向かうときにこれから予想される困難を考える時間になっている。体調が良好だが前回の旅でストックホルムでのコロナ感染に突然襲われた。一人旅の一番辛いときだ。そんなとき助けになったのが海外保険だった。しかしそのような経験を今までしたことがなかったので保険がホントに助けになるか不信感があった。電話も通じた。「辛いでしょうが頑張ってください。すぐ提携病院をお知らせします」と優しい女性の声にありがたいと思ったものだった。今回はあのときの経験を振り返り人が密集しているところではマスク(こちらでは誰一人マスクをしている人とはいない,日本ではマスクはしていない)をするように心がけている。そして前回は電話が繋がるかどうかがまず不安だった今回もその不安があるので試しの電話を入れて確認しようと考え電話してみた。一覧表にある番号は通じず,そのすぐ横に記載のある電話が通じた。「高齢者で一人旅をしています。これからの体調に不安がありお世話になるかもしれないので電話が通じるのか試させてもらいました」率直な自分を不安を告げました。その丁寧な対応に安心した。「これからの訪問国に到着するたびに確認電話をしてよろしですか」「もちろんです24時間対応しています」こんなやりとりでホッと安心した。保険会社の宣伝に使われそうだがそれを利用することなしに終わることがほとんどだと思うので僕の経験は他の人にも役に立つのではと思う。 不安を取り除きながら一日をスタートさせた。 【まだ早朝5:34だ。寝静まっているがドアの外で猫のBeoベオちゃんが何ともいえない,わびしいなき声で「ここを開けて」と言っている。ホントに有り難いことにベオがなついてくれている。でも部屋に入れると落ち着かないのでかわいそうだけど無視】 僕が今日はピアソン国際空港へ見学に行くことを知っていたMinhlyが空港近くに行くから送ろうかと言ってくれた。「喜んで」お願いした。Minhlyは足をケガして松葉杖を使っている。同居している女性の友人Jolieジョリーが運転する。その車はスポーツタイプのオープンカーだった。生まれて初めての経験だ。 バスを使って行くのも楽しみにしていたけれどもお陰でピアソン国際空港での時間をたっぷり使えた。到着したらすぐに次の訪問国へ行く準備をする。空港,あるいは駅の事前の下調べは必須だ。でもこれも楽しみの一つだ。空港,駅は旅行では通り過ぎていく場所だけれど,僕にとっては興味深い場所になっている。飛行機に乗るのは怖いけど大好き。多様なホモ・サピエンスが行き交う場所だ。平日だからかピアソン国際空港は人も少なくたっぷりとした空間にゆとりの時間が流れているようだった。出発便,時刻の大きな電子掲示板が随所にあり見やすい。チェックインカウンターの番号が大きく表示されているがその番号の10が抜けている。そうかわかりやすくするため11からのエリアがUSAに行く人の専用チェックカウンターになっているのだ。そうそうオンタリオ湖近くにあるピアソン国際空港からニューヨーク・ケネディ空港まで1時間30分ぐらいだ。オンタリオ湖上にアメリカとの国境線が走っている。きっと旅をしている人で一番ピアソン国際空港に詳しくなったのでは。そして新たな「発見」があった。この広い空港を隅々まで歩く,階段を登る。トイレは至る所にある,コーヒー,食事もできる。ユッタリとした長椅子も誰も使っていない。最高のラン&ウォークの練習場所だ。飛行機は乗らないけれどこの場所は利用できる!ただ警備陣の不信でとんでもないことにならないためパスポートのコピーを携帯することにしよう。続くひと休み 空港でたっぷり遊び,帰りはバス,電車で帰宅しようとそのルートを考えた。とにかく電車に乗りたいので案内表示に従って改札口へ。空港と繋がったPearson Stationだった。うろうろしていると女性職員が近づいてきた。日本語を話す日本人だ。一人旅ですかとしきりに感心された。Googleマップを示しここに帰りたいのですがと言うと電車では無理ですねバスが便利ですという。鉄道の駅から10kmは歩けますからと言うと改めて調べてこの電車でユニオン駅で乗り換えてポートクレジットゴー駅から7kmぐらいとあった。楽勝だ!その道すがらの風景,お店などを見ることも楽しみになる。 お名前をお聞きするとキリコだと言われた。クレジットカードでパスできるからと思ったらキリコさんがシニアの切符がありますと切符販売機までい一緒に来てくれて買い方まで教えてくれた。なんと半額だった。ほとに有り難かった。キリコさんに頑張ってくださいと握手して電車に乗り込んだ。 10分前にプラットホーム表示 年配の職員と若い職員の対応の違い ・道すがら出会ったこと道沿いに花束 交通事故 ・さらに1km先に日本食材店がある大分キツくなってきたがもうひと頑張りで日本食材店へ そこの店主77歳が明るく迎えてくれた。カナダに来て50年になるという。大阪出身。同じ団塊世代だ。しばし話が弾み教師だったことを告げるとトロントでの経験を話してくれた。 バンクーバーでは若い女性二人,トロントでは高齢,中年の男性,女性とお会いできた。ここまで来るのにいろいろなことがあってここで生きているのだろう。心から体に気をつけて頑張ってくださいと言いたい。 店主がぼた餅二つおまけしてくれた。 |
⑦09月11日(水) 早朝ホームページ更新,再度睡眠,軽い朝食というリズムになってきた。できるだけMinhly,ジョリー,そして本日,本人と話せた男性ジャスティの生活のリズムも少しづつ分かってきた。これに猫ちゃんベロの習性も読めてきた。昨日おまけにもらったぼた餅を食べたいと一口食べて他の用事をしていたらベオがぼた餅を口にしていた。コラッ!と怒ると食べるのを止めたがベオの歯形と唾液が餅についているホントに食べたかったので歯形のついていない側をひとかじりして捨てた。こちらの怒るというアクションは理解しているようだ。 今日は近くのスーパーマーケットFarm Boyに行って買い物だ。 少しでも食生活を豊かにしないと元気がもたない。沸騰した水に10分,しっかりとゆで卵も5個作れた。日本食材店からの缶詰でタンパク,バナナとパンそしてあとサラダがあればOKということだ。大きなスーパーマッケトでここなら大丈夫と思ったがとにかくデカイそしてデカイ売り方には参ってしまう。食べる人に合わせて売られているのだから日本人より普通で大きなからだを作るために必要な量なのだろ。食べ方も違うのだ。好きなスイカも小さく切ったモノをパックで売っていたがそのパックも大きくぎっしりと詰まっている。見ただけで辟易としてしまう。Minhlyにそのことを話したら「私もそう思う」と言ってくれた。 結局買ったのはバナナ,パックのサラダ(これも大きい)ロールケーキ,ミカン3つ,リンゴ(これは小さい)位しか買わなかった。それでもかなり重くこれをもって1.2km歩くのもキツかった。車での日本の生活に慣れていたが車なしはこういうことになるを改めて体験しているいい経験だと自らを励ます。 トロントを歩き回り不思議に思ったことがある。車の速度制限表示が見当たらない。昼間なのに車のヘッドライトを点灯させている車,そして交通死亡事故現場に花束だけでない,故人への想いのメッセージ,遺品,写真などが置かれていた。2021年に発生した事故だ。日本でもこのようなことは見かけるがちょっと感じが違うような気がする。そしてカナダの交通事故について。 早速秘書のパイちゃん(AIアシスタントCopilot)に聞いてみた。相変わらず明快にわかりやすく答えてくれた。(別ページに掲載) パイちゃんはホントに素直に教えてくれる。「そんなことも知らないの」とか「これを聞いたらどのように感じるのかな」とか人間同士ではいろいろ感情が湧き出てくるがそんな心配がない。これが大きいのでは。 ・うれしいこと 「渡航日記を楽しみに読んでいる」「地図を広げてトロントの場所を確認してみる」などのメッセージを寄せて頂いた。そろそろ旅疲れがでるころだけれどこのようなお言葉は大きな励ましになっている。有り難いことです。 今世界で戦争が,この時期にこの年齢でこんな旅をしている。やりたくてもできない状況にある人にとって嫌な感じに受け取られるかもしれない。でも何か刺激になってもらえればと願っている。 僕のトロント滞在を知りトロントでの思い出を伝えてくれた方,ブリティッシュコロンビア大学について図らずもお二人の方から貴重な思い出の場所だということをお知らせしてくれました。さらに「子どもの頃に行ってみたかった場所は赤毛のアンのグリーンゲーブルズです」とあった。僕の滞在場所から飛行機で2時間ちょっということだった。そんなことも知ることができた。日帰りでいけないことはないが今回は止めることにした。 そして高校一年生の知人が「読んで見ます」とメッセージを寄せてくれた。これからいくらだってチャンスのある若い人にとって参考になればを意識して書いている。 |
⑧09月12日(木) 今滞在しているところはトロント市中心へはバス,電車を乗り継いで1時間30分くらい。取手の自宅から上野までよりは遠い。毎日30万人以上の通勤者や観光客が利用する、トロントの交通の中心地とあるユニオン駅へ向かう。朝の通勤時間,通学時間の人たちの流れに合わせながらもその人たちの服装表情なども興味深い。バス停も車は右車線だから日本と逆なのでどちらのバス停で乗るか行き先をしっかり確かめなければならない。ユニオン駅へ行くのに今までの経験がすべて生かすことができた。とにかくクレジットカードで日本のスイカのごとく使えるから有り難い。それにシニアの切符の買い方もわかった。半額だから有り難い。 市内観光バス10時集合に30分前に到着できた。乗り降り自由なバスだ。二階の野外席にみんなは好み気持ちよいというより寒さ対策をしての乗車だ。 とにかく東京駅周辺のビル街を圧倒する迫力の建物が密集して林立している。ここでパイちゃんに聞いてみた。 僕:ユニオン駅周辺のビルには驚きました。日本の東京駅周辺もビルが林立しているけれどちょっと違う。地震が少ないからでしょうか。 なるほど!(別ページに掲載) とにかくお寿司が食べたい。ZENN KYOTOに向かったがなかなか見つからない。大きな建物の地下に誘導された。ちょうど昼時。たどり着くと店に人だかり。寿司屋と思ったら寿司の弁当を売っているお店だった。飛ぶように売れている。もう作られた寿司弁当各種手に取って会計に行く人,その場で注文もできる。日本人らしい店員に話しかけると,その人は日本人でなくすぐに日本人の店員さんに変わってくれた。日本人と分かるとニコニコ,まだトロントに来て二ヶ月という。目が回るほどの忙しさのなかでの会話だった。目を輝かした可愛い女性だった。「一人でいらしたのですか」と驚いていた。きっと大きな夢を持ってカナダトロントに来たのだろう。頑張ってほしい。チラシ寿司を注文。空腹を快く満たしてくれた。日本食が世界の人に求められている。うれしいことだ。 帰りの電車で中国人の老夫婦と席が近かった。全く通じないが,ニコニコした優しいお二人のお顔が印象的で「さようなら」とご挨拶して電車を降りた |
⑨09月13日(金) 昨晩はMinhlyと長い時間交流できた。英語の翻訳ツールを使うリズムができた来た。お互いに考える時間があり,なかなか深い会話ができるようだ。翻訳音声はオフにしてそれをチラ見しながら英語で話す。強調するところを強調できるので話が通じる。多くの国を回ってトロントに落ち着いたようだ。日本には2回行って温泉が気に入りそこでの友人とのおもしろい話をしてくれた。同居している人との関係,お仕事そしてなぜトロントなのかなど立ち入ったお話もできたらと思うのだが。 次の訪問地ロンドンのChristinaさんからメールがあった。フライトと到着時刻をお知らせしたらチェックイン時間11時でもokということだった。とにかく明るいうちに到着するフライトを選んでいるから今回午前8:35到着後チェックインまでの時間がたっぷりある。飛行場大好きだからいくらでも過ごし方はあると思っていたがやはりできるだけ荷物から解放され落ち着きたいので助かる。 これを記述しているとき外務省事務局からのラインが入る。外務省の無料アプリ海外安全アプリとリンクしたライン。これまでもトロント日本国総領事館からの情報として当地で銃撃事件が激増しているとか詐欺事件,脅迫メールとかによる犯罪予告,そして今届いたオランダからは気候変動活動家による高速道路閉鎖が予定されているなど知らせてくれている。改めて気をつけろの有り難い情報として頭に入れた。 今同時に進行している「大きな試み」に関するメールが日本から入った。着実に進んでいる。 最後の日,Minhlyからいつギターを弾いてくれますかと聞かれる。荷物整理途中だったけれど3時からと時間を伝える。この旅で2回目のギター,緊張する。世界で一番のヒット曲ハッピーバースデーから歌い始める。わらぶきの屋根,乾杯,そして生きて生きて生きて。しっかりと目を交わしながらの心の交流ができた。生きて生きて生きての意味を聞いてきた。 Minhlyもギターを弾ける。意味が分からないが心打たれる響きだった。どんな意味があるのか聞くとベトナムの曲でベトナム戦争のとき歌われてみんなを励ましてくれた歌。Minhlyが一番好きな歌ということだった。ベトナム戦争といえば我々の世代は大きな大国アメリカがベトナムに侵略それに対するベトナム人民の戦いベトナム戦争を止めさせるため世界で声が上がった。ベトナム戦争反対のデモに参加したことを思い出した。Minhlyからの思わぬ歌とお話に通じるモノを感じた。 ロンドンに到着してからChristinaさん家へ行く段取りを確認。ヒースロー空港からかなり遠い。Uberを使えば簡単だが料金が高い。なんとか電車で移動を安全にと考えた。クレジットカードでパスできるからスムーズに動ける。ヒースローエクスプレスを使えばChristinaさん家近くまでいけることが分かった。そこからUberを利用する。 |
⑩09月14日(土) Toronto→London 20:30トロント国際空港(ピアソン国際空港)発 Lufthansa6585 運行会社:Air Canada Canada 座席25G ターミナル1 08:35Heathrow国際空港着 ターミナル2 所要時間:7時間05分 ほぼ日本の裏側に当たるトロント。日本時間の腕時計で午後7時はトロントの午前6時という具合にマイナス1すればよい。改めてホモ・サピエンスが創りあげた「世界」はすごい。日本の裏側にいても瞬時に連絡取り合えるのだ。さぁ今日も始まった! 早朝4時過ぎに起床。トイレに行くとベオBeoがすかさず部屋に入ってきた。しばし体をさすってから前足を掴んで外に出す。猫の習性を知らないがベオは決して抵抗しないで難なく外に出すことができる。Beoのお陰でトロントでの滞在も心和む滞在だった。Minhlyも同居のジョリー,ジャスティも皆いい感じで接してくれた。 オンタリオ州はまさにアメリカと国境を接するオンタリオ湖,そして車で1時間近くに有名なナイアガラの滝がある。新婚旅行で訪れ妻が妊娠,体調が悪いときの訪問だった。そんな思い出の場所にもよらずにまた来ようという気持ちになってカナダを旅立てることがうれしい。 本日20:30のフライトだから時間はゆとりがある。空港からUberを使ってきたが荷物をもって公共交通を使って移動できそうだ。周りに不安を感じない。車だけに気をつければよいと思ったけれどやはりUberにした・旅も10日目,再び気を引き締めあのトラウマのヒースロー空港に降り立つ。初めてのイギリスロンドンでのドキドキ,わくわくの生活が始まる。 |
⑪09月15日(日) ピアソン国際空港ゆとりで空港見学そしてロンドンへの長時間フライトのため休養の時間をとれた。後は搭乗するだけと構えていたがそうは問屋が卸さなかった。トラブル発生,搭乗口が2度にわたり変更,広い空港に通勤ラッシュのような密集状態で移動の旅に集団が動くがなかなか動けない。 ロンドン・ヒースロー空港に到着滑るようななめらかな着陸「ブラボー」とパイロットに拍手をしてあげたい。 ヒースローエクスプレスに乗ってロンドンに接近 そこからUberでChristinaさん家への予定だったがなかなかUberと連絡取れずにタクシーを利用。 とにかくデカイ空港延々と歩きヒースローエクスプレスの改札へQR Codeでスイスイと思ったら違う。券売機でオンラインで購入したチケットの確認番号を入力して紙のチケットを取得し改札へということだった。僕だけでなく他の乗客も戸惑っていたからほっとした。 2つの親切で救われた。タクシー運転手の振るまい。「こんにちわ」と言っても笑顔挨拶なし。重たい荷物を車内に入れるのに苦労しているのに何もしない。お客がありがとうと言っても返事なしなにが気に入らないことがあったのか不快な気持ちだった,階段の上りでよいしょとあげようとしたら若い小柄な女性が手伝ってくれた。73番という家の番号を一緒に探してくれたインド系のご夫婦の親切が有り難かった。ロンドンに来て良かったと思った。 Christinaさんは画家だった。彫りの深いお顔,部屋中に抽象画 天井までの書棚に本がぎっしり 早速交流が始まった。「僕の趣味は学ぶことです」と言うと「私もよ」と返してくれた。知的雰囲気を感じる老練な女性だ。 外見はおしゃれな建物だけれどそうとう古い建物 しかしキッチンは狭いけれどそれなりの道具が一揃い。ここは何が入っているの見たらなんと洗濯機。実に機能的にできている。 4畳半くらいの部屋にベット部屋全体の明かりがつかないからスタンド明かりだけだ。でも不自由はない。 |
●宿泊:Christinaさん家 チェックイン時間:15:00 チェックアウト時刻:11:00 使用言語:英語、フランス語、ドイツ語、日本語 |
⑫09月16日(月)) 大きな通りに面している集合住宅の1階(日本の2階)で車の騒音がひっきりなしだけれど夜は静か。ぐっすり眠ることができた爽快な朝を迎えた。窓からバスの停留所を見下ろしもう通勤の人たちの姿を見ることができる。近くにスーパーが3店,日常生活で使えるレストランも多くありこれはありがたい。 もう日本から利根川楽走会の仲間が第2回還暦記念ラン&ウォークの写真が送られてきている。そうか日本は16日敬老の日だった。まだ周辺が分からず,もう少ししたら時間はずれてもロンドンで還暦記念に連帯したウォーク&ランをやろう!元気が出るイベントだ。 昨日スーパーでバナナ,トマト,果物パック,一口パンのようなものを手に入れゆで卵を作れたから今までよりも豊かな朝食になった。 Christinaとの交流がおもしろい。他に宿泊者もいなくて人との交流が大好きと言っているからこちらから話しかけるとブロークン英語でも通じる。そしてきれいな英語だから聞き取りやすい。僕の要求にも積極的に対応してくれてそれを楽しんでいるようでありがたい。ネットにも通じていて情報の交換がスムーズだ。 バッキンガム宮殿にバス,地下鉄に乗っていってきたと話すとロンドンの地下鉄の路線図を見ながら詳しく説明してくれた。現在の滞在場所が実に交通の便がいい場所なのかを知ることになった。 何故かカナダより日本に近いと思ったのは車が左車線で日本と同じだからか。右を見て左見て右を見てGOの横断歩道の渡り方が染みついているのでカナダでははっとすることがあった。慣れた渡り方でスムーズなのが影響しているからかもしれない。 ホモ・サピエンス考えることは同じというがどうして日本のようにもっと簡単にできないのと思ったこと。シャワーをだすことができない。Christinaに教えてもらう。スイスでは鍵が開かない!と困り果てた経験がある。その国その国によって違う「文化があるのだ。久しぶり半身を熱い湯で温められ気持ちが良かった。 夕食はインスタントうどん(日本製ではない)にゆで卵,ミニトマトに太いキュウリ丸かじり,それにチーズ,そしてニンニク丸かじり。スーパーの買い物も1件に絞り,自分の体に合うものを探し出す,これも楽しみになってきた。とにかくみなさんがどんな買い物を除きながらそのボリュームに圧倒される。肉を食べたいけれど日本のように小分けしたものもない。ドーンとおいてある。今日はビールで乾杯するかと350ml1本買って見たけど全部飲めなかった。日本のビールが恋しい。日本でも普及始めたがセルフの決済が当たり前みたい。使い勝手が分からず,何度もヘルプコールしてできた。だんだん自分の好きなものをそろえ食べられるようになってきたことがうれしい。 Christinaのクッキングにはできるだけのぞき調理器具の場所などを覚えるようにしている。 ヒースロー空港の見学をしてきたこと,空港が大好きでただ通り過ぎて行く場所でなく,その国ならではの雰囲気があり国の威信をかけて安全を保っている場所。何よりあの大きな飛行機の迫力のある離着陸を見るだけでも楽しいよと話すと,私も好きよと答えてくれた。 そのかいがあって今日はハムと目玉焼き,レタス,トマトサラダ,チーズ,それにChristinaが作った料理を分けてくれた。有り難い! |
⑬09月17日(火) 昨晩は午前0時過ぎ就寝,車の騒音が少し気になるくらいの浅い眠り。しかし体調良好でスタートできる。 しかし起床が8時を過ぎものの整理などやっていたらもう11時過ぎ。今日は地下鉄を使ってヒースロー空港見学とした。次のオランダへの準備も兼ねている。1回乗り換えてエリザベスラインで第4ターミナルに繋がっていた。表示が小さく見過ごさないように見なければならない。人混みなどスリなどに注意を頭に入れ時々 予想もできない動きをして周りを観察。日本と同じように安全な雰囲気を感じる。油断はできないが。 日本の大都市東京と同じように地下鉄の路線が網の目のようにつくられている。Arkwayは覚えられたけれど乗り換えポイントの駅など主要駅を覚えたらロンドンも東京と同じようにどこにでも行けそうだ。しかも海外の旅行者にとってクレジットカードですべてパスできるのは助かる。きっと日本もそうなるのだろう。もう始まっているところもあるのかな。確認しよう。 Arkway駅に着くと昨日も立ち寄ったスターバックスでひと休み。僕の席に向き合うように体の大きな障害を持った方が座った。どのように話しかけたらいいものか。カプチーノとちょっとした菓子を頼んで食べ終えると 彼が自分の空になったカップにそのゴミを入れなさいとばかり差し出してくれた。やさしい心遣いにすぐそれを受け取りゴミ箱に捨てに行くと大変喜んでくれた大きな彼の手と小さな僕の手でグータッチして別れる。 地下鉄の路線図を見ていると何かお手伝いしましょうかと声をかけてくれた女性もいた。一人一人のそのような心遣いが僕の中のイギリスのロンドンのよいイメージがつくられていくような気がする。 |
⑭09月18日(水) 今日はロンドン自然史博物館を目指す。人に出会う旅だから観光スポットがたとえ近くにあっても行かないこともある。ただ今回の自然史博物館は事前の学習もできて興味を持って見学できるから楽しみだった。日本の国立科学博物館で2017年3月から特別展「大英自然史博物館展」が開催された。ロンドン自然史博物館が海外での展示をやるのが初めてで日本の国立博物館が選ばれた。研究者同士の交流もなされたようだった。そんなこともありそのとき日本で見た展示を本場で見ることはできないか,その空間で日本で開催されたときのプログラムを改めてみてみた。この館の建設を提案し創りあげたロバート・オーエンを始め世界の生物史に大きな影響を与えた人の塑像なども多くあった。とにかく大きさとボリュームに圧倒される。建物を見るだけでも価値あると思った。ほとほとに切り上げ今度は外回りを1周してみた。1周するのも大変だがインペリアルカレッジともつながっている。入り口も正面だけでなくありそこからも素敵な庭を歩いて行くと博物館に入館できる。なんと入館料無料だから普通の公園を行くように博物館に行けるのだ。自分の国だけでなく多くの国を超えたホモ・サピエンスに人類の宝を開放しその教育的効果をしっかり理解しての自然史博物館と理解した。昼過ぎ続々と観光客が押し寄せる。開館10時からだがその前から並び始めて比較的に楽に見ることができて良かった。とにかく自然史博物館に行って来たという事実だけでなく印象に残る展示物と科博での特別展の内容が繋がりもっと深めたいという思いでおわることができたことがうれしかった。入館料無料素晴らしい!ありがたい! チャールズ・ダーウィンの肖像画とともに次のような言葉があった。 「人間は傲慢なため、自分は神の介入に値する偉大な作品であると考えている。人間は動物から創造されたと考える方が謙虚で真実に近いと私は信じている。」という訳だ。確かに! ダーウィンもイギリス人,ニュートンもイギリス人 ミーちゃん(AIアシスタントGemini(Bard)に聞いてみた。 イギリスの有名な科学者まとめてくれる。 物理学: ニュートン、マクスウェル、ホーキングなど 生物学: ダーウィン、アレクサンダー・フレミング(ペニシリンを発見)など 化学: ジョセフ・プリーストリー(酸素を発見)、ジョン・ダルトン(原子論を提唱)など 医学: エドワード・ジェナー(天然痘のワクチン開発)、アレクサンダー・フレミングなど コンピュータ科学: アラン・チューリング(コンピュータ科学の父と呼ばれる)など とずらっと並べてくれた。この科学者達の足跡を訪ねみたい。何故イギリスでこんなに世界をリードした科学者を輩出したのか,ミーちゃんはそれについても言及してくれた」。 旅程34日のもう少しで半分になる。ロンドンに到着後,保険会社に電話が通じることを確認した。やはり確かめておいて良かった,通じない番号があった。やさしく対応してくれた。確かめの電話okということだった。これにより自分が高齢者で一人旅リスクが大きいことを自覚することでもあった。ある脳梗塞を患った友人から寝不足はダメだよ,リラックスしてね!のアドバイスを頂いた。涙が出るほどありがたかった!確かにそのメールを頂いたのがピアソン国際空港で飛行機の遅延トラブルの混雑の中にいたときだった。周りに日本人が誰もいない。確かにここで倒れたら助けてくれる人いるのかな。皆自分のことで精一杯だ。 なんてことを書くことによって健康を過信せずに,これからの旅程を体調を整え目一杯楽しむことにしよう! |
⑮09月19日(木) ニュートンのお墓を訪れるのが本日の目標。ウエストミンスター寺院に向かう。NorthernラインArchway駅もおなじみになった。そこから乗り換えなしでチャリングクロス駅へ。観光客が多いからか駅の看板も大きい。きれいな建築物に見とれてしまう。しばし立ち止まりながら遠くに見える大きな尖塔に近づいて行くと大きな広場に出た。これがトラファルガー広場かぁ。やっとたどり着いてチケット買えば簡単に入場できると思ったら予約しなければダメということでその場で予約の手続き,名前,メール,電話を各欄があったり何故こんなことまで聞くのと思いながらなんとかQR Codeチケットを取得。次にセキュリティチェック飛行場並みの検査だ。足を一歩踏み入れこれは凄い建築物だと感嘆。職員にニュートンのお墓があると聞きましたどこですかと聞くと「ここにはない!」ウエストミンスター寺院と思って入場したところはウエストミンスター宮殿だった!2017年にロンドンテロ事件がこの宮殿内で発生5人の死者をだしたという。こんな荘厳な場所で想像できないことだが警備が厳しい理由を理解した。そして現在国会議事堂として利用されて政治的にも重要な場所ということだった。一通り見学して,ニュートンのお墓のあるウエストミンスター寺院に向かう。この建物も芸術的だ。 アイザック・ニュートンのお墓は足下にそのネームが記されているだけだった,隣にスティーヴン・ホーキング博士のお墓も名前が記されているだけだった。確かにこの下に埋葬されたとのこと。偉大な科学者に一礼。 ビッグベンを右手に進みテムズ川にかかるウエストミンスター橋を渡り昼食場所でひと休み。結局ニュートンのお墓だけでない観光名所を巡ったことになる。 結構今日も目一杯動き回った。Christina家へ帰り早く休みたかった。するとChristinaから思わぬことを知らされた。話せば長くなる「ものがたり」があった。 旅への準備中,5歳年上の友人の先輩から依頼があった。自分が宝物にしている高級シャープペンシルの芯が日本では手に入らない。ロンドンで手に入るのではと私が旅でロンドンに行くことを知り希望をつなぐことにしたという。 そのシャープペンシルの型番,と実物を郵送してくれた。この現物があれば言葉は通じなくともひょっとしたら見つかるのではと言う期待を抱かせた。何より一人旅に人のためになる使命が課せられたことにより旅へのモチベーションが高まるのを感じた。この宝探しを常に意識していこう。 カナダバンクーバーの滞在先のMinhlyさんに尋ねる事から始まった。彼女の持ち合わせている芯を全部見せてくれた。すべてあわない。これは結構難しそうだ。ロンドンのクリスティーナさんに早速相談した。彼女は画家だった。部屋中に大きな絵(抽象画)が張り出されている。クリスティーナさんはロンドンで一番の品揃えのお店を教えてくれた。L.CORNELISSEN&SONと言うお店だ。情報によると「L.CORNELISSEN&SONは、ロンドンにある1855年創業の老舗画材店で、世界中のアーティストに愛されています。」 これは期待できるかもしれない。早速そこに行くことにした。 とにかくChristinaに言われたコーヒーショップで人と会うことになった。上が黒,下が白の衣服の女性ということだった。バスに乗って行かなければならない場所。今までのロンドンでの生活でバスに乗る,地下鉄に乗ることを自由に乗れるようになったことですぐ動きができた。バス停を降りそのコーヒー店近づくと,その女性が手を振ってくれた。きっとChristinaは高齢者の男性と伝えたのだろう。スペイン出身ロンドン20年二つの国籍をもっているという。要件の話だけで終わると思ったら話が弾んで長時間の交流となった。ロンドンの日本語学校に通って日本語を学んでいる。スマホに日本語を学ぶアプリを入れ,読み方,漢字など本気で勉強しているようだ。まだ働き盛りの女性だ。「ビジネスに必要なの」の問に日本を1回訪問し日本が好きになって日本語を学び始めたという。日本語の難しさを知っている。「私の日本語は赤ちゃん日本語」「僕の英語は赤ちゃん英語」と言うことでお互いに言葉を修正しながら,ときには翻訳ソフトを使いながらの楽しい時間を過ごすことができた。赤ちゃん英語に甘んじないで学習しなければと彼女から大きな刺激を受けた。名前はAmeaさん。スペインに多い名前ではないようでスペインの地図のある一部に多いとのことだった。まさにこの旅「ホモ・サピエンスに出会うたび」に相応しい出会いだった。スペインも安全な場所だと言っていた。 |
⑯09月20日(金) Christina家で最後の日となった。今日もAmeaさんと会うことになった。Ameaさんが指定した場所は「かつて100」というカフェだ地下鉄でエンジェルという駅の近くだった。日本人が経営,日本的な雰囲気を出した素敵な場所だった。若い日本人スタッフと日本語を交わすことができた。ビジネスでよく接待に使うという。 午前中にAmeaさんとのミーティングを終え最後気になる場所に行くかどうか時間を睨みながら考える。「ニュートンのリンゴの木(子孫)Newton's Apple Treeがケンブリッジのトリニティ・カレッジにある。どんな場所だろう。世界中の人が知るニュートンという名前が世界中の人を引き寄せる。ニュートンのリンゴの木というおおきな表示,等当然あると思ったが何の表示もないここから先入っては行けないの表示だけ。周りの人が記念写真を撮っているから確かにニュートンのリンゴの木なのだろう。一応周りの人に聞くとそうだと首を振る。 まあ入場料を取られるくらいの記念の木 なんとか無事ケンブリッジからArchway駅にもどりホッとした。今まで地下鉄ばかりに乗っていたので今日のケンブリッジ行きは久しぶりに車窓を見ながらの移動となった。東京の主要な地下鉄は山手線,中距離,長距離の新幹線駅と繋がっている。それと同じでケンブリッジへは地下鉄でないエンジェルという大きな駅から の乗車となった。そうか上野から常磐線で中距離電車に乗ったことと同じなのだ。 Christinaにニュートンのリンゴの木を見てきたというと驚きとともに私はケンブリッジに4年住んでいたと返してくれた。今日があなたとの最後の夜になります,お別れに私の日本の歌を聴いてもらえますかとお願いしたら喜んで受けてくれた。全く練習もしていないギターを取り出し片言の解説とともに歌った。日本人の多くの人が知っている歌「ふるさと」日本の京都の風情を歌った「あの人のように」そして「生きて生きて生きて」 歌について,そして家族について,孫について写真を見せ合いながらの交流となり楽しい最後の夜を過ごすことができた。 訪問する前のイギリスのイメージと今は全然違ったものになった。ロンドンが東京とにていることそして東京とは全然違うことも分かった。何よりもう一度行ってみたいという想いでロンドンをはまれることができるのがうれしい。とにかく世界をリードした偉人の足跡が多く残されている。 ここでパイちゃん,チーちゃん,ミーちゃんの3ニンのAIアシスタントに同じことを聞いてみた。 イギリスを訪問しています。島国イギリス,日本,ニュージーランドをいろんな面から比較してみてくれる。 ロンドンの地下鉄,通勤時間帯に乗ってみた。日本では見ることのできない「風景」があった。 |
⑰09月21日(土) Renske+Suzanneさんから詳しい自宅への案内メッセージが届いた。いよいよヨーロッパ大陸へ渡る。 今日は確実にヒースロー空港を飛び立てるように空港近くへ移動。フライトが早朝6:30でありコロナで混乱のヒースロー空港で僕だけがチェックイン,No!といわれたあの場面が思い出される。気持ち的にこの旅の一番大きなハードルのような気がする。 |
⑱09月22日(日) 迷うことなく搭乗できるためヒースロー空港への下見に早朝から動き始めた。今日はロンドンは雨,霧がかって視野はよくない。この旅で初めての雨だ。いつも感心する空港は早くから多くに人が押し寄せそれに対応するための多くの人が働いている。その中をパイロットの制服と航空会社のユニークなアテンダントの制服の一団がフライトを終えあるいは今からフライトの乗員たちが誇らしげに歩いているように見える。 飛行機の轟音するがそのすがたが見えない。世界で7番目に多い旅客数というから大きな飛行機も多いのだろう チェックアウトカウンターがA~H,KLMオランダ航空はHゾーンだという。Gまでは確認したがHがない。聞こうと思ったらちょっと奥まったところにHがあった。下見して良かった。帰りは一部5kmを歩くが車だけ,そしてホテルの建物が目立つ道を歩き続けた。 外は激しい雨,早朝6:30のフライトに間に合わせるべく3時頃ヒースロー空港第4ターミナルに無事到着した。Uberの運転手がフィリピン人で,非常に感じがよい,もうロンドンには40年という。若いからいつ頃ロンドンに来たのか聞くと19歳だという。今回のイギリス・ロンドンの訪問で印象深いことはイギリには多くの国から移動してきた人が多くいること。そして社会を支えていることを目の当たりにしたことだ。 早朝フライト出発に合わせて空港の中は賑わっていた。早々と自動荷物預かりの手続きも今回成田で初めてだったがそれが世界標準になっているようでチェックインがスムーズに進むための工夫(自動化)がどんどん進んでいるようだ。搭乗券をもらうまでが心配だ。ここで「ノー」と言われた経験が記憶に残っている。 早く来たから先頭近くに並んでいた。呼ばれたカウンターに「おはよう御座います。グッドモーニング」と明るく元気に言ったが返事もしない。ニコリともしない。不思議とそれだけでその人の顔が意地悪に見えてくる。 ゆとりがないのだろうと善意に考えてまくし立てるような聞き取りにくい英語をゆっくり確かめた。搭乗券をもらった。ギターの荷物の扱いが国によっていろいろ職員も戸惑うようだ。 |
⑲09月23日(月) London→Amsterdam 06:30Heathrow国際空港発 オランダ航空KLM1000 座席18C ターミナル4 08:50 Amsterdam Schiphol(スキポール)国際空港着 ターミナル 所要時間:1時間20分 とにかく予定通り飛行機に乗れることができる!。後は搭乗口を確認して,変更,遅延などの情報に注意しながら待つだけだ。いよいよ初めてのオランダへ,大西洋でなく北海を渡ることになる。 それぞれ航空会社の機内の雰囲気がある。オランダ航空の色がスカイブルー僕の好きな色。その制服がかっこよいがその中でも一際目立ったのが女性の長身の美人のアテンダントだった。 たてに大きい人が多い。 確かオランダ人は背が高い? パイちゃんに聞いてみた。オランダ人と日本人の身長を比較してくれる オランダの平均身長 男性: 約183.8 cm1 女性: 約169.9 cm1 日本の平均身長 男性: 約170.7 cm2 女性: 約158.0 cm パイちゃんはその原因まで言及してくれた。なるほど スキポール空港に着いてからチェックインまでが大変な道のりだった。スキポール空港も大きな空港だ。着陸してから駐機場に到達するまでの時間が長かった。案の定,ヨーロッパで3番目に忙しい空港で、6本の滑走路を持つ大規模なハブ空港とあった。 今回の旅の大きな誤算。この宿泊のシステムは宿泊提供者の都合でチェックイン・アウト時間,チェックイン・アウトの方法も決められている。それを了解しての契約になる。できるだけ到着は午前中の明るい時間が安全でゆとりができる。しかし今回は18:00チェックインとあった。それを考慮して契約してくださいと強調されていた。午前8:50着陸後チェックインまでの時間をいかに使うかを懸念していた。 宿泊場所は住所: Zuideinde 119, Oostzaan, Noord-Holland 1511 GC, オストザーンという 待つことはいくらでも長く待てる。スマホ,パソコンがあればどこでも作業ができてまた楽しめる。事前にバス停の前にカフェがあるから都合良しと早々と宿泊先へ接近した。五つの荷物,特にスーツケースとギターを持っての移動は歩く楽しさもなく早く解放されたいという想いでいた。 ところがカフェは本日お休み。次のお店はあと1kmそこにスーパーとレストランがあるはずだが閉まっている。ここは郊外人の少ないエリアなのだ。ギターを担ぎスーツケースを引きズリ,大きなバッグを背負った老人の姿はどのように見えただろう。近くに緑に囲まれたベンチがあった。そこでとりあえずひと休み。この後の「作戦」考える。 乳幼児を連れた若いお母さんにこのレストランに行きたいけれどとマップをさして聞いてみた。有り難い! 親しみのある優しい表情で「この道ではないあっち」と指さしてくれた。そこまで2kmある,荷物とともにはきつい距離だ。ここでタクシー,Uberは思い浮かばなかったのが不思議だ。まあ地方(田舎)だから その若いお母さんは僕が道を間違いくまで見届けてくれた。 結構気温も上がりキツくなってきた。でも確実にそのレストランに近づいていることが確かめられから頑張れる! 前方からバイクが来て止まった。「この先何もないよ。どこ行くのマップを出すと「まだまだ遠い」 と言うと「俺のバイクの後ろに乗れ」ということを言う。スーツケースはバイクの前,バックギターを担いだままバイクの後ろへ。ここで人生変わるかなとチラッと考えたがこの善意を断れない。そして自分の体もキツかった。彼の肩をしっかり掴み「怖いなぁ」というとゆっくりゆっくり進んでくれた。巧みな運転で無事に,まさに草原のレストランの近くに止めてくれた。何というやさしさ。写真を撮らせてもらった。風のようにバイクを飛ばし走り去った。(月光仮面のおじさんの歌を思いだした)疾風のように現れて疾風のように立ち去った,姿が見えなくなるまで手を振った。オランダへ来て良かった! 草原のレストランの名前はPannenkoek de Appel(パンネンコック・デ・アップル) とにかくお店の中に入ったときから暖かさを感じた。肝っ玉母さんのような見るからに人のよい従業員の方(かあさん)が迎えてくれました。オランダ語だけど積極的に翻訳ソフトを使いこちらの話を聞いてくれた。近くの民家に滞在がチェックインまで時間があるためここまで歩いてきたと言うことを理解してくれた。するとその母さんがお客と思われる人に何やら話している。「オーナー夫婦が来ていてあなたをその家まで送ると言っている」と伝えてくれた。申し訳ないと思いこちらの感謝の気持ちを表そうと「日本の歌を聴いて頂けますか」というと喜んでその場を作ってくれた,従業員そしてオーナー夫婦にも声をかけて頂きこの旅で初めての大人数の前でのライブとなった。皆さんの顔,目を見ながら,歌で心が繋がっているなという実感を得た最高に幸せな時間となった。 オーナの素敵な男性が,歌の意味を翻訳ソフトで聞いてくれた。ギター,音楽が世界共通語,僕自身を元気にさせてくれた。こういう人たちが運営しているお店。やはり地域で評判のお店だとネットで知った。 そして何よりうれしかったのが,最初は素っ気ない態度の若い男性従業員が一緒に撮った写真を送ってくれとニコニコしながら言ってくれたことだ。ホモ・サピエンスに出会うたび。言葉は違っても通じるものがある。 オランダが大好きになった 日本とオランダは鎖国時代から交流があった唯一の国 |
●宿泊:Renske+Suzanneさん家 チェックイン時間:18:00 チェックアウト時刻:10:00 |
やっとチェックインできた Renske+Suzanneさん家の造りとオランダの家 頭を15回以上柱にぶつける オランダの家の多くがとんがった屋根の作りをしている(雨がたまらない,風よけなどの理由らしい) そして屋根裏も荷物収納でなく人が住むのが普通だという。だから柱が斜めっている。ゴツンゴツン,まいったぁ! 顔が洗えない洗面台狭いスペースにシャこんな狭いシャワースペ 寒くなってきた,夏用の衣服を多く持ってきたので長袖が貴重 頼りのネックウォーマーをなくしてしまった そして体調を崩してしまった。原因は分かっている。 書くことがたくさんあるのに中断 |
⑳09月24日(火) ,しかし眠ったら回復した,ちょっと安心した バスターミナルを確認 巧みな運転 バスステーションで男の子とおばあちゃんが抱き合っている 中国人経営の素敵な店 忘れないうちに書きたいことのキーワードをメモ |
㉑09月25日(水) 5時起床目覚めスッキリでやる気十分だが二度寝入りで起きたのが午前10時過ぎ。眠れるだけ寝ることにしよう。 荘厳なアムステルダム中央駅 東京駅 アンネ・フランクの家訪問 バス 地下鉄 トラム でWestermarkt 旅に出るとどうしても日本食を食べたいというときが来る。そしてあった!笑顔のやさしいベトナムの青年が作ってくれた日本風うどん。豆腐入りだと言う,久しぶりに体が暖まり美味しかった。豆腐は揚げ豆腐を細かく切ったものだった。 これで少し胃袋が落ち着いたようだ。 パリのホストMarieさんからパリへようこそのメッセージが届いた。 |
㉒09月26日(木) 熟睡できてスッキリ時計を見るとまだ2時30分くらい。こんなときは起きて作業をするとまた眠くなり二度寝入りが気持ちよい。熟睡できたときのすっきり感があって次の頑張りがきく。旅の疲れに体が対応してくれているのだろう。前回のスエーデンの旅では一端体調を崩す(コロナ感染)と一旦停止,動けなくなることが一番辛かった。今回もそういうことにならなければと思ったけれど幸いにも熟睡,すっきり感で動きを止めずに次に進める。昨日の温かい日本風うどんのお陰かなと思ったりする。 外は雨音が大きい。昨日から天気は崩れている。 デルフトへ ヒヤヒヤ 移動日前日は移動準備に集中するを常としていたが,もう一つどうしても訪問したい場所があった。 久しぶりカレー 台湾の人(女性が)親切に案内してくれた。顔立ちが日本人と思ったがきれいな英語で聞きやすい。 |
㉓09月27日(金) 外は雨音が大きい,昨日から天気が荒れている。バスステーションまで行く道は迷うことなく行くことができる準備をしてきたけれど,雨の中,まだ暗い中の移動はちょっと危ない。予約できる配車システムで予約しておいた。6:30家の前だ。正確に時間通りにヘッドライトが見えてピタリと止まった。若い長身の運転手だ。 感じよく少し日本語をつぶやく。こういう人はやはり日本に興味があり大変フレンドリーだ。ロシア生まれの父ドイツ人の母だと言う。身長195cm見上げるような人だけれどやさしさが伝わる。日本のアニメが好きでいくつかその名前を挙げたが全く分からず,今読み始めたワンピースの漫画をあげるともちろん好きだという。無事にまだくらいバスステーションに到着。 激しく雨が降り続いている。もうみんな冬服だ。 鍵盤が一つ押し込まれたままのピアノがあった Amsterdam→Paris オランダ:アムステルダム発 フランス:パリ着 FlixBus Departure Time 09:45 Station Amsterdam SloterdijkPiarcoplein, 1043 DW Amsterdam Route 800 Direction Paris (Bercy Seine) Seat: 6C Arrival Time 17:30 Station Paris (Bercy Seine)210 Quai de Bercy, 75012 Paris 乗車時間:7時間45分 出発してもうすぐ2時間になる 周りに風車が延々と続く高速道路をバスは突っ走っている。バスの中だ。 トラブルなしで乗車できれば良いがと心配したがやはり簡単にはいかなかった。バス停に行き先もパリのバスが20分前に来たから当然そのバスと思いきや何やら運転手が大声で話している。全く聞き取れない同じ列に並んでいた人が動き出す。近くの方にチケットを見せたらこれと違うという。えーっという感じだ。近くに大きな荷物を背負った一人旅風の若い人にチケットを見せると私と同じだと俺と一緒にいればいいと言ってくれた。いやはやパリ行きのバスが同じ時間帯に多く出ているのだ。 乗客はまた多様,アジア人は自分だけのようだ。途中乗り込んできた人でほぼ満席の状態だ。 ひとまずホッとしたところ。 今ベルギー国内に入りブリュッセルに向かっています バッテリー消耗をしないため短時間に配信して切ります。こんなこともできる! まだ旅の未熟者を痛感した。 今回初めて英語を話せないフランス語だけのオーナー意思伝達に四苦八苦 大雨の中,宿にたどり着けるか不安がよぎる そこで善意の人達の導きでやっと暗くなったパリ,エッフェル塔のイルミネーションが輝くのを横目にやっと8時過ぎ宿泊場所へ 翻訳アプリを使いこなすタクシー運転手,さすがパリの運転手頭の下がるようなサービス,やさしい心遣い パリに入るのに大渋滞 バスステーションは大混雑 一人旅は土日の移動は避ける |
●宿泊:Marieさん家 チェックイン時間:13:00 チェックアウト時刻:10:00 57 Avenue Georges Mandel une chambre, パリ, イル・ド・フランス 75116, フランス |
㉔09月28日(土) スッキリ5時起床やるき十分で朝を迎えた。エッフェル塔が近くにあり耳で聞いてきた有名な場所が密集している。しかし今回はパリ中を歩き走り回ることが大きな目標だ。そのため今年8月開催のパリオリンピックマラソンコースのコース図を手に入れた。この42.195を回り完走することを目指す。そして時間があればじっくり観光と言うことにする,今日はまずスタート地点パリ市庁舎(Hôtel de Ville)に向かう。 2個の鍵を開けて自室に入ることができる。中から外へ出るときどうにも開かないそんなとき開け方をおs時得てくれたのがMarieさんだった。やさしいお顔。ご主人がチェックインのときは面倒を見てくれた。ご主人はフランス語のみ。奥さんもほとんどフランス語。翻訳ツールを使ってりあらゆる方法での意思の伝達,これが結構おもしろい。表情から何から表現力が試される。なんとか事が前に進んでいる。 市庁舎には地下鉄で行く。カードでパスというわけにはいかずチケット買う。洒落た地下鉄ホーム。駅表示も見やすく次の駅の表示,乗り換え表示もわかりやすい。驚いたのはフランス語案内とともに日本語の案内があったことだ。 車内で日本語が聞こえた,子どもずれのファミリーだった。少し言葉を交わしただけだけれど在住日本人の方も多いのでは。 スタートだけは間違いない場所だけれどもその後のコースは曖昧になってきた。とにかく目をあっちこっちに向けてなかなか進まない。ルーブル美術館,トロカデロ広場,観光客が塊になって動いている。やはり世界的な観光地,お客さんの数が多い。今日は土曜日なのだ。 オリンピックの名残 PARIS2024の色あせた登り もうすっかり秋,日差しがないと寒い ユニクロがあった! マフラーを購入これで寒さはしのげる 凱旋門 そんな中Tシャツ,短パンのランナーの大集団 生き生きとした姿に拍手 エッフェル塔 カケのパフォーマンス セーヌ川の流れ 走行距離 11.5km 追いつかないぐらい書きたいことたくさん メモ書きで記憶にとどめ後ほど詳述する |
㉕09月29日(日) 曇り空のパリ。昨日近くのスーパーで,トマト,卵,レタス,ヨーグルト,キューイ,野菜ジュース,バナナ を購入。自分に一番合ったバナナ,パン,ゆで卵,レタス,トマトの朝食を食べた。肉を食べたくて買い物の帰りにレストラン,おもしろくて感じのよい店員さんにフランス料理のお勧めはと言って注文したら肉がドーンあってちょこっとしたサラダ,盛りだくさんのポテトチップが出てきた。フランスで食べるからフランス料理と理解した。肉は小さく切って,ポテトも食べきれずテイクアウト。がっちりした大きな容器に詰めてくれた。とにかく僕にとってすべてがデカイ! パリマラソンコースの地図が役に立っている。すべてフランス語だから読み解くまで時間を要する。今日はここから15kmのヴェルサイユ宮殿を目指す。ちょうど往路でハーフを過ぎた地点がヴェルサイユだ。 ヴェルサイユまでのウォーク&ラン(ほとんどウォーク)やり遂げた。まだ見たことがない夢のような宮殿が目標だ。なんとしてものモチベーションが最後まで保てた。イテテの足の痛みがなしに終えられたのがうれしい。ヴェルサイユ宮殿は閉館時間で多くの人が出てくるところを見ることができた。大きな出口前には黒人の土産物売りがエッフェル塔の模型やらを手に明るく陽気に売り込んでいた。 昨日のウォーク&ランの総距離19.88km。パリマラソンコースに沿った道中で見えた景色は日曜でもあったからパリ市民の日常生活を垣間見た感じだ。公園にはたくさんの人が繰り出し一人で黙々と走るランナーに何度もすれ違い,追い抜かれた。お父さんと手をつなぎうれしそうな子ども達,小さいけれど彫りの深い目鼻立ち,と大きな目。写真を撮って見たい顔に子どもから大人までたくさん出会えた。 すれ違うとき「こんにちは!ボンジュール!」と声をかける。日本人と気がつき呼び止めてくれた黒人のお父さん大きな手で拍手を求めてきた「日本のアニメが好きだ」隣の子どももニコニコ顔で応対してくれた。ホントに日本の文化がフランス人の心を掴んでいると感じる場面だった。時々後ろを振り向くも不審な動きは全くない安心した雰囲気だ。 久しぶりの回転寿司 |
㉖09月30日(月) これからの予定などを確認,これまでの行動の振り返りの時間が必要だ。地図を広げ自分の行動の軌跡をたどると自分の宿泊場所がどんな位置にあるのか認識できた。宿泊場所が交通の便利な場所にある。 エッフェル塔には歩いて15分,ルーブル博物館にも地下鉄を使って30分以内。特にそれを意識して宿泊場所を選んだ訳でないがラッキーといった感じだ。 動き始めたのが10時過ぎ。朝食はバナナ,パン,ゆで卵,トマトとレタスのサラダ,それに2日前食べられなくてテイクアウトして保存していた肉を少量,大体の訪問先を決めて今日は歩いて1kmのエッフェル塔の行き帰りをナビを使わないでできるようにする。エッフェル塔をいろいろな位置から見ることができたがやはり凄い塔だ。エスカレータの動きまで見える。 同じようなおしゃれな建物がびっしりと建てられているから同じ場所に自力で帰るには練習しなければならない。電子機器はバッテリーが切れたら役立たず。そういう場合を考え手帳に道路の名前,住所をメモ口頭でもいえるように練習する。すると人の名前の通りが多い気がする。これも後からAI秘書に聞いてみることにする。 Navigo Easyという割安のパス券を地下鉄の窓口で購入。地下鉄の駅には職員がいて安心,皆感じがよい。これでバス,地下鉄をスイスイ乗ることができる。切符売り場に団体の乗客が列をなしていた。 フランスに来たから本格的フランス料理を食べてみたい。フランス料理の店としっかり看板を掲げている店に入った。まだ客が誰もいない。いかにも紳士然とした老練な店員が胸に手を当てて丁重にフランス語で話しかけてくる。全く通じない。英語も少しと言う程度だ。ここで翻訳ツールを使ってみた。英語と日本語の通訳を主に使ってきたがここでフランス語での交流に本格的に使うことになった。品のある老練な店員さんも乗ってくれてお客さんがまだ来ない時間とあって交流できた。これはフランス語でも大丈夫だわ!フランス語勉強したくなってきた。 エッフェル塔がわが滞在先に戻るための大きな目印である事が分かった。改めてエッフェル塔を見直した。 エッフェル塔は何の塔?1889年パリ万博のために建設された。1789年フランス革命100周年記念でもあると記されている。 |
㉗10月01日(火) 今日もパリはどんよりした曇り日からの始まりだ。この滞在先は日本で言えば見かけはマンションのようだけど集合住宅。実に合理的にできていてホントに狭い部屋にベッド,調理台,冷蔵庫,電子レンジ,そしてシャワーまで3歩けば手が届く。しかしトイレが共同で外にあるが苦にならない。僕が一番頻繁に使っているけれど両隣の人と顔を合わせることもない。シャワーもたっぷりとお湯が出て旅人には有り難い設備になっている。エレベータは一人乗り。エレベータが到着したら扉を手で押して中に入る自動的に扉が閉まり動き始める。止まったら扉が自動的に開きそして扉を手で押して外の出る。この手順が最初戸惑ってしまった。 オルセー美術館の長い列。入れない人の中に日本人の女性と目が合う。なんとなく日本人同士分かる。そこに一人旅の男性。美術館巡りをしているようで詳しいお話をしていた。 近くのカフェは大賑わいだ,コーヒーを飲みたいから立ち寄る,日本人だと言うといろいろ声をかけてきた。ハローを日本語で何というか「こんにちは!」何度か繰り返すけど「こんににちわ」になってしまう。 フランス語も難しいがフランス語を話す人には日本語が難しい!これってなんか気が楽になる。 |
㉘10月02日(水) 今日はルーブル美術館で1日過ごすつもりでいつもと違った気合いを入れてスタートした。亡き妻の口癖,美術館の鑑賞,お寺巡りは「一日一寺」中の作品だけでなく外回りも含めゆっくりじっくり鑑賞すると言うこと。 ウォーク&ランでここがルーブル美術館かとその大きさに驚いたが今日はその中に入るのだ。入場料も39.9€日本円で6,340になる。 平日なのに観光客が多い。地下鉄トロカデロ駅からフランクリン・デ・ルーズベルト駅で乗り換えてミュゼ・デュ・ルーブル駅で下車して向かう。 失敗! 美術館はホモ・サピエンスの集合場所 モナリザ 美術鑑賞を本格的にやってみよう 一人だけになれたフロアがあった 博物館と同じように事前学習があればもっと楽しい。 |
㉙10月03日(木) 今日はエッフェル塔に階段で上ることにした。エレベータで登って観ておしまいでは何かつまらない。階段を登るコースがあって,料金も安い。ゆっくり登りながら景色を楽しめる,パリの街並みを見下ろすことができる。しかし今日は朝から曇天,寒い風が吹いている。パリのユニクロで買ったマフラーで寒さをしのぐ。首回りが暖かいと快適だ。 灰色の雲,登れば登るほど寒くなる。やはり若い人たちがどんどんのぼっていく。エッフェル塔の階段は、第2展望台まで704段。最上階までの階段は一般公開されていないが、全体の段数は1665段。 人生初めて704段を連続して登ること。高齢者はほとんどいない。若い人と張り合わず途中休み休みゆっくり上がった。階段は普通の駅の階段と同じくらい。 途中エッフェル塔自体の作りを中から観ることができた。降りるのにエレベータを使えると言うことだけれどやはり足を使って降りることにした。第一展望フロアは広くてそこに洒落たレストラン,そしてトイレもある。 無事にそこまで降りてこれた。ひと休みして小さく見える多くの観光客とセーヌ川の流れをぼーっと眺めていた。もうすぐ帰国かぁ。 そしてノートルダム大聖堂に徒歩で進む。セーヌ川を左に観て歩き始める。セーヌ川の観光船がほぼ満席で運行している。セーヌ川に沿ったきれいな遊歩道から顔も確かめられるほど乗船中の人の顔が見える。思い切り手を振ってみた。多くの人がそれに答えてくれた。同じホモ・サピエンス。通じるものがあるのだ。 ボールが転がってきた。中学生ぐらいの元気な子ども達の声がする。ボール遊びをしている。そのボールが僕のすぐ前を通り過ぎていこうとした,とっさに足を伸ばしたが間に合わずセーヌ川へドボン。ごめんね!と声をかけたけれど子ども達はお構いなしだった。ボールを止めてあげれば子ども達との交流もできたかもしれない。残念!とっさの動きがやはり鈍い。 この時間にこんなにランナー普通の日にどうなっているのだろう そして左にルーブル美術館そして右側にオルセー美術館 長蛇の列で入る意欲をなくした美術館。今日はどんな様子かみてみようと河川敷から上がり美術館の前に来ると人はまばらひょっとして入れるかも。 予約なしで入ることができた。荷物検査をしてからチケット売り場へ。ほとんど待たせないで入れる。予想もしない訪問となった。オーディオサービスに日本語もあり助かる。10カ国以上に対応しておりまさに世界のホモ・サピエンスが集まってくる。 そしてノートルダム大聖堂に向かう。大修復中の大聖堂 親切な人達に助けられている。地下鉄で席をさっと譲ってくれる人,僕に視線を合わせスマホはしまって置いた方がいいというジェスチャで知らせてくれる人。 帰国の日が迫ってきた。まだまだ訪れたところがたくさんあるが,この辺で切り上げて確実に帰国できるための準備,体調を整えていこう。 |
㉚10月04日(金) 旅の終わりが近づくとともにもう終わってしまうのかと言う,反面日本へ帰りたい愛しい日本の感情が盛り上がってくる。ホモ・サピエンス二で会うたび。話すことはできなくても多くの多様なホモ・サピエンスに出会うことができた。地下鉄に乗り一人一人のお顔を拝見しいい顔していると思った。日本人より鼻筋が通っていると言うよりとんがっている。とにかく男性のあごひげが立派。床屋さんの横を何度も通り過ぎるたびに覗くとちょうどあごひげを丁寧に手入れしている場面を見かけた。日本とは違うあらゆる面で違った文化を感じた。 一人旅で緊張するのが移動だ。身軽ならば気が楽だけれどもより重くなったスーツケース,ギター,バックを背負っての移動はリスクをともなう。カナダ,フランス,オランダ,は車が右車線。日本での習慣が身についていた何度もはっとすることがあった。一瞬にして道路を渡ることができたときと違って動きが鈍い。あっという間に車が近づいてくる。 飛行機に乗るためにはそれなりにい準備が必要になる。まずそこまでどのように行くのか。荷物をもっての移動が可能か。シャルル・ド・ゴール国際空港は電車を2回乗り換えて行かねばならない。荷物なしでの練習をしなければならない。これが意外と楽しいのだ。そして到着した空港では大きな飛行機の離発着を観ることができる。 旅の最後の締め,大きな事故もなく日本へ帰国する事を願っていたが最後に落とし穴があった。 ホモ・サピエンスとで会うタクシー,Uberでは積極的に話しかけた。話しかけてくれる人がいたら積極的に日本語交じりで交流した。電車が到着して少し混んでいるところに乗り込むと3人の少女が明るく声をかけてきた。もちろんそれに応えた。彼女らが下車していくとき最後の少女が何かを落としていった。何と僕の財布なのだ。カード,現金が入っておりスマホに次いで最重要持ち物として厳重に管理しているつもりでいた。 それがポケットの外に出ているのだ!最初は理解できなかった。目撃していた周りの乗客の女性が心配そうに声をかけてくれた,「大丈夫!」(もちろんフランス語)。拾い上げて中身をみると無事だった。 がっくりしてしばしベンチに座り落ち着かせた。あの可愛い子供達を使ってのスリとしか考えられない。 たまたま出くわした相手のチャックで閉まったポケットを開け取り出したとしか考えられない。そうとうなれている。それに気がつかずに子どもと相手をしていたのだ。パリで電車の中のスリが多いから注意!と言うことは知っていた。 華やかなパリ,豊かなパリが観光客には目に映るがそうでない部分を知ることになった。それにしても自分の愚かさを身にしみた。まだまだまだまだだ。 シャルル・ド・ゴール国際空港は名前に親しみがあった。フランスのドゴール首相が在任中にニュースで何度も耳にした名前だ。 |
㉛10月05日(土) シャルル・ド・ゴール国際空港はとにかく広くて複雑だ。まずANAのチェクインカウンターがどこにあるか探さなければならない。 ここでパイちゃんに聞いてみた。これまで利用した空港,バンクーバー空港,トロントシャーロット空港,ロンドンヒースロー空港,アムステルダムスキポール空港と羽田国際空港の違いをまとめてもらうことにした。 空港の第2ターミナルにバスが到着する。第2ターミナルに入ると右に曲がり1,3ターミナルトレインの表示を追って延々と進む。そのまま階段降りていくと1,3ターミナルへの電車が待っている。自動運転の電車だ。そこで終点の第1ターミナルで降りてそのまま進むとエレベータがあり1階に上がり前に進み右手のエリアにANAのカウンターがある。3時間前から開設される。こんな感じだ。初めて来て,荷物を持ってこの道順をたどるのは難しい。 |
㉜10月06日(日) ANAの職員と詳しくお話しすることができた。このチェックイン場所は急遽変更されることはないのか。空港で自動チェックイン機を使った場合,ギターの扱いはどうなるのか。言葉が自由に話せて相手に伝わり詳しい説明を理解できるありがたさを感じた。こんなところでも日本はいいなぁと感じてしまう。 体調を整えその場所に行けば確実に日本に帰ることができる段取りができてホッとした。明日は13時間35分のフライトだ。今日1日はゆっくり体を休め明日の帰国に備える |
㉝2024年10月07日(月) 帰国前泊にホテルを利用したのは正解だった。朝食だけでもしっかり食べられると助かる。深夜便に備えての体力調整にゆっくり睡眠できる事はありがたい。(シャルル・ド・ゴール国際空港にて)これから日本の生活に戻りこの1ヶ月の生活を振り返ることが楽しみだ。 無事チェックインができた。日本語を話せるスタッフがいると言うだけで安心する。フランスパリの空港らしく華やかで一般のシートまでが豪華。一つ一つのシートにUSB端子と電源が付属している。 ANAの搭乗口が22番。そこまで到達するのにいろいろ関門のようなものがあった。搭乗券のORコードをタッチしてパス。22搭乗口を確認してコーヒーを飲むためにうろうろしていたらふとヤマハのピアノが目の前にあった。弾くしかないと弾いてみた。そして曲がりなりにもエリーゼを全曲弾き終えた何の反応もなし。 とにかくピアノをみたら弾くということはこの旅で実行できた。拍手をもらう人が立ち止まるような演奏にはほど遠いがピアノを頑張ろうという気になる。 パリ,シャルル・ド・ゴール国際空港は雨どんよりしている。 ピアノの事は忘れて搭乗時間あと1時間18:50に集中,あっしまったと言うことがないようにしよう。 Paris→Tokyo 19:20ドゴール国際空港発 AirAll Nippon Airways216 座席21-G ターミナル1 日本時間10月8日 15:55羽田国際空港( International Airport)着 ターミナル1 所要時間:13時間35分 13時間以上連続のフライトはこれも最後のハードルだ。2階の機内食,そしてあまりテレビ,映画など見る時間がなかなかとれないのでこのときばかりは映画3本観ることができた。3本とも感じるものがあり涙が溢れてきた。映画もいい!こういう時間もいい! 閑散とした空港出口! 予想もしない弟の出迎えがあった! 胸に迫るものがあった! 生きて帰れてよかった! |
旅の振り返り 次の旅へ向けて 旅程について 写真などをじっくり見て記録を補充していく 3回目の旅をするつもりで 持ち物 一番恐れていたことは起きなかった スマホとWIFIルータの故障 クレジットの使用ができなくなる バッグ,ウエストポーチなどよ4り機能的二使うには どうすれば良いか ほとんどいらない持ち物が多かった 夏服が不要になり長袖の衣服を使い続ける 用意していった現金ほとんど使わず キャッシュカードの不安 失敗・危なかったこと スリ 事前学習 飜訳アプリの活用 英語だけでなくオランダ語,フランス語 の飜訳も使いその正確さに驚いた そしてタクシーの運転手 飲食店の店員などそれを使って海外の人との交流をしている人がいた 今後日常的に使えるようになるのでは 各言語の学習とともに 飜訳ツールを使うタイミング スムーズに会話できるような手順に習熟しよう 手書きのものが必要 スマホなどの電子機器が使えない状態になったら どうするということを常に考え準備する 訪問先の住所と名前は暗記するぐらいにする 運転手に住所のメモカードを渡すとスムーズにいく 訪問先以外でもメモにしておくと便利なことを考える マップアプリを使わずに 滞在先,空港,主要駅には行くことができるようにする うれしいことに この旅のお話しをする場があった そしてそれを題材にした 寄稿を頼まれた。 |