2001/12/17

実験! 52歳からのランニング

目標 78歳までフルマラソン42.159qを制限時間内で走れる体力を維持する。2003/5/19

この実験を始める動機


◆2003年(平成15年)8月3日(日) 昨日8月2日(土)
第一回利根川平和祈念マラソン大会が開催されました。
私のランニング生活でホノルルマラソン出場以上に意義深い大会となりました。自分たちで作るマラソン大会。
◆2003年(平成15年)5月18日(日)江戸幕府開府400年記念 東京シティーロードレース2003のゴールに立てた。これだけでうれしい。そして初めての10キロレースで都心を走り抜けた気持ちよさは今までにない刺激。もう来年の事を考えている。必ず出よう。
◆2003年(平成15年)第13回かすみがうらマラソン参加。発のリタイア
◆2003年(平成15年)3月23日(日)第6回東京・荒川市民マラソンに参加。

◆2002年11月24日(日) 11月4日ランニング再会 そして通勤ランニング往復6.2キロも調子に乗ってきて12月7日皇居フルマラソンに挑戦するつもりでいたけれども,ランニングをストップしている。また走れる日迄ランニングの心は燃えているのだが。
◆2002年9月14日(土)明日いよいよタートルマラソン大会
この大会から始まった。あれから1年 1年ぶりの仲間と出会える。
昨年の9月10日から私の生活は変わった。金町〜亀有間の通勤ランニング開始。
そして今年の9月から金町〜学校間の通退勤ランニング 6.2キロ そして調子よいときと時間にゆとりがある時は学校〜松戸駅7キロのランニング。ランニング中心の生活がエスカレートしてきた。鶴沼での心地よい完走でさらなる限界への実験を
続けよう。ケガをしないランニング生活が続けられますように。
◆2002年8月25日(日)「第42回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会」参加
           完璧完走!!! 
◆2002年8月11日(日)危険な実験 早朝ランニングのつもりが起きるのができず日がかんかん照りつけるのを避けずに予定通り23キロコースを走り始めた。
水2リットル おにぎり2個 各種補助食品 チョコレート 保冷剤も使ってできるだけ低温を維持しようとした。風が少しあるがぐんぐん温度が上がっていくのがわかる。前回は7q地点で水分エネルギー補給を10q地点にそして2回目の補給を19q地点にした。そこまで前回より走りは快調だった。ところが19qで水分エネルギーを補給して走り始めたがなにかおかしい。全然走る気がしないのだ。
 大利根橋を歩いてわたり,そこからおりて日陰の駐車場で腰を下ろし一休み。なにか力がでない。これが熱中症の初期症状なのかと勝手に思ったりした。持っていた水分全部飲みそれでもとにかく冷たい飲み物が欲しい。近くの自販機から飲みたいものを飲む。また飲みたくなる。そしてアイスキャンデーを続けざまに食べる。
きっと体が求めているのだろう。    あぁあぁ−また無理してしまった。水分が少なかったら危なかったかも。とにかく日陰のない高温地帯を走り続けるのは無謀だ。なんとか回復し反省。でも足は前回より快調になった気がする。
◆2002年8月8日(木)右足が完全復帰しました。本日早朝4時30分頃起床。今年の夏休み初めての早起きでした。遠足気分でリユックに食べ物 飲み物を詰めて,いざランニング。家族にも呆れられるほどかなりはまっている。朝日が登り始めるそれに向かって走る。イヤぁ−青春ですね。田んぼの横を走る。稲のにおいがここちよし。土手に進むともう人の姿 すれ違うたびに「おはよう御座います」これも心地よし。空の青 水の青 そして木々の緑が目にしみる。牧さんと作ったオリジナルコース23キロはすばらしい。久しぶりの長距離をゆっくり走りました。50キロを走れる体に近づけていきます。8月25日を意識している。
◆2002年8月4日(日)二人の中年男が暑い日差しの中黙々と走りながらときどき止まっては何かをしている。何人かの人に「測定ですか」と声をかけられた。
ランニング仲間の牧さんと1日がかりでランニングのコースづくりをした。5.6qの周回コースと23qに及ぶすばらしい長距離コース。1キロごとにしっかりとペインティングしました。これからのトレーニングが楽しくなりそうだ。一人ではできない大仕事でした。
ご希望の方にはお教えします。かなり正確です。
◆2002年7月31日(水)牧さんからのお誘い。『第42回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会』 52.07qにエントリーすることにしました。皇居マラソン以来の不調を吹き払い,フルマラソン42.195q以上の距離を走ることを目標にします。
もちろん完走をめざしたトレーニングをしますが...とにかくゆっくり長時間走り続けることに挑戦しています。1キロ何分でなく何時間走り続けられたかということで走るとスゴク走りが楽になる見たい。足の痛みはまだあるが余り癸にならなくなってきた。ユツクリ走ればだけれども。
◆2002年7月21日(日)本日12.4qを走れた。2キロあたりからいつもの痛みを感じたが無視。痛む場所が少しずつ変わってきた気がするが気になる。ただ2周目に痛みを押して全力疾走ができたのがうれしい手応えを感じた。以前は踏み込んでも力が入らなかった。「イテテテ」と右足をかばう走りになってしまった。でも今日は外から見て右足をかばっているような走りにはならなかった。本日までの走行距離93.5キロ。31日まで200qにどこまで近づけられるか。そして足の痛みが
どのようになっていくのか注目したい。早くも 5月19日から2ヶ月。「回復しました」と宣言したい。 その日も近いかな。
◆2002年7月14日(日) 7月6日近くの整形外科に診てもらう。膝から上の大腿
部のレントゲン写真もとるが異常なし。
 走る仲間 牧さんに相談 「自分もそういうことがあった サポーターをつけて走っているうちに痛みが消えた」と。この助言にまた元気が出てきた。早速サポーター
をしてランニング再開 7月6日 6.2キロ 7日 10キロ そして通ラン3.1キロ
 そして昨日 今日 7q 再開して52.8qの走行。痛みがあり快適なランニングとはなっていないがしばらく続けてみよう。
◆2002年6月24日(月) 18日からまたランニングを止めている。
まだ快調な走りができず中途半端は止めて完全休養をしばらく続けることにします。何かランニングがないと元気が出ない。9月15日(日)タートルマラソン全国大会
で走れることを目標として,ランニングを始めた原点に戻ることにする。
 この辛い気持ちをしっかりと味わおう。(と自分を励ましています。)
1年も経たずに頓挫。これを乗り切れるのか?

◆2002年6月16日(日) 6月8日以来ランニングを再開している。毎朝の通勤ランニング(3.1q)も始めた。しかし疲労 過労状態の時は亀有からのバスに切り替えている。(2日間) 本日河川敷の自分のつくったコース6.2キロを走り少しずつ距離を伸ばしているが,最初からの右足の痛みは消えかかっているが,まだ本調子ではない。焦らず完全回復を目指してのランニングとなっている。

反省
@練習不足の状態で長距離は走らない。
A余り気分が乗らないとき走らない。
B走ってからすぐに練習できるようにアミノ酸など不足しがちのものを取り入れる。
C月間走行距離200qを目指す。
D毎月大会参加を止めて参加目標を体調に合わせて設定する。

◆本日 整形外科医に診てもらいました。2002年6月8日(土)
近くのかかりつけの総合病院にいこうかと思いましたが,お医者さんにこだわりました。テーピングをしながら走る人 そんなにまでして走らなくてもと思っていたけれど,そんなにまでして走りたい気持ちがわかってきました。走ることを知らないお医者さんに診てもらってもせいぜい「もう年も年なのだから,走らないで無理しない。」といって塗り薬でも出しておしまいになるのではと言う独断的偏見で,市民ランナーのお医者さんに診てもらおうと考えました。なかなかそういう人はいないだろうけどなぁ と思っていた。もしかしたらできるかもと思ったことを実行してみた。
 雑誌「ランナーズ」で 
走る整形外科医 ドクター小嵐のランニング障害クリニック 
のページがありました。
 早速ランナーズに出ている電話番号に電話。そして編集部の電話を教えてもらい
そこで小嵐先生が診察しておられる高田整形外科の場所を教えてもらいました。(私の家から遠いけれども,行ける場所だ。)私と同じような方がいるようで待たせずすぐに対応してくれたのがうれしかったですね。貴重な土曜休みでしたが,その日は午前中診察していると言うことそして小嵐先生が診察できることを前日に確かめて一日がかりのつもりで出かけました。早く走り始めたいという思いを胸に秘めてです。
 小嵐先生にお会いしました。名前からのイメージそして私より年上で想像していたイメージと違っていた。 一言で 若々しい!さすがウルトラマラソンを走るランナー ランニング日誌もお見せした。
「去年から走り始めたの!?3時間台でますよ」「皇居マラソンよく行きました。」と先生。
「ホノルルマラソンで81歳の男性が走りました。私が幾つまで走れるかという実験のつもりです。」と余計なことまで話してしまった。
 こんな会話は走らないドクターとはできない。それだけで安心してしまう。

 レントゲンの結果は 異状なし そして痛くなるまえに止めれば走ってヨシそして塗り薬も何もいらないと言うことでした。
「先生 走るためにテーピングしたり塗り薬を塗ったりしている人がいますけれど
きくのですか」「一時的にはねでも一番効果的なのは距離を走ること。フルマラソンなら月間200qは走りたい」 ということでした。

ひとまず,この痛みのようすをみながら徐々にランニングを開始しょうと元気が出てきたのでした。

 うずうずして,帰宅して夕方久しぶりに河川敷に行って走ってみた。
痛みはまだあるが,何というのだろう小嵐先生の力というか,その痛みが何故か
だんだんラクになっていきそうな感じになってきた。また調子に乗って無理しないようにしょう。
 【変わった生活をまた元に戻そう】


◆実験を修正 皇居50周マラソンで初めて挫折 35qでストップしただけでなく
それ以降右足が走ると痛み正常に走れないと言う事態に直面している。
                                2002年5月19日(日)
長く走り続けるにはどうしたらよいのか。これがテーマ。ホノルルマラソンで81歳の男性が80歳代で一人。70歳代158人(男)12人(女) 50歳代2037人(男)
1158人(女)この数字を見て考える。まだ走れるのだけれども諸般の事情で参加できないと言うことでの参加者の現象なのか。無理をして走れなくなってしまった。老化で走れなくなった。他の病に倒れた。様々なドラマがあるのでしょう。
そこら辺の追跡調査みたいのがあったらおもしろいのだけれど。

まだ走り始めたばかりなので大きなことは言えないけれども,足の痛みを感じずに
走り続けるにはどうすればよいか,実験します。とりあえず1年間走り続けられるかに挑戦。             2002年1月27日(日)

◆友とのランニング
本日初めて,ランニング仲間と走った。偶然走っているコースが同じだったのだ。ランニングしながらのおしゃべり。いつの間にか予定の
距離を走ったが,もう一周と5.7qもプラスできた。仲間と練習これもなかなかいい。  2002/2/23(土)

◆夢が一つできた。
教え子達とランニングすること。できたら私が主催してやれたらおもしろい。
2002/2/17
◆何故今ランニング
  小学校の運動会 いつもビリから二番目口を開けて走っている写真が残っている。
奥戸中学校での陸上部に気が優しくて身長がひときわ高い小林君という生徒がいた。気が弱くて時にはいじめられていた
彼が陸上部に入り,黙々と走る姿を見て陸上部顧問の先生に真顔で質問したものだ。「練習すれば走るの速くなるのかなぁ」
「小林君の記録がドンドンあがっていること,練習すればそれなりに速く走れる」とそのとき私は足の速いのは生まれつきと思っていた。
「走るのが好きなんだけれども走りたくない。」こんな思いの人 いるのではないか。   

50歳記念の24時間ウォークで歩くことの楽しさを知る。


◆若き同僚 和島さんとの出会い。手賀沼マラソン第1回からの全出場。スゴイナぁ 若いなぁ 俺は50歳だしウォーキングだなぁ。
和島さんは30歳を期して手賀沼に一念発起エントリーしたという。自分には21.0975q走るにはとんでもない距離に思えた。
子供と一緒に正月の新春マラソンの3キロに出たこともある。子供のためによい刺激を与えることが眼目。自分は適当に走れればヨシ。
しかし和島さんが熱心に手賀沼マラソンに誘ってくれた。「年輩の方もいますよ」の言葉にちょっとのぞいてみるかと言う気持ちになってきた。
そしてその前にタートルマラソンに自分の体を試そうと思って参加。そしてそこに参加した人達を見てショック。若い人も男も女も年寄りも
みんな元気!走ることを楽しもうと言う雰囲気が気に入りました。「がんばらないでくださーい」の声援が新鮮だった。
頑張れ頑張れと子供を励ますことが多いけれど「頑張らないで!」というのもいい。

◆ひよっと本屋でマラソンの本を立ち読みそして思わず買ってしまった。LSDという走り方。Long Slow Distance 長くゆっくりと走る ということが印象深かった。今まで走るとなると,最後は顔をゆがめて必死に走るものと思っていた。そうか!ゆっくりながーく走る 自分の走りでいいんだぁ。何か新しいことを発見したような気分     2001年



◆86歳の父親 足が弱り杖なしでは歩けない。そして外に行くときは車いすにも頼らなければならない。自分も行く末このようになるのか イヤ なりたくない!父も「俺の経験を生かして亮はずっと走れるように無理するな」と幾つになっても親として温かく見守っていてくれている。ホノルルマラソンに81歳の最高齢の人〈日本人〉が完走した。人によってこんなに違う,何が違うのか。これを知りたい。
そのために自分がこれから始めたランニングがいつまでどのようにして続けられるかを自分の身体で試しその記録を残すことは後世に役立つのではないかと
考えました。12/19

スタートラインに立てれば幸せ そして自分の記録を更新できたらもっとうれしい。
このホームページに記録を残して何歳まで走れるのか,何歳まで更新できるのか身体をかけた実験の始まりだ。きっと私より若い人達 のためになるでしょう。
ながーく 走れることを願ってのランニング記録にしたいなぁ

15 2003年(平成15年)8月2日(土) 第一回利根川平和祈念マラソン大会
(利根川楽走会主催 )
ハーフ 1時間58分26秒 画期的な大会でした。
大会レポートをご覧下さい。
14 2003年(平成15年)5月18日(日) 江戸開府400年記念大会 東京シティーロードレース2003 10キロ 10q
51分46秒
1818位(4088名)
記録

ネットタイム 49分42秒
本当にうれしかった。スタート台に立てたことが。だから土曜日からウキウキ。日比谷公園7:00受付開始にできるだけ早く行こうとやる気充分。体調も良好。練習は2日休み。でも42.195qではないj。完走は確実だが,どれだけ積極的にケガなく走れるかそれが課題であった。谷川真里さん,そして後からわかったのだが高橋尚子さんもゲストランナーとして走ると言うことでこのランナーに少しでも近づこうと,とんでもないことを考えての参加。 しかし受付に到着したのが7時過ぎ。日比谷公園近くは結構閑散としていて,今日本当に大会あるのか, 都心で遠慮した大会なのかスタートギリギリまで交通規制がされないためでもある。しかし,ユトリで着替えゼッケンをつけチップをつけて回りを見たらどこから湧いてきたのか思えるような人人人
。ホノルルで着たランニングと本格的ランパンで9時35分のスタートまでウォームアップのつもりで日比谷公園一周 皇居周辺をユックリと走る。これが良かった。すばらしい場所だ。

フルマラソン ハーフではこんなゆとりはなかった。汗を流して
ということだったがランニングでは少しからだが冷えそう。ああ
しまったホノルルで教えてもらった防寒のビニールを用意すれば良かった。    
国立競技場のゲートをくぐった。テレビで見たマラソンの最終シーンを体験しているような自己満足の世界。パット開けた競技場のトラック400メートルに走る人の輪が繋     続く

10キロレースの楽しみは時間が早く終わり後の時間がユトリあること。

東京シティーマラソンの実現 ホノルル ニューヨーク パリ主要都市はすべてマラソン大会を実施している。

私が走れる間に東京フルマラソンが実現することを願っている。
続く
 
2003年5月10日(土) 第3回富士箱根ふれあいスポーツフェスタ ハーフマラソン 楽しみにしていたのに参加できず。
13 2003年4月13日(日) 第13回かすみがうらマラソン フル 29キロでリタイア
3時間48分24秒
残念ながら,かすみがうらマラソン大会で初めてリタイアしました。練習無しの42.195キロはやはり無謀でした。29キロ地点で足下がふらつき近くの係員に自らリタイアを告げました。
救護車にのりそして収容者に乗り換え満席の収容者で必死にゴールを目指す人の列をうつむき加減に見やりながらの車でのゴールとなってしまいました。その後自宅に戻っても体調が思わしくなく
熱をはかったら39.1度もありあわてて急患で診てもらいました。あすは休暇かと思いきや朝起きたらスッキリとして職場にいつものように行くことができました。
12 2003年3月23日(日) 第6回東京・荒川市民マラソン フル 4時間45分31秒
ゼッケン 10086
10k: 1:14:03
20k: 2:17:02
30k: 3:17:57
40k: 4:36:48
Goal: 4:54:55

総合
6614位(9689人中)
50歳代
1652位(2412人中)
前回より苦しいランニングとなりました。3月に入って34qしか
走れなかった。3月8日以来走れなかった。前日もリハビリ病院でのミニライブ 夜間中学校の記録映画の試写会と遅く帰宅しての準備。ユトリのない参加。でも9月15日からのブランクを埋めるため参加することに意義ありと言う思いで会場に向かった。
初めてスプリットタイムをとれる時計をしての参加。
 先頭がスタートしてもトイレの列にいた。チョット焦ったが逆にトイレがすいてユックリできた。しかもまだスタートしているのに動いていない部分も長く途中からその列にいり悠々と気持ちよくスタートできたのです。トイレはスタートしてからでも充分。これが今回のよい経験となりました。とにかく走り出すと調子に乗ってしまう。30キロを過ぎてから少しずつ足にきた。
 途中の歩きもできるだけ少なく歩くときも走るつもりでを心がけた。5時間を過ぎるかと思ったが完走だけをめざしたにしては頑張った,イヤ回りのランナーが走らせてくれたのだ。一人ではこうならない。次回は練習して走りたい。
11 2002年9月15日(日) 第30回タートルマラソン全国大会

Photos集
ハーフ 1時間46分25秒
576位/1654人






反省
○ボフ゛さんの挨拶を撮ろうとしたらデジカメの電池が切れた。スタート間際にランニングで買いに行く。

よかったこと
○初めてポンチョを使って野外で着替えをした。これは助かる。
さあ2回目の参加はこの大会だけ。初めて参加したときのことが想い出される。土手にあがって見えた会場の華やかさ(昨年は天気がよかった)に驚いた。老いも若きも生き生きとしていたのが印象深かった。今年は肌寒いくらいの絶好のランニング日和。
 昨年と同じ場所で仲間と待ち合わせ。1年ぶりの再会そして新しい仲間の参加。初めてなのにすぐうちとけて話が弾む。
私をランニングの世界へ誘ってくれた和島さんと教え子の山内君の参加がうれしい。昨年のこの大会で走る喜びと走った後の仲間との交流,そしてそれをきっかけに続いた様々な交流。ランニングのおもしろさは走っての気持ち良さばかりではない。
今年は開会式でまた感銘を受けた。それは松田千枝さん(資生堂)が招待選手として参加しているのを目の当たりに見れたこと。松田千枝さんの「ランニングの贈り物」を読み,すばらしい女性がいるなぁと思っていたからだ。1948年生まれで私とほぼ同じ年齢というのも親しみを感じていた。その挨拶も実にさわやかでした。そして私がさらに驚いたことは松田さんの次に紹介された外国人(アメリカ人)ボブ・ウィーランドさんにお会いできたからだ。この大会はバリアフリー大会で障害者も多く参加していた。アーリースタートといってみんなより速くスタートして全員が完走できるようにしている大会だ。ボブさんは地雷で下半身を失い両手で「走っている」。特別の靴を高くかかげて元気よく挨拶してくれました。開会式に出るためにアーリースタートで走っていたのを中断して壇上で紹介されました。何という励ましでしょう。
私は走っている途中ボブさんの走る姿を見ました。「頑張れ」
と声をかけました。そして自分の持てる力を出し尽くしてみようと
頑張ることにしました。「頑張らないで楽しく走る。」つもりでしたが........
  スタート台にたてたうれしさ。そして仲間の声援・そして予期せぬその場に居合わせた父母からの声援。
エイドステイションで教え子から水をもらい,ロードレースよりも
単調なコースは意外と辛い。でも次々と私の前に現れるランナーに刺激されスピードが上がる。エイドステイションも調子によってはパスして快調に走り続けることができた。あと3キロのところでお互いに励まし合って競い合うランナーに出会えて出し切れない力まで出せたような気がします。ゴール近くで「菊池センセーイ」の若い女性の声援。力になりました。
 「御苦労さん会」千住の街はお祭りで賑やか。その雰囲気を味わいながら飲める場所を探すの苦労。でも温かい”おじちゃんおばちゃん”のお蕎麦屋さんで乾杯!!!
本当にすばらしい大会でした。
10 2002年8月25日(日) 42回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会52.07q

鶴沼ウルトラマラソン大会ホームページ
6時間38分22秒 朝おにぎり4つ作った。作り方がうまく速くなってきた。 
 久しぶりの大会でスタートラインにたてるだけでウキウキしていました。ただ前回と同じ周回コースだが距離が少し長い。前回7周で挫折しているので7周を越えられるのか。走る意欲がどこまで続くか不安いっぱいでのぞんみました。ただ前回と違うことは200キロは走れなかったけれどもこの日に向けて暑い夏でも151q走ってきたこと。精神状態もやる気充分。そしてウルトラマラソン100キロサロマ湖を完走した牧さんが菊池の完走を第一に走るつもりでいたこと。(これは後からわかった)
 今までと全然違う雰囲気。参加者約150名。みんなが知り合いのように声を掛け合っている。コースも巻き尺を使って計られた普通の生活道路。もちろん何の規制もない。しかしほとんどが田園,牛舎の横をそのにおいを胸一杯にすってのランニング。気に入りました。同じところを何回も走るから変化のあるコースがうれしかった。
 最初簡単なセレモニー主催者の人の話が「今日は暑いから水をタップリとってください。」と説得力のある例を紹介しながらの弁。そしてすぐスタート。とにかく完走を願ってのスタート。牧さんにピツタリついてときどき話しながらのランニング。これが助かった。どんなペースで走ればよいのか。元気があるうちはつい調子に乗って前に出ようとする私を「まだ押さえて押さえて。」と牧さん。6周目に30キロの壁がきた。そこをどんな具合で通過できるかが一つの関門でした。6週目を終了 そしていよいよ7周目少しずつ足に響いてきた。でも7周終了の時点でやる気があった。そして足の状態もだんだん慣れてきた感じ。これで何かうれしくなってまた飛び出しそうになった9周走れればよいと言う気持ちが少しあった。牧さんが「完走目指そう。9周と完走では感動が違うよ。完走できればいいなあじゃなくて 絶対完走する
でいこう。」これで踏みとどまった。そうか7周終わってもまだ15キロ以上あるのだ。8周後半から9周で足がかなりきつくなってきた。良かったあそこでとばしていたらあぶなかった。
 そして9周めにはいり539メートル地点に42.195キロのラインがあった。そのラインを超えたときから未知のきょりへの挑戦となった。うれしくてよし!ここまで来ればやれると気合いが入った。そしていよいよ10周目。10周めのランナーには赤いタスキが渡されることになっていました。私達があと3周というところでもうすでに赤タスキのランナーが軽快な足取りでスタスタと私達を抜かしていく。 走りが違う! 小柄な若い女性が赤いタスキでとぶように走っていく。いいなぁ赤いタスキで走れるのかなぁと歯を食いしばっていた自分がいよいよ赤いタスキをすることができた。そして誇らしく走ることができた。もう子どもの心。そしてラストだという思いで全力を出そうというやる気がまだあった。遠くに赤いタスキのランナーが近づくとゴールテープをはってくれる人の影が見る見る近づいてきた。普通の道路の歩道でのゴール。今までの大会よりずっとちっちゃいゴールだったけれども今までで一番の感動のゴールだった。

 こぼれ話
@暑さとの闘いでもあった。あれだけ日差しが体力を消耗させるのか実感した。少しの日陰があるとそこを求めて走った。
Aあれだけ温かいエイドステイションも初めてだった。あれがなければ完走できたか?エイドには,氷がタップリ用意されていた。そして頭から水をかけるための水がいつもタップリ。そしてくるたびにかけてくれる人が「よしもう一杯」と励ましの言葉と共に水をかけてくれた。この気持ちよさ生まれて初めてだ。
 今まで走っていた人がエイドのスタッフ。ランナーの気持ちをしっかりわかっていてくれる。出てくる食べ物がすごかった。
冷えた飲み物 ウーロン茶 スポーツドリンク CCレモン ,各種のサプリメントゼリー クエン酸  食べ物は おにぎり各種 おいなり(これがおいかった) 漬け物 梅干し 白菜キムチ 梨 スイカ バナナ  アイスキャンディー 飴 カップ麺 

もう走るのが楽しみというより,エイドステイションでのわずかな時間2分〜3分の頭からの水 と飲み物 そして食べ物 口に含む氷 を楽しみに走っていたように思います。

そして 3時頃ゴール近くで宴会のビール(さすがに飲めなかった飲んだらその場に動けなくなりそうなほど消耗しました。) とにかく走る喜びを知り尽くした人の心づかいを端々で感じた大会でした。本当にこの暑い中での準備大変だっただろうと思いました。「5月には100キロやりますから。」とさりげなくいった女性スタッフにお礼を言って会場を後にしました。

エイドステイションの滞在時間18分以上を差し引くと5時間台で走れたのかな。
Bあのランナーズの走る整形外科医小嵐先生も参加されていた。完走できたところでご挨拶しょうと思っていたらお会いできなかった。おかげさまで走れるようになりました。
7月の走行距離 151.7q
6月の走行距離 35.5q
2002年6月2日(日) 六無月東京喜多(北)マラソン42.195q エントリーしたが棄権。
5月の走行距離 85.1q
2002年5月19日(日) 第28回チャレンジ皇居マラソン大会 50q 4時間16分50秒
35qでストップ
ゼッケン103
 皇居1周5キロを10周するというコース。ゆっくり走れば完走できるだろうと思っていたが甘かった。前回よりもさらに練習不足が20q過ぎあたりからこたえてきた。桜田門をくぐり抜けると1周がおわる。そのたびに終わっていいですよという誘惑に誘われる。今回ほど辛いランニングはなかった。日差しも強く温度もかなり上がっていた。 7回回りながら首都東京のど真ん中にあり車の量も圧倒的に多いのに何て快適なコースなのだろうと思った。今度はもっと楽しく快適に走るために走り込みを充分してからでるべきだとおもいました。
4月の走行距離 112.7q
2002年4月21日(日) 第12回かすみがうらマラソン大会 4時間16分49秒
記録更新
 完走をめざして無心に走った。昼過ぎから天気予報通りに雨
風もあり結構肌寒い。ウインドブレーカーを着て帽子をかぶって
手袋をして雨対策。後半に消耗しないようにゆっくりスタート
手元の時計がうまく動かずスタートラインを踏んでから5分位して作動。 かすみがうマラソンも初めてだけれどホノルルマラソンに雰囲気がにている。そして今まで参加した中では一番良かった。コースはアップダウンがけっこうあるが車両を通行止めして大きな道を堂々と走れる気持ちよさ。沿道の人達の温かい声援家族ぐるみの応援。車いすに座って応援しているお婆ちゃんに「婆ちゃん頑張って!」といったらにっこりとわらった。ヒヨットコの面をつけて沿道の人に愛嬌を振りまくランナーに警備のお巡りさんの顔もにこやかに..小さな子ども達の可愛い声援。
エイドが温かい。公的エイドだけでなく家族ぐるみでのエイドステーションもありそれを楽しみにしているランナーも多数。
 といった雰囲気で30キロまでは我慢して走るが30キロ過ぎてからアップしていく。そして若い学生のランナーに挑戦的な走りをして競い合っていたらあれー記録更新できるかなとやっぱり力を入れてしまった。若いランナーにはあと2キロの地点でバイバイ。その後エネルギーを使い果たしたようにスピードがガクン
と落ちてゴール直前にスパートも気持ちだけ。
ゴールできた!雨が激しくなりチップをはずすのも一苦労。
更衣室はもう大変!! 
3月の走行距離 105.6q
2002年3月24日(日) 第5回東京・荒川市民マラソン フル 4時間43分35秒
ゼッケン 8544
10k: 1:07:07
20k: 2:04:14
30k: 3:03:48
40k: 4:28:44
Goal: 4:43:35
時刻:13:43:35
ネットタイム()
4時間36分04秒

総合
5953位(9199人中)
50歳代
1503位(2202人中)
 苦しいランニングになりました。3月に入って52.5qしか走れないで大会に臨みました。200q以上走り込んできた牧さんは6分/qでのペースで目標をしっかり立ててのゆとりのランニング。そのペースについていこうと最初は順調だったが。15qを過ぎたあたりから嫌な予感。右足に不自然な痛みを感じ始めた。30キロまではノンストップでいこうと頑張った。回りで立ち止まりストレッチをする人歩き始める人が出始める。自分の様子もおかしくなってきた。完全に右足をカバーしながらの走りになりドンドン抜かされる。そして35qあたりからとうとう歩き始めだ。あと5q あと4q ...歩いたり走ったり痛みをごまかしながら走る。そしてあと1qのところから応援の人並みが見えて格好つけないとと言う意識がはたらくや何か痛みも和らぎドンドン抜いてカメラにポーズしてゴールにたどり着いた。今までで一番苦しいランニングでした。

後日 ゴールのスナップ入りの立派な記録証と全員の記録名簿
ここまで丁寧にやるから人気があるんだ。御苦労様です。
2月の走行距離 134.3q
2002年2月3日(日) 第24回神奈川マラソン ハーフ 1時間44分15秒(手元の時計)
正式タイム1時間44分05秒
○50歳代男子193位【409人中】
ゼッケン 8645
5キロ 22分台かな
エントリー数 6316人
当日受付 4448人
レース完走者 3084人
上の数字を見ても,悪天候でリタイアした人が多かった。
 すごい経験となった。詳しく記録しておこう。
家族がまだ眠っている。食事をして,おにぎりを3個つくる。これもだいぶ慣れた。スタート前の食事にバナナ レース中はウィーダインゼリー レース後おにぎり と落ち着いてきた。
今日は神奈川の磯子まで出かける。外は冷たい雨。スタートが11時30分とはいえできるだけ早く家を出たい。でも前日になってあわてて準備するためにいつも朝まで何かと忙しい。いつも反省もっと早く準備しなくては。
 会場には磯子駅のすぐソバ。日清製油磯子工場の中。今まで参加した中で一番殺風景な会場だ。しかし雰囲気はだんだん激しくなる雨風にもかかわらず元気 明るい。箱根駅伝に出た大学が陸上部で参加している。若者が多い。ホノルルマラソンのように雰囲気を盛り上げる放送がボリュームたっぷりに景気をつけている。5キロ 10キロに学生が記録をめざして参加。スタートのカウントダウンをして号砲がなる。晴れていたらきっともっとスゴイだろうなぁ。
 冷たい雨雨雨 風風風 強まるばかり。今まで更衣に苦労したことがないのにテントに入った。水も進入して走らないのに足もぬれてしまう。イヤーこれ最悪。スタートまで体がドンドン冷える。軽いウインドブレーカーをきて走ることにしたが,ランニングパンツはいつも通り。足のほとんどが空気にさらされている。荷物預かり場所もごった返しスタートに近づくと益々雨風強し。雪に変わりそうな冷たさが体にしみる。回りを見ると寒さ対策をしっかりしたウエアで参加している人も多いが,私より薄着で
大丈夫かなと思われる元気?ないでたちもかなりいた。

 いよいよスタートラインにたった。前回より30秒速く走れば1時間30分代の記録が出せる。それを目指そうと1時間30分のスタートライン。今回はゼッケンで年齢もわかるようになっていた。たまたま隣にいた人が70歳代。 「何年走っているのですか」「50年くらいかな」イヤハヤスゴイ人達がいる。「自分が70歳になったとき走っていられるのかなぁ。」とチラッと頭によぎる。
まだまだ1年も続いていないのだ。「気楽にやるさ」と自ら励ました。

 いよいよ走り始めた。雨にもかかわらず沿道 歩道橋に多くの応援の人達が声援を送っている。
さすが「かながわ未来遺産100」に選ばれた催しだけあって,多くの人達が協力している雰囲気を感じた。私達は走り出せば寒さも少しは軽減できるけれど大会を支えるスタッフ エイドで水を給してくれている人 本当に有り難いと思う。元気のある間はできるだけ「ありがとう」の言葉をかけた。 雨風が止まない。5キロを通過 通過タイムが22分台 これはかなり速い。若者に引っ張られて全体が速い。ヒヨッしたら1時間30分台で行けるかもしれないぞ。道路に雨の水たまりができている。
思わずその深い水たまりに足がズブリ。あの瞬間の嫌なこと。回りのランナーより路面の様子が気になり始める。それでも3回はズブリと靴が全部冷たい水の中。手にホカロンを握って走ったが手袋がびしょぬれ手の先まで冷たさで凍えてきた。
 あーあ しっかり結んでいたはずの靴ひもがゆるみ道の横で結び直そうとするが手が凍えてなかなか結べない。あーあ記録更新は無理だと走り始める。やっと10キロ地点。時計を見て驚いた前回は47分51秒が46分台で通過している。これは行けるかもと再び発奮するがやはりちょつといつもと違う。海沿いを走る時に海からの冷たい向かい風が体を押し戻すような勢いで吹き付ける。足が固まりそう。救護にお世話になる人も出始める。ひよっとして完走するのも大変かもと思いドンドン抜かれてもマイペースの走りに徹した。
 周回コースで2回トップランナー達とすれ違った。大学ごとのユニフォームで隊列を組んで走ってくる若者達の格好の良いこと! 「明治大学頑張れ!」とか市民ランナーからかけ声が。私も思わず声をかけてしまった。自分が走るの精一杯なのだけれど若者達がいい顔で走る姿を目の当たりに見て
 気持ちがよかった。
やっとゴール 益々雨強し。雨に打たれながら足につけたチップを取り外そうとしたが手が凍えて
はずせない。やっとはずしてTシャツをもらいゴールの喜びよりも着替えるためにまた一苦労。
「早く着替えてね。」と声をかけてくれるスタッフの暖かさがうれしい。
 かなりのエネルギーの消耗を感じた。ごった返す更衣のテントでおにぎりにパクつく。これできっと元気を回復するだろう。
 あーあ完走できて良かった。無事に帰れて良かった。ただならぬマラソンの経験でした。
次回は3月24日荒川市民マラソン これはフル(42.195q)だからしっかり準備をしなくては。
冷たい雨風にもマラソン熱は冷めないようだ。ながーく続けよう。 
1月の走行距離 169.6キロ
2002年1月12日(日) 第3回谷川真理ハーフマラソン ハーフ 1時間40分20秒(手元の時計)後日郵送
正式タイム1時間40分20秒 手元の時計と一致   10キロ通過タイム 47分51秒
 2002年初の「実験」 体調良好 ホノルルマラソン以降の走行距離110q。一日平均約3.5キロしか走っていない。JR赤羽駅 この駅も大変立派で人が多い。会場となった北区 荒川河川敷野球場に向かう人の列が続く。まだ3回目という大会からか今まで参加した大会よりスムーズにいかないところもあったが雰囲気は良い。
今回は1時間40分台をめざしてみるか。でも走り出しての調子を見て....
 ただスタートは自分より実力以上の80分から89分の仲間に入ってみた。イヤイヤちょっと雰囲気が違う。スタートしてからその走りのペースがちょっと速い。まあ1キロ走ってみるかとみんなにあわせて走った。そうしたらまた私の横をスーット抜いていくランナーがいた背中に武蔵野とある。よし 5キロまでついていってみるかと前半から調子に乗った。そして何と10キロまでその武蔵野についていったら1キロ4分台の記録になっている。ここで武蔵野さんにバイバイ。そして一休みのランニングでドンドン抜かされるがまた気合いを入れてペースメーカーとなる人を捜しながらのランニング。
 あれひよっとしたら30分台の記録が出せるかもと計算したときからまた最後の力を出し切った。
そして最後20q地点で武蔵野さんに追いついた。またみんなに助けられて走れた感じ。 
足の痛みなし。階段もスムーズ。やはり走ることに自分の体が慣れてきたのかなと勝手に理解している。次の「実験」の課題が見えてきた。次は2月3日第2回神奈川マラソンに向け準備しょう。
2001年12月 9日〈日〉 第29回ホノルルマラソン フル フル  4時間54分00秒
30q 3時間41分49秒
ハーフ 2時間43分36秒
10q  1時間17分17秒
 初めての海外マラソン。計画を立ててからそして帰国するまでがすべてホノルルマラソン。
2001年11月25日〈日〉 第21回筑波マラソン フル 4時間36分32秒 初めてのフルマラソン。ハーフとは違う。走り終わってからの食料補給も考えねばならない。
2001年10月28日〈日〉 第7回手賀沼エコマラソン ハーフ 1時間52分42秒 手賀沼は13年前私の生活圏であった。しかしそこでこんな催しを始めていたとは知らなかった。
それを教えてくれた和島さん。何故か惹かれるものがあったが出場するなんてとんでもないと思っていた。
そして,仲間と走ったその後の喜びも知った。忘れられない大会となった。
2001年 9月15日  第30回タートルマラソン全国大会 ハーフ 2時間11分59秒  最初の10キロまでベテランの先輩遠藤さんについて走る。その後「先に行っていいですよ」
と言われ調子に乗って走った。普通に走っているつもりなのにドンドンぬいてしまう。
エイドにボーイスカウトにはいっている教え子から水をもらい張り切った。
 「頑張らないでくださーい」の応援が新鮮だった。自分のペースで楽しく走ればいいのだ。
初マラソンをこのマラソンにできたのがよかった。初めての金メダル 生まれて初めて走って褒められた。