part1
 

あけみさんのホームページ
あけみさんの留学生活も2年目に入り益々充実しているようです。
メールによる原稿だけでは伝えられない様子を
いよいよあけみさん自身がホームページを立ち上げ
自由な雰囲気で留学生活を伝えてくれています。
留学記の続きはあけみさんのホームページでご覧下さい。
2002年1月27日(日)


part2 part3 part4 番外編〈留学〉
  今年(2000年)5月29日に留学したばかり 生活始めたばかりの,
あけみさんからの貴重なお便りです。
このホームページを訪れてくれる,特に若者のために
忙しい合間を縫って,メッセージを寄せてくれることになりました。
 厳しい水泳
(3年間全国大会出場,高校でインターハイ3年連続出場)
と勉強の両立で悩みながら頑張り
中学時代輝いていた「先輩」の登場です。
2000年8月5日(土)
 10月,おもしろい展開となりました。あけみさんの親友あきさんがあけみさんの滞在している
アメリカ ニューメキシコ州を訪問しているのです。あきさんは劇団えんげき部主宰の俳優。
脚本を書き演出もする彼女からのエッセイが届きました。
題して「ヘンテツさん・随随・空の旅」。    
2000年10月21日(土)

アメリカ ニューメキシコ州からのお便り  
【アルバカーキ編】

2000年 目次 2000年 目次
5月29日 渡米 7月14日 ソコロ  卒業まで3年? ガーン
5月30日 生活の立ち上げ 7月15日 沖縄ダンスグループ
5月31日 広大な景色と水平線 7月16日 解答用紙 郵送
6月 1日 寮生活が始まった 7月17日 数学の勉強
6月 3日 アルバカーキ市内のバス 7月19日 車の購入OK
6月 4日 初めての寮のミーティング 7月20日 I need study!!
6月 5日 授業が始まった 7月21日 英語学校卒業
6月 7日 教室に日本人4人! 7月23日 台湾のお菓子
6月11日 久しぶりの泳ぎ 7月26日 免許取得最終段階
6月15日 ソーシャル・セキュリティー・ナンバー 7月28日 新しい免許証 さよならパーティ
6月16日 ハッピーフライデー 7月29日 おいしいコロッケ
6月18日 芸術の町 サンタフェ 食事も最高 7月31日 2ヶ月経過
6月19日 ボキャブラリーグループ 8月01日 たった一人で砂漠のなか
6月27日 絶景スポット 8月 2日 車を買ってもらえる
6月30日 アンドリアの結婚式 8月 3日 暁美が運転しなさい
7月 1日 ブーケ ガータの奪い合い 8月 4日 マックスとパムの結婚記念日
7月 2日 アルバカーキはわが家? 8月 6日 ディスカウントショップに行く
7月 3日 ハッピーマンデー 8月 7日 深澤亜希子へのお土産
7月 4日 360度の地平線 8月10日 ベトナム料理屋さん
7月 5日 授業が始まった 8月11日 日本食ディナーパーティー
7月 6日 自動車免許取得に向け始動・ショック 8月13日 ホワイトサンズ国立公園
7月 9日 そうめんの味 8月15日 夕方から家庭教師
7月10日 英文の履歴書 カバーレター 8月17日 今日は朝から勉強、掃除、荷造り
7月13日 大満足 8月18日 ソコロでの生活がスタート


to part2


2000年 5月29日   渡米                2000/8/05

 成田から友人に見送られ、カリフォルニア州サンフランシスコ、コロラド州デンバーを経由し、午後5時にやっと目的地に到着した。私は生まれて初めて米国はニューメキシコ州アルバカーキにやって来た。

 アルバカーキに到着するまでに、何度も感動的な景色と遭遇した。まず、デンバーからアルバカーキまでのフライトで生まれて初めて本物の砂漠を見た。本当に風の方向に、山ができていて、感動した。そのまま砂丘を通り越し、岩肌の露出した山々、どこまでも続く平野、かすかに草の生えた砂漠、どれもとてもすばらしかった。アルバカーキはどんなところなのかと窓から地上を見下ろしていると、突然、何もなかった平野に町が現れ、そこに飛行機が着陸した。アルバカーキはただっ広い平野にある町だった。見渡せばゴツゴツとした山と、向こう側に見えるどこまでも続く平野。この平野も草原ではなく、土の真っ平らなただの土地。そのスケールの大きさに、再び感動。さらに、生まれて初めて地平線を見た。地平線が存在するということは、地球が丸い証拠である。ここにいるといつでも地球が丸い事を感じられるのだなぁーとふと思った。この景色を見ると本当に気持ちがスッとする。これを大自然と言うのだろう。アルバカーキの気候は高温、乾燥である。湿気ギライの私にとっては最高だ。ただし乾燥の度合いが中途半端ではないので、乾燥に弱い人にとってはつらいかもしれない。
 そうそう。アルバカーキに到着するまでに、面白かった事もあった。サンフランシスコからデンバーまでのフライトで昼食が出た。ランチボックスというものが配られた。配られたのは本当にタダの箱。中にはサンドイッチとポテトチップス。ここまでは、日本人も納得がいくようなアメリカンスタイルのランチだ。しかし、とどめにチョコレートバーが入っていた!!前後、左右の大人も子供もみんなして、同じチョコレートバーをかじっていて,その光景は日本では考えられないものであり、本当に面白かった。

 さて、アルバカーキの空港に到着した私をベネット夫妻が出迎えてくれた。Mrs. ベネットは私がカリフォルニアにホームステイしていた時、お世話になっていた方の姪にあたる人で、私が6月1日に大学の寮に入寮するまで彼らの家に居させてくれることになっていた。ベネット夫妻の家はアルバカーキの北東に当たる位置にあり、ちょうど山のふもとに位置している。今晩はそこに泊まった。
 これが私の記念すべき留学第1日目だった。時差のせいで、1日がものすごく長く感じた。
2000年5月30日 生活の立ち上げ        2000/8/27

 今日からアルバカーキでの生活を立ち上げる準備を始めた。まず、銀行口座を開いた。普通預金口座と小切手口座の2つを開いた。次に韓国食材のお店に行き、日本のお米を手に入れた。韓国食材店にもかかわらず、日本のレトルト食品やインスタント食品もたくさん揃っていて、驚いた。この帰りにモール(デパートのようなところ。お店がたくさん集まっているところ)により、3合炊きの炊飯器を買った。ベネット夫妻が車であちらこちらと連れて行ってくれたので、順調に次から次へと用事が済んでいった。アメリカでの車の必要性をヒシヒシと感じた1日だった。
 
2000年5月31日 広大な景色と地平線      2000/8/27
 今日はベネット夫妻に連れられて、アルバカーキの町を走った。アルバカーキは東側に南北に走る山がある。
この山は2つの山から出来ていてそれぞれユニークな名前が付けられている。一つはモンザノ山。スペイン語で「スイカ」という意味である。この名前の由来は、西からの夕日が東側にそびえる山を赤く染めた時、山に露出している岩が黒く、まるでスイカの種のように見えるため、この名が付いたそうだ。もう一つの山はサンディア山。スペイン語で「リンゴ」という意味である。こちらの山はモンザノ山ほどゴツゴツしていないため、赤いリンゴにたとえてこの名が付いたのだろう。
 アルバカーキの道路事情はすごくシンプルである事を知った。どの道も南北もしくは東西に走っており、ハイウェーも南北に走るI−25と東西に走るI−40の2つだけである。道路も平野にある町であるため、坂はなく、人口も低いので渋滞もほとんどない。町を走りながら時々、小高い丘に上ったとき見える広大な景色と地平線がすごく気に入った。

2000年6月1日(木) 寮生活が始まった   2000/8/27
 今日からいよいよニューメキシコ大学での寮生活が始まった。私はStudent Apartmentに入寮した。受付に行き、鍵と書類をもらい、いよいよ自分の部屋に向かった。Student Apartmentは3階建てで、私の部屋は2階だった。1フロアーに6つの個室があり、6人で台所、リビング、ダイニング、バスルームを共有するタイプの寮である。ドアを開けてみると、そこにはベット、クローゼット、洋服ダンス、大きな机があった。思っていたよりも広く、生活しやすそうな雰囲気の部屋でかなりの満足度だ。リビング、ダイニングルームも同様に、アメリカンサイズで広々としていた。さらに各部屋にそれぞれ電話があり、そこから回線を引けるので、ネットワーク環境も万全。予想以上に良い環境で、これからの生活がとても楽しみになってきた。荷解きを済ませ、キャンパス内の散策に出かけた。

 ニューメキシコ大学は総合大学で、あらゆる学部の校舎が点在している。キャンパスもとても広く、学生数も多い。迷わないように地図を片手にまずは図書館に向かった。図書館だけでも6つあり、その中でも一番大きなZimmerman Libraryに行った。ギリシャのアテネ神殿を思わせる外観の3階建てで、雑誌や図書の置いてあるスペースのほか、自習スペースがあった。この自習スぺースがとても素敵だった。吹き抜けのアーチ状天井の下に、木製の長机と椅子が約25メートル先までズラーーーッと続いており、机と同じように、壁も彫刻のほどこされた木が使われていた。高い天井と木のぬくもりに包まれながら、落ち着いて勉強が出来そうな空間である。
 次に水泳好きの私には必要不可欠なプールを見学しに行った。残念ながら今日は休館日で中をのぞけなかったが、場所を確認できたので明日にでもひと泳ぎしに行ってみようかと思う。お昼になったので昼食を取りにカフェテリアに向かった。基本的にバイキング形式で、自分の好きな食べ物のあるブースに行き、食べたい料理をピックアップするシステム。席が空いていなかったので、近くに座っていたアジア系の女子学生さんに合い席させてもらった。食事中この女子学生さんとおしゃべりをした。彼女はベトナムから歯学部に留学している3年生。とても親切で食事後、近くのスーパーへ買い物に連れて行ってくれることになった。生活に必要な品々を買い込み帰宅。彼女の車がなかったら、買った物を持ちきれずに、スーパーと寮を3往復することになっていただろう。今日から始まる、生まれてはじめての寮生活のスタートも順調そうだ。
2000年6月3日(土) アルバカーキ市内のバス 2000/9/9
 今日はアルバカーキに住んでいる日本人の友人の家を訪ねて行った。行きは寮から1人で市内バスのサントラムバスを乗り継ぎ、向かった。初めてバスを利用するため、バス停の位置や運賃がわからず、不安だった。とりあえず小銭が必要だろうと思い、$5を25¢×20枚に両替した。ここで親切なお兄さんからサントラムバスに関する情報を入手。大学の学生証を運転手さんに見せるとたったの25¢で乗車できるらしい。ウソかホントか試してみると、本当にたったの25¢で乗車できた。しかも乗り換え券(Transfer Ticket)なるものをもらうと、乗り換えのたびにこの券を見せるだけで乗車できる。つまり25¢でアルバカーキ市内バスが1日中乗り放題になるわけだ。スバラシー。しかし、バスに乗ったは良いが、都バスのような降車ボタンが見当たらない。一体、どうやって運転手さんに知らせるのかと、辺りを見回していると、他の客が黒いバンドを触っている。もしやこれが降車ボタン?!ボタンと言うよりも、側壁に埋め込まれたただのゴムバンドである。しかも接触が悪いようで、何回もプッシュしているのにいっこうに停止ランプがつかず、自分の希望したバス停で降車しそこなった客もいた。さらに運転手さんも側に座った客と大声で話をしていて、停車ランプがついているにもかかわらず、気付かずに通過してしまう例もあった。さすがアメリカ。アバウトだ。バス停は各ストリートごとにあり、運転手さんによっては丁寧にストリート名をアナウンスしてくれる人もいた。まだアルバカーキの地理に詳しくない私にとって、このアナウンスはとても助かった。この後も特に道に迷うことなく、無事に友人の家にたどり着いた。そうめんをご馳走して下さった。日本食はやっぱり、とてもおいしかった。
2000年6月4日(日)初めての寮のミィーティング
                                  2000/9/9
  今日は夕方寮のミーティングがあった。一緒にフロアーをシェアするルームメートと初めて対面した。ルームメートの内2人は教育学の夏季集中プログラムに参加予定の学生で1人はアルバカーキの北にあるサンタフェから来たアニータ、同じくアルバカーキの北東にあるロスアラモスから来たルネー、私と同じ英語のプログラムに参加予定で、コロンビアから来たマルタ、心理学専攻でロシアから留学しているナターリアの合計5人で同じフロアーをシェアすることになった。みんな気さくな感じで、楽しく過ごせそうだ。
2000年6月5日(月)授業が始まった
 今日からニューメキシコ大学 Center for English Language and American Culture (CELAC)の授業が始まった。最初の2日間はクラス分けテストである。今日のテストはライティングだった。約1時間の英作文をした。初めて同じプログラムに参加している生徒さんに会ったが、なんと同じ部屋でテストを受けた生徒さんの中に、日本人が3人もいたのだ!!まさかこのニューメキシコに!?日本人同士、お互い同じ感想を持ったようで、驚きあっていた。
2000年6月7日(水)教室に日本人4人!

 今日、クラス分けテストの結果が発表された。私は上から2番目のアドバンスクラスだった。教室に行ってみると、な、なんと日本人が私を含めて4人もいた!!びっくり!!
一体、このプログラムに日本人は合計で何人参加しているのだろうか…?!今日から始まった授業は45分が1コマで授業と授業の間に15分の休憩が入り、1日4コマ、朝9時から13時まで。各コマごとにPronunciation & Conversation、 Writing、 Reading、 Grammarの授業が行われる。このスケジュールだと午後は自分の好きなように予定が立てられるので、毎日、自由な時間が持てそうだ。今日の授業はどのクラスも、クラスメートの自己紹介だった。私のクラスには韓国からの生徒さんが2人、台湾、メキシコ、ブラジルからの生徒さんが各1人だった。つまり日本人が約半分を占めていることになる。
2000年6月11日(日) 久しぶりの泳ぎ
 今日は朝、遅くまで寝てしまった。あわてて午前中に洗濯を済ませた。ラッキーなことに、ランドリーは私の住んでいる寮の建物の真正面にあり、とても楽だ。しかも、アメリカの文化では、洗濯物を干す習慣がなく、乾燥機が日本よりも普及しており、洗濯もほんの1時間半程度であがってしまう。便利だ。さらに、ここニューメキシコは非常に乾燥しているため、手洗いしなければならないデリケート衣類も、タオル脱水だけなのにもかわわらず、他の洗濯物があがる頃にはほとんど乾いてしまう。異常な乾燥もこの時ばかりはありがたい。午後は宿題をし、夕方、初めてプールに行った。この学校には3つプールがあり、全て室内である。一番大きいプールがオリンピックプールで50m。その隣に水深の浅い子供用のプールのセラピープールがある。更衣室から一番近いのが25mのジョンソンプールである。各プールごとに利用時間が決まっていたため、最初はジョンソンプールで軽く泳ぎ、5時からオリンピックプールに移り、本格的に泳いだ。久しぶりに泳ぎとても気持ちが良かった。ただ、ちょっと泳いだだけですぐに息があがってしまった。私も、もう年なのだろうか…。いやいや、ここが高地だからだ。ということにしておこう。
2000年6月15日(木)ソーシャル・セキュリティー・ナンバー

 今日は授業後、同じクラスの友達のホストマザーにソーシャル・セキュリティー・ナンバーのオフィスに車で連れて行ってもらった。このナンバーは運転免許を取得する時、警察につかまった時(あってほしくないなー。)、身分証明書等に使われる。私は運転免許をとろうと思っているので、取得は必要不可欠だ。持っていく書類はパスポート、I-20(大学側の入学許可証)、取得理由の手紙(英語学校のオフィスが用意してくれた。)と申し込み用紙である。アメリカの国旗が掲げられている、いかにもアメリカ政府の機関であるような建物に入って行った。思っていたよりも狭かったが、新しいせいか、内装がとてもきれいだった。しかもあまり混雑してなかったので、10分程度で申請を済ませられた。後日、カードが郵便で送られてくるらしい。楽しみに待っていよう。
2000年6月16日(金)ハッピーフライデー
 今日は、ハッピーフライデー。授業後、クラスメートの男の子達に混じって、大学のグランドでサッカーをした。とても楽しかったが、昼の2時から4時。まさに炎天下。上半身裸でプレーしていた子の背中は、終わり頃真っ赤に日焼けしていた。夕方からみんなでいろいろ食べ物を持ちより、オフキャンパスに住んでいる子の家で夜まで騒いでいた。韓国から来ている子が、本場のキムチを持ってきてくれた。やっぱり辛さが違った。親切にも、私が辛い物好きなことを話すとお土産にと少し分けてくれた。白いゴハンでキムチ。うーん。おいしそうだー。
2000年6月18日(日)芸術の町 サンタフェ 食事も最高
 今日はクラスメートのホストファミリーとサンタフェに行った。サンタフェはアルバカーキから約70マイル北にある町で、芸術の町といわれている。最初にサンタフェプラザに連れて行ってもらった。そこにはたくさんの出店がでていて、色々な物、特にお土産がたくさん売られていた。ドビースタイルという、ニューメキシコ地方のネイティブアメリカン(インディアン)が主に住んでいた家や町、人の絵、スターリングシルバーのアクセサリー、ちょっとした美術館にでもありそうなおしゃれなガラスのテーブル、皮製品のお店もあった。ココペリというネイティブアメリカンの間で言い伝えられている笛を吹く神様の絵がかかれたグッズ、ストーリーテーラーというこれまたネイティブアメリカンの間で伝説の語りべとされている人の置き物等々、ネイティブアメリカンに触れる機会もたくさんあった町だった。ホストファミリーの父曰く、サンタフェは買い物をするには、物価の高い町だが、食事は最高とのことで、昼食をニューメキシカンフードレストランに連れて行ってもらった。私はスパイシーフードが大好きなことを伝えると、グリーンチリシチューを薦められ、私はトライしてみることにした。シチューと言うので、てっきり白(ホワイトシチュー)かブラウン(ビーフシチュー)を想像していたのだが、出されたものは見た目、やや緑がかった透明なスープにビーフ、ポテト、その他野菜や香草の入ったシチューだった。一口食べてみて、私はグリーンチリシチューの虜になりました。すごくおいしい!今までに食べた事にない味なのだが、コリアンダー等、東南アジア系の香草OKの私には、香り、味、辛さ全てが最高。食後にカプチーノを頂き、私達一行は店を後にした。次にジョージオキーフと言うアメリカの有名な近代画家の美術館に行った。彼女は晩年をここ、ニューメキシコで過ごし、私の大好きなここの空や大地の広大な絵をたくさん描いた人。私が一番気に入ったのは “Sky above clouds” まるで飛行機から雲を見下ろしたような光景が描かれている。雲の質感、空の色がすごく気に入った。彼女は主に骨と花をモデルとしたそうで、大腿骨の空洞から見た空の絵や、花も1つの花を拡大して描くスタイルだった。駐車場までの帰り道で、ハーゲンダッツに寄りアイスクリームを買いアルバカーキに戻ってきた。こうして私のサンタフェ遠足は大満足のもと、幕を閉じた。友達のホストファミリーの方々、今日は1日どうもありがとうございました。
2000年6月19日(月) ボキャブラリーグループ
 今日は授業後、2時からのボキャブラリーグループに参加した。私の英語学校の先生が個人的に生徒を集め、開いてくれてくれるクラスで、ボキャブライー強化目的だ。内容は先生がその日に習う単語をピックアップし、クラス内で生徒が意味を答えていくタイプ。主に同意語言いかえるので、新しい単語を丸暗記するのではなく、同じ意味の言い換えなので、覚えるのもそんなに苦ではなかった。これから毎週月曜日参加する事にした。
2000年6月27日(火) 絶景スポット
 今日は友達とモール(ショッピングセンター)に買い物に行った。私は服とバス用品を購入。久しぶりの買い物だったので、とても楽しかった。買い物後、車で私達を連れて行ってくれた子のお気に入りの絶景スポットにつれて行ってもらい、コーラを飲みながら、みんなで広い大地に沈む夕日を眺めた。すごくきれいだった。私はニューメキシコのこの光景が本当に好きだ。猫の額程度の空しか、ビルとビルの合間に沈む夕日しか知らなかった東京育ちの私には、本当にこの空は私の気持ちを大きく広げてくれる力があると思った。と、同時に、私も車が欲しいと思った。だって車があれば、いつでもここに来れて、このスバラシ空を見れるのだもの…。
2000年6月30日(金)アンドリアの結婚式
 今日は授業後、空港に向かい、カリフォルニアに行った。父の代からお付き合いのあるジュンさん(おばあちゃん)のお孫さん、アンドリアの結婚式に参加するためだ。私は留学前、大学生時代、毎年一度、夏休みまたは春休みにジュンさんの家にホームステイさせてもらっていて、英語の勉強をしていたのだが、その時に色々と私の面倒を見てくれたのがこのアンドリアと旦那さんになるジュリアンだ。飛行機はノンストップ便がなかったので、アリゾナ経由でカリフォルニアのオンタリオ空港に到着した。なんとか迎えに来てくれていたジュンさんとそのファミリーに無事会え、家に向かった。荷物を置いて直ぐ、結婚式会場に向かった。アメリカの結婚式は日本のようにホテルで挙げるのではなく、ゴルフ場で行われる。結婚式のコーディネーターの人と相談して、レセプション会場の飾り付けは親戚、友達が協力して行う。私もさっそく会場に連れて行ってもらい、飾り付けのお手伝いをさせてもらった。会場は中央にダンスフロアーがあり、左右にテーブルが並んでいる。ダンスフロアー正面に花嫁、花婿の席があり、これに向かい合わせになるように親戚、親しい友人、いわゆる Best friendや の席がある。この席に座る人はみな同じドレス、同じ髪型をすることになっている。各テーブル中央には白を基調とした花が飾られ、チャペルにいる花嫁、花婿をかたどったホワイトチョコレートのお菓子が置かれていた。明日の結婚式を楽しみに待ちつつ、みんなでレストランで食事をし、ジュンさんの家に着いたのは12時近かった。
2000年7月1日(土)ブーケ ガータ の奪い合い
 今日は朝6時から結婚式の準備が始まった。みんなネイルケアのショップや、美容院に行き、髪から指の先までお手入れをする。私も一緒に連れて行ったもらい、プロのスタイリストさんにお化粧をしてもらった。私は赤いロングドレスと黒のカーディガンをはおり、準備完了!私のDateとして結婚式に一緒に参加してくれることになっていた友達も時間通りに到着し、私は彼の車で会場に向かった。初めは屋外にあるチャペルで結婚式が行われた。式ではジュンさんがお孫さんの当てた詩を朗読し、最後にバタフライセレブレイションなるものが行われた。孵化前の蛹をボックスにいれ、箱ごとそのまま羽化させ、式の最後に箱をあけると成長したチョウチョが舞うというものだった。式終了後、参加者は昨日飾り付けしたカントリークラブ内に移り、レセプションが始まった。初めに食事、その後に各種イベントが行われた。会場にはDJがいて、彼が司会進行を担当している。まず、花嫁のブーケ投げが行われた。私もみんなに混じって参加したが、激しいチャージにブーケを奪うことはできなかった。次に男の子のイベント、ガータが行われた。花嫁がブーケを投げるイベントは日本にもあるが、ガータは、今まで見たことも聞いたこともなかった。ガータでは花嫁を椅子に座らせ、なんと花婿が花嫁のスカートの中に頭を突っ込みガータベルトを取るものである。もしも日本でこんな事をしたら、花嫁の父は激怒する事だろう。そしてこのガータベルトが花嫁のブーケ代わりに未婚の男性がひしめく中へ投げられるのだ。イベントの合間の時間はみんなダンスフロアーで踊りまくる。私もみんなに混じって一緒に踊った。花嫁、花婿さんとも写真も取れたし、飲めたし、踊れたし最高の夜だった。この日はみんなでモーテルに泊まり、翌日家に帰った。アンドリア、ジュリアン、結婚式に呼んでくれてありがとう。これからも末永くお幸せに!!
2000年7月2日(日)アルバカーキはわが家?
 今日はモーテルからいったんジュンさんの家に荷物を取りに行き、空港まで友達が連れて行ってくれて、アルバカーキに帰着した。アルバカーキの空港が近づいてくると、まだたったの1ヶ月ちょっとしか住んでいないのに家に帰って来たような気分になった。私ももうアルバカーキ市民なのね。ミセスベネット、パムが空港まで迎えに来てくれ、そのまま寮に帰った。夜遅かったが、明日からの授業の宿題を済ませねば…

2000年7月3日(月)ハッピーマンデー
 今日はハッピーマンデーである。なぜなら、明日はアメリカの独立記念日で休日なのだ!!夜から友達の家に集まり、みんなでわいわい楽しんだ。結局明け方まで語り明かし、みんな床に雑魚寝状態。私もそのままふかふかのじゅうたんの上で眠りに落ちてしまった。
2000年7月4日(火)独立記念日 360度の地平線
 今日はアルバカーキの西にある、ペテログリフス公園に行った。ペテログリフスとはネイティブアメリカンが昔、石に絵を彫り描いたもののことである。この公園にはこのペテログリフスがいたるところにあり、また丘からはなんと360度の地平線が拝める。丘の上に立ち、あたりをグルリと一周見渡す。そして頭の上の空を眺める。初めて青空にもグラデーションがあることを知った。地平線から徐々に色が濃くなっていき、頭の真上辺りが一番濃いブルーになっている。まるで青空プラネタリウムの半球が頭上に広がっているようだった。その後みんなでLunchを食べ、映画館に行った。Mission Impossible 2を見た。まあ、批評は色々とあるが、私的にはシューティングアクションが大好きなので、OKということで。
2000年7月5日(水)授業が始まった。
 今日からまた授業が始まった。そろそろ私が次に行く学校、New Mexico Institute of Mining and Technologyの準備を始めようと思った。私がこの学校で研究するに当たって、指導していただく先生にメールを書いた。どんな返事が来るのだろうかとドキドキだ。
2000年7月6日(木)自動車免許取得に向け始動・ショック
 今日も午前中は授業だった。午後は友達と車の免許を取るためにMVD (Motor Vehicle Division)に行った。ニューメキシコは24歳以上だと国際免許、もしくは日本の自動車免許とその翻訳さえあれば、テストなしで免許がもらえる。私は24歳以下だったので飲酒運転禁止学習とでも言うのかなー、とにかく「お酒を飲んだら運転禁止」とういテストを受けなければならず、その申し込み用紙をもらってきた。必要事項を書き込み、費用を小切手で同封し、郵送すると、教本、問題、回答用紙が1冊にまとまったものが送られてくるらしい。学習後、町の図書館でビデオを借り、それを見て問題に解答する。解答用紙をまた郵送し、合格通知が送られてくるのを待つ。その合格通知を持って再度MVDに行くとやっと免許を発行してくれるそうだ。うーん。道のりは長いなぁ。とりあえず今日から免許取得に向け動き出した。寮に戻り、夕方メールを開いたら、教授から早速返事が来ていた。私が願書と一緒に送ったエッセイ(志望動機等を書いた作文)を覚えているとのコメントがあり、とてもうれしかった。だが、ショッキングな事も判明。なんと秋からサバーティカル(教授が自分の勉強の為に長期休暇を取る事)でマサチューセッツ州はボストンのMassachusetts Institute of Technology 通称MITに行ってしまうと言うのだ!!ガーーーンン。私は一体どうなるの?!でも1年間のサバーティカルらしいので、先生が帰ってきてから、もしくは先生のチームで研究をさせてもらえるのでは…等々色々考えた。先生より相談にのるので一度学校にいらっしゃいとのお誘いがあり、会いに行く事にした。Oh my god!!
2000年7月9日(日)そうめんの味
 今日は日曜日10時までゆっくりと朝寝坊した。その後、洗濯をし、午後から友達とプールに泳ぎに行った。久しぶりだったので、すごく気持ちが良かった。そのあと、友達を私の寮に呼び、一緒にそうめんの夕飯を食べた。そうめんは以前、日本に居る私の親友、深沢亜希子が送ってくれたものだ。友達も気に入ってくれたようで、よかった。よかった。
2000年7月10日(月)英文の履歴書 カバーレター
 今日から次の学校の先生に会う時に持っていく履歴書、カバーレター(この学校で何をしたいのか等、志望動機を書いたもの)の作成を始めた。生まれた初めての英文の履歴書。まずは情報集めから。英語学校のライティングの先生にヘルプを頼んだら、快く引き受けてくれた。ラッキー!!それから会話のクラスの先生に面接の模擬練習をお願いしたらこちらも快諾してくれた。
2000年7月13日(木)大満足
 今日、やっと英文履歴書、カバーレターが完成した。学校の側にあるKinko’sというなんと言ったらいいのだろう。コピーセンター?とでも言うのかな、様々な用紙が揃っていて希望があれば好みの大きさにも切ってくれるし、選んだ用紙にコピーしたり、プリントアウトしたりするサービスをしてくれるお店。私は水色の用紙を購入。学校のプリンターで完成した履歴書、カバーレターをプリントアウトした。苦労のかいあり、大満足の出来だ。
2000年7月14日(金)ソコロ  卒業まで3年? ガーン
 今日は内容の濃い一日だった。まず授業後、ミスターベネット、マックスが迎えに来てくれ、次に私が行く学校、New Mexico Institute of Mining and Technologyのあるソコロに行った。これから2年間私がお世話になる町、一体どんな町なのだろうとワクワクしていた。ただ、既にこの学校の生徒さんである日本人の方から入る情報は、何もない田舎町、勉強するには良い所とのことだった。アルバカーキから約1時間、New Mexico Techの看板が見え、フィリーウェーを降りると、のんびりとした町並みが目に入ってきた。本当に田舎。何もない。あるのはガソリンスタンドとモーテル、唯一、大きなスーパーマーケット、Furrsがあるだけだった。まあ、予想通りというところかな。学校に到着後、直ぐに先生に会いに行った。私がこれからやりたい事、今までに行った研究等の色々な話をした。英語学校の会話の先生がヘルプでしてもらった面接の模擬練習効果か、そんなに上がることなくしゃべれた。その後学部長の先生のオフィスに行き、私の進路について話し合った。この時、新たなる問題が発覚したのだ。それは数学。そう、何を隠そう私は大学時代、数学の授業を1つも取っていなかったのだ。だって必修じゃなかったんだもん!一応高校は理系だったので微積までの学習は終えている。しかし、学部長の先生は私の成績表にCalculusの文字がないことに大変関心をお持ちになり、学部レベルの数学から履修しないと駄目だから卒業まで3年かかるねとおっしゃった。ガーーーン!!そ、そんなこと親に言えないよぉぉぉ!!この先生の言葉にかなりのダメージを受けつつ、アルバカーキに帰ってきた。今日は母の友人ライトさんの家に、オクラホマで大学生をしている子が遊びに来る事になっており、私も呼ばれていた。夜、ライト夫妻と一緒に彼女を長距離バスの停留所まで迎えに行き、そのままライト夫妻の家に泊めてもらった。夕飯にはミセスライト、早苗さんが作ってくださった私の大好物、グリーンチリシチューを頂いた。とてもおいしかった。夜遅くまでみんなでおしゃべりをしていた。いろんなことがあった一日だった。
2000年7月15日(土)沖縄ダンスグループ
 今日は夕方、早苗さんの沖縄ダンスグループのパフォーマンスが、アルバカーキのダウンタウンの広場であり、私も見に行った。日本に居た時は沖縄の踊りに触れる機会なんて少しもなかったが、今日初めて沖縄の伝統的な舞踊を見て、日本の伝統芸能の素晴らしさを実感した。広場には様々なアジア系の出店が出ており、ルンピアと言うベトナムの春巻きを食べた。パフォーマンス後、沖縄ダンスグループのみなさんと私が以前行ったおすし屋さんに行き、久し振りにてんぷら、酢の物、焼き魚とおすしを食べた。特に酢の物は懐かしい味だった。
2000年7月16日(日)解答用紙 郵送
 今日は英語学校の友達と一緒に、免許取得に必要なビデオを図書館で借り、見た。ビデオ返却時に図書館から貸し出し証明のような書類をもらった。これを同封して解答用紙とともに郵送するらしい。夕方、オクラホマから遊びに来ていた子をバス停まで送り、私も寮に帰ってきた。とても充実した楽しい週末だった。
2000年7月17日(月) 数学の勉強
 今日からまた学校だ。マックスからのアドバイスもあり、次の学校が始まるまでの間に数学の勉強をすることにした。自分でも出来るけど、効率を考えて家庭教師を探すことにした。今日はUNMの数学部に行き、家庭教師のリストをもらってきた。夏休み中の家庭教師は先生との相談が必要とのことだった。とりあえず、早苗さんが息子さんの教科書を借してくださったので、自分で復習を始めつつ探すことにした。
2000年7月19日(水)
 今日は授業後、英語学校で一緒に勉強している日本人学生の彼氏さんに会いに行った。というのもこの方、UNMで核物理を勉強している大学院生で、博士号の候補生なのです。しかも私が今、数学の家庭教師を探している事を彼女さん(つまり私と同じ英語学校に通っている学生さん)に話すと、その事を彼氏さんに話してくださり、今日詳しい話をするために会うことになったのです。事情を説明すると家庭教師を引き受けてくださることになり、私は日本人のたのもしい数学家庭教師をゲットしたのでした。夕方からは友達と自動車ディーラーを回り、車の情報を収集した。そうなのです。先週頃、私が車欲しいメールを父さんに送ったところ、「父さんも同じ事を考えてました。アメリカでは車は必要。いくら位かかるか教えてください」との返事が。父さんが車を買う事をOKしてくれたのだー!!ワーイ!!できれば夏休み中に購入できるといいな。やっぱり日本車がいいかも。免許は持ってるものの、取得後、父さんとベイブリッジデートに出かけたきり、運転していない。4年間No driving。ぶつける可能性大。2、3年落ちの日本車の中古がベストでしょう。出来れば色は私の大好きなブルーがいいな。でもそんな贅沢はいいません。車を買ってもらえるだけでもハッピーです。
2000年7月20日(木)
今日は英語学校でオファーされるサンディア山のピクニックだった。が、私は不参加で図書館で数学の勉強をしていた。I need study!!
2000年7月21日(金)
 今日は授業はなく、その代わりライティングのテストがあった。その後英語学校がオファーしてくれた卒業パーティーのようなものがあった。授業は来週まであるのだが、パーティーだけ先にあったのだ。軽食とケーキがあった。みんなで写真を撮りまくった。最後に英語学校なのにもかかわらず、またたった8週間のサマースクールにもかかわらず卒業証書がもらえた。あー。あっという間だったなー。きっと日本に帰った時、この卒業証書を眺めて楽しかった英語学校の日々を思い出すことだろう。
2000年7月23(日)
今日は午後、友達の家に行き、おしゃべりした。台湾のお菓子をごちそうしてくれた。
2000年7月26日(水)
 今日は授業後、家庭教師の先生に会いに行き、今後の計画を立てた。それからMVDから合格通知証明書が届き、いよいよ免許取得も最終段階にはいった。私は日本を出る前に国際免許に書き換えてこなかったので、免許を取るためには日本の免許の翻訳が必要だ。ラッキーな事に同じクラスにニューメキシコ日米協会の理事長さんの家にホームステイしている学生さんがおり、その学生さんを通して、理事長さんに翻訳のお願をしたところ了解してくださった。免許の翻訳をゲットしたら合格通知証明書をもってMVDにGoだ!!後もう一息!!
2000年7月28日(金)
 今日は英語学校最後の日だった。ミシガンテストを受けた。このテストは英語学校初日に受けたテストと同じで、夏休みにどれだけ英語が上達したかわかるようになっている。テスト後、免許の翻訳を持って、MVDに向かい、やっとのこと、ニューメキシコ州の自動車免許証をゲットした。真新しい免許証を手に感激!!これで車も買える、ニューメキシコの町を走れる。夕方から英語学校の学生さんの家でさよならパーティーがあった。ビールあり、ワインクーラーあり、ゲームあり、ダンスあり、写真もたくさん撮った、語りあった、大笑いもした。でも楽しい時間にも終わりはある。今までの楽しい思い出がこみ上げてくる。明日からみんなに会えなくなるなんて信じられない。これからもずっと一緒に英語の勉強できたらいいのに。みんな、楽しい思い出をありがとう。これからもそれぞれの場所で元気にがんばろう!!メキシカン3人衆、イバン、コエル、コルヒン。コロンビアン娘3マルタ。大好きだったよーーー!!ブラジリアン、レオ。台湾兄弟、ユーゥエン&ジョー。いつも元気で勤勉だったコリアンのヨンヘイ、それからパーティーマンの異名をもつキョンイルに、キムチをくれたキム。まさかこんなにたくさんの日本人が!とお互いに驚いたであろう日本人学生のみなさん、ミツヒロさん、ノリさん、ヨシさん、アコさん、エイ、いつも私を連れまわしてくれたソノエ。みんな、本当に本当にありがとう!!See you again someday and somewhere!
2000年7月29日(土)
 今日は寮のチェックアウトの日だった。8週間の間、出来るだけ荷物を増やさないように努力してきたので、なんとか持てる範囲にまとめることが出来た。生まれて初めての親元を離れて。今までに体験した事のない寮生活。一体どうなるものかとドキドキもしたが、終わってみればすごく楽しかった。スイーツメートにも恵まれ最高の環境だったなー。たくさんの思い出の詰まった部屋を出るのはやっぱり少しさみしい。書類に最後のサインをして寮を後にした。チェックアウト後、友達に協力してもらって荷物をベネット夫妻の家に運んだ。次の学校が始まるまでの約3週間、このベネット夫妻の家に泊めさせてもらうことになっている。荷物の運搬が終わり、アルバカーキの北側にある町、リオランチョへ行った。そこには英語学校の学生さんのご両親が経営されている日本料理のレストランがあり、コロッケを食べに行こうという事になったのだ。店長さんのご好意で山菜のおひたしを頂いた。近所で採ってきたとのことだが、こんな乾燥地帯にも山菜が自生するのだなーと驚いた。コロッケも餃子もとてもおいしく懐かしい味だった。
2000年7月31日(月)
今日は午前中、数学の宿題をし、午後から家庭教師の先生に会いにUNMに行った。家庭教師の先生を待っている間、テニスコートの方へ散歩に行くと、懐かしい顔ぶれがテニスをしていた。英語学校の学生達、数名がテニスをしていたのだ。私も混ぜてもらいしばらくテニスを楽しんだ。思わぬ再会。とてもうれしかった。今日で7月も最後。アメリカに来てからあっという間に2ヶ月が経ってしまった。本当に時がたつのは早い!!
2000年8月1日(火)
 今日は英語学校で一緒に勉強していた友達がカリフォルニアに旅立った。たった一人で砂漠のなかを車で行く。真夏なのでオーバーヒートを避けるため出発は夕方だった。夜通し走って昼頃ロスに到着するらしい。長旅、がんばってくれ。
2000年8月2日(水)
 今日はマックスがディーラーに連れて行ってくれることになった。私の調査だと日本車は性能が良いので、2、3年落ちの中古車でも100万以上してしまう。マックスのアドバイスも、ニューメキシコだと主に砂漠の中を走るので、そんなに値段が変わらないのなら、自分だったら娘には新車を買うだろうというものだった。朝、父さんから電話がかかってきて、その旨を伝えるとマックスさんの意見を聞きたいと言う事になり、しばしマックスさんと会話。結局、地元のマックスさんの意見が一番正しいから、新車を買いなさいと言うことになった。わぉ!車を買ってもらえる上に新車なんて!最高だぁー。午後からマックスに連れられてディーラーに行った。以前に一度来ていて、もしも新車を買うのならこれと決めておいた車があり、早速、購入の交渉を始めた。新車だとあまり値切れない。マックスの意見を聞き、一番安い車種にエアコンをつけることにした。在庫のエアコンがあったため、明日には取り付け工事が終わるらしい。購入契約書にサインをし、それらの書類を持って保険会社へ。私は年齢も低い上、International studentのため自動車保険金額は結構高くついてしまった。でもなんとか保険もかけられ、後は車の仕上がりを待つだけとなった。But最大の問題は運転。しばらくはマックスやパムに一緒に乗ってもらって運転の練習をしなければ。カラダ、覚えてるかなぁ。私、車体感覚0だったからなー。でもこっちの道路は広いし歩行者もそんなにいなからなんとかなるだろう・・・。なんとかなって欲しい・・・。
2000年8月3日(木)
 今日は午前中、再びソコロ(私が次に行く学校、NMTのあるところ)に行った。先生と私の次学期の履修科目についてもっと詳しい話をするためだ。でもソコロに着くまでが大変だった。いつものように助手席に座り、フリーウェーからの景色を眺めようとしていたら、車が停車した。そして突然マックスが、「暁美が運転しなさい」「?!?!?!?!?」えーーーーーーっっ!何をおっしゃる!?そうなのです。マックスが私に運転の練習をさせてくれることになったのだ。しかも自分達の車で。私、4年間丸々運転してなかったんですけどー!!私が驚いているにもかかわらず、マックスは車を降り、助手席側へ。しかたなく私も運転席へ移った。私、伊東暁美、運転免許はマニュアル車で取らせてもらいました。でもだからって長期のNo driving期間を経て久々の運転がマニュアル車からなんて。しかもフリーウェーの入り口からの運転なんて。足と手と、カラダ覚えてくれているかなぁ。めちゃめちゃ心配だぁ。恐る恐るアクセルとクラッチを踏みつつスタート。幸いな事にフリーウェーもガラガラだったため、本線に無事に乗れた。そのまま後はひたすら真っ直ぐな道を走った。約1時間チョッとのドライブでなんとかNMTの駐車場にたどり着くことができた。先生のオフィスに行き、マックスも交え3人で今後のことについて話し合った。結局、次学期から大学院レベルのクラスも履修できる事になり、数学の授業も途中のレベルから1コマ取ることになった。卒業まで何年かかるかまだハッキリしないが、とりあえず無事、大学院生としてスタートが切れることになった。帰りも私が運転して帰ってきた。4年間運転していなかったにもかかわらず、合計約4時間の運転でたった2回のエンストは素晴らしい出来だ。夕方マックスと私の車を取りに出かけた。エアコンを付けてもらった私の車は新車なのでピカピカ。いつまでこの新品感が持つのかは謎だが。とりあえずアメリカに来て、無事車の購入も終わった。しかも私が夢にまで見たブルーの車。後は音楽をかけながらフリーウェーを疾走するだけだ。フフフ。父さん、本当にありがとう!大切に使いまーす!!
2000年8月4日(金)
今日はマックスとパムの結婚記念日だった。私はカードとバラの花束を贈った。喜んでもらえてよかったよかった。
2000年8月6日(日)
 今日は朝、マックスたちの冷蔵庫が壊れてしまい、ディスカウントショップに行くというので私もついて行った。そこで車にひくマットとニューメキシコの本を購入。帰りにカーオーディオショップを何件か回り、帰ってきた。その後1人でモールに出かけた。そうめんを送ってくれた親友、深澤亜希子へのお土産を購入するためだ。パムに教えてもらったChiliと言うお店でココペリのタオルやチリの絵が描かれたハバック等を買った。気に入ってもらえるかなぁ。夕飯後、家庭教師の先生からだされている数学の宿題をした。
2000年8月7日(月)
 今日は車にCDを付けるためカーオディオショップに行った。1時間で取り付け工事が終わった。早速、昨日買っておいたレッチリのCDをかけた。その後同じく昨日購入した深澤亜希子へのお土産を日本へ郵送した。1週間後に彼女はニューメキシコグッズを目にするだろう。
2000年8月10日(木)
今日は午前中、数学の勉強をし、午後から友達と買い物に出かけた。夕方から家庭教師の先生に勉強を見てもらい、ちょうど夕飯時になったので先生といっしょに先生お薦めのベトナム料理屋さんに行った。基本的に私は東南アジア系の料理が大好きなので、日本でも食べたことのないベトナムヌードルの味はとても新鮮で、すごくおいしかった。今日は結構遅くまで勉強を見てもらい、カテキョー後、先生のお友達が集まるブルードラゴンというお店に連れて行ってもらった。そこで日本に興味を持つ先生のお友達数名に会った。家に帰ったのは12時近くなってしまった。新しい友達も増え、楽しい一日だった。
2000年8月11日(金)
 今日は朝から料理に追われていた。以前私をおすし屋さんに連れて行ってくれた、マックスの息子さん夫婦の家で日本食ディナーパーティーをするためだ。私は鮭の押し寿司、きゅうりの浅漬け、味噌汁、そうめんを作った。家庭教師の先生も呼んでみんなで頂いた。特にそうめんが人気だった。私も久し振りにワインを頂き、とても楽しい夕食会だった。
2000年8月13日(日)
今週末は友達とホワイトサンズ国立公園に行ってきた。ホワイトサンズは石灰で出来た真っ白い砂漠が広がっている場所である。夕方頃到着し、空のピンク色の夕焼けと白い砂の絶妙なコンビネーションを見た。夕日が沈んだ後も月明かりに照らされた白い砂漠は神秘的でとても素敵だった。
2000年8月15日(火)
 今日は朝から数学の勉強をしていた。夕方から家庭教師の先生の所に行き、教えてもらった。カテキョー後、先生とブルードラゴンに行き、先週会った日本に興味を持つ先生のお友達とおしゃべりした。
2000年8月17日(木)
 今日は朝から勉強、掃除、荷造りをした。いよいよ明日、次の学校、NMTに移るからである。夕方いつものように家庭教師の先生に会いに行き、勉強を教えてもらった。そしていつものようにカテキョー後、ブルードラゴンに行った。夏休みの間、結構先生のお友達と仲良くしてもらったので、しばらく会えなくなるのはちょっと寂しい。
2000年8月18日(金)
 今日は私が大学院生として勉強する学校、ニューメキシコ工科大学に移る日だった。朝、残りの荷物を積み込み、最後の掃除をし、マックス、パムにお礼を言いNMTのあるソコロに向かった。荷物をたくさん積んでいるため運転が心配だったが、全く問題なく到着できた。寮の入り口でRA(Residential advisor)という人達から書類をもらい、寮へチェックイン。私はStudent apartmentという今学期からオープンする新築の寮に住む。UNMと同じように1人に1つ部屋がもらえ専用の電話もある。しかもこの寮は電話回線の他、イーサーネット(インターネットが速くなる)のケーブルも完備。4人でキッチン、リビング、ダイニングルームを、2人で1つバスルームを共有する。私の部屋は3階だった。キッチン、リビング、ダイニングルームも新築だけあってとてもきれい。しかも部屋の雰囲気がとても明るかった。私の部屋も大好きなブルーを基調としており、窓からはソコロピークも見え、とても素敵な眺めだった。部屋の大きさはUNMより小さいが、家具が総て収納ですっきりしていて、すごく気に入った。早速車から荷物を運び込み、荷解きをした。夕方、再びアルバカーキへ向かった。同じフロアーに住む日本人学生さんを迎えに行くためである。無事空港で彼女をピックアップし、再びソコロに戻ってきた。ちょうど夕飯時だったので、彼女お薦めのレストラン、エルカミーノに行った。今日からいよいよソコロでの生活がスタートする。一体ここではどんな思い出ができるのだろう。楽しみ楽しみ。