2001/12/17
実験! 52歳からのランニング PART 1(52歳~67歳)PART 2(68歳~歳) フル・ウルトラマラソンの記録
この実験を始めた動機 |
ランニング徒然なるままに |
大会の記録 |
◆スタートラインに立てれば幸せ,そして自分の記録を更新できたらもっとうれしい。
このホームページに記録を残して何歳まで走れるのか,何歳まで更新できるのか身体をかけた実験の始まりだ。
私より若い人達のためになればうれしい! (2017/05/20この行修正)
ながーく 走れることを願ってのランニング記録にしたいなぁ。
2016.04-2017.03 The13th All Japan Marathon Ranking 男子67歳の部:1020位/1452人中 NAHAマラソン:5:23:37 |
○昨年は1655人完走したのが今年は200人ぐらい減っている。 いかに長く続けられるかこれから1年1年が大切だ。 ○男性78歳で走った人の数が93人最後の人が8:29:34とある。走って完走したら100位以内ということになる。自分が掲げている「78歳フルマラソンを制限時間内に走る」 ということがいかに大きな目標かを認識した。人生最大の目標だ。男子最高齢91歳 |
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2017年(平成29年)5月21日(日) | 第137回利根川楽走会練習会 | 20km | ○練習会直後から体調を崩しお休み。 ○9名参加 ぐんぐん温度が上がり真夏のような陽気に。 前半後半こんなゴミがあるのかとあきれてしまう。 ○コース付近のクリーン活動をしながらのランニング。2年目になる。 |
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2017年(平成29年)5月13日(土) | この指止まれ「ウルトラごっこ」 | 40km | ○最悪の天気時かんっともに雨風が強まり体が冷えてくる。この時期に真冬雨。40kmがやっとだった。 牧さん7周秋本さん6周小河原さん5周皆さんよく頑張りました。 |
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2017年(平成29年)5月6日(土) | 68歳 | ○2028年まで自分が生きていられるかも?だ。これからの1年1年自立して生き続けるためのハードルがたくさん仕組まれているように思える。この目標が実現できるということはそれまで自立した生き方ができるということだ。これはやりがいのある人生の最大の目標となる。 ○2028年(第22回)東京マラソンを走ることにした。 抽選で当たればよいけれどその年に当たるかわからないでも確実に走ることができるために今から準備をすれば不可能ではない。 計算すると1日28円貯金すれば目標額に到達する。これくらいならできそうだ。 ○走り始めたときの目標を「78歳フルマラソンを制限時間内に走る」とした。あまり考えずに「母が78歳で人生を終えたからせめて78歳までは生きよう。」と考えた。遙か遠いはなしのようだったけれども78歳まで「あと10年」に近づいてしまった。 ○体調良好で通過できたことがうれしい。「実験」はこれからが大事だ。1年1年自分のからだがどのように変化していくのか。走ることができなくなる瞬間を見届けることだ。 ○本日(5月6日)生まれて68年を経過した。 |
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4月の走行距離 | 178.2km | ○いしおかトレイルランを完走できたことが貴重だ。まだ新たな挑戦もできる!最後ラストスパートができた。そして足のトラブルがなかった。ハイドレーションを使っての水補給もできた。 ○4月3日よりランニング開始。8分30秒/kmをキープした走り。新しい経験みたいで新鮮だ。 |
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2017年(平成29年)4月29日(土) | 第10回いしおかトレイルラン大会 種目ロング ゼッケン:1307 |
27km | オフィシャルタイム 4時間09分31秒(制限時間5時間) 総合順位:254位 年代別順位:35位 |
○筋肉痛が数日間続いた。なぜかうれしい、まだ使われてない筋肉があるから筋肉痛がおきる!と都合よく考えたからだ。 ○イチゴ食べ放題。 ○気持ちのよい大会運営:開会式で会長がこの大会ができる経緯を少し紹介してくれた。大会の案内など大変よくできている。何よりショート・ミドル・ロング・スーパーロングとコースの設定が素晴らしい。 ○完走できたことが本当にうれしい。激坂をのぼり10kmくらいは走ったと思ったらまだ3kmだとわかった。平地の27kmの感覚で楽勝と思っていたがトレイルランは違う。「こりゃ大変だ!」完走できるか不安になっていた。 ○2008年9月6日第2回富士山麓トレイルランに参加して以来のトレイルランだ。そのときは18kmだが今回27kmで不安の参加だった。午前3時起床スタート時間10時なのに早々に現地到着。 ○トレイルラン2度目の参加。今回は27kmと長い。茨城県でこんな場所もあったんだと今頃知った。知る人ぞ知るの石岡だ。どんなことになるか。 |
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2017年(平成29年)4月26日(水) | 霞ヶ浦方面サイクリング 予科練平和記念館 |
62km | ○予科練平和記念館を後にしてしばらくして異様な煙がでている民家わきを通り過ぎようとした。なんと火のても上がっている。近くの車も燃えだした!火事だ!119番に連絡。相棒は住民に火事が発生していることを伝える。近くの水場からバケツで消火作業、近くの自衛隊まで出てきた。近所のヒトも集まってきた。消防車がなかなかこない。 第一発見者として事情を聞かれる。これがいやだよな。名前住所 を聞かれだいぶ時間がかかった。でもよかった大きくならずにすんだ。その後消防署からお礼の電話「風が強く、発見が遅れれば大きな火災になった。家主も感謝している。」とのことだった。 ○目標 予科練平和記念館:気になっていた施設。特攻隊として若い命が消耗品のように扱われた。予科練での訓練、特攻隊として配属されるまでの経過、そして天皇のため玉砕することが最大の栄誉と教育された若者の本音は「お母さん、もっと生きたかった!」 つらい時間であったけれど日本人皆が知っておかなければならない事実だ。 |
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2017年(平成29年)4月22日(土) | 第136回利根川楽走会練習会 | 20km | ○この練習会に出るだけでランニングのモチベーションがアップする。おしゃべりしながらの楽しいランニングとなった。 12名参加 |
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3月の走行距離 | 118.9km | ||||
2017年(平成29年)3月11日(土) | 第135回利根川楽走会練習会 兼 第13次利根川縦走 | 16km | ○6人の仲間で走る。ゴールの運動公園では自転車の大会が開催されていた。 ○とうとう縦走が終わってしまった! |
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2月の走行距離 | 164.3km | ||||
2017年(平成29年)2月11日(土) | 第134回利根川楽走会練習会 | 20km | ○この練習会で心新たに練習を開始した。1日5kmが今の自分に適当な距離と決める。200kmの練習はできるようにしたい。 ○昨日と違って快晴そして風もほとんどない。最高のランニング日和だ。青空整体ということで,青シート,断熱材,毛布を準備。評判の整体師が診てくれました。ランナーの走るようすをチェックして個々にアドバイスをしてくれた。 ○我孫子へ仲間をお迎え。少し緊張すると起きる事ができる。お久しぶりのランニング仲間との会話で元気が出てくるのを感じる。ありがたい練習会だ。 |
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2017年(平成29年)1月16日(月) | 1月の走行距離 | 148.4km | ○朝起きて走る事ができない! ○昨年は「館山若潮マラソン」にに出場。何とか4時間を切る走りからスタートして162km.。今年はそれを下回る月間距離だ。ランニングへのモチベーションがイマイチ盛り上がらない! |
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2017年(平成29年)1月16日(月) | 東京マラソン2017 新コース試走 レポート |
47.6km | 〇恒例にしていた東京マラソンコース試走2014年を最後に途絶えていた。再開だ!(14回目)になる。 | ||
2017年(平成29年)1月14日(土 | 第133回利根川楽走会練習会 兼 第12次利根川縦走 | 約26km | 〇途中離脱そして合流また離脱,何やっているんだ!柏たなか駅に向かっての激走は久しぶりだ。 〇女性2名男性6名参加。厳寒の川間駅に集合した。自分は30分ぐらい前に到着したがトイレでの着替え,暖かいコンビニでホカロン買ったり,コーヒー飲んだりで店内にできるだけいて皆を待った。 |
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2017年(平成29年) | 年間走行距離目標 | 2500km | ○今年は同じ大会に出ない事を目標にする。楽走会の練習会を中心にして旅行と重ねて今まで参加したことのない土地の大会参加を目指す。 ○勇ましい昨年の目標を読み返すと笑ってしまう。有言不実行を証明したような内容だ。 |
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2016年(平成28年) | 年間走行距離 |
2128km 1月162 2月108 3月121 4月223 5月343 |
6月135 12月90 7月166 8月273 9月262 10月183 11月62 |
15年目のランニングということで,相当意気込んで記録を更新するとか意欲的な計画考えてスタートした。しかし年間走行距離は昨年(1135km)より上回ったけれどもタイム的にはフルマラソン,ハーフ,ウルトラとすべてワースト記録を更新した。自分にとってランニングとはをもう一度考える1年になった。 | |
12月の走行距離 | 90.9km | ||||
2016年(平成28年)12月23日(金) | 第132回利根川楽走会練習会&望年会 |
14.9km | 今までにない元気のない練習参加あった。皆さんの1年を締めくくるお話で頑張ろうという気持ちになった。ありがたい! | ||
2016年(平成28年)12月4日(日) | 第32回NAHAマラソン No.D3282 【沖縄タイムス紙】 太陽と海とジョガーの祭典「第32回NAHAマラソン」が4日開かれ、2万6573人のジョガーが「万国津梁之鐘」の音を合図に沖縄県那覇市の国道58号明治橋交差点からスタート。南部5市町にわたる42・195キロを駆け抜けた。那覇では最高気温28・2度と、102年ぶりに12月の記録を更新。暑さとも闘いながら、奥武山陸上競技場にゴールしたのは1万4138人、完走率は53・2%で過去2番目に低かった。男子はフルマラソン初出場の照屋友貴選手(23)=糸満市=が2時間31分1秒で、7年ぶりの県勢優勝を果たした。女子は廣瀬光子選手(42)=東京都=が2時間49分26秒で前人未到の5連覇を果たした。午前9時のスタート時点で気温23・7度、湿度88%と蒸し暑く、午後1時までに気温は27・5度まで上昇。例年にない強い日差しが多くのジョガーを苦しめた。 |
42.195km 沿道では、ボランティアが大きな声援や拍手を送り続け、男子2万6573人、女子6508人の背中を後押しした。気温が上昇した影響もあり、過去最低だった第15回大会の52・3%に迫るほど、完走率は低かった。今大会のスターターは、リオデジャネイロ五輪・パラリンピックで活躍した車いすラグビー銅メダリストの仲里進さん(39)、重量挙げ男子62キロ級4位の糸数陽一さん(25)が務めた。 |
ネットタイム 5時間23分37秒 グロスタイム 5時間54分40秒 制限時間 6時間15分 9220位/1万4138人中 |
○翌翌日,周囲1.7kmにもならない奥武島(おうじま)を3周できた。 ○救急車が走り回る:天気予報は完全に外れた。曇りのち午後から雨時には激しくといっていた。それがどうした!強い日差しも出てきて温度がぐんぐん上がる。目の前でフラフラとする人がいた。今度は自分が助ける番だと道路脇まで力をかした。 ○魔の17km~18km:少しずつ自分のペースで走ろうとスペースを見つけて前へと進む,ジグザグ走行になってしまう。そのときだ右足が道路のわずかな出っ張りに引っかかり大転倒!うっっ!顔も路面に接触したようだ。起き上がれるか!起き上がれた!左手小指,右手肘から2箇所,タイツの上からだけど左足膝を強打。流れる血をみて戦意喪失してしまった。とにかく近くのエイドまでなんとか行かなくてはと思ったら見知らぬランナーが止まって「たいへんですね」と声をかけてくれた。そしてバンドエイドを取り出し応急の手当をしてくれたのだ。「申し訳ない!申し訳ない!」と私。「エイドまでいって処置してもらって下さい。頑張りましょう」と言い残し走り去った。ほんとうに優しい人がいるんだ!救護所で手当を受けている間に気持ちも落ち着いてあのランナーの励ましに応えようと走り始めた。おそるおそるだけれど強打した左足も動く! ○6分30秒くらいのペースで密集した状態ではしる。 ○隊列組んで号令をかけて走る一団。 ○驚きました!「最後尾スタートクラブ」のユニフォームを着た一団がニコニコしながら最後尾を陣取っている。71歳の方のユニホームには「卒業後・おまけの参加!どこまでたどりつけるかな?」の文言がプリントされていた。色んな参加の仕方がある! ○しまったぁ!の気持ちも起きない。係員の人と談笑し最後尾が通過するのを見届けることにした。私のスタートエリアはDだからKエリアの人が通り過ぎるまで20分以上待つことになった。最後尾からのスタートも初めての体験だ。 ○レース展開:リタイアーしてもイイヤとやる気なしの参加は初めてだ。記録を意識するとスタートに立つまでが結構緊張する。ところが今回はまったく気が楽だった。スタートラインまで歩いて3分以内に行くことができる条件がありながら気持ちが緩んでいたのだ8:20整列の時間にわずか間に合わなかった。 ○抽選で当選8回目の参加だ。 23回(2007年)24回25回27回29回30回31回記録は 3:34:30/3:38:39/3:43:50/4:07:55/3:43:02/4:09:07/4:06:53 今回5時間台のワースト記録更新! |
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11月の走行距離 | 62.4km | ||||
2016年(平成28年)11月12・13日(土日) | 利根川縦走第11ステージ 矢木沢ダム~水上駅 |
約20km | ○4人でいく。 | ||
10月の走行距離 | 183.1km | タートルマラソンまではほぼ毎日8km以上「走った。それからパタッとまり練習ゼロで手賀沼へだった。浮き沈みのある月だった。 | |||
2016年(平成28年)10月30日(日) | 第22回手賀沼エコマラソン No.B1978 |
21.0975km | 2時間12分24秒 5164位/7012人中 種目 195位/325人中 5㎞:32:07 10㎞:30:07 15㎞:31:35 20㎞:31:35 07:00 |
○マラソン大会は身体も精神も超元気な人達の集まりだとあらためて感じた。自分はこの日はワイワイと皆と楽しむことができなかった。やはりこういうときは参加すべきでないと思った。まわりの仲間に心配をかけてしまう。 ○ハーフの2時間11分59秒が初めてハーフを走ったタートルの記録だ。これも記録更新としよう。 ○第7回(2002年)初参加 10,11,12,13,14,19,22と8回目の参加となる。 記録は第10回1:52:42第12回1:39:55がベスト。第20回は応援参加。 第19回で1:43:10 |
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2016年(平成28年)10月16日(日) | 第45回タートルマラソン国際大会兼第19回バリアフリーマラソン大会 No.B2769 44 43(防災訓練のため欠席) 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32(応援参加) 31 30回(2001年) |
21.0975km | 1時間54分30秒 1895位 |
○河上さん,遠藤さんの再出発を祝う会が催された。 ○このコースは何度やってもきつい。 ○遠藤さん,滝沢さん,娘が参加し5km完走できたと聞いて嬉しかった。 ○14回目の出場・今回もハーフで参加できた。 |
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2016年(平成28年)10月15日(土) | 第130回利根川楽走会練習会 手賀沼コース |
20km | |||
2016年(平成28年)10月9(日) | ×第25回流山ロードレース大会 | 10km | ○エントリーしたつもりが名簿になかった。 どんな走りになるか楽しみにしていたのに残念。 大雨のランになったようだけれど自分は帰宅した。 |
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9月の走行距離 | 262.8km | ○コースは毎日気分次第。まだ暗い頃からスタートしてだんだんと明るくなる。これが気持ちよい。近くの常磐線陸橋が坂道練習に絶好のコース,筑波山そして常磐線の走行,そして日の出を見ながらのランニングは最高だ!そして車道の真ん中を走る快さも早朝だからできる。 ○走らなかった日が7日間だった。4時30分起床5時スタートの生活がほぼできた。そしてランニング後の勉強が非常に面白くやる気に満ちている。仕事でもない受験のためでもない,知らないことを知るのが面白い。そのために時間が欲しい。まずfacebookの時間をカット。見だしたら意外と時間と気を散らす。面白いけれどなくてもいける。これで大分集中できるようになった。 |
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2016年(平成28年)9月15日(木) | ランニング始めて 15年記念日 |
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9月11日 | アメリカ同時多発15年目 | ||||
8月の走行距離 | 273.9km | ○そして生活をランニングを中心にするため我が人生初試みも始める。午後8時就寝午前4:30起床。現役のときは絶対にできない生活のリズムを考えた。まだ2日しか続いていないがやってみる! ○今月は頑張った!恒例の楽走会の合宿を始めて参加できなかった。下調べを8月3日に仲間といくことができたことが慰みだ。6日間だけ走らなかった。猛暑の中よくやった! ○ジョグノートの記録だ。いろいろ使ってみたけれど自分には一番使いやすい。誤差も50~100m以内で安定している。 ○ランニングを毎日の「仕事」と考えることにした。現役のとき8時間以上拘束され、毎日帰宅すれば家事その他に時間をかけてそしてまた明日の仕事に向けてお休みしていたのだ。そう考えるとランニング(仕事)最優先にした生活が自然となった。 |
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7月の走行距離 | 166.8 | ||||
6月の走行距離 | 135.7 | ||||
2016年(平成28年)6月26日(日) | 第31回サロマ湖100kmウルトラ マラソン(北海道) |
60km/100km |
リタイア!有り難い! 敢走証 10㎞:1:01:04 20㎞:0:58:15 30㎞:1:02:51 40㎞:1:14:37 50㎞:1:08:18 60㎞:2:01:48 |
○もっとペースを考えればもう少し先まで行けたかもしれない。 ○雨風のサロマ湖は灰色だった。 |
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5月の走行距離 | 343km | ○久しぶりのスピードを意識した練習も取り入れた。4分台のスピードも出せた。時間を意識しない距離だけの走りを中心だったけれどキツいけれど1秒を争う走りは短時間でも達成感がある。 ○アプリ・ジョグンートによる計測だから実際の距離はもっといっているはず。 ○やったー!練習時間の記録更新だ! 月間306km後の東京マラソンで3:20:39の記録が出た。 310 321 337 に次いで5回目の月間300kmの練習ができた。 |
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2016年(平成28年)5月6日(水) | 67歳 | 無事67歳通過。身体状況はいい状態だ。70歳を超えられるかどのような状態で超えるかを考えてのランニングになるかな。 | |||
2016年(平成28年)5月4日() | 利根川楽走会10時間走 | 7周70km | ○我孫子走友会の仲間も参加しての大きなイベントになった。7時30分から17時30分までの制限時間。スタート時は雨風強く、カッパを着ての走行となった。午後は雨は上がったけれども風が強く場所によっては田んぼに放り込まれそうな勢いだった。 ○いつかはやってみたかったウルトラのための練習。一人でもやれるけれども、仲間と一緒だと頑張れる。6月のサロマ湖ウルトラマラソンを意識しての練習となった。 |
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4月の走行距離 | 223.1km | 4月10日恐竜マラソンを走ってから10日間走らなかった。ランニングをしないと調子が悪くなる。今月は初めて練習で1日で 56.6kmを走った。6月サロマ湖100kmを意識しての練習だ。 一気に距離を稼ぎ今年初めての200kmを超えた。 |
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2016年(平成28年)4月10日(日) | 恐竜王国さくらマラソン大会 No2153 午前10時スタート |
21.0975km | 1時間51分23秒 総合 425位(1338人中) 60歳以上23位(159人中) |
○正直なところ15年も続いているのにどうしてこんなに盛り上がらないのか?沿道の応援が少ない。仮装をした友人ランナーも気が抜けたのでは。距離表示も5㎞ごと。 ○15年続いた「福井駅前マラソン大会」から今年から「恐竜王国さくらマラソン」に改名。自分はこの改名の恐竜を見ただけでエントリーを決めた。ネイミングによってだいぶ受け取る雰囲気は違うものだ。 |
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.2015.04-2016.03The12th All Japan Marathon Ranking男子66歳の部:196位/1655人中 館山若潮マラソン:3:57:34 |
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3月の走行距離 | 121.1km | ○31日に久しぶり33.4kmを走った。10㎞を3回走るとして10kmごとにストレッチ食事などをいれ楽しくできた。コンビニのコーヒーカステラとか。こんな感じだと30km練習が楽しくなる。 そして翌日休まず20kmそして次10kmと3日で60km。そして1日休みといった練習もおもしろい。これを5回やれば300km達成する。 |
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2016年(平成28年)3月13日(日) | ホノルルRainbow駅伝 No122-5 |
5km | 2時間27分37秒 1 27:29 大久保さん 2 33:34 畑さん 3 31:24 関根さん 4 27:12 鈴木さん 5 27:58 菊池 |
○5人の年齢合計302歳が130チームの中39位 シニアチームアンカーを任されたけれど最後の追い込みができなかった。最後草原のトラックでもたもた。他のシニアチーム強い! 1 → JAL/JTB senior(12) 2 → Roberts Hawaii senior(17) 3 → Honolulu runners Legends(31) 4 → HISLEA(39) 5 → Silver bullets(45) |
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2月の走行距離 | 108.8km | ||||
2016年(平成28年)2月28日(日) | 第16回五島つばきマラソン No535 |
42.195km | 4時間26分01秒 60歳以上 11位/55人中 4㎞:5::17 5㎞:5:24 6㎞:5:16 7㎞:5:44 8㎞:5:17 9㎞:5:29 10㎞:5:32 11㎞:5:59 12㎞:6:04 13㎞:6:06 14㎞:5:19 15㎞:5:05 16㎞:5:08 17㎞:5:45 18㎞:6:35 19㎞: 20㎞:10:58 21㎞:6:03 中間1:55:38 ] あと記録なし |
○60歳以上55人30歳~39歳が最多で79人男性291人、女性68人 合計359人 10回目を迎える東京マラソン2016の参加者 名は最高の人数。つばきマラソンの制限時7時、東京マラソンも同じだけれどつばきのコースは東京より遙かにハードだ。 ○結局ランニング66.6km 自転車89.1kmでつばきマラソンに臨むことになった。少しはさぼり心があったけれどもどうにも他にやることがあり距離を踏めなかった。こういうときはマラソン大会を練習として考えれば気持ちが楽になった。ちょっと贅沢な練習だけれど。(2/29) ○近づいてきた!現在46.8km。200kmは無理か。練習の大会だからいいやぁ。(2/14) |
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2016年(平成28年)2月17日(水) | 自転車 初 74km |
・首肩周りの筋肉痛が快い。ランニングとは違う筋肉を使っている | ・大きな目標があったから頑張れた。丸山君の安定した走行の後ろについて行くのがやっと。荒川土手から一般道路に入り、すぐ横をダンプカーが通り過ぎる道は緊張した。 ・ヘルメットも忘れ、 自転車乗りの基本ができていない。無事ゴールしたときの安堵感はランニング以上。 ・翌日(18日)久しぶりに自転車やへ。点検整備してもらう。空気圧が不十分で昨日走っていたことがわかった。パンクしないでよかったねと言われた。 |
・元巨人軍投手條辺の「讃岐うどん條辺」で昼食。有名なお店らしい。埼玉県ふじみ野市上福岡1-7-9 ・富士山の見えるお墓についた。懐かしい名前が墓石に刻まれていた。「若すぎる」 ドラムを夢中に叩いてジルジャンの私のシンバルを叩きわったときの顔が思い出された。 ・コース:中央図書館~タートルマラソンコース折り返し点を通り過ぎ荒川に沿って走る。気持ちよし。人もいなくズずーっと併走しておしゃべりができた。ランニングと同じ感じだが次々と景色が変わりおもしろい。 ・足立中央図書館前スタート。彼は松戸から自転車、私は車に自転車を積載してスタート地点に向かう。 ・丸山君は自転車で毎年お墓参りに行くという。 ・画期的なことかもしれない。48歳になる教え子が誘ってくれた。彼の友人でもあり私が担任した間中渉君が若くしてこの世を去った。私がちょうど結婚した頃の教え子で「結婚祝う会」でドラムを叩いてくれた。忘れられない教え子の一人だ。私の妻と直接会っている教え子だ。「お墓参りにいきませんか。」に有り難いと思った。 |
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1月の走行距離 | 162㎞ | ||||
2016年(平成28年)1月31日(日) | 第36回館山若潮マラソン (千葉県) No.8308 |
42.195km 22㎞:5:24 23㎞:5:35 24㎞:5:39 25㎞:5:31 26㎞:5:28 27㎞:5:40 28㎞:5:24 29㎞:5:35 30㎞:5:24 31㎞:6:11 32㎞:5:38 33㎞:5:35 34㎞:6:04 35㎞:5:42 36㎞:5:36 37㎞:6:57 38㎞:6:01 39㎞:5;22 40㎞:5:27 41㎞:5:47 42㎞:6:43 |
3時間57分34秒 総合2080位 年代別(60~69) 94位/609人中 1㎞:6:24 2㎞: 3㎞:11:30 4㎞:5::27 5㎞:6:23 6㎞:5:25 7㎞:5:32 8㎞:5:32 9㎞:5:19 10㎞:5:29 11㎞:5:37 12㎞:5:38 13㎞:5:28 14㎞:5:21 15㎞:5:16 16㎞:5:21 17㎞:5:00 18㎞:5:11 19㎞:5:29 20㎞:5:29 21㎞:5:36 中間1:56:38 |
・最後まで記録ができた。 ・本当にうれしい!昨年9月のベルリン大会以来の4時間切りだ。「練習の大会」と位置づけて前半を抑え気味に後半のタイムができる限り落ちないように最後まだ意識して走ることができた。同室の方からハードなコースで記録は狙いにくいと聞いていたので4時間30分以内を目標とした。 ・南総文化ホールにて予定時間2:00前に受付完了。1万人以上の参加ということで混雑が予想されるが受付までコーヒー飲むゆとりあり。次第に雰囲気が盛り上がってくる。 ・ナンバーカードが大変見やすい。フル男子60~69歳8001~8609、70歳以上9001~9120といったぐあい。60~69は609名。70以上120名ということになる。やはり70歳代になると人数ががくっと減るようだ。80歳が3名だ。40~49が最多の2233名。フル女子60~69歳89名70歳以上6名 まずは70歳上まで続けたいものだ。 ・明日館山に向かう。1月張り切ってスタートしたけれども本日までの走行距離120km。記録は望めないから最後の5㎞でペースを上げられる走りの練習と考えよう。ペースはユックリ入りマイペースを保ってみる。練習と思うと気が楽だ。 ・車で現地に行く。今年は車ドライブしながら現地に向かうを基本としたい。(1/28) |
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2016年(平成28年)1月17日(日) | 取手市新春健康マラソン(茨城県) 利根川運動公園 |
21.0975km | 1時間49分56秒 55位/110人中 |
・トップの選手が1時間12分34秒だった。記録も手動式で完走証もなし。実にシンプルだ。小学生から参加、ウォーキングもありまさに健康マラソン。最後まで頑張れたから満足です。 ・地元の新春マラソン。ハーフは初めて種目に入る。昨年は初めてとねがわマラソン(フル)が立ち上がったが地元主催でなかった。 |
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2016年(平成28年) | 年間走行距離目標 記録(3:20:39)に挑戦する これは今の自分にとって 超えがたい記録だ しかし 今までまだ実現していない練習連続3ヶ月間300km、本格的なスピード練習など まだやれることがある から決して夢ではない。 すべて厳しい練習をやり尽くした結果を出したい |
3000km | 体調は良好 どこにも痛みなし(1/11) |
走り始めて15年になる年だ。2001年(平成13年) 9月15日(日) タートルマラソン参加をランニングの始めとしよう。 15年の経験をいかし様々な走りを練習に取り入れ、3:20:39の記録更新に本気で取り組む。この15年に及ぶ記録を振り返り計画を考える。 ・基本的な体力維持のために毎月大会(フル・ハーフ・10km)にエントリーする。一人旅とも連携し今まで参加したことのない県の大会を考える。 ・記録更新の勝負の大会を11月12月1月2月の大会に設定し、他の大会では色んな走りを実験する。5時間きっちりで走り、途中にスピードを変化させるとか、ラスト5kmを4分台で走れるようにするとかいろいろやってみる。 ・月300kmの目標年間3000kmの目標を今年こそ実現させよう! |
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2015年(平成27年) | 年間走行距離 | 1135km | 走行距離が少なかった。7月リニューアルオープンに向けた科学博物館の研修が片手間でできる内容ではなかった。真剣に10にも及ぶフロアーシナリオ作成、それに基づくリハーサルなどで走る時間が削られた。しかし大変貴重な活動の領域を広めることができた。そして長期のランニングなしが体と気持ちにいい影響がないことも実感した。初めてのギックリ腰を契機に自転車を購入。本気でランニング以外のスポーツもやることにした。 | ||
12月の走行距離 | 97km | ||||
2015年(平成27年)12月6日(日) | 第31回NAHAマラソン(沖縄県) No.D03925 前日の記録 当日の記録 |
42.195km | 4時間06分53秒 1716位/26679人中 |
○最後まで土砂降りで前日から場所取りして宴会の準備をしていた多くの人達が気の毒だった。これもNAHAマラソンらしい光景なのだけれど。 ○仲間と会えなかった。十分な打ち合わせなしでは無理だったが最終ランナーまで初めて見届けることができた。ゴール後は大雨だったが皆さん、達成感のあるいい顔がいっぱい。これがマラソンのよいところだ。 ○同室の福岡出身の渡辺さんは同じ年66歳。トライアスロンをやっておりガッシリとしたランナー。ランの記録も同じくらいだった。スタート後しばらくして渡辺さんが「菊池さん」と声をかけてくれて抜いていった。力強い走りに刺激され渡辺さんの後にできるだけついて行こうとしたが駄目だった。今年2回目のフルマラソンだったが10㎞過ぎあたりでキツくなり止めたいなぁと弱気になった。1㎞ごとのタイムを意識して19㎞まで記録したがその後記録どころでない「完走できるかなぁ」の状態。沿道の応援にも反応できずきつい。それでも最後のラストいつもの「皆さんいきますよ!」の大声に反応してくれたランナーとゴールへ。その若いランナーが握手を求めてきた。そして渡辺さんも近くにいて握手!お互い抜きつ抜かれつだったようだ。とにかく辛いフルマラソンでした。辛いことを忘れ次は記録狙うぞの気持ちになっている。まだ走れそうだ。 ○スペシャルドリンク4箇所に置いてみた。3箇所とることが出来た。私設エイドが豊かだからいらないけど記録を狙う上では利用価値ありだ。 ○国際ユースを利用して2回目のNAHAマラソンはほぼ完璧の状態でスタートラインに立てた。トイレは待たずに自由、朝食もgood! ○フリースクール まなびばおきなわ代表牛木さんと会う、仕事の関係でNAHAマラソン当選したけれど走れないとのこと。来年挑戦すると笑顔。仕事が良い方向に向かっている。 ○前年度までユースの代表「だった方とお会いしたかった。 ○4日(金)午前中那覇入り。体調良好!スタートラインに立てそうだ。 ○抽選で当選7回目の参加だ。ユースで同室の人も落選して昨年は出ることができなかったという。 23回(2007年)24回25回27回29回30回記録は 3:34:30 /3:38:39/3:43:50/4:07:55/3:43:02/4:09:07 |
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11月の走行距離 | 210km | ○結局月間300km練習を1度もできずに大会に参加する。しかし練習の内容は変化に富んだものだった。NAHAマラソンの週の水曜30km練習は、開通したばかりの近くの道路を利用した快適なランニングとなった。常磐線の電車が走り抜けるのを上から眺めながらのランも他の場所ではできないことだ。 ○11日久しぶりにRUNWEBの練習にでた。神宮の周回コースで開始が午後7;30、皆勤めを終えて麹町ランステに集まってくる。初めましての人ばかり。サブスリーのランナーがリードしてのインターバルスピード練習。速い速い!ゆっくりランのグループをいくつも抜いてのハードな練習。足下も暗いが皆さんなれているのか。久しぶりのRUNWEBの刺激。けがもせずなんとか無事に終えた。その後の飲み会もランニングだけで盛り上がった。記録を目指して熱心に練習している人達との交流もいい刺激になった。少し頑張ってみるかというきもちになった。飲み過ぎて終電車。若者と同じように飲んではだめなのにまた反省と自己嫌悪。 |
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2015年(平成27年)11月29日(日) | 第41回礫川マラソン(東京都) No.1619 |
21.0975km | 1時間43分24秒 男子31位/74人 総合35位/90人 |
○パトカーの先導、トップで飛び出し20mくらまで先頭を走る!(一度はやってみたかった) ○今回で4回目の出場 ○長田さんの応援で精一杯頑張れた。 |
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2015年(平成27年)11月28日(土) | 第119回練習会 |
17km | ○ お疲れ様でした! 絶好の天気に恵まれ、富士山、筑波山も見えて気持ちのよいランになりましたね。途中から「楽走会の走り」からチェンジしての「頑張りの走り」のおかげで、渡し船出発5分前に到着、船頭さんが定員10名と言われ他のお客さん2名と私たち8名と全員乗船できました!このコースのスタート時間とペースは少し検討します。 |
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2015年(平成27年)11月1日(日) | 第1回とりで利根川マラソン (茨城県) |
42.195km | 4時間09分43秒 34位/106人中 年代別(65~74) 1位 /2人中 |
○記録が昨年のNAHAマラソンとほぼ同じだ。これからの練習で大会記録3:34:30にどこまで迫れるか。 ○地元での本格大会開催がうれしい。少人数でゆったり。周回で8回同じエイドの人に会える。 ○初めて優勝 ○他の大会では絶対に来てくれない弟がカメラマンとして応援してくれた。 |
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10月の走行距離 | 241km | ||||
2015年(平成27年)10月18日(日) | 第44回タートルマラソン国際大会兼第17回バリアフリータートルマラソン大会 | 21.0975km | ○由貴・聡美も参加;5km ○13回目の出場 |
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9月の走行距離 | 134km | ||||
8月の走行距離 | 268km | ||||
2015年(平成27年)8月9日(日) | ○NAHAマラソンの絶好の宿泊施設沖縄国際ユースホステル確保。大変感じのよい応対だ。NAHAマラソンモードに入る。今年1年は大会は控えようと思ったがNAHAマラソン当選をきっかけに1年ぶりのフルマラソン記録更新うぃ目指し頑張る気持ちが盛り上がってきた。 ○8月5日スポーツエントリーからのメール「抽選の結果あなたは当選いたしました。」 |
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7月の走行距離 | 記録なし | ||||
2015年(平成27年)7月21日(火) | 初の富士登山に挑戦 はとバスのツアーにのる。 2泊3日コース |
○素晴らしい体験。今まで使わないような筋肉を使ったことがいいのか、左足の違和感がこの後、緩和したような気がする。 ランニングだけでなく色んな動きすることが体にはいいのだろう。 |
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2015年(平成27年)7月14日(日) | 第115回利根川楽走会練習会 | ○20㎞以前で足に練習不足にとる痛みを感じる。ショック!デスクワーク中心の生活による退化を認識。牧さん「普通のおじさんになってしまうよ。」 の言葉に発奮した。「走る」ことの意味をを今一度理解したように思う。明日から朝ランニングを始めよう。 | |||
6月の走行距離 | 記録なし | ||||
2015年(平成27年)6月14日(日) | 第114回利根川楽走会練習会 | ○久しぶりのラン20km、自転車になれるため、ランニングの時間が自転車乗りの時間に。自転車の次ランニングとつなげた練習もしたいけれど、まだゆとりない。ランニングの運動量は自転車より大きい。汗の出方が違う。 ○史上最多の19名。初企画の青空整体。 |
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2015年(平成27年)6月7日(日) | 初練習参加! 坂道トレーニング。自分は坂は結構いけると思ったけれど、自転車乗りの坂道は半端でない。 ギアーを使ってもひっくり返るような坂。驚いた。一カ所だけ2回挑戦してやっと上がれた。 うまい人を見ているとバランスがいい。ここでもフォームが大事みたいだ。 |
○今回もあえて利根川楽走会のユニフォームで参加。声をかけてくれる人がいた。いずれは自転車乗りのユニフォームで走りたい。 ○自己紹介をちゃんとやる。67歳の方がおられ、私は2番目に年長。20歳代の男女若者もいる。意外と喫煙者も多い。 ○迷惑をかけないようについて行くのがやっと。大きなコンビニの前まで集団走行。いろいろサインがあるようでまだなれない。後ろの人に手で交通情報を伝えて安全を確かめる。 ○誰が仕切るのかと思ったら店主と奥さん颯爽とした姿で登場、感心した。 20台以上が列をなしての走行はなかなか壮観だ。 ○初の練習会参加、今日は特別に参加者が多いとか。20人以上が自慢の自転車で南柏べる自転車店に集結。皆さん本格的、自分は車に自転車を乗せての参加だがだれもそんな人いなかった。自転車乗りの距離感とランナーの距離感の違いを感じる。 ○日曜日の練習会参加を目指し最高で1日40㎞以上、マックスの速度時速42.5㎞でとにかく脚の付き方とかとっさの動作など練習した。 |
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5月の走行距離 | 記録なし | ||||
2015年(平成27年)5月31日(日) | 店主と静かな奥さんと記念写真。店主は恥ずかしがっていたが無理をお願いしました。このお店気に入りました。 | ○タイヤが簡単に外せたり、片手でヒョイと持ち上げられたり、驚く技術と新素材でつくられたマシーンだ。 ○初乗り、利根川楽走会の利根川コース23㎞プラス少し26.74km、1:28:06で休みなしで一気に走る。気持ちよかった! ○今日はワクワク。自転車ができあがる。 ○昨日に続いて手賀沼へ。我孫子走友会の早朝練習に参加させてもらいました。練習後手賀沼クリーン活動があるということでお誘いを受けました。楽走会からナカジ、コジュさんと私。久しぶり10㎞一生懸命走った。皆さん速くついていけませんでしたが温かい雰囲気で気持ちのよい練習会でした。 |
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2015年(平成27年)5月30日(土) | スポーツバイクの世界へ1歩踏み出した。 | ○画期的な一歩を踏み出した。 『ランナーは自分のカラダで進むことができる「元気」という「お金」を持っているのだから、それに見合った自転車を選んだ方いいです。』無愛想な店主が言った。高校2年生にどのようにバイクに乗ればスピードが出るか熱心にお話ししている。この人は信用できる!と見た。もう少し他の店を探してと思ったがこのチャンスを逃したらまた一歩を踏み出せないと決断した。「これ買います!」 ○15日ぎっくり腰と思われる腰痛に見まわれた。その痛みが残っていても自転車を乗ることができた。 小さいときから自転車乗りは得意。子育てのときは娘達をママチャリで前と後ろに乗せジグザグ運転をして喜ばせた。ランニングと違った喜びがある。そして最新のの技術と新素材でつくられたスポーツバイクを目の当たりにして目が輝いた! ○気持ちのよい利根川楽走会の113回目の練習会後疲れも忘れネットで調べたスポーツバイク専門店へと向かう。 ○前日、いつも私を支えてくれている弟と久しぶり夕食をともにした。 そしてバイクで盛り上がった。よし! 夢を実現させよう。 |
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2015年(平成27年)5月6日(水) | 66歳 | この1年もそれなりに頑張った。でもまだランニングを思う存分やることはできていない。気が多すぎるのかやりたいことがたくさんで、まだ人生終わらせたくないなぁという気持ちで66歳を通過した。まだカラダは動く。 | |||
4月の走行距離 | 62km | ||||
3月の走行距離 | 12km | ||||
2月の走行距離 | 43km | ||||
1月の走行距離 | 68km | 恒例の東京マラソンコースランもできなかった。科博フロアシナリオ作成に時間を集中。 | |||
2015年平成27年 | 年間走行 距離目標 |
3000km |
今年も目標3000を掲げる。その困難さを自覚している。 一度はアスリートとして365日ランニングがすべての生活をしてみたい。そしてもう一度記録にも挑戦してみたい。いつ人生が終わってもおかしくない年齢に達している。早い時期に挑戦したい! |
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2014年平成26年 | 年間走行距離 | 1570.5 km |
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12月の走行距離 | 156.5km | ・NAHAマラソンを契機にランニングノートを欠かさずつけるとにする。 | |||
○沖縄で練習 | ○沖縄滞在 ○ヤンバルクイナの村,国頭村を走る。国頭自然公園が素晴らしかった。 |
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12月7日(日) | 第30回NAHAマラソン 写真集 NAHAマラソンはやはり素晴らしい大会だ。川内選手も最高の応援と絶賛していた。完走率が74,44パーセントとあがったけれど完走率が低くても気楽に挑戦できる大会であってほしい。 ボランティアの高校生がの笑顔がいい。やさしい男子高校生が心を鬼にして制限時間になるとスクラムを組んで立ちはだかる。その前で愕然とする「ランナーの「映像は感動ものだ。 完走率:74.44% 昨年より4.85%上回った。 |
42.195km | 4時間09分07秒 2576位/26905人中 0 05km 29:48 10km 28:39 15km 29.06 20km 29:11 中間2:02:41 25km 27:35 30km 29:10 35km 30:42 40km 31:19 フィニッシュ 20029人が完走 |
○レースの週の水曜日に30km以上の練習をして木金土と休養してレースに臨むことを常としているが、今回練習量が極端に少なくて不安になり金曜日38㎞のユックリランをした。その疲労がどこまで抜けていたのか。スタートして足が重たかった。しかし結果としては遅くともランニングフォームを保ったまま最後まで走りきれたことはこの練習が効いたのではと思った。練習不足でも30km以上の長い距離の練習をすればいいのかな。 ○初めて時計のラップを見ないで、自分の体調を見ながらのランニング。あと5キロとあと5キロと積み重ねていくように完走を目指した。時計を見ないでのランもストレスがなくていいものだ。これで練習をしていれば結果が楽しみなランニングになるかもしれない。スピードはまったくでないけれど、11.29の練習会で感じた痛みなど心配した痛みを最後まで感じずにゴールできたことがうれしい。次のランにつながる。 ○トイレの心配をしなくてよい条件はありがたい。今回は自前のサプリ等まったくもたずに私設エイドに頼る。 できるだけ小さな子供から受け取る。後半バナナ半分くらいですんだ。朝食をたっぷり食べられたからか。 ○同じ宿舎の神奈川の⒒回出場のランナーが声をかけてくれた。こんなちょっとした刺激が助かった。 ○練習さえ十分にできていれば好立地の宿に急遽移動できた。 ○招待選手 川内優輝 2時間13分43秒大会記録を9分22秒更新。圧倒的な走り。 ○県外や国外からの参加者は全体の4割。台湾からの選手団は過去最多で800人を超えたそうだ。 ○初の抽選方式 レンタカーを借りる際の若い職員が 「外れました、来年もチャレンジします。」県民優先、若者優先にすればいいのに。 ○今回で6回目の参加だ。 23回(2007年)24回25回27回29回30回記録は 3:34:30 /3:38:39/3:43:50/4:07:55/3:43:02と 今回4:09:07と推移している。(12/6) |
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11月の走行距離 | 記録なし | 楽走会の練習くらい。earlyスタートで30km。室内でのラジオ体操などに運動は切り替える。ランから遠ざかる。NAHAマラソンが迫ってきても走る気がおきない。開き直ってこんな状態で走ったらどうなるかの実験だ! と考える。 ずーっと続けてきたランニングノートの空白が多くなるとランニングのモチベーションが下がっていくようだ。 |
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11月9日(日) | KASHIWAマラソン2014 第2回 |
6km | ○42.195を皆でタスキをつなぐ。仲間が一生懸命走る姿を見て自分も走る。素晴らしい大会だ。 ○一人で42.195を走った静修さんに逆に励まされる。 |
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10月の走行距離 | 記録なし | 楽走会の練習ぐらいでランニングの時間とらず。 国立科学博物館のシナリオ作りに集中。 |
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10月26日(日) | 第20回手賀沼マラソン | ○逆走応援:楽走会の旗を持ち、笛を吹きながらほぼ全コースを走った。こんな楽しみ方もある。 ○☆祝☆和島さん連続20回完走の偉業達成! |
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10月19日(日) | 第43回タートルマラソン国際大会兼第16回バリアフリータートルマラソン大会 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32(応援参加) 31 30回(2001年) |
○やむなく欠場:防災訓練副のため | |||
ドイツから帰国後少し生活が変わる、ひとまずランニングは体調を整える程度にして国立科学博物館の課題に取り組む。家から外に出ない生活も新鮮だ。 ランニングの練習記録も書けない。室内での柔軟、筋トレ。 |
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9月の走行距離 | 165km | ナイキのGPS記録により | |||
2014年(平成26年)9月18日(木)~10月2日(木) | ドイツ滞在 ベルリンマラソン |
42.195km | 3時間53分26秒 | ○素晴らしい大会だった。 ○ブランデンブルグ門を駆け抜けたときの感動は忘れない。 ○デニス・キメット(ケニア)2時間2分57秒世界新記録いよいよ2分台へと大騒ぎ。世界記録が出たことを日本からの和島さんのメールで知った。その後ろを走っていたのだ。 |
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8月の走行距離 | 80km | ||||
2014年8月10日(日)~8月17日(日) | 中華人民共和国 ラン |
・どの公園も朝早くから多くの人々が繰り出している。 独特な集団での体操、ウォーキング、ランナーはあまり見かけない。 ・市内は走る気がしなかった。車が危ない。クラクションがうるさく快適でなかった。、 |
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7月の走行距離 | |||||
6月の走行距離 | 記録なしだが150kmくらいは走ったと思う。 | ワイキキの浜辺をユックリラン、ダイアモンドヘッドへの道を走る、6・1ホノルルマラソンクリニックに」初参加。アラモアナ公園一周ラン、マジックアイランドでラン等 | |||
5月の走行距離 | 78km | かすみがうら以前あたりからの左足の痛み10km頃よりあり。5・18教え子高木君ファミリーとランin水元公園 | |||
2014年5月29日(金)~7月2日(火) 63歳 |
ホノルル滞在 夢のようなランニング |
・ホノルルマラソンコース7時間ラン ・裸足シューズでワイキキビーチラン ・カピオラニ公園ラン ・ダイアモンドヘッド1周ラン ・アラモアナ公園とマジックアイランドラン ・ホノルルマラソンクリニックに参加 ・楽走会練習会、マジックアイランドで実現 |
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2014年5月6日 | 65歳 | 人生一つの区切りとしたい。この日まで今までやれなかった経験をしてチャレンジ。人生悔いなし状態になりたい。 | |||
4月の走行距離 | 164km | ||||
2014年4月20日 | 第24回かすみがうらマラソン 記録更新を目指す 3時間20分39秒を切る(残念ながらこの記録からほど遠い結果に終わった。) 【過去の記録】 第20回3:46:23 第16回3:31:51 第15回3:48:22 第14回4:21:39 第13回29㎞でリタイア 第12回4:16:49 |
42.195㎞ | 3時間51分14秒 | ○レース後 ・車内での偶然な出会い:裸足ランニングクラブ東京 コーチ裸足塾長渡辺正彦さんとの出会い:帰りの混み合っている車両,馬場さんが「あら」と言ってすぐ隣の男性に声をかけた。お知り合い。そして私に繋いでくれた。 初対面なのに話しが弾んだ。裸足シューズでのランニングを教えている人で自分よりもっと裸足経験がゆたかだ。大いに学びたい。 ・21人の車座野外宴会 ・2次会生ビールが2杯だけしかないお店,3次会 ○レース展開:多くの仲間が参加,応援隊もくりだした。過去第15回かすみがうら大会で初めて4時間を切る事ができた。準備さえしっかりすれば記録は出しやすいコースだ。しかし今回は強気で走れないと自分の状態を認識していた。こんな時こそ応援が力になる。4㎞,23㎞に応援の人達がいてくれるということをまず頭に入れた。 心配していたように10㎞過ぎからジワジワと練習不足の時に出る左足の痛みを感じ始める。完走への不安が広がる。とにかく23㎞地点の応援の仲間の前では元気に通過したい。いつもは1㎞ごとの距離表示でペースを確認しながらの走りをしたけれど今回は5㎞おきにペースを確認。静修さんが声をかけてくれた,ついていこうとしたが見えなくなった。草むらでのトイレ後コースに戻るとすぐ前に若狭さんが走っていた。どんどん離された。でもこの刺激がなければどんどん落ちただろうな。ストップするほどでないが痛みが続く,エイドではコップ何杯も左の足にかける。一瞬楽になるようだけれど痛い。35㎞付近までやっときた。ここまで来れば歩きながらでも完走は可能だ。我慢して動く限りは大丈夫と必死にゴールを目指す。不意に「菊池さん」の声,松井さんが声をかけてくれた。その後をご主人がピタリとついて走っている。「もうダメです。」と声を発ししばらく松井さんの後ろを走る。ご夫婦でこんな辛い思いを共感できる「素晴らしいな」なんてチラッとそんな考えが脳裏をかすめた。それからフォームを立て直すようなつもりで走り出す。痛みはあるけれど思いの外前に進む。これは不思議だどうせまた落ちるだろうといけるところまだ行けとばかり走る。けっこう多くのランナーを抜かすことができたので前よりスピードは上がっているのだろう。あと2利根川楽走会の大きなのぼり,おおきな長谷川さんと小柳さんの応援でもう一息あと1㎞運動場に入った「利根川楽走会が,,,」の場内アナウンスの声がした。私の姿を見てのアナウンスらしい。思い切りてをあげてゴールした。もう悔いなしのランニングとなった。大きな喜びと安堵感。応援,ともに走り声をかけてくれた仲間に感謝した。家族と天国の妻に感謝した。自分の記録への挑戦もひとまず終えることにした。 ○レース前:大変な混雑の土浦駅 予定通り待ち合わせ。会場には私達より一足早く中島さんが重いテントを担ぎセッティングしてくれている。いつもいつも本当に助かっている。着替え荷物おき等一人参加の大会での大変さを知っているからその有り難さが身に沁みる。待っている間仲間とくつろげる。マラソン大会の参加は走るだけではない大きな楽しみがある。感謝の気持ちで会場へ向かった。 ・弱気,おまじないのつもりでサプリも用意。 朝食はしっかりと食べる。。レース中のトイレロスタイムを避けるためスタートギリギリまでトイレに列ぶ。トイレが少なく困った。結局レース中に1回非公認トイレ(草むら)をする。 ○記録更新を目指して久しぶり毎月大会にでてきた。 12月NAHAマラソン1月勝田マラソン2月京都マラソン3月ソウルマラソンそして4月かすみがうらマラソン,勝田での3時間41分16秒が精一杯だった。この5回のチャレンジでともかく30分を切り別府大分マラソンの出場権をとりそこで25㎞でストップさせられたリベンジ戦で記録更新の予定でした。 ○エントリー 12月4日(水)午前10時開始 混雑していますの待ち受け画面 ほとんど10時にクリックしした。しかし20分以内につながりエントリー完了。(12/4) |
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2014年4月6日(日) | 第65回鶴沼ウルトラ100㎞マラソン 目標:12時間を切る |
100㎞ | ○参った!!この日は自治会の総会の日が入った。やる気でいたのにダメか。日程ずらせないかな。会長だから席外せないし。腹立たしい。1/24 ○1月9日申し込む。 ○6回目の挑戦 完走4回 12時間以内目標 2002年(平成14年)42回52.07㎞:6:38:22 53.8%(完走率) 2004年(平成16年)46回52.07㎞:5:28:39 75.6% 2008年(平成20年)53回 100㎞:12:13:15 75.3% 2010年(平成22年)57回 100㎞:12周62㎞ 73.3% 2012年(平成24年)61回 100㎞:12:55:43 75.3% |
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2013年4月~2014年3月全日本マラソンランキング 男子64歳の部 第85位 1750人中 記録 3時間41分16秒 2014年1月勝田全国マラソン |
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3月の走行距離 | 133㎞ | ○恨みがましいことを言いたくなる。自治会長業務のためエネルギーを集中。ランニングどころではない心境だった。でも人のためにする仕事の達成感もまた格別だった。すべて+になることだ。 ○ソウル国際マラソン16日までの走行が2日(日)清川さんとの皇居ゆっくり10㎞,13日(木)のランランウォーク約10㎞ |
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2014年3月16日 | ソウル国際マラソン 2014 SEOUL INTERNATIONAL MARATHON 2014 |
42.195 | 3時間55分56秒 手元の記録が途中まで 26:41 10:23 5:08 9:51 10:07 4:52 9:57 25:58 16:20 11:33 23:46 06:06 中間1:48:58 |
○本日(20日)やっとネットから自分の記録を知ることができた。すれすれのギリギリかと思っていたら予想していた記録よりよかった。ラップを見ると最後の35㎞地点から40㎞までの記録で盛り返していること。次につながる走りだ。 ○走る前の食べ物:キムチおにぎり(セブンイレブン)2個, エイド:バナナ1個,レーズン人つっかみ,大きいチョコパイ1個 ○10分刻みのペースメーカーランナーがいた。3時間20分のランナーを見過ごし3時間30分のランナーについて行けるだけついていこうと頑張った。驚いたのはそのランナー時々真後ろ向きに走りながら写真を撮っていた。そして時々声を出し皆を励ましていた。このランナーとゴールしたかったけれど15㎞過ぎあたりからどんどん遠ざかっていってしまった。そしてその後3時間40分のランナーに追い抜かれそれに反応する元気も失せて苦しいランに。完走できるかな,35㎞過ぎ失速するのではと我慢した走り。最後の5㎞何とか踏ん張りかろうじて4時間を切った記録となった。 ○ソウルマラソン2014:初めて参加しての印象は 静か(応援が),一般の関心が少ない。これだけの規模の大会とスタートの場所光化門の素晴らしいロケーション,ゴールのオリンピックスタジアムなどランナーにとっては魅力的だけれど何か物足りない。中心街の通りにも人が少ない。 ○事前のコース説明で「コースは標高差が少なく,レース序盤はごく緩やかな下り基調でほとんどの区間がフラットです。そのため,毎年サブスリー達成や自己記録更新の方が多くいらっしゃいます。」とのこと。 確かにペースがうくりやすい。しっかり練習してまた走って見たい。 ○手元の時計,ゴールでしっかり押したのに途中までのデータで後は消えている。ちらっと見て4時間は切れたと思う。もうすでにネットで記録が出ているはずなのに検索してもいつも日本事務局につながる。イライラ。 ○フライト宿泊手配完了1/15。格安航空と沖縄でのゲストハウス並の格安宿。 ○1月13日思い切ってエントリー10000円,フライトホテルの手配は明日までにしよう。 |
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133㎞ | |||||
2月の走行距離 | 193㎞ | ||||
2014年2月23日 | 東京マラソン2014(第8回) ボランティア参加 | ○ボランティア決定 11月19日 ○TEAM SMILE 募集については、11月中旬 |
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2014年2月16日(日) | 京都マラソン2014(第3回) ナンバー B11383 ブロックはKまで。前方からの出走だ。 22㎞: 23㎞: 24㎞:15:48 25㎞:5:08 26㎞: 27㎞:10:15 28㎞: 29㎞:10:17 30㎞:5:21 31㎞: 32㎞:10:25 33㎞:5:11 34㎞:5:20 35㎞:5:30 36㎞:6:03 37㎞: 38㎞ 39㎞ 40㎞ 41㎞ あと1㎞:5:43 |
42.195㎞ |
3時間41分44秒 男子 1991位/11293人中 年代別60~64歳 22位/379人中 男女総合順位 2104位/14394人中 1㎞:5:43 2㎞:4:57 3㎞:5:18 4㎞:5:00 5㎞:5:00 6㎞: 7㎞:10:05 8㎞:4:56 9㎞:4:54 10㎞:5:21 11㎞:4:49 12㎞:5:04 13㎞:4:40 14㎞:5:12 15㎞:4:59 16㎞:5:06 17㎞:5:07 18㎞:5:08 19㎞:5:03 20㎞:4:50 21㎞:4:59 中間1:47:45 |
○食事 2時間前までにおにぎり2個バナナ1個 荷物預け前にカステラ,サプリなし,スマホと少額をウエストポーチ。途中 飴2つ,バナナ一切れ,チョコパン小粒多数補給。トイレ大は駅前コンビニでOK。コンビニのトイレ気持ちよし。 ○京都マラソン2014完走できた! http://1drv.ms/1gbFaUC 記録更新に近づくため40分切りを目指したが勝田マラソンの41分16秒から後退,ペースが作りにくくハードな闘いになった。いつもよりフルマラソン後のダメージが大きかった。翌日一日ボーと寝ていた。足の痛みはほとんどなし。勝田と同じようなタイムだが少し違う。次の SEOUL INTERNATIONAL MARATHON 2014向けて作戦開始だ。 ○2月12日 今日は6日以来の練習で最後のハードな練習をした。ホテルからスタートして西京極総合運動公園(本番でのスタート)経由,だいたいのコースを走ってみた。コースは京都盆地の北の縁を走るようなコースで,金閣寺,仁和寺,竜安寺など観光名所を横目に狭い道,急カーブ,桂川,賀茂川,鴨川河川敷,アップダウンと変化がありすぎ。仮装しての出走禁止が強調されているのもそのためのよだ。とにかくスタートラインには立てそうだ。自宅から遠距離の大会であるほどスタートラインに立てることが貴重だ。京都は思い出がたくさんあるところ。天国からの応援も聞こえている。今回のコース家族・妻と一緒にいた時のことが走りながら頭をよぎる。 ○2月11日京都入り。20年ぶりの大雪,自治会の仕事のために予定通りいかない。6日Jihunと皇居15㎞走ってからランニングなし。現在Jihunに教えてもらった筋トレ強度の腕立て伏せ始める。いい感じ。(2/11) ○当選 久しぶり京都を走ることができる(10/23)) ○発表10月中旬 |
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2014年2月2日(日) | 第29回守谷マラソン ナンバー1207 |
21.0975㎞ | 1時間40分05秒 60歳代32位 男子総合750位 1㎞: 2㎞:9:38 3㎞:4:31 4㎞:4:40 5㎞:4:33 6㎞:4:35 7㎞:4:51 8㎞:4:48 9㎞:4:42 10㎞:4:33 11㎞:4:46 12㎞:4:49 13㎞: 14㎞:9:37 15㎞:4:37 16㎞:4:53 17㎞:4:45 18㎞:4:54 19㎞:4:34 20㎞:4:47 21㎞:4:57 0.975㎞00:26 |
○打ち上げは取手のジューンアップル。12名の参加で盛り上がる。初ハーフマラソンの仲間もいた。 ○招待選手に松田千枝さん。確か私と同じくらいの年。 男性の最高年齢が75歳くらい。 ○金曜日きっちり20㎞走をやりその疲労が抜けない中でのレースだった。足に痛みがくるのか体と対話しながらの走行。痛みがなし,きつかったけれど最後まで頑張れた。先を行く静修さん,後ろから迫る若狭さん,そしてすれ違う楽走会の仲間の刺激がありがたかった。松戸七草マラソンに比べて22秒の短縮だけれど次の京都マラソンにつなげるランとなった。この疲労を残したまま明日はゆっくり20㎞走をやる。手元の時計の計測と完走証に記録された記録がぴったり。 ○エントリー完了 ○11月17日頃 |
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1月の走行距離 | 337㎞ | ○ヤッター月間走行距離の新記録だ。とにかく寒い寒い毎日,走り始める迄が自分との闘い。そして走り始めてから距離を稼ぐのもなかなか辛かった。 勝田マラソン,松戸市七草マラソンも含まれ充実した走行です。 | |||
2014年1月26日(日) | 勝田マラソン 3036C 22㎞:4:55 23㎞:5:13 24㎞:5:14 25㎞:5:12 26㎞:5:19 27㎞:5:26 28㎞:5:24 29㎞:5:32 30㎞:5:18 31㎞:5:29 32㎞:5:24 33㎞:5:41 34㎞: 35㎞:12:06 36㎞:5:33 37㎞:5:36 38㎞:5:56 39㎞:5:36 39㎞:6:29 41㎞:11:56 FINISH:7:03 |
42.195㎞ |
3時間41分16秒 60歳代 94位 1㎞:5:03 2㎞:4:55 3㎞: 4㎞: 5㎞: 6㎞:14:15 7㎞:5:27 8㎞: 9㎞:8:48 10㎞:4:47 11㎞:4:42 12㎞:4:43 13㎞:4:50 14㎞:4:34 15㎞:4:43 16㎞:5:06 17㎞:4:38 18㎞:5:03 19㎞:5:05 20㎞:4:50 21㎞:4:54 中間1:43:22 |
○高校時代の同期の仲間が応援 感動しました!百円ショップでジェット風船をスタート時点で膨らませて高く掲げて走る。「あ,風船だ」の声が応援の人達から聞こえてきた。よし!目立っている。そして2㎞~3㎞地点,目印の団扇発見,そして相手も風船を見ている。50メートル手前でお互いを確認できた。握手!これは使える。 ○ありがたいお店。温かい畳の部屋で足を伸ばしスタート直前まで休むことができた。トイレも列ぶこともなくギリギリまで調整できた。ランナーを受け入れてくれた。 私は2番目にこのお店に帰ってくることができた。外は急激に温度が下がり,会場は強風で砂埃。本当にありがたいと思いました。しかもお風呂まで入り,その後ビール,おでんで乾杯。最高の条件でした。 ○7:43分取手発の電車。久しぶりに勝田駅に降り立つ。楽走会の小河原さんと前から2両目で一緒になれた。この混み具合から大会の規模がわかる。1時間以上かかる。小河原さんのお陰でほとんど座って行けたのはありがたい。次回はグリーン車の使用を考えよう。 ○前日 おにぎりづくり,朝おにぎり二つ,餅1個,味噌汁,水分補給をまめにと ○22日(水)牧さんと小貝川コース21㎞で練習終了。30㎞以上目指したが自分の失敗(車のキー落とす)で中止。牧さんに迷惑をかけてしまった。 ここまで245㎞,12月183㎞11月182㎞でどんな記録が出るか? ○過去を振り返る(1/16) 2007年(平成19年)55回3:29:40 2006年(平成18年)54回3:29:42 ○エントリー完了久しぶり。 ○10月1日エントリー開始 |
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2014年 1月12日(日) |
第59回松戸市七草マラソン No 966 |
21.0975㎞ | 1時間40分27秒 706位 | ○初参加 新鮮だ。6:20取手発,ゆとりで6:49北松戸駅。駅前には車で何度も来たことがある。バスで会場へ。 寒いから更衣室の柔道場へ,そしてそこから中島さんに連絡。陸上競技場のいい場所に大きなシートを敷いて待っていてくれた。次々と仲間の到着。和島さんは地元,自転車で会場へ。 ○坂が多くそれも短い坂で変化があり,そして大きな道路もあるがコースが市民の生活圏を走ると言った感じで応援もありよかった。 ○折り返しが多く,ランナーのすれ違いが何度かあった。仲間と声かけ合うチャンスが多い。 ○ランニング中の足の痛みなし,完走後も足の状態よし。「スキップ腰ひねりトレーニング」がいいかも。 ○宇内さん1時間21分台,長田さん1時間31分台 |
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2014年1月2日 | 東京マラソンコースラン(13回目) | 47.2㎞ | ・ 箱根駅伝の1日目,昨年は海外に行きできなかった。久しぶり気合いが入っていた。4:30起床。 ・茅場町のセブンイレブンが快適。温かいカップヌードルが体にしみこむようだった。 |
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2014年平成26年 | 年間走行
距離目標 |
3000㎞ | 完全退職したのだから走行距離3000㎞はできると思いきや,できない。250㎞/月を今年は実現しよう。 | ||
2013年平成25年 | 年間走行距離 | 1953㎞ | |||
12月の走行距離 | 183㎞ | ○12月1日NAHAマラソンからスタート沖縄しばし滞在で次のレースに向けやる気が出ているのがうれしい。 何事にも挑戦し続ける気力体力を維持していこう。昨日は夕方から走り出し10㎞行って戻り20㎞。しかし帰りは真っ暗でしばし足を止める。電柱にぶつかりそうになったり。車のヘッドライトで目がくらんだりきわめて危険なランニングだった。突然犬に吠えられたり野犬でもいたら大変だなど思いながらの走行。二度とこんな練習をしてはいけない。(12/3) |
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2013年 12月1日(日) |
第29回NAHAマラソン 22㎞:4:59 23㎞:5:08 24㎞:5:02 25㎞:5:20 26㎞:5:58 27㎞:5:21 28㎞:5:23 29㎞:5:16 30㎞:4:44 31㎞:5:53 32㎞:5:28 33㎞: 34㎞:10:32 35㎞:4:58 36㎞:5:57 37㎞:4:58 あと5㎞:5:37 あと4㎞:6:06 あと3㎞:6:04 あと2㎞:4:54 あと1㎞:5:04 |
42.195㎞ | 3時間43分02秒 総合順位952位/2万7697人中 1㎞:6:05 2㎞:5:11 3㎞: 4㎞:10:04 5㎞:4:49 6㎞:5:06 7㎞: 8㎞:10:46 9㎞:4:56 10㎞:4:59 11㎞: 12㎞:10:42 13㎞:4:44 14㎞:5:05 15㎞:5:05 16㎞:5:29 17㎞:5:05 18㎞:5:18 19㎞:5:33 20㎞:5:23 21㎞:4:42 |
○無事完走できた。暑かった。本当にうれしい。 予想に反して,NAHAマラソン3番目の記録になる。 これはじっくり振り返る価値ある。 ・おにぎり2個カップ味噌汁カップ野菜:ウエストポーチにはスマホだけ。いつもはアミノサプリ等必ず携行途中で補給していた。今回は私設エイドからバナナ半分をもらっただけ。水もエイドからこまめにとり,多くは頭にかけるために使った。やはりマラソンの週に今までになく積極的に食事をした。これかな重要なのは。 ・NAHAマラソンは自分にとってモチベーションが高くなる。妻との思い出多い場所,平和祈念公園,ひめゆりの塔など戦争で多くの人,若い命が失われた場所だ。その無念さを思うとギリギリの力を出さないと申し訳ないと言う気持ちになる。応援がありがたい。家族会社総出といった感じ。子供高校生が多い。生バンドがドラム入りでの演奏,エイサーの踊りと太鼓と心地よい。 ・トイレ(小)に1回。ペースを作るのが難しかった。 最後のあと5㎞で6分台から盛り返し4分台5分台でゴールできたことは次につながる。時々回りのランナーに「いくぞー」とか「GO!GO!」など声をかけ苦しい場面を励まし合う。それに応えたランナーとゴールまで 競り合う。20代の若者からゴール後握手を求められた。(12/1) ○振り返るとNAHAマラソンには思い出がたくさん詰まっている。今回で5回目の参加だ。 23回(2007年)24回25回27回記録は 3:34:30 /3:38:39/3:43:50/4:07:55と推移している。(12/1) ○11月25日(月)より沖縄入り |
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11月の走行距離 | 182㎞ | 沖縄は走りやすい。思い出の場所がたくさん。琉球大学目指しての走り,力が入る。 |
○こんなにゆとりを持ってフルマラソンの大会に臨むのは初めて。多くのランナー向けお店が出ていた。自分もサプリメントを買うつもりで店の前に。店員が「これを前日飲んで,これを走る前に飲めば,,,」等と説明している。真剣に聞いている人が多い。それを聞いて逆に今回はこの1週間焼き肉に始まりできるだけ自分の体によいと思われる食事をしっかりと摂ってきた。ランニングだけでなく「これを飲めば,,効く」というものが世に溢れている。今回サプリも持たずこれまでの食事で蓄えたものと当日の食事,エイドで出されるものだけで走ることにする。(11/30) ○受付1時間前に長蛇の列。待っている時間が無駄だ。回りが黙って立っている中,敷物をしいて座る。そしてタブロイドの手塚漫画を読み始める。そのおもしろさに時間を忘れる。今回旅で読みたいものを電子化してきた。本の重さを考えると実にありがたい。シビアーな読み物から漫画までそして楽譜まで大きく拡大できてまさに「老人」の目には優しい。(11/30) ○9月の時点でNAHAマラソンで記録更新を目指すとした。10月11月とランニングは予定通りできず。今の時点で記録更新の目標は次のチャンスにする。 無事完走,4時間前後の記録が出ればヨシ。(11/28) ○裕子さんの絵を囲む会の準備でランニングの時間がとることができないけれど,それで良いと思っている。(11/12) 裕子さんとの時間がたくさんとれた。 |
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10月の走行距離 | 206㎞ | ○9月300㎞以上達成,10月に300㎞できれば連続300㎞練習は初めてのことになったがダメでした。NAHAマラソンで記録挑戦が厳しくなってきた。 | |||
2013年 10月27日(日) |
第19回手賀沼エコマラソン | 21.0975㎞ ゼッケン 2896 |
1時間43分10秒 (グロス1:48:49) 48位/388人中(60~64歳) 1891位/6003人中(総合) |
○ランニングに良い天気。 ○1時間30分台を出したかったが,手元の時計は43分くらい。 ○和島さん,19回連続完走。 ○タイムがランネットから見ることができる。記録証もネットから作るようになっている。手間暇,紙の無駄を止めようとする意味でも良いことだ。エコを考えてのことか。(11/11) |
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2013年 10月20日(日) |
第42回タートルマラソン国際大会兼第15回バリアフリータートルマラソン大会 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32(応援参加) 31 30回(2001年) |
21.0975㎞ ゼッケン C5893 |
1時間48分26秒(ネット) 1:52:01(グロス) |
○大雨大風のなか走りました。今までのマラソン人生のなかで最悪の天気。しかし意外と気持ち良く走りことができた。 ○これでタートルマラソンの完走は 回目一度応援参加。 ○□翌日のタートルマラソン,これは初めての貴重な経験となりました。個人的にこれは詳細に記録として残したいと思います。米山さんと会えた,河上さんと会えた。中村さんと会えた。他の仲間はどこ。もうすでに雨が強く降り始めていた。河上さん関係の方も走らずに引き上げたとありましたが,会場に向かうとき多くの人が記念品を持って駅に向かっていましたね。あれで結構迷った方もおられたのでは。しかし私は迷わなかった,この大会があるから一人では絶対走らない日に21㎞走ることができる。 □走り始めてイヤァー凄い雨,風これは初めてだ!でも意外と気持ちよかった。最初は水たまりをよけて走っていたが,折り返し後は水たまりもはね飛ばして走った気持ちよし。 タートルマラソンはできる限りゆっくり走ろうと心がけているけれど,車いすで走るランナーに「こんにちわ!」と声かけると私の倍以上の音量で「こんにちわ!!!」,視覚障害の伴走者と走るランナー,そしてすれ違うエリートランナーの走る姿を見ると次第に頑張ろうという気になりました。 スーと私を抜いていった裸足でないサンダルのような靴を履いたランナーを見て,よし!とその人について行く走りをしましたがついて行けなかった。すると異変,あと3㎞地点で最近使い始めたソフトコンタクトレンズの左目がポロリと落ち,視界がぼやける。そして後2㎞で右目。ど近視,ど乱視の私の視界が定まらない状態で走る。気を取り直して走り。無事ゴールできてホットしました。ランニングはどんな雨風でもできる。 □その後が大変。荷物を取りに行く途中で足下がよく見えないため,ロープにひっかり 転倒。頭から地面に。周りの人の笑いはなかったけれど帽子顔が泥だらけ。着替え場所は青シートまで水浸し、回りがはっきりせず動作が進まない,予備に持ってきた1つのコンタクトをどさくさのなかで右目を入れて,少し視界が定まる。 □米山さんが予約してくれた「馬や」がありがたかった。そこに米山さん,小河原さん、庄司さん、中村さん、長沼さんがいた!みんな完走だ!そして静修さんがサプライズで登場。盛り上げてくれました。これだけの条件で完走できたことで今までと違った達成感を感じました。(メーリングより) |
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2013年 10月19日(土) |
第94回利根川楽走会 練習会 利根川コース |
23㎞ | ○久しぶりの利根川コース。この日のために距離表示のペインティング。新しい参加の仲間で楽しくラン。 | ||
9月の走行距離 | 310㎞ | ○久しぶりの300㎞越え。 | |||
8月の走行距離 | 155㎞ | ○スマホのランニングソフトが欠かせない。Runkeeper が誤差50~100mで ○31日からの合宿は自分に責任があると言うことで頑張った。牧さんとつくったコースはかなりハードだとわかっていたのですべて走り通せて自信がついた。 ○13日にコロンビアから帰国してからつくば合宿に向けてのトレーニングをやった。25日食べ過ぎて体調崩しトイレで苦しんだ。こんな時一人暮らしは心細い。体調管理はしっかりしなければダメだ。 |
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7月の走行距離 | 0㎞ | 南アフリカ:ケープタウン | |||
6月の走行距離 | 87㎞ | 南アフリカ:ケープタウン | |||
2013年 6月2日(日) |
第88回南アフリカコムラッズマラソン | 第19回目ウルトラマラソン | 10時間47分45秒 順位5134位/19000人前後 | ||
5月の走行距離 | 278㎞ | ||||
4月の走行距離 | 205㎞ | ||||
3月の走行距離 | 90㎞ | ||||
2月の走行距離 | 216㎞ | ||||
2013年 2月3日日(日) |
第62回別府大分毎日マラソン 参加資格 グロスタイム 3時間30分以内 私のエントリータイム 3時間29分 秒 |
42.195㎞ | 25㎞でストップ 制限時間 10㎞:49分 15㎞:1時間13分 ハーフ 1時間45分 25㎞:2時間03分 30㎞:2時間28分 35㎞:2時間54分 40㎞:3時間20分 |
○利根川楽走会メーリングに送ったレポート 守谷マラソン、お疲れ様でした!ジューンアップルでも楽しそうでよかったですね。 別府大分毎日マラソンも楽しかった。 和島さんを釘付けにしたトップのレースは陸上史上に残ると感動のコメントが相次いでいます。私はそのレースの最後尾でトップのランナーと同じくらい必死に関門突破に全力を出したランナー達と、収容バスの中のテレビで川内選手のインタビューを感動をもって見ました。そして大きな刺激を受けました。 □準備 ・選手のためのテントが多数準備されている。 ・トイレも人数の割に多く、きれい。カテゴリー(部門 区分の意味)3はサブス3以外のランナーで数が多い。 □スタート: ・ラインアップ表があり完全にタイム順に自分の位置まで決められている。トップの列左から招待選手(記録順)アダム・ドランチスキ(ポーランド)から始まり6番目に川内優輝・中本健太郎と日本人選手、後2つ空席があるのに2列目が5人のペースメーカーそして3列目から一般参加者と続き最後尾が206列 1列に15名 (申し込み段階で記録表をファクスで送っているので自己申告でない。)私は後ろから4列目右から3番目と「座席指定」私の列のトップは石田将教選手(佐川急便)。 ・隣の方にご挨拶、2度目だというので様子を聞くと「10㎞までがきついよ。後方スタートだから速いペースで入らないとそこでストップ。」ネットタイムなしで号砲からのタイム。 「ゴールで妻が待っているから頑張らないと。」聞きもしないのに、うれしかったらしく話してくれた。(うれしいだろうなぁ) □第1関門10km : 49分 スタートから速い、自分はいつもゆっくり入り徐々にアップ、後半で頑張る走りなので感じが違う。これは10㎞でストップかもと思った。折り返しのところで後ろを確認、少ないけれど最後尾でない。何とか関門突破。 □第2関門15km : 1時間13分 少しペースが掴めてきてギリギリのペースを保って関門をくぐり抜こうと考えながら走る。15㎞近く前を走る女性ランナーがいきなりスピードアップ自分もつられてアップしたら15㎞関門で係員多数が身を乗り出しカウントダウン私が通過したところでどっと後方ランナーをストップ。完全に私は最後尾のランナーになった。 □ハーフ(21.0975km) : 1時間45分 応援も大変多く「利根川、楽走会、おじさん」とこんなに声援をもらったことはない。トップのランナーを見た人がとどまって見てくれているのだろう。ハーフは私の後ろに何名かいるところで通過。 □25km : 2時間03分 ここは広い道路直線と応援もウォーキングしながらの人で自分にとってきつかったけれど足は動く。足全体に痛みなしでもスピードは落ちてきた必死に保ちながら関門近くもう何人かのランナーがストップしている。あぁー間に合わなかったのか!でも止まらずに関門10メートル先まで走り「止まって下さい」の係員の声に従いました。残念!30㎞まではいきたかった。 □30km : 2時間28分. 35km : 2時間54分 40km : 3時間20分 ・応援席からの声:「これが最後ね!」そしてハーフを過ぎると大会の広報車が「沿道のの皆様ご協力ありがとう御座いました。」これも初めての経験です。 ・失敗 得意の忘れ物 ①トイレにスマホ入りウエストポーチ。どこのトイレかわからず開くたびにトイレ点検。みっともない!係員が預かってくれていました。 ②いつも手にする補助食品を買って持って行きながら忘れる。(持って行かなくても行けそう) ③しまりのない走り、男性スポーツ用インナーは自宅から忘れる。(でも25㎞までそんなに不快でなかった。) ・別府大分参加は強行スケジュール 迷うことなくエントリーしたのは、私の田舎が九州ですが一度も大分県には行ったことがないからいつかは行きたい行かなければと思っていました。そしてマルタでは集中して走ることもできて自分にとって経験したことのない「300㎞/月を3ヶ月の練習」をして別府に臨む。幸いまだ有効な参加資格(グロスタイム3時間30分)があり、記録更新には刺激のある大会で挑戦するという算段がありました。しかしマルタでの生活は予想もしないものとなりました。3ヶ月で200㎞少しの走る時間しか確保できなかった。 マルタ滞在から別府大分までが「一つの事」と予定していました。これで予定通り「一つの事」が無事終了しました。「次の事」に向けて休息し次の準備をしたいと思います。 利根川楽走会の皆さんの支えを感じながら終えられること、感謝しています。 練習会での再会楽しみにしています。 |
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1月の走行距離 | 42㎞ | マルタ共和国 | |||
2013年平成25年 | 年間走行距離目標 | ||||
2012年平成24年 | 年間走行距離 | 2012 km | |||
12月の走行距離 | 97 | マルタ共和国 | |||
11月の走行距離 | 187 | マルタ共和国 | |||
10月の走行距離 | 68 | ||||
9月の走行距離 | 211 | ||||
2012年 10月21 日(日) |
第41回タートルマラソン国際大会兼第15回バリアフリータートルマラソン大会 | 21.0975㎞ A2871 |
1時間56分29秒 2346位/6753人 |
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8月の走行距離 | 124 | ||||
7月の走行距離 | 146 | ||||
2012年 7月1日(日) |
利根川楽走会退職記念行事 岡野さん,牧さん,長沼さんの再出発を祝う ラン&ウオーク | ○第1ステージ7月1日(日)銚子 犬吠埼灯台スタート | |||
6月の走行距離 | 176 | ||||
2012年 6月3日(日) |
第87回南アフリカ コムラッズマラソン | 89㎞ 第18回目ウルトラマラソン |
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5月の走行距離 | 190 | ||||
4月の走行距離 | 209 | ||||
2012年 4月1日(日) 62歳 |
第61回鶴沼ウルトラマラソン | 100㎞ 第17回目ウルトラマラソン |
12時間55分43秒39 64位/73名中 |
○ 午前2時30分起床 とにかくゆとりで会場に入りたかった。自宅から車というのはいろんなものが積めるるから助かるけれど,出発するまでが大変だ。ランニングは単純だけれど大会でスタートラインに立つまでの段取りは頭を使う体操のようなものだ。 ○1周目でトイレ大 羽石さん 佐藤さんに合う |
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3月の走行距離 | 60 | ||||
2月の走行距離 | 223 | ||||
2012年 2月26日(日) |
東京マラソン2012 | 42.195㎞ | 3時間31分20秒 位/ |
○3度目の東京マラソン。今回から抽選も変わる。 3度のチャンス |
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1月の走行距離 | 321㎞ | 久しぶりの300㎞を超える | |||
2012年平成24年 | 年間走行距離目標 | 3000㎞ | 250㎞/月 | 今年は63歳になる年です。ながーく走るを見据えて記録の更新を目指します。練習量を少なく体に良いトレーニングを考える。身体のケアーに時間をとり今まで時間がないために省略してきた走る前後の運動を工夫してみる。 ランニングだけでなくスイミングを本格的に練習に取り入れてみる。大会出場はできるだけ少なく。 ○フルマラソン 3時間20分切り ○ハーフ 1時間33分47秒切り ○ウルトラマラソン 完走 |
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2011年平成23年 | 年間走行距離 | 1644㎞ | ○東日本大震災が3月11日そして6月20日私の生活が変わってしまった年でした。走ることでなんとか自分を保った。 | ||
12月の走行距離 | 108㎞ | ||||
2011年 12月17日(土)~18日(日) |
RUNWEB冬季富津合宿 | ○富津岬荘1万5千円(1泊2日3食付き 忘年会料金込み) 開校式・講義・トレーニング(LSD 動きつくり) モーニングラン6:10 トレーニング(LSD ペース走) ○真摯に記録に挑戦する雰囲気がいい。大学駅伝チームの合宿練習と重なり,すれ違うランナーの走りに見とれてしまう。 ○LSDランに参加。今回足に自信がなく,ペース走は回避。 |
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2011年 12月12日(月)午後7:00~7:44 再放送 12月15日(木)深夜11:30~0:14 |
NHK BSプレミアム 熱中スタジアム 出演 |
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2011年 12月4日(日) |
第27回NAHAマラソン ゼッケンB1413 |
42.195㎞ | 4時間07分55秒 1960位/ B1413 |
○久しぶりに4時間台で走りました。今回は調子が 悪くてスタートラインに立つだけでよし!としようとしました。(ハードな練習:坂道トレで左足に違和感)いつリタイア-するのか機をうかがいながらのラン。5㎞ごとに体と対話。よし!あと5㎞行けるという走り。しかし応援の人垣でなかなかリタイア-をしにくい。リタイア-しやすい大らかなNAHAマラソンなんですけど。そしてとうとう平和祈念公園が近づいてくるところまできました。戦争で多くの人たちが犠牲になったことなど思い巡らすとなにくそと力が湧いてきた,ひめゆりの塔が近づい てきた,きついけれどいくしかない,体が何とかゴールまでたどり着けました。今までにないラン。貴重な完走でうれしかった。一人で乾杯! ○隣のランナーの人から,大きなおいなりとビール,子供とお父さんのゴールを待っているお母さんから特大のおにぎり。一人で参加しても暖かい大会。 ○秋田100㎞チャレンジ9月 大阪マラソン10月 に続き3回目の一人長旅でした。 大阪マラソン旅からギター持参 NAHAマラソンでは空港で特別なケースを用意してくれてギターと共にが実現しました。ギターをもっての旅行は思いもよらない効果があるようです。旅先での練習は集中できる。一人旅に慣れてきました。 |
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11月の走行距離 | 137㎞ | ||||
10月の走行距離 | 229㎞ | ||||
2011年 10月30日(日) |
第1回大阪マラソン2011 | 3時間41分30秒 | ○快適。後半が失速 | ||
2011年 10月16日(日) |
第40回タートルマラソン全国大会兼第14回バリアフリータートルマラソン大会 | 21.0975㎞ | 1時間58分37秒 2590位/6656人中 E8594 |
最後尾からのスタート。肘がぶつかるような混雑。 熱中症でバタバタ。救急車が何度も出動するも動きがとれない。私にとって大切な大会だけに残念。 遠藤さんが5㎞初完走。米山さん、長沼さん、中村さんと 290円ビール 中村さんが10kmの部で久々の参加☆ そして走る栄養士の高階さんが応援に来て下さり、 とても楽しく最高の一日に大会になりました。 吹原さんとは残念ながらお会いできませんでしたがいかがでしたか? 反省会は北千住マルイのレストラン街にある『うまや』というお店で 3時間食べて飲んで話して大会以上に(!?)盛り上がりました♪ ぜひ来年はより多くの皆さんと楽しい時間を共有したいと思いますので、 |
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9月の走行距離 | 197㎞ | ||||
2011年 9月25日(日) |
第21回100㎞チャレンジマラソン 黄金の郷 秋田 ゼッケン2059 |
100km 制限時間13時間 |
12時間38分52秒 454位/666人中 完走率:.57.5% |
○遠く内陸線の電車の窓からの応援の声には驚きそして元気をもらった。 ○仙北市角館午前4:30スタートから北秋田市鷹巣 間の100km。埼玉の加山さん(38)が7:14:52で優勝。 ○ランニング仲間、千葉県の嶋田さんと駅改札口で久しぶりの再会! ○主催者からのメッセージ「3月11日に東日本大震災が発生し、秋田は2日後に電気通信等が復旧しましたが、テレビ画面からの大津波、火災等々と甚大な被害に、役員スタッフには衝撃が走り、今年は大会どころではないとの考えが広まりました。そんな中、まずは被災された皆様に何かをしなければとの気持ちで各団体、個人でそれぞれの活動をして参りました。しかし、自粛傾向で地域経済は落ち込み、地域の活性化が失われてしまいました。役員会では、今は辛いがこの大会を開催し、地域が元気をつけることが大切であるとの話がでて、私どもの原点である地域活性化に向かって前進することに致しました。」 ○わらび座の姉が応援にきてくれた。角館がスタート地点 ○自分を元気づけるためのランニング。 |
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8月の走行距離 | 167㎞ | ||||
7月の走行距離 | 169㎞ | ||||
6月の走行距離 | 88㎞ | 走ることで気持ちを落ち着かそうと思った。むなしい!!! | |||
5月の走行距離 | 4㎞ | ||||
4月の走行距離 | 57㎞ | ||||
3月の走行距離 | 29㎞ | 3月11日東日本大震災 |
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2月の走行距離 | 303㎞ | ||||
2011年 2月27日(日) |
東京マラソン2011 | 3時間26分17秒 | ○感動の川内選手のゴール:死ぬ気で走っている | ||
2011年 2月6日(日) |
第27回守谷ハーフマラソン | 21.0975㎞ No3311 |
1時間38分10秒 種目男子60~64歳 21位 男子総合657位 |
守谷」でハーフの記録を出したから今回も | |
1月の走行距離 | 165㎞ | ||||
2011年 1月2日(日) |
東京マラソンコース ゴール 大江戸温泉物語 |
43㎞ | 午前6時25分スタート 午前11時38分 ゴール |
この行事は毎年続けたい,来年のために詳述します。 娘に送ってもらう。まだ寒くて暗い。4時起床。味噌汁作っておにぎり2つ作り,これでは間に合わないとおにぎりと水を入れて食べずにgo。5時2分の電車に乗れた。到着予定は6時 しかし出口を中央西口にして迷う。トイレタイムは非常にタイミングよし。 ビックサイト~大江戸までがつらい エネルギー補給 朝の電車でおにぎり2個 水分 日比谷交差点近くで水分ポカリ捕球 茅場町一丁目交差点を左折してすぐのフアミマで カップラーメンとポカリ補給 寒さがしみてくる 豊洲駅前で即効元気を補給 このランニングのキーワード 新宿 皇居 皇居を隊列を組んでの警官 箱根駅伝の応援太鼓 駅伝の選手 銀座 福袋 スカイツリー(東京タワー) ビックサイト 温泉 といったところかな。 |
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2011年 1月1日(土) |
元旦ラン 私的イベント |
23㎞ | 寒い冬のランニングは走り出し始めるのが大変だ。起きるのも辛いそして着替えるのも時間がかかる。元旦から家族と別行動もしたくない。ただこの私的な行事は続けたい。1年の始めに自分の体力を知ることがこれから大切になってくる。だから初日の出ランにこだわらず,太陽の日差しで少し暖まる時間帯のスタートにした。これなら続けられそうだ。風もあまりなくて河川敷は穏やかだった。でもやはり23㎞はきつかった。小さいリュックを背負い,水と近くのコンビニ経由でポカリを手に入れてスタートした。自宅から走り出すと利根川コースの4~5㎞地点でコースに入ることになる。これもできるだけ速く戻るためのショートカットだ。 | ||
2011年平成23年 | 年間走行距離目標 | 3000㎞ | 250㎞/月 | 今年は62歳になる年です。ながーく走るを見据えて記録の更新を目指します。 ○フルマラソン 3時間20分切り ○ハーフ 1時間30分切り ○ウルトラマラソン 完走 |
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2010年平成22年 | 年間走行距離 | 1472㎞ 122.6 ㎞/月 |
自分は元気だったけれど,それだけでは走ることはできないことを思い知らされた1年でした。 退職という節目だったけれど,ゆっくり自分を振り返るゆとりがなかった。 | ||
12月の走行距離 | 255㎞ | ○連続4年参加のはずだったNAHAマラソンへの参加を断念。利根川楽走会の中島さん,和島さんと一緒に走るのを楽しみにしていました。残念。 |
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11月の走行距離 | 238㎞ | ○通勤ラン 朝上野駅公園口~文京区教育センター 3.67㎞ 昼礫川コース 3.54㎞ 夕 文京区教育センター~上野 そして取手~自宅2.25㎞ 合計 13.13㎞ が定着してきた。これを実現するため着替えなど段取りの工夫で頭を使う。 |
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2010年11月28 日(日) |
第36回礫川マラソン ゼッケン 5035 |
ハーフ 21.0975㎞ |
1時間54分43秒 46位/61人中 |
○教え子,長田さん夫婦,副校長先生,PTA会長,PTAのお母さんの応援を受けてがんばりました。今回から大人の駅伝がなくなり寂しくなってきた。いつも駅伝でしていた川端さんともお会いできなかった。 |
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2010年11月23 日(火) |
第23回大田原マラソン |
フル 42.195㎞ NO.9447 |
3時間40分33秒1333位/2994人中 10㎞通過0:48:54 20㎞通過1:37:18 48:24 ハーフ 1:42:38 30㎞通過2:29:00 51:42 40㎞通 3:27:55 58:55 |
○長田さんと上野待ち合わせ。やまびこ201号のチケットも購入してもらっていた。だのに何と寝坊をしてしまった。本当に申し訳ない。 自由席でゆとりで座席を確保できたのでほっとした。 長田さんと久しぶりの再会で,話が弾み楽しい小旅行といった気分。長田さんは初出場で記録を更新。レベルの高い走りでゴール。その喜びが伝わってくる。私も完走を目標としたが意外にがんばることができた。 |
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10月の走行距離 | 70㎞ | ○ランニングできる時間確保のため昼のランニング 帰りのランニングも始める |
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2010年10月17 日(日) |
第39回タートルマラソン全国大会兼第13回バリアフリータートルマラソン大会 ゼッケン3020 |
ハーフ 21.0975 ㎞ NO.3020 |
1時間52分56秒 1681位/5911人中 |
久しぶりの大会。利根川楽走会では米山さんと私だけが走った。この頃大会のエントリーが早めに定員に達してエントリーするつもりだけどだめだったのケースが多い。参加できなかった和島さん柿原さんそして宮本さんも加わって応援バンド。初試みでした。 | |
9月の走行距離 | 70㎞ | ○家庭の事情が厳しくなっていた。楽しみにしていた田沢湖マラソン参加断念。 | |||
8月の走行距離 | 148㎞ | ○利根川楽走会 第8回平和祈念マラソン,清里合宿に参加できたのがよかった。 | |||
7月の走行距離 | 34㎞ | ○何が何でも走るという気力なし。 | |||
6月の走行距離 | 26㎞ | ||||
5月の走行距離 | 252㎞ | ||||
2010年5月30日 (日) 61歳 |
第85回南アフリカコムラッズマラソン | 89㎞ 第16回目ウルトラマラソン |
10:時間50分:12秒 | ○家庭の事情で一時あきらめていたが,参加できる見通しがたつ。初めての職場での長期の休みが取れるか心配だったが,職場の皆さんのご協力で可能になった。旅立てることが夢のようでした。 特別レポートしています。 |
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2010年5月9日 (日) |
退職を祝う会ラン | 利根川楽走会の仲間が中心に開いていただきました。松戸から満天の湯までのランニングと我孫子ムッターランドでの「祝う会」本当に長い時間をかけての準備と心温まる企画にただただ感謝。 | |||
4月の走行距離 | 245㎞ | 新しい職場。ガーミンのGPS機能付き時計購入。高価だけれど退職記念にいいだろう思い切りました(56700円)が,あまり満足できないものだった。 | |||
2010年4月18日 (日) |
第20回かすみがうらマラソン 22㎞:5:10 23㎞:5:25 24㎞:5:14 25㎞:5:17 26㎞:5:30 27㎞:5:27 28㎞:5:41 29㎞:5:25 30㎞:5:22 31㎞:5:00 32㎞:5:33 33㎞:5:15 34㎞:5:32 35㎞:5:19 36㎞:5:32 37㎞:5:33 38㎞:5:05 39㎞:4:47 40㎞:5:06 41㎞:4:50 42㎞:5:29 |
42.195㎞ NO 13288 |
3時間46分23秒 総合順位2397位/13955人中 107位/1313人中 1㎞:05:40 2㎞:5:23 3㎞:5:25 4㎞:5:17 5㎞:5:15 6㎞:5:11 7㎞:5:12 8㎞:5:11 9㎞:5:14 10㎞:5:30 11㎞:5:14 12㎞:5:19 13㎞:5:24 14㎞:5:21 15㎞:5:09 16㎞:5:43 17㎞:5:16 18㎞:5:34 19㎞:5:29 20㎞:5:30 21㎞:5:32 |
○5ヶ月ぶりのフルマラソンでした。昨年は足の故障のためにエントリーしたのに参加できなかった。だからスタートラインにたてたのがうれしい。 ○調べてみると私は12回13回14回15回16回と連続参加していましたがその後途絶えて今回4年ぶりの参加です。驚いたのは参加者の人数。取手から乗るときに満員のラッシュ並み。5000人を超えない大会が 全体で2万人を超える大会に成長していました。今回は楽走会の仲間との参加でテントも用意されて一日ランニングを楽しむことができました。 ○レースの展開 2週間前の鶴沼で62㎞でリタイアということで、十分な練習ができない中でのスタートになりました。気持ちよく完走、できたら4時間切りを目標としました。 スタート2時間から1時間30分前におにぎり(今回は玄米のおにぎり)2個と柏餅1個。サプリはほとんど使わず。途中バナナ2切れ補給。水は途中できるだけ補給することとし記録を目指した走りでないので途中のトイレもありという気楽さでスタートラインにたてました。 20㎞あたりで膝に痛みこれは消えると思って我慢。こんな体の調子を見ながらのランニングとなりましたが4時間切りだと5分40秒あたりで走ればいいけれど、まわりの動きに乗っていると少し速い。30㎞あたりでどうなるかを気にしながらも「いいやぁそのときはそのときで」と走る。30㎞を超えた時点でまだ大丈夫と気合いを入れる。 このとき「お願いします!」と併走するランナーが現れ二人で励まし合ってしばらく走りました。これは助かりました。思わぬ刺激で再び元気が取り戻せた。もっとランナー同士声を掛け合っていけばいいかもしれない。苦しみは同じそのとき考えていることは同じ。でも声をかけるゆとりさえなくなるのが30㎞過ぎだ。10㎞ごとの公式ラップを見るとだんだんと速くなっていた。 ○今試している(実験している)こと。シューズは買い換える必要あるのか。今回は少しゆるめの捨てようと思っていたN社のシューズ。 ○フルマラソンのダメージ やはり半端ではありません。しかしその達成感とか精神的な+面とその前後のケアーがしっかりなされればトータルとして心身ともに素晴らしい結果をうることができるような気がします。 |
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2010年4月4日 (日) |
鶴沼ウルトラマラソン | 第15回目ウルトラマラソン | 12周62㎞でおしまい | ○朝5時スタートラインに立てた.これだけで何かうれしい気持ち.南アフリカ コムラッズに向けた練習開始のつもりだった. | |
2010(平成22)年4月 | 文京区教育センター 科学専門委員 |
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3月の走行距離 | 25㎞ | ○教職34年最後の3月。思い切って走りこんでの退職としたかったができなかった。一人で小石川植物園周囲と3月31日に退職ラストランにつきあってくれた柿原さんと入山さんとの皇居2周は忘れられないものとなりました。夜桜見物で賑わう千鳥ヶ淵公園の桜がきれいだった。柿原さん!入山さん!ありがとう!! | |||
2月の走行距離 | 0㎞ | ○2月28日東京マラソン2010ボランティアキャンセル スタート地点での食料配布のの仕事だった。残念 |
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2010年2月7日 (日) |
第26回守谷ハーフマラソン | ○エントリーしたが参加できず。仕事もハードそして家庭の事情もハート゛ ピンチのときは走れない。 | |||
1月の走行距離 | 109㎞ | ○沖縄でのブセナでの砂浜ラン。広島での平和祈念ランの後,我が家に「暗雲」が。それからランはストップ。 | |||
2010年1月31日(日) | 第58勝田全国マラソン | ○エントリーしたが参加できず。自分が元気でも参加できないことがある。 | |||
2010年平成22年 | |||||
2009年平成21年 | 年間走行距離 | 1246㎞ 103.8 ㎞/月 |
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12月の走行距離 | 168㎞ | ||||
11月の走行距離 | 199㎞ | ||||
2009年12月6日(日) | 第25回NAHAマラソン | 3時間43分50秒 第1229位/20860人中 | |||
2009年11月22日(日) | 第29回つくばマラソン 22㎞: 23㎞:10:41 24㎞:5:03 25㎞:5:07 26㎞:5:01 27㎞:5:14 28㎞:4:38 29㎞:5:28 30㎞:5:13 31㎞:4:59 32㎞:5:08 33㎞:5:16 34㎞:5:05 35㎞:5:38 36㎞:5:14 37㎞:5:14 あと 05㎞:5:00 04㎞:5:24 03㎞:4:54 02㎞:5:11 01㎞:4:51 |
42.195㎞ | 3時間38分08秒 1㎞ 2㎞:10:45 3㎞:5:16 4㎞:6:22トイレ 5㎞:5:00 6㎞:5:03 7㎞:5:16 8㎞:4:53 9㎞:5:20 10㎞:5:12 11㎞:5:16 12㎞:5:05 13㎞:4:56 14㎞:5:08 15㎞:5:10 16㎞:4:57 17㎞:5:11 18㎞:4:50 19㎞:5:00 20㎞:4:58 21㎞:5:03 |
○久しぶりのつくばマラソンとなった。4時間を切る記録が出てから4時間以内を出場資格にしている大田原マラソンに出ていました。 ○つくばが変わっていた。つくばエクスプレスが開通して初めての参加。楽走会の仲間はいつもつくば。待ち合わせからアフターランまで実にスムーズに行くようになっていました。会場に行けば中島さんがテントを張って皆のために準備。当日は寒かったので本当に助かり 「楽走会としてのつくば」が出来ていました。仲間と走る喜びを改めて感じさせられた。そうそう関東鉄道に乗ったのも初めてかな。いつも見ているだけで生活に必要のない取手発の未だにディーゼル電車。快適でした。 |
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2009年11月7日(日) | 第49回練習会 | 東京マラソンアレンジコース | れきせんマラソンの下見も兼ねる。文京シビックセンター前に集合。れきせんコース-小石川植物園-十中前-皇居平川門-東京マラソンコース(品川コース,雷門コース省略 銀座一丁目交差点右折-入り船交差点-ビックサイト) | ||
10月の走行距離 | 153㎞ | ||||
9月の走行距離 | 76㎞ | ||||
2009年9月27日(日) 60歳 |
第11回城内坂ウルトラマラソン | 日程調整出来ずエントリーしたけれど走れず。牧さん参加。参加賞届けてくれる。 | |||
8月の走行距離 | 223㎞ | ||||
2009年8月29日(土)~30( 日)日 | 第3回清里高地合宿 | 午後の野辺山んら清泉寮のランニングで長田さんとスピード練習できた。特に坂道をガンガン下る走りで足が平気だったのがうれしい。今までにないスピードを経験。長田さんが速い!事前のユックリラン後のスピードがよかったのだろう。 | |||
7月の走行距離 | 125㎞ | ||||
2009年7月22日(水)~7月31日 | スイス高地トレーニング | ○チューリッヒヒルトンホテル 夜明け前4時過ぎにホテル前駐車をランニング,タクシー運転手にご挨拶。少し明るくなってきたところで昨日到着時に見ておいたジョギングコースに入る。一面の野原。遠くに教会の尖塔が見える。遠景に山々。ここは日本ではない景色。気分任せにドンドン脇道に入っていく。散歩をしている人にも出会う。余り愛想はよくないというかこんな朝早くから外国人が走っているのが異様なのかもしれない。 でもスイス旅行での初めての朝ランニングからスタートできたのがうれしい。皆さんはまだ眠っている。 ○マッターホルンの基地ツェルマット ここから本気のトレーニングが始まった。 |
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6月の走行距離 | 103㎞ | ○楽走会45回練習会 20㎞完走。復活。長かったぁ。 回復まで。この経験は貴重だ。 |
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2009年6月10日(水) | 十中運動会 | 運動会前日少し痛みがあってのランニング。当日はまだ完全ではないけれど走りきることができる。一人の生徒を抜く。 | |||
5月の走行距離 | 74㎞ | ○指圧の施術も受ける。痛みがまだあり楽観できない。楽走会44回練習会参加。楽走会の走りについて行けない。大幅に遅れる。何かむなしい練習会。 31日に回復の兆し。 |
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4月の走行距離 | 0㎞ | ○三楽 先生に「若々しい骨だ。」と何回もいわれた。レントゲン3枚撮る。軟骨もしっかりしている。 ○本日4月11日新学期の長い1週間が終わった。3月30日2度目のお茶の水にある病院で診てもらった。 長期になりそう。薬を3種類渡され食後3回きっちり飲んで下さいと言われた。とにかく何もしないで自然に治る事を信じて過ごせばよいのかもしれないが,やはり毎日朝起きるごとに痛みを感じ1日不快な状態が続くと精神的にも落ち込んでいく,お医者さんの「必ず良くなりますよ。」とかそして薬などが与えられると安心な気持ちになるが,その薬の中身を調べるとその副作用は凄まじいものがある。余り胃腸などに不快を感じたことないのに少しおかしな感じが出てきたり薬に頼ることで良いのか。お医者さんのいうとおりにするしかないかな。かすみがうらマラソンのスタートラインに立てる可能性が少なくなってきた。 |
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2009年4月19日(日) | 2009かすみがうらマラソン | 参加できず。 | |||
2009年4月5日(日) | 鶴沼ウルトラマラソン | 参加できず。 | |||
3月の走行距離 | 0㎞ | ○3月18日武蔵野線新座から歩いて10分の整形外科2回目。押してもさわっても曲げても痛くない歩くと痛い走れないと言うとMRIをとりましょう。 ○3月6日(金)お茶の水の大きな病院の整形外科へ セカンドオピニオンのつもり。2週間以上経ってもいっこうに改善の兆しがないのに不安を感じた。足幅じん帯はしかりしているそれより腸けいじん帯を痛めたのではと貼り薬時間がかかるけど楽になると。2人の医者の共通点は長くかかるということ。私はあれぐらいでこんな事になるのかと言うことがまずガッカリそして老化の兆しではないか。あーあため息が出てしまう。 |
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2009年3月29日(日) | 第゜28回佐倉朝日健康マラソン | ○初めてのエントリーで楽しみにしていた。予定ではこの大会で3時間20分切りを目指したランニングをしたかった。それとはほど遠く歩くのさえ苦痛を感じる状態にため息が出た。○長田さん参加。参加賞もってきてくれる○ | |||
2009年3月22日(日) | 第3回東京マラソン2009 | ○応援参加。新宿のスタートを最後のランナーまで見送り,移動して4箇所での応援ができた。特にゴール近く癌研有明病院前,強い風と雨に打たれながら6時間台の人達まで応援できた。自分もランナーだから感じるものがたくさんあった。ただこのときも移動の時足の痛みが辛かった。 | |||
2009年3月8日(日) | 第16回京都シティハーフマラソン | ○最後の大会になる。フルマラソンとして生まれ変わるというが確実でない。エントリーして宿も新幹線も用意したのに残念! | |||
2月の走行距離 | 0㎞ | 2月18日(水)整形外科へ「必ず治る」と言われ安心するが..側副じん帯炎という診断。鶴沼ウルトラくらいには | |||
2009年2月1日(日) | 第25回守谷ハーフマラソン ナンバー 2171 |
怪我の記録 1月29日左足膝の外から太股にかけて痛み。一時はランニングできない状態の痛み。 2月2日室内で踏み台運動で少しでも復帰のための努力 2月3日ママチャリで自宅周辺7㎞走る。自転車にのるためだけにこれだけ時間を費やしたこと初めてか。本格的に自転車も考えようという気持ちが湧いてくる。 2月4日 昨日の運動やりすぎたのかな再び痛みが増してくる。左足をかばう不自然な歩き。 じっくり休んで直すことにしょう これも大事な実験だ。いつ復帰して走れるようになるか。 |
○走ることができなかった。 明日の守谷マラソンを走ることを止めることにしました。 本日の今の時間の段階で走ると左足の痛みが取れず気持ちよく走れる状態ではないと判断して決断しました。2003年32回タートルマラソンでエントリーしながら止めた時以来です。 それなりの原因が思い当たります。1月10日以来今まで1週間に走らない日が少ない生活から1週間に1回しかも学校で生徒と走る走りだけ。そして利根川楽 走会の練習会の走りは気持ちよくできたけれど一昨日の木曜生徒と走った時に坂道を無神経に思い切り下ってしまった。その後痛みが増してきていつかおさまるだろうと10㎞走ったけれど途中走るのが辛く歩きも混じりました。 1日経てば大丈夫だと思ってたけれどダメでした。 御心配かけますが,気持ちを切り替えて明日は応援者として楽しみます。車と場所取りとジューンアップルは大丈夫です。守谷マラソンの大会全体を見ることができる事を楽しみにしています。皆さんが走っている間コースを歩いてみようと思っています。ですから走るつもりのランニングスタイルで参加します。 暗い話しで申し訳ない。皆さんの健闘を祈ります。 ★走るということトラブルと隣り合わせだと痛感しています。気持ちだけはあの調子のよい体の時のように進めようとするけれど,体は刻々と変わっているのではないかな。少しでも続けて走るということが大事なのかな。走りから少し遠ざかったら少しずつ運動量を増やしていくことかな。みんなあたりまえのことなんだけれど。(1月31日楽走会メール 残念ながら) ○時間がかかるのは老化も影響しているのか |
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1月の走行距離 | 125㎞ | ○1月は300㎞を目指すと気合いが入っていた。1月2日の東京マラソンコースを逆コースで走り1月8日までの走行距離が79㎞と1日約10㎞のいいペースであった。しかしその後パタッと練習時間がとれないで15日22日24日そして29日の4日間しか走れなかった。その最後の29日に御殿坂の下り2回で痛みを感じた。しかし2回富士山麓トレイルランのあの坂を勢いよく駆け下りた事を考えればたいしたことないと思ったのに... 長期にわたる障害につながるとは。 |
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2009年平成21年 | 年間走行距離目標 | 3000㎞ | 250㎞/月 | 今年は60歳になる年です。ながーく走るを見据えて記録の更新を目指します。 フルマラソン 3時間20分切り ハーフ 1時間30分切り |
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2008年 平成20 |
年間走行距離 | 2011㎞ 167.5㎞/月 |
前年2312㎞ | 1月の守谷マラソンハーフでの記録更新そして2月の東京マラソンフルでの記録更新と本格的に記録を目指す走りを意識した1年でした。速く走る気持ちよさと練習すれば速く走ることができる自信を得た事が大きい。 フルマラソンで3時間20分39秒の記録は自分にとって初めて月間300キロを走った後の結果で練習をすればその日の調子で予想以上の好結果がでることもある。ということを実感しました。フォームを意識した走りを引き続き追求し,まだ未開のスピード練習と安定した走行距離を走ること等まだやってみたい練習課題がありそれを超えての結果がどうでるか興味深い。 |
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12月の走行距離 | 200㎞ | ||||
2008年12月7日(日) | 第24回NAHAマラソン 22㎞:9:10 23㎞: 24㎞:9:39 25㎞:5:28 26㎞:4:54 27㎞:5:18 28㎞:5:29 29㎞:5:08 30㎞:5:49 31㎞:5:24 32㎞:5:29 33㎞:5:37 34㎞:5:42 35㎞:5:37 36㎞: 37㎞:11:21 あと5㎞:3:54 4㎞:5:48 3㎞: 2㎞:12:04 1㎞4:25 |
42.195 | 3時間38分39秒 914位 1㎞: 2㎞:10:34 3㎞:4:39 4㎞:4:42 5㎞:4:53 6㎞:4:54 7㎞:5:03 8㎞:5:23 9㎞:4:44 10㎞:4:44 11㎞:5:16 12㎞:5:18 13㎞:4:52 14㎞:4:54 15㎞:5:15 16㎞:4:53 17㎞:4:51 18㎞:5:10 19㎞:5:21 20㎞:5:43 21㎞: |
前夜祭ができた。Tida Cafe おもろまち 第24回NAHAマラソンの記録そして徒然なるままに 奥野山運動公園の陸上競技場ゴールまでの直線コース第4コーナーで初完走の米山さんを待った。とにかく競技場内そして観覧席と最後まで応援賞とする人達でぎっしり。私も人をかき分けヤツと一番前に陣取った。次々とランナーが通り過ぎていく。良くもまあ安奈格好で42.195㎞を走ったなと思われる仮装の人達もいた。苦しそうだけれど何故か皆の表情が明るい。景気の良い音楽で最後を盛り上げる。日差しが強く初夏 を思わせる陽気で汗が出てくるになった。橋本さんからの電話が鳴る,今どこにいるのか「もうそろそろ米山さんがくるころです。」といいながら大声で打ち合わせる。 那覇マラソンのすばらしさを感じた。家族を友人を皆で待っている人達の中にいて,完走する人達に歓喜の叫びを投げかける。こちらまであつくなってくる。 米山さんのハーフのタイムだと何かトラブルが起きない限り必ず制限時間で完走できると信じていたけれど少し不安も頭をもたげていた。2回走ってみてコースは決して平坦ではなくアップダウンが合って容易でないと感じていた。途中倒れ込むような人足を引きずって完走までは厳しいランナーを見てきた。 あの楽走会の黄色のユニフォームが突然目の前に現れた。思わず「米山さん!」をあげてコース近くまで接近ゴール目指した米山さんの後ろ姿をみて「よかった!完走おめでとう。」 橋本さんに「今米山さんがゴール!向かう」静修さんも大喜び。 私の夢 楽走会でNAHAマラソンを その準備が今回の3人の参加でできたように思います。前夜祭の場所も素敵な場所 そして会場での楽しみ方,マラソンの喜びをこの沖縄で実現できたらと思った。 |
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11月の走行距離 | 139㎞ | ||||
2008年11月30日(日) | 第34回れきせんマラソン ゼッケン5032 天候晴れ 気温14.7℃ 湿度 47% |
21.0975 | 1時間38分08秒 34位 |
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2008年11月23日(日) | 第21回大田原マラソン ゼッケン8459 |
42.195 | 3時間40分19秒 0~ 5 25:34:77 5~10 24:56:82 10~15 25:07:72 15~20 25:56:46 20~25 25:30:11 25~30 25:03:54 30~35 26:54:23 35~40 あと5キロ 5:48:84 あと4キロ 5:39:01 あと3キロ 5:22:65 あと2キロ 5:15:11 あと1キロ 5:01:76 |
○3時間40分19秒(手元の時計は3時間40分6秒 ですがこの大会はネツトタイムなしです。)でした。 とにかく制限時間内にゴールできるかと言う事でしたので自分としては上出来の記録を出すことができました。今までになく走行距離が少ないけれどいい感じで走り切れました。 良かったこと ①トイレに行かないための調整 2時間前まで電車のなかでも水をたくさんのみその後スタートまでに何回もトイレ最後は10分前にトイレ。 ②おにぎりを大きいのを2つ3時間前に食べる 。東京マラソンでも使った補助食品 カーボショット2時間前に2つ 20分前に1つ レース中1つ エネルギー切れがなかった ③スタート10分前までユックリ休んでいた。時には温かい日 差しを受けて横になって寝ていた。まわりではアップと言って 多くのランナーが走り回っていた。これは「賢く走るフルマラ ソン」の著者の 田中さんが提唱していることです。 ③最初の5キロをユックリはいるつもりで走り出した。久しぶりのランで気持ちよくまわりに乗せられて27分くらいと思っていたら25分ペース。次の5キロで抑え気味にしたが24分台これでは潰れると押さえ押さえ走る事でイーブンぺースになった。ペースメーカーとしてランニングチームハリア-のグループの少し前を走るようにした。 ④スペシャルドリンク 基本的に拘りの水500ccを15㎞ 飲みやすく残ったら体にかけるのに都合よい。 カーボショット とアミノゼリー25㎞ 等々 忘れないうちに今回の経験をまとめておこうと思います 。これで記録更新のためのレースを3月に走りたいと思うよう になりました。苦手な「荒川」になるかな。 |
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10月の走行距離 | 161㎞ | ||||
2008年10月26日(日) | 第14回手賀沼エコマラソン ゼッケン1784 |
21.0975 | 1時間43分03秒 | ○前日に初めてハードな練習を入れて少し疲労を残してのスタートだった。フルマラソンを目指しての試みだけれど最後に極端な失速はなかったけれど苦しかった。 | |
2008年10月19 日(日) |
第37回タートルマラソン第11回バリアフリータートルマラソン ゼッケン2559 |
21.0975 | 1時間38分57秒 639位/4562人中 1㎞ 2㎞ 3㎞ 4㎞ 5㎞ ~10㎞ あと3㎞ 2㎞ 1㎞ |
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9月の走行距離 | 195㎞ | ||||
2008年9月28日(日) 59歳 |
第11回城内坂ウルトラマラソン | 100㎞ 第14回目ウルトラマラソン |
完走 16時間2分27秒 スタート 午前3時 1周1時間1分 2周1時間10分 3周1時間25分 4周1時間18分 5周1時間37分 6周1時間47分 7周1時間50分 8周2時間07分 9周1時間45分 10周2時間2分 ・休憩を含むタイム |
○前日のみの宿泊で,走り終えてすぐに帰宅。へとへとで牧さんに運転をお任せし何とか帰り翌日平常通り仕事ができた。足もほぼスムーズ。 ○東京マラソン2008で記録を出した薄いシューズで走る。( 無謀な実験?)ウルトラ対応とかランニンググッズの多彩な商品に惑わされないで試してみたいと思った。しかし80㎞手前でかなりキツイ状態になった。l靴にも原因があるのか? ○最後の1周は真っ暗な山道を一人でひたすら歩いた。(薄気味悪くて速くこの場を通り抜けたいと全力で走り抜けたいがランニングはできないほど膝の痛み) スタスタと音がする。100キロマラソンで人か近づいてくる足音で気がつく。 「まだ足が動いていますね。スゴイスゴイ。」と声をかけると懐中電灯の明かりでかすかに見えた女性ランナーは「まだ後ろにいますから」と言って追い越していった。 温かい励ましの言葉に聞こえました。女性ランナーの尾灯が点滅しながら真っ暗闇の中をホタルのようにゆれながら遠ざかっていった。 最後の一周。お互いに力を振り絞ってのランニングであることは間違いない。でも私は精一杯の歩きしかできなかった。 こんな真っ暗な夜の山道を女性一人走っているというのも特別だけれどランナーとしての完走するぞと言う意気込みを感じ私も最後まで力を尽くそうとおもった。 城内坂のコースをこんなにじっくりあじわえたのも今回の成果。 スタートが焼き物の中心街と言ってもこじんまりとした街並みがきれい。静かな陶器のの店がまい □コースの中身 今までも丹後とか磐梯とかかなりハードなコースを完走してきたけれど,城内坂が一番厳しい。10回に及ぶアップダウンに体がどこまで耐えられるかの勝負だった。 □温かいエイドステーション 焼きそばを注文その場でつくって食べさせてくれた。 大塚さん 益子の街 50歳台最後 あんなに苦しかったのにもう考えている城内坂マラソン対策 12時間以内に入る作戦 |
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2008年9月6日(土) |
第2回富士山麓トレイルラン ゼッケン228 |
18㎞ロングコース No.228 |
2時間50分50秒 | 危険を感じるランニング。スリルがあって山を駆け回るという自然との一体感が何とも言えない。飛ぶように駆け下りる走りが凄い迫力。 | |
8月の走行距離 | 207㎞ | ||||
2008年8月30日(土)~31日 | 第2回利根川楽走会清里高地合宿 | 八王子ジャンクションでの奇跡的な合流。 | |||
7月の走行距離 | 108㎞ | ||||
2008年7月19日(土) ~20日(日) |
第11回白馬スノーハープクロスカントリー大会 ゼッケン 321-4 ゼッケン 5529 RUNWEB合宿 |
駅伝一般男子 4km4区間 4km一般男子50歳代 距離は短いけれど起伏が大きく苦しかった。 |
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第4回フルマラソン1歳刻みランキング発表 | 58歳の部 第63位/1547人中 記録3時間20分39秒(東京マラソン2008) |
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6月の走行距 | 102.3㎞ | ||||
2008年6月22日( 日) | 第25回富里スイカロードレース | 10㎞ 40歳以上男子 NO10912 |
45分09秒 給スイカ(8.5㎞地点)39分39秒 種目順位429位 /2746人中 892位/6974人中 |
23回富里の記録 49分38分 種目(40歳以上男子)順位 567位(2777人中)総合順位1321位(7104人中) |
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5月の走行距 | 93.5㎞ | ||||
2008年5月18日( 日) | 第34回チャレンジ皇居マラソン大会 快晴 |
50㎞ 第13回目ウルトラマラソン |
完走 4時間49分36秒 67位/171人 |
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* | 4月の走行距離 | 264㎞ | * | ○初めてLSDランニング部という名前をつけた部活を立ち上げた。生徒達と小石川植物園を走った距離も4月の走行距離に入っている。新たな気持ちのランニングとなりそうだ。 | |
2008年4月6日( 日) | 第53回鶴沼ウルトラ100㎞マラソン | 100㎞ 第12回目ウルトラマラソン |
12時間13分15秒 42位/55人中 |
5.2㎞の周回コース19周と少し。完走できたのが嬉しい。何度か諦めそうになった。取手ランナーズの佐藤さんが声をかけてくれて元気が出る。マラソンは体調がもちろんだけれど我慢していると,何かのキッカケで元気を取り戻したり回復したりすることがある。100㎞のの長さを走りきるにはメンタルな面での粘りが要求される。でもへとへとでゴールした横で元気に宴会をしている人達の元気さに圧倒される。鶴沼はウルトラでも最強の人達が集まるようだ。 | |
* | 3月の走行距離 | 89㎞ | 米 | とにかく3月は毎年走れない。昨年153㎞走っていたけれど今年は | |
2008年3月9日( 日) | 第15回京都シティハーフマラソン | 21.0975㎞ スプリットタイム 5㎞:28:10 10㎞:26:07 15㎞:23:43 20㎞:21:32 |
1時間42分28秒 2075位/4554人中 男子50歳代 352位/982人中 |
○今回はコースをしっかり頭に入れて,景色も楽しみながらのランニングと思った。前日の受付もまだ会場準備の段階から訪れてゆとり。ランニングウエアのファッションショーまであって,なかなか恰好のよい若い男女のモデルの独特の軽快なファッションウオークがおもしろかった。 ○フルマラソンでないので余り気を遣わないがギリギリまでトイレは同じ。しかしこれが今回は誤算だった。 とにかくスタートしたら道が狭くなるためランナー同士の肩が触れあうくらいの渋滞。これで調子に乗れなかった。そして5㎞~10㎞の賀茂川沿いで何と尿意。 コースのすぐわきにあったトイレで用を足したけれどいつもの調子がここでもくずれてしまう。10㎞過ぎから調子に乗り気持ちよく走り切れた。京都マラソンはとにかく前の方に位置取りをして,最初の5㎞をできる限り自己のペースで走るようにすれば記録も期待できる。 |
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米 | 2月の走行距離 | 147㎞ | 米 | 東京マラソン2008の距離も入れてこれだけの距離。 学期末の何はさておきの仕事でなかなか時間がとれない。来年の東京マラソンが3月開催になるそうだけれど,季節的には良いのかもしれないけれど,花粉症とかなどマイナス面が多いのでは。 |
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2008年2月17日(日) | 東京マラソン2008(第2回) ナンバー 26108 |
42.195 | 3時間20分39秒記録更新 | ホノルルマラソン以来のビッグマラソン | |
2008年2月10日(日) | 第24回守谷ハーフマラソン ナンバー 2171 |
21.0975㎞ | 1時間33分47秒記録更新(2006年1時間34分56秒より ) ハーフ男子55~59 30位/ 男子総合384位 |
米 | |
1月の走行距離 | 306㎞新記録 | 2002 169.6 2003 73 2004 124 2005 205 2006 269 2007 210 |
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2008年平成20年 | 年間走行距離目標 | 3000㎞ | 250㎞/月 | 250×12=3000㎞の練習に耐える体をつくる | |
2007年 平成19年※ |
年間走行距離 | 2312㎞ (192.7㎞/月) |
前年2313.5㎞ | 1587㎞・2077㎞・2313.5㎞・2312㎞とこの4年間の年間練習量の推移です。 今年の練習記録を見直すと1月に「左ももの付け根の痛みあり」から始まり,練習するうちになくなり次に8月の東京マラソン試走あたりから「右股関節の違和感から痛みあり」が10月のタートルマラソン当たりから回復。このように走行距離と体の反応がどのようになっていくのか。走ることに痛みが生じた時点からランニングは不愉快になる。それが走るうちに消える痛みなのかからだがより走りやすい体になるための痛みなのか自分の体との対話をしながらの練習をすることができた。 幸いにも記録を目指し更新することができて,走ることの気持ちよさ以外の喜びも知ったけれども,あくまでながーく走り続けるための実験なのだと言うことを確認しておこう。 |
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12月の走行距離 | 213㎞ | 昨年は108.5㎞ | 昨年は3年担任で面談や進路関係の書類づくり等の仕事で走る時間の確保が大変だった。しかし今年は今年で家族の入院等でなかなか厳しかった。しかし東京マラソンを意識して12月中に何とか200キロ以上は走り1月の練習につなげようと努力した。26日から30日の年末にかけて89㎞を走りきることができた。30日の30㎞走はよく頑張った。 | ||
■2007年12月2日(日) | 第23回NAHAマラソン ゼッケン1509 |
42.195㎞ | 3時間34分30秒 591位 出走者23448人中 完走者15090人 |
○大田原・礫川マラソン大会と走り休養をとらねばならない時期だけれど参加しました。沖縄に娘がいるというのが大きな後押しになって実現しました。 感動の大会でした。記録はねらわずゆっくり走るつもりが一生懸命走ってしまいました。応援の凄さに応える走りをしないと申し訳ないと思いました。 |
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11月の走行距離 | 275㎞ | ||||
■2007年11月25日(日) | 第33回礫川マラソン大会 ゼッケン 5095 |
21.0975 | 1時間40分46秒 33位(81人中 ) |
○大田原を走って一日休んで走れるのか不安でした。今までの自分ならまだ足が充分回復せず無理することになる。そういう状態なら迷うことなく棄権するつもりでいたけれど何故か調子よかった。大田原を走った後も足をつらそうに歩いている人もいるのに平気だった。これもどうしてなのか考えてみる価値がある。 ○とにかく参加できてそして気持ちよく走れてよかった。記録もフルを走ってすぐにしてはよい記録になった。 ○素晴らしい雰囲気の大会だった。地域の住民が協力し合った大会を支えているという感じ。子供たちが多く走りそれを応援する人達でかなりの人が出た。男女年齢を問わず楽しめるスポーツとして33年間も続いている。 ○警察署 消防署 そして地域の学校そしてPTAそして私のような遠方からくる人も受け入れての大会。 ○あのように子供たちのために地域総ぐるみのマラソン大会は素晴らしいですね。スローガンも「いきいき礫川,伝えようこどもたちに。」970名のエントリーRCチップでの計測も今年から始まり立派な完走賞と本格的な大会をこんなに気軽に大人も子供も参加できることは大いに意義ありますね。コースも周回ですが変化かあって走りやすかった。7週も回っているとボランテイアの人とも顔見知りになりました。 もう来年の参加も決めました。つくばマラソンと重ならなければ駅伝などにも皆で参加したいですね。来年は生徒を誘えるかな。 (12月4日 掲示板より ) |
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■2007年11月23日(金) | 第20回大田原マラソン ゼッケン 8456 |
42.195㎞ 0~ 5 23:55:12 5~10 23:27:33 10~15 24:34:54 15~20 25:41:81 20~25 22:56:12 25~30 22:25:36 30~35 24:48:11 35~40 28:18:04 あと2キロ 4:59:48 あと1キロ 5:10:71 |
3時間27分20秒(3時間29分40秒より ) 記録更新 |
○3時45分起床の予定が4時10分過ぎに起きて慌てた。5時02分取手発にのらないとやまびこ201号に乗れない。とにかく昨年の経験より早くいけば行くほどスムーズに準備ができる。6時18分のやまびこ201号昨年と同じだが切符を当日購入で手間取った。6時10分のやまびこは那須塩原には停車しないから止めた。 那須塩原7時25分頃到着すぐに送迎バスに乗る。昨年より人数が多い。皆押し黙った雰囲気。 ○食事は朝食を自宅でしっかりとる。みそ汁,おにぎり (女房作)等。上野までに水500ペットボトル1本を飲む。新幹線でもおにぎり2個と水500。7時で水も食事もストップ。スタート30分前にウィダインゼリーを入れる。 ○スペシャルドリンク この大会の楽しみの一つ。昨年は全く勝手がわからず 水のペットボトルにガムテープそれにゼッケン番号だった。今年は少し工夫したつもりだけれど,いやはやバラエティーに富んだスペシャルドリンクで笑ってしまった。クリスマスのモールで包まれたものとか一目で自分のだとわかる大きい表示を立てたものとか。 私も蛍光色でボトルのふたを染めて目立たせたつもりが最初にまず間違えて人のものをとったり,なかなか見つからず通り過ぎたり失敗した。ただ30㎞対策で20キロ地点に置いたカーボショツコーラ味を溶かし込んだものはしっかりと全部飲めた。最後までエネルギーは切れることなかったのはこの補給が効いたのかもしれない。10キロ地点で500ペットボトルにメダリストとかアミノバイタルとかカーボショットを全部溶かし込んだものを用意したけれど,ほとんど飲めず飲む気がしなくて無駄にしてしまった。容器は小さいほうがよい。それにびんでなければ何でもよいと言うことだった。来年はもっと工夫したスペシャルを用意しようもう来年も出るつもりになっている。 ○トイレにはギリギリまで行く。スタート10分前から並び始める。とにかくネットタイムがなくて位置取りによってスタートラインまで少しかかる。でもマンモスな大会でないので1分以内の差ぐらいかにな。しかし途中ですこしもよおしたけれど,我慢して走ったら気にならなくなった。そして面白いことにゴールして真っ先にトイレに行くかと思ったらいかないでクールダウンのつもりのジョギングをしていた。7時水のストップでOKだったのかな。スタートは10時40分。 ○反省 新幹線は自由席で大丈夫だから乗車券を早めにてに入れておく。帰り切符購入で並びもう少しで乗り遅れ走だった。 |
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10月の走行距離 | 214㎞ | ||||
■2007年10月28日(日) | 第13回手賀沼エコマラソン ゼッケン 1735 |
21.0975㎞ 4:50 4:50 4:36 4:41 4:34 4:57 4:44 4:44 4:43 5:09 4:46 4:37 5:02 4:39 4:37 14:21 4:48 4:42 4:53 |
1時間40分18秒(前回1時間39分55秒) 総合順位 1281位/6400人中 ハーフ男子55~59 102位/737人中 |
○タートルマラソンとこの大会は必ず参加すると決めています。利根川楽走会の仲間が一堂に会する大会になりました。和島さんの連続13回完走と私たちのランニングがつながっています。 ○今回はさらに仲間が増えて,中島さんがセッティングしてくれたテントが狭いぐらいの参加でした。 |
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■2007年10月19日(日) | 第36回タートルマラソン全国大会兼第10回バリアフリー大会 ナンバー1971
○例年走った後はお蕎麦やさんで御苦労さん会。1年ぶりに合うおそば屋のおじさんおばさんと再会できた。 そこに駆けつけたのが 夜間中学校のドキュメンタリー映画「こんばんわ」 にもでているNさん。 大いに盛り上がりました。 来年はもっと大人数で走りたいですね。 |
21.0975㎞ | 1時間43分49秒(前回1:35:44) 591位/2765人 |
○初心に返って走ろうと思いました。このマラソン大会から私のマラソンはスタートしました。絶好の天気に恵まれて全国各地から約6400名の参加者が集いました。その中に昨年はボランティア参加でそして今回10㎞のスタートラインに立った利根川楽走会の仲間がいました。特筆すべき大会となりました。 この大会で不快な走りが完全に消えました。 ○1年前、ボランティアとして参加したタートルマラソン。今日は、10kmの部に選手として参加しました!思えば、新社会人だった昨年、仕事以外に何か夢中になれることを探していて、たまたま地元の図書館でタートルマラソンのボランティアの募集チラシを見つけ、軽い気持ちで参加したことがその後、自分の人生を180度変える大きな出会いにつながりました。同じくボランティアとして参加していたスプートニクさんと『来年はお互いに選手として、ゼッケンを着けて参加しましょう!』と約束しました。スプートニクさんとの出会いにより、りょうさんやワジチャン、そして利根川楽走会の 皆さんをはじめ、多くの素晴らしい仲間に出会うことができました!今日は、多くの仲間達のおかげで無事にスタートラインに立てたことに感謝しながら、自分のペースで楽しみながら走り、無事に完走することができました。途中、声援を送って下さったボランティアや応援の方に『ありがとうございます!』とお礼を言いながら、1年前の自分を思い出しました。『♪ゴールは終わりじゃなくてまた次への始まり♪』私の好きな歌でもある平原綾香さんの『誓い』の歌詞の一部です。今日の感動や喜びを今後の支えにして、また次のスタートラインに立てるように努力していきたいと思います!! 最高の一日をありがとうございました!(ウォーランさん10/21掲示板書き込みより) ○北千住駅から歩き、荒川の土手に登ったところで、一瞬立ち止まり目を見張りました。目の前の河川敷に広がる、テントテント人人人…。 「第36回タートルマラソン全国大会兼第10回バリアフリータートルマラソン大会」“あの日”から1年、とうとうこの日が巡ってきました。そして、おかげさまで10km コースを無事完走することができました。参加のいきさつはウォーランさんとりょうさんのおっしゃるとおり、偶然が重なっての奇跡のような出会いの結果でした。でもウォーランさん、わたしたちきっと、その奇跡の種をお互い半分ずつ持っていたんですね。それがあの日たまたまボランティアで隣同士になって芽が出て、多くの方たちの助けを借りて育って、1年後に一つ花が咲いた…。これからまた一緒に、この花を育てていきましょう。よろしくお願いしますね。りょうさんはじめ楽走会の皆さん、本当にお世話になりました。うろうろまごまごして、常にワンテンポ遅れてご迷惑をおかけしました。ケイタイという文明の利器がなかったら、私はあの日誰とも会えずに独りで走って独りで帰って来たかも知れません。「いや、ケイタイ無しでもちゃんとあなたを見つけたよ!」と言ってくださったとっしーさん、写真をありがとうございました。大切な思い出です。ヒマワリの種さん、初めまして。結果はそんなだったんですよ。(笑) 「走る事への熱意」とほめてくださってありがとうございます。でも私は、熱意とか根性!とかいうのではなくて単純に「走りたいから」走ってるんです。…だめでしょうかね、これじゃ…。人生を180度変えるような出会い、それがいつ訪れるのか、訪れないのか、それはわかりません。でもランニングに限らず、今自分が楽しいと思えること、興味があること、それに真剣に打ち込んでいけば、それがいつかきっと大きな実を結ぶと信じています。でも私の場合、ちょっと打ち込み過ぎかも…。ホントは皇居を走った時も、帰りが遅くなって家族に心配かけたんですよ。osada さんのおっしゃるとおり、目標があるって本当に幸せなことですよね。 また皆さんと一緒に、新しい目標に向かって走り出せることに感謝します。それが何かは今は内緒。これからもよろしくお願いします。 走り来て 風に誘われ 見上げれば 常磐快速 鉄橋をゆく …なぁなママさんが乗ってたのかなぁ。 (スプートニクさん10/26日掲示板書き込みより) |
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■2007年10月5日(日) | 東京マラソン2008 当選のメールが届く。手続き完了。2月 | ||||
9月の走行距離 | 177㎞ | ○9月4日にはランニング中止。右足股関節に違和感。 といった感じで快適でなかった。ランニングは調子よいときは快適だけれど,一旦故障すると不快そして暗くなる。こういうことにならないように走り続けることができるようにしなければならないと思った。 |
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■2007年9月30日(日) | 第10回城内坂ウルトラマラソン 「第10回城内坂ウルトラマラソンに参加して頂き有り難う御座いました。今回は大変厳しい気象状況になり今までにない結果となりました。参加者のウルトラの経験が問われたのかと感じております。49名中12名のリタイア は前回までにはなかった数字です。厳しかったランニングの疲れもすっかり抜け,また新しい目標に向かって走り出していることと思います。大会の記録がまとまりましたのでお知らせ致します。」( 送られれてきた記録証より) |
80㎞ リタイア 第11回目ウルトラマラソン |
12時間09分 90日間走行距離519㎞ 月間平均173㎞ 10㎞ 1:14 20㎞ 1:24 30㎞ 1:17 40㎞ 1:18 50㎞ 1:24 60㎞ 1:36 70㎞ 1:44 80㎞ 2:12 |
○「天候は4週目(40kM)ころから雨が降り始め結局最後まで雨という前代未聞の水遊びになってしまいました。さすがに体が冷え切ってしまいましたが完走の喜びで乗り切りました。昨年であった流山Cjの方と再会、柏親父の会の人との出会い、菊池さんは丹後で知り合った方との再会など実り多い大会でした。又主催者側のアットホームな運営も印象的で来年もぜひ参加しようという気にさせてくれる大会でした。」(牧さん記) 残暑も厳しいかと暑さを気にしていたけれど激しい雨に打たれ厳しい環境となりました。牧さんが完走。私は80㎞でリタイアしました。しかしその後の足の状態回復が早く走る前に心配していたこともなくてホッと安心しました。雨の中走り続ける牧さんそして同部屋で大会参加で最年長66歳のSさん,丹後でいっしょだったSさんを応援する方にまわりました。 最年長Sさんがゴールしたのが夜7時過ぎ。感動のゴールでした。民宿のおばちゃんに夕食を遅らせてもらい御苦労さん会が始まったのは8時過ぎ お互いの健闘をたたえての何とも幸せな時間でした。 「今回の大会は大規模な大会でなくわずか51人の参加者でした。午前3時前から私たちを待っていてくれる主催者の人達の暖かさを感じられる素晴らしい大会でした。お礼も兼ねてこの大会の主催者の益子走友会の大塚さんを訪ねました。何と益子焼き窯元「大誠堂」の伝統工芸士でもありました。立派なお店で益子焼きを手にとることができました。そして「伝統の登窯」を見せて頂き説明してくれました。コツコツと伝統を守る人達の努力,静かにろくろに神経を集中する若い職人さんの見事な手さばきも見学できました。ただこの伝統を守るのに大変な困難を抱えている現状も率直に述べられていました。今回の10回大会記念は大塚さん自作の「益子焼き」でした。そのお皿に書き込まれた「走」の字に込められた城内坂ウルトラマラソン大会にかける想いを感じました。参加してよかったぁ」(掲示板書き込みより ) ○5月皇居チャレンジマラソン以来の久しぶりの大会。 いつもなら9月16日の丹後ウルトラマラソンを走る予定が仕事の都合で参加できず。翌日休みが取れると言うことで,この大会にエントリーした。京都丹後も大変なコースだけれど3回とも完走できたが今回はちょっと厳しい。昨年の京都丹後の大会前90日間の走行距離が600㎞だった。今回は8月中旬頃から右股関節当たりに違和感を覚え始めて様子をみながらのトレーニングとなった。一時は途中のランニングを中止しなければならない程にもなったけれど「これは休養をとれば大丈夫」 と判断。様子をみながらのランニング・こんな時始めて,痛みもなく普通に走れることのありがたさを感じる。なぜこのようになったのかを考えたがはっきりとした原因がわからない。ただ過去に坂道を調子に乗って走ったあと激烈な痛みに見舞われたことがある。その後のトレーニングで坂道の下りに自分が強くなったと思い,7月に入っての小石川植物園の御殿坂を思い切りスピード練習したことの積み重ねのダメージがきているのかと 反省している。とにかくながーく続けるランニングのために挑戦しながらもケガのないランニングを再び自分の体に言い聞かせての,「体に悪いウルトラマラソン」への挑戦となる。本日28㎞のLSDトレーニングを炎天下の中で実施。最後まで平均7~8分/kmで走りきりそして右足の痛みを感じなくなるところまで確認できて100㎞へ向けての調整に入った。(9/22土 ) |
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■2007年9月1日(土) | 利根川楽走会5周年記念企画 清里高地合宿 | ○とにかく高地トレーニングを実現した事が夢見たいです。 | |||
8月の走行距離 | 212km | ||||
■2007年8月11日(土) | 東京マラソンコース試走 | 42.195km | ○ギラギラの太陽に当たらず、室内にいてさえも熱中症に! そんな猛暑の中を試走されたのですか!?しかも42・195kmのフルコースを!(sayshoeさんの書き込みより)とにかく危ないランニング。でもこの「実験」で新たな発見もあった。 ○最後は大江戸温泉でゆったり。贅沢な一日だった。 |
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■2007年8月5日(日) | 第5回利根川平和祈念マラソン&ウォーク大会 | 10km | ○画期的な大会となりました。昨年の経験をしっかりといかした水もタップリとそして安全を第一にした体制ができてこれからの大会の基礎ができました。 | ||
7月の走行距離 | 212km | ||||
■2007年7月21日(土) | 利根川楽走会 第23回練習会 |
21.0975 |
○中島さん,和田さん,柿原さん,そして菊池の参加。
雨の中のランニングとなった。柿原さん ○中島さん、和田さん、りょうさん、21日はお世話になりました。走り出してしまえばあのくらいの雨は全然苦にならず、本当に気持ちのいいランニング(…かな?)でした。翌日は朝から仕事だったのですが、不思議と、ここ何日か続いていた膝痛がほとんどなくなっていました。距離表示の確認で時々立ち止まったり歩いたり、時々ズルしたり(笑)それが今のわたしにちょうどいい運動だったみたいです。 「ほら!3時間半以上ずっと動き続けたでしょう。フルマラソンってこんな感じですよ。」 「このペースで走り続ければ、もうハーフもいけるね。」
「で、エントリーしたの?手賀沼エコ。」「大丈夫、ハーフ走れます。」走りながらずっと呪文のようにくり返し言われるうちに…。誰かさんに2年かけて(3年と言いましたが間違えました)じわじわとだまされて?始めたランニング、まただまされて?今まで“夢”だったハーフがだんだん“目標”になったりするのかなぁ。でもそれはもう少し先のことだと思いますので長い目で見守ってやってください。(すでに半分ぐらいその気になっている)(Kさん記 )
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6月の走行距離 | 241km | ||||
■2007年6月16日(土) | 利根川楽走会 第22回練習会 |
21.0975 | ○絶好の好天気。6月の天気とは思われない快適な手賀沼コース。初参加の女性ランナーKさんと和島さん中島さん和田さん河上さんと私が走りました。道の駅 スタートが大変都合のよいことがわかりました。以下初参加のKさんの掲示板への書き込みです。 「りょうさん、16日は利根川楽走会の練習会に参加させていただいて本当に嬉しかったです。ありがとうございました。皆さんより1時間遅いスタートで手賀沼半周約10kmを走りましたが、皆さんにお気遣いいただき、休憩も入れていただき、なんとか走りきることができました。折り返し点近く、「ほら見てごらん、あそこから走って来たんだよ。」といわれて振り返ると、遠くに、スタートしてすぐに渡った手賀沼大橋が見えました。その向こうに富士の頂がくっきり見えたのが印象的でした。本当に遠くまで走って来たんだなぁ、またあそこまで走って行くんだなぁ。グラウンドのまわり1周500mのジョギングコースでは味わえない歓びでした。おしゃべりしながらゆっくり長く走る。LSD。なんて気持ちがいいんでしょう。今まで一人で走ることが多かったですが、仲間と一緒に走るのも本当にいいなぁと思いました。これからも、りょうさんのおっしゃるとおり、長く、無理せず、気持ちよく走りたいと思います。 りょうさん、楽走会の皆さん、仲間に入れてください。よろしくお願いします。 ふり向けば 手賀沼大橋 朝の風 走り来し道 走り行く道 お粗末でした」 と大変素晴らしい表現のお粗末でないレポートでした。 |
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5月の走行距離 | 127㎞ | ||||
■2007年5月26日(土) | 文京十中運動会 1500㍍ |
○ケガしないでゴールできたのがまずうれしかった。そして生徒,先生の多くの応援の声が聞こえた。なぜか「フォームがきれい」と褒められた。そして見ていた大人から声がかかった。あの六義園で走ることができた。気持ちよかった。 | |||
■2007年5月20日(日) | 第33回皇居チャレンジマラソン 晴天 ●6周(30㎞)でリタイア 1周29:12:00 2周27:10:71 3周27:55:64 4周27:32:70 5周34:25:55 6周34:30:32 |
種目50㎞ で30㎞でリタイア。 第10回目ウルトラマラソン |
2時間56分33秒 | ○6周(30㎞)でリタイアしました。 振り返ってみると6周の走りを支えたのは... 5月3日のコンサート終了から声が出ない状態が始まり。夜激しい咳で体力消耗の日が続きました。5月12日の利根川楽走会練習会には少しよくなったので応援参加で最初と最後の御苦労さん会に参加する予定が医者にいったら「声が出なくなるよ。」といわれ御苦労さん会参加取りやめました。それからランニングは中止。そしてこの大会に参加。 ○前日に掲示板に書き込みました。「ワクワクするようなうれしい気持ちで明日を迎えます。声も回復しました。5月3日以来休養。2週間あまり。これほど完全にランニングをストップしてからの再開は初経験かもしれません。 明日の大会では練習再開の走りに徹します。利根川楽走会の仲間も走ります。先日の練習会に参加できなかった仲間も加わり皆やる気充分。そしてその後の反省会の場所も決まっています。ほんとうにうれしいです。 私はこの大会は4回目の挑戦になります。2002年に初参加してその時は7周でリタイア。その後,走力がアップして4時間42分10秒が自己記録。と記録を持ち出すと練習再開の走りを忘れて無理するかもしれませんが無理しません。どの辺で足の痛みがくるか,それを我慢してその痛みが消えるのはどの辺か,そしてこれは耐えられない,無理してはいけない痛みと判断したらストップ。それがどの辺の距離になるのか自分の体を使った実験になります。4月の走行距離が209.8㎞ 5月今日まで17㎞。 |
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■2007年5月12日(土) | 利根川楽走会 第21回練習会 和島さんブログより |
利根川楽走会第3番目のコース誕生 江戸川コース 松戸~葛西臨海公園 |
23㎞ | ○やっと実現しました。1月3日和島さん,和田さんが正月早々に開発したコース。私は体調が回復せず「見送りラン」で金町まで,気持ちだけは走っていました。そして今回は初めてのリュックを背負って電車を使ってのランニングということで新たな試みでした。この新たな試みにうれしいことに女性ランナーも初参加。今まで10キロ走ったことあるというYさんにとってかなり厳しいコースかと心配しました。しかし見事に完走しました。 ○やっと実現できました!1月3日に自転車で下見して以来、いいコースとわかっていたもののなかなかチャンスに恵まれませんでした。 ちょっと日差しが強かったものの、快適にディズニーランドや有名な電線(笑)を眺めながらの23キロランでした。松戸駅がスタートで葛西臨海公園がゴールです。これで第三のコースが完成したわけです。 写真はゴールの観覧車前にて。(和島さんブログより ) ○昨日は、初めて楽走会の練習会に参加させて頂きました。初めてりょうさんにお会いすることができ、とても嬉しかったです!体調不良の中、色々と気遣って頂き、ゴール後にワジチャンからりょうさんからの完走おめでとうとの伝言を聞き、完走の喜びが膨らみました! 楽走会の皆様に何度も助けられ、大きな支えとなり、無事にゴールすることができました。 今回の経験を励みにして、今後もランニングを楽しみたいと思います。また都合の良い時は練習会に参加したいと思いますので、宜しくお願い致します!(初参加Yさんの書き込みより ) |
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4月の走行距離 | 209.8 | ○異動して生活を思い切り変えた。 職場のそばに小石川植物園があることが大きな支えになった。取手始発4時35分に乗るための生活に変える。今までの生活で省略できるものは省略。朝食は自宅でとれないので特に質と量が落ちないように特別に工夫した。ここで初めて通勤ランに徹する。 まず日暮里下車後北口よりスタートだいたい5時15分ころのスタート有名な「夕焼け段々」を降りてまだ人通りもない谷中銀座をあっという間に通り抜け偲ばす通りにそれから忍ばす通りに沿って走り続ける少し上り坂。上富士交差点-駒込署-文京グリーンコート-小石川高校を通り千石1丁目交差点そして文京十中の前を通りすぎて小石川植物園を2周まわり朝食の場所デニーズこんなコースが最初の頃だったけれど,忍ばす通りから脇道に入ったりいろいろ走った結果落ち着いたコースが名付けて「日暮里団子坂コース8.124㎞」 とにかく団子坂から始まり 坂蓮花寺坂御殿坂網干坂と坂の連続でランニングには絶好のコース。 ときには広い道路の真ん中を走ったり早朝ならではの走りが楽しい。急激な変化でいつストップするのか自分の体との相談しながらでも少しここは無理してでも1ヵ月は続けてみようと気を張っていた。 途中土曜日にも出かけて,日暮里からのコース測定もやってしまった。小石川植物園1周は2キロ弱 道の真ん中を測定すればきっと2キロピッタリくらいちょうどよい。 ○209.8kmは土日をほとんど走らない距離だから 画期的。 生活になれることを中心としながらランニングへの意欲的な取り組みで,月間300キロの練習が可能。これが大きい成果。5月3日以降の体調の崩れは確かにこの1ヵ月の疲労や歓送迎会での飲み会,そして野外での活動など重なって少し重たくなったけれど,回復したら今までと違うより充実した生活ができるのではないかと期待している。 |
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■2007年4月14日(土) | 利根川楽走会 第20回練習会 |
手賀沼コース21.0975㎞ | ○中島さん,和田さん,河上さん 菊池の参加。 今まで使っていた駐車場が使えないと河上さんより連絡あり。急遽「道の駅」集合となる。今後はここからのスタートか。 |
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2007(平成19)年4月 | 文京第十中学校に異動 1年目 |
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3月の走行距離 | 153㎞ | ||||
■2007年3月24日(土) | 利根川楽走会 第19回練習会 |
手賀沼コース21.0975㎞ |
○昨日は、和島、ナカジ、ワダさん、菊池会長の4人で手賀沼を走りました。暖かく走りやすいコース、久々の会長も満足そうでした。コース途中に出来た「満天の湯」も外から下見、足湯が無料で入れることわかりました(和島さん記)
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■2007年3月18日(日) | 第10回東京荒川市民マラソン 22㎞:5:20 23㎞:5:41 24㎞:5:43 25㎞:5:59 26㎞:6:19 27㎞:5:59 28㎞:6:56 29㎞:6:11 30㎞:5:54 2:42:09(公式) 31㎞:6:21 32㎞:5:32 33㎞:6:11 34㎞:6:45 35㎞:11:52歩き始める 36㎞:9:26 歩き 37㎞:5:50 38㎞:6:35 39㎞:6:24 40㎞:7:11ヘトヘト 3:54:22(公式) 41㎞:9:23 42㎞:7:33 |
フル(42.195㎞) | 4時間10分33秒 総合順位 3387位/9304人中 年代別 761位/1960人中 1㎞:5:22 2㎞:4:54 3㎞:5:01 4㎞:4:57 5㎞:5:03 6㎞:4:53 7㎞:4:57 8㎞:4:59 9㎞:4:59 10㎞:4:36 51:34(公式) 11㎞:5:04 12㎞:5:01 13㎞:5:02 14㎞:6:18(トイレに行く) 15㎞:5:10 16㎞:4:52 17㎞:5:00 18㎞:5:01 19㎞:4:57 20㎞:4:54 1:42:09(公式) 21㎞:5:04 |
○荒川マラソン参加しました。 あさ9時スタートで風が強く非常に寒いスタートでした。 昨年からコースが変り往路後スタート地点を越えて北上していたのが、南にコー
スが延び スタート地点=ゴールとなり気分的には非常に楽になりました。 往路の風に悩まされましたが6分弱/Kmを死守できNETですがサブフォー達成できま
した。 とにかく風でさむくて完走後にTシャツがぜんぜん汗をかいてない状態でした。 早々に会場をあとにして菊池さんと上野ジュラクで祝杯をあげた次第です。
今回は特にうまいビールでした。 菊池さんは非常に調子が悪く初めて菊池さんを追い越してしまいました。(牧さん記) ○レース展開 途中止めようかと思いました。行きの追い風でこれは思ったより楽だとおもったが帰りの冷たい向かい風には走る意欲を奪われました。サングラスでめをカバーしているのにほこりはいりコンタクト目で苦労しました。 久しぶりに35㎞過ぎから完全失速。歩きもまじりいつものゴール前のスパートもできずにたどり着くようにゴールしました。あと5㎞のところで牧さんに抜かされついて行こうとしたがついていけませんでした。牧さんのサブフォー達成の気合いを感じました。やはり練習不足でフルマラソンはごまかせないと思いました。あの条件で 記録を出した牧さんに乾杯!のビールは美味しかった。 ○反省 ウエストポーチを忘れたりいつも作るおにぎりも作れなかった。とにかくスタートラインに立つことが精一杯という状態でした。エイドステーションも充実して距離表示も1キロごとにあり人気の大会だけれど時期的に練習不足で臨むことが多くあまり印象がよくない。 今回も苦しかったけれど過去に5回大会4時間43分35秒6回大会4時間45分31秒と比べると,やはり走力はアップしているのだと慰められる。気持ちよく走るために練習しよう。 |
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■2007年3月11日(日) | 第14回京都シティーハーフマラソン | ハーフ(21.0975) | 1時間38分15秒 総合順位 1464位/4325人中 年代別順位 246位/1028人中 1㎞:5:52 2㎞:5:04 3㎞:4:45 4㎞:4:47 5㎞:4:35 6㎞:4:32 7㎞:4:50 8㎞:4:44 9㎞:4:44 10㎞:4:27 11㎞:4:43 12㎞:4:44 13㎞:4:48 14㎞:4:35 15㎞:4:34 16㎞:4:28 あと5㎞ あと4㎞:8:54 あと3㎞:4:13 あと2㎞:3:38 あと1㎞:4:45 |
○やっと念願の大会に参加できた。昨年はエントリーしたけれど参加できずに記念品だけを頂いた。 平安神宮を後ろにその大鳥居を前方にみてのスタートラインは京都ならではの歴史を感じる雰囲気で素晴らしかった。海外からの市民参加もあり寒いのに半袖で元気にしゃべる外国人ランナーが印象的だった。 ○レース展開 あと2キロで3分30秒台のスピードで走れたのには驚いた。長い坂道で思いきりとばしたがからだがついて行けた。 ○応援のありがたさ 応援があるとそこまでは何とか恰好つけようとする意識がはたらき頑張れた。 今回初めて私の娘が応援してくれた。 |
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■2007年3月4日(日) | 第25回2007三浦国際市民マラソン大会 | ・ハーフ(21.0975㎞ ) ・ゼッケン 21296 ・天気 晴れ ・気温12.1℃ ・湿度 79.2% ・北東の風 平均2.2m |
1時間41分52秒 総合順位 848位(5038人/中) 種目別順位 814位(4384人/中) |
○ 朝5時45分取手発の電車で三浦海岸8時22分ちょっとした小旅行でした。 品川7時15分横須賀中央行きが当日は三崎口行きに変更。乗り換えることなくいけ ました。 早々『漁り火亭』に着き着替えをしているところに長沼さんが到着。井上さんは 今回不参加。 3人での参加となった。 隣の席は昨年のなじみさん。着替えたところで記念品を受け取りに海岸へ。 今年は暖かい。アームウォームは不要。 スタートからスタート地点通過まで1分30秒。上り坂は今年のテーマと考えスピー ドを落とさない走りを心がけた。その為往路の上りは自分が引っ張った形になっ たが下りになると菊池さん、長沼さんにどんどん抜かれた。 折り返しからの上りでまた逆転したがすぐに菊池さんに抜かれ結局最後まで菊池 、牧、長沼の順番は変らず距離もそれぞれ約3分位の差。平坦なコースは少なくほ とんどが坂道である。 途中4分30秒/kmの記録が何箇所か見られ自分ながら最後まで持つのか心配になっ た。 結局1時間43分ネットでゴール。三浦での自己新であった。 自分ながら天晴れな記録であった。 今年は皆記録を上げており見えたり見えなくなったりの距離差で非常に励みにな った大会でした。 ちなみに長沼さんも三浦での自己新とのこと。 今年は2階で着替えを行ったが、漁り火亭はシャワーがあった。 また魅力が増えた。 今年は井上さんがいないからさぞ静かと思いきや 海の幸を堪能するとビールが進むこと。 刺身でよし、煮物でよし、フライでよし、普段食べられない新鮮さを堪能しまし た。 三浦海岸駅周辺は例年同様オープンデッキ(要は店の前にテーブルを置いて飲んで いる)で祝杯を挙げている人ごみでにぎわっていました。 やはり漁り火亭あっての三浦マラソンかな!!! 来年は皆さんもぜひ一緒に海の幸を!! (牧さん記) ○牧さんから毎年誘われてもなかなか参加できなかった。今回初参加。砂浜がすぐで海岸に沿ってのスタートでなかなかお祭りのような雰囲気。日ざしとともに非常に明るい。景色もよいコースということでしたが,最後までアップダウンが厳しくて走るので精一杯。 今まで走ったハーフのコースで一番難関かなと思いました。だからその後の漁り火亭での宴は最高でした。昼間から飲み過ぎてしまいました。 |
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2月の走行距離 | 69㎞ | ○とにかく自分が元気でも走れなくなることがある。それどころではない事情が発生するとそちらを最優先になるけれどもそういうときは良いことはない。 |
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■2007年2月24日(土) | 利根川楽走会 第18回練習会 |
手賀沼コース(21.0975㎞ ) | ○4名参加で行いました。 牧さん、若狭さん、私、和島さんは少し早めのスタート、途中合流して 20kmほど走って帰りました。風もそんなに強くなく、 日差しに春を感じながら楽しく走りました。(和田さん記) | ||
■2007年2月11日(日) |
第57回千代田区 内濠周回駅伝 | 5㎞×5 | 1区菊池2区和田3区河上4区石井5区牧 ひょんな人との繋がりからこの大会に参加することができました。57年の歴史のある大会。皇居1周約5キロを一周ずつ5人で襷をつなぐ駅伝です。昨日の荒れた天気とは違って少し風は強かったけれども,日差しも出てきて好条件での大会となりました。私たちのチームは利根川楽走会を中心に5人のメンバーが予定通り無事に集合。それだけでもうれしかった。自分が呼びかけておいて,参加できないのではないかという事情を抱えてのきわどい参加でした。みんな駅伝は初体験。箱根駅伝の厳しいレースのイメージもあり不安でした。私は1区を走らせてもらい,ぐんぐん走る若い人にまじって結構ついて行けた。150チームのなかで70位いないで襷を渡せました。5キロのタイムは今までの新記録。走り終えて次の仲間のゴールを迎えました。みんな全力を出し切りました。全員が今までにない新記録。アフターランも近くのレストランで昼食が準備されて楽しい走る仲間との交流ができました。箱根駅伝も走った選手も交えての高速チームからゆっくりゆっくり襷を手渡すチーム。老いも若きも世代性別を超えてニコニコした笑顔が一杯。素晴らしい雰囲気の大会でした。駅伝に魅せられました。走る楽しみがまた深まりました。 |
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2007年(平成19年)2月4日(日) | 第23回守谷ハーフマラソン ナンバー 1855 |
ハーフ 21.0975㎞ |
1時間40分44秒 ・種目(男子55~59)58位(250人申し込み) ・男子総合529位(1991人申し込み ) 1㎞ 4:18 5㎞ 22:32 10㎞23:19 15㎞24:39 あと3㎞4:56 あと2㎞5:23 あと1㎞5:01 |
○風が強く冷たかった。いつも後ろのほうからスタートして自分のペースをつくってきたけれど,今回思い切って高速ランナーの仲間入りをして先頭に近いところからスタートしてみた。1㎞4:18のペースでスタートした。 しかし後半の踏ん張りがきかなかった。前半のオーパペースで全体のタイムが落ちたという感じで,いつもの最後のごぼう抜きランができなかった。それにキロ表示が1キロのあとが5㎞で調子狂ってしまった。キロ表示を作るのは大変な作業だとは知っているけれども,23回の歴史がある大会なら1キロごとの表示が欲しい。 やはり5キロまでは自分の調子を見ながら走りその後ペースををあげていった方が自分の走りができそうだ。 ○昨年の経験をいかし,守谷市役所内の場所取りで牧さんが一番いいところを取ってくれました。新しい仲間との出会いもありアフターランも盛り上がったようです。 (私は事情により参加できませんでした。残念! ) |
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1月の走行距離 | 210.1㎞ | ||||
2007年(平成19年)1月28日(日) | 第55回勝田全国マラソン 大会データ 男子マラソン参加申し込み 4692名 女子マラソン 582名 合計 5274名 男子50歳代の部 申し込み876名 合計10945名 |
42.195㎞ 大会前90日間走行距離 500㎞ |
3時間29分40秒(3時間29分42秒)より記録更新 179位(種目50歳代 ) 916位(男子総合) 1㎞ 5:19 2㎞ 4:45 3㎞ 4:54 4km 4:44 5 5:10 (キロ表示見失い遅れてプッシュ) 6~10 24:27 ~15 23:53 ~20 23:12 中間点 1:42:09 ~25 24:49 ~30 25:12 ~35 26:28 35~37.195 11:35 あと5㎞ 5:02 あと4㎞ 5:02 あと3㎞ 4:57 あと2㎞ 4:58 あと1㎞ 4:57 |
○前日の食事 お好み焼き・焼きうどん これがよかった。 ○当日 おにぎり2個 みそ汁にもち一つ こだわり水 多量 9時にストップ ギリギリまでトイレでスタートの位置がかなり後方 ○昨年より1本電車を早くした。7時34分取手発そのために5時30分起床,車で取手駅まで。勝田到着9時頃2時間前で早いと思ったがもうすでに多くの人が来ていた。もっと早く到着したい。ひたちなか市あげての応援で55年の歴史を感じるよい雰囲気だ。 ○誰か知っている人に会えないかなぁと思っていたら神奈川のRUNNERS9の会のY.シュガーさんに偶然で会う。再会を喜び9の会のノボリと一緒に記念写真。 ○レース展開 ウエストポーチに 塩飴 アミノ酸系ゼリー状食品,そして片手にゼリー状のエネルギー食品をもってスタートした。5キロまでで今日の調子を伺うつもりの走りとした。ギリギリまでトイレに並びスタートラインに向かったのでかなり後方からのスタートとなりました。最初の1キロが昨年よりモタモタしていたのでそれから走る渋滞から抜け出し自分のペースをつくろうとした。思ったより体はいい感じ。23分台の走りもできてこれはいけると調子に乗る。中間点を過ぎてからいつの間にか猿のぬいぐるみを着た女性を先頭にいい感じで走っている集団に入っていた。ぬいぐるみの女性はまわりの仲間にまで給水の手伝いをしてゆとりの走り。この集団に30㎞までついて行く,その後スピードダウンして歯を食いしばる。あと何キロ表示が見えて復活。姿勢を保ち観衆が多くなるほど元気が出てくるような感じだった。あとゴールまで300メートルのところで見知らぬランナーと競い合う,それがなかったら2秒短縮の記録はでなかったでしょう。温かい声援と沿道の人が多く頑張れる大会だ。 ○この大会のうれしいのは帰りの電車がノンビリ座れて小旅行のような雰囲気でくつろげること。記録も出て気持ちよくビールを飲みながら車窓の景色を見れるのが何よりの贅沢だ。一人ででも充分楽しめる。 ○分析 何故90日前走行距離が500㎞で記録を更新できたのか。580㎞ででた記録を更新した。今までの走力が蓄積されているのか。やはりラスト5キロでスピードがアップするように走ると気持ちがよい。「強いねぇ」という声援が励みになった。 ○今回90日前走行距離は500㎞。昨年は580㎞で3時間29分42秒の記録が出たから単純に記録更新は難しい。ただ450㎞で3時間31分51秒が出たかすみがうらもあるから調子によっては記録更新も不可能ではない。でも足に不安がある。30㎞過ぎにどうなるか。確か北海道マラソンのときからその週の水曜日20~30㎞走ってその後はスタート直前まで全く走らないでレースに参加するということをやって結果を出してきた。 今回は水19㎞木8㎞金0㎞土0㎞銭湯休養足裏マッサージという流れで臨んでみる。初めてマッサージを取り入れてみる。どんな効果があるのか。1/27記 |
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2007年(平成19年)1月13日(土) | 利根川楽走会 第17回練習会 |
23㎞コース(利根川コース) | ※ | ○8日間ランニングできませんでした。。疲れて土曜日の朝起きるのが辛かった。練習会欠席しようかなとチラッと弱気が顔を出しましたが,楽走会初練習にとにかく顔だけでも出そうと寒い朝飛び出しました。6時30分もう利根川河川敷に仲間がスタンバイしていました。 中島さん牧さん和島さん和田さんそして菊池 そして後から参加の河上さん。この一週間のストレスのかたまりがとけていくようでした。ゆっくりゆっくり,みんなで走り始めました。大利根橋を渡っているとき「きれいだなぁ」の声で目を横に向けると素晴らしい日の出。そこに鉄橋を渡る電車そして利根川の川面がくれない色の朝日で染まっている。おしゃべりできる速さでのランニング。その光景を車から見ていた後から追いかけてきた河上さんが言いました。「5人のランナーが一団となって走る姿なかなか目立っていたよ。」 次回は東京マラソンの後 |
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2007年(平成19年)1月1日 | 元旦マラソン | 25㎞㎞ 5時30分自宅スタート |
※ | ○予想外の顛末記 午前3時前から動き出した。元旦に東京都心をランニングするというのもなかなかできないこと。しかし驚いた。大晦日から元旦の交通機関。終夜運転をやっていると思いJRに一応問い合わせてみたら取手は一本も出ていないから我孫子まで出て下さい。とのこと1時間に3本くらいはでているということでした。所が3時ちょっと過ぎに我孫子に乗りつけると閑散としていて4時近い始発しかないという。50分近くも待てと言うのだ。それでは間に合わないよ。そこで決断,車でできるだけ都心に近づこう。とりあえず北千住に猛スピードで接近。周辺に駐車場を探すがなかなか見つからず時間を見たらとうていスタート時間に間に合いそうにないことを知り,残念ながらまた取手に引き返した。そして5時30分前に自宅に戻る。お月さんが綺麗に見えた。このまま寝るのも悔しくてまだ家族の寝静まるところ,ランニングウエアに着替えてまだ暗い道を利根川コースに向かって走り出した。とにかく寒くて手にホカロンを握りしめても通じない。大利根の陸橋をわたり,利根川の土手沿いを栄橋まで約8キロを走った。あーあ走ってよかった。前方の空が少しずつ白んできていた。東に向かって走っているのだ。初日の出を見ながらのランニングを期待できる。6時過ぎ少しずつコース場に人が現れる。 頑張ってくださいの声援も受けた。すれ違う人にも気持ちよく挨拶した。そして薄くかすんだ東の空に見事な太陽が現れた。 1年の始まり このように迎えたのも初めてだった。 今年もケガも病気もせずに楽しく走れることを願います。 ○東京マラソンのコースをユックリ走るイベント(ランニングチームHarriers〔ハリアーズ〕主催) ○コース スタート新宿都庁前 ゴール東京タワー |
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2007年 平成19年 |
年間走行距離目標 | 3000㎞ | 250㎞/月 | ○250×12=3000です。これだけの練習に耐えられる体をつくる。 | |
2006年 平成18年 |
年間走行距離 | 2313.5㎞ | 前年2077.1㎞ | ○192.7㎞/月もう少しで目標にしていた200㎞/月だったけれども仕事が少し重たかった(3年担任)なかでよく頑張ったかな。 ○体の状態:良好 どちらというと左足がきつくなりがち。きっと走るフォームに影響されていると思う。シューズの工夫などを考えよう。軸足も変えてみよう。 |
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12月の走行距離 | 108.5 | ※ | ※ | ||
2006年12月23日(土) | 利根川楽走会第16回練習会 | 21.0975 私は10キロ |
※ | ○この日が楽しみだった。走れない日が続いたから。しかし前日の忘年会と今までの疲れからスタート6時30分にはとうてい間に合わないくらい寝坊してしまった。あーあ情けなし。しばし休もうかとチラッ思ったけれども楽走会の練習会は遅れ参加あり,早参加ありとどんな状態でもみんなが受け入れる雰囲気があるから今から参加しても余り距離走れなくても行こうと決めた。 我孫子駅下のロッカーに荷物を置いて走り出す。 やっぱりきてよかった気持ちよし。そして仲間とどこで会えるのか楽しみだった。今日は名誉顧問の川端さんが初参加で走っていると知らされていた。皆と会うために逆コースを回る。もう本体は半分以上コースを回っていた。そうしたら前方から勢いよく走ってくるランナーとすれ違おうとしたら楽走会の河上さんだった。河上さんも途中参加だけれど本体が休憩しているときに追い抜かしてしまい会えなかったと言う。そこで二人で本体が来る方に向かって走り出した。遠くから何人かが走る姿が見える。川端さんを先頭に皆がニコニコして走ってくる。合流できた。5~6㎞地点。そして総勢7名のランナーが一段となってゴール目指して走った。 ○今年最後の練習会は今までで最高の参加者で締めくくった。河上さん川端さん菊池中島さん牧さん和島さん和田さん(50音順) ○全員で柏のお風呂に入り,望年会。今年一年を振り返り来年に向けた大きな話しで盛り上がった。 |
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※ | ※ | ※ | ※ | 12月は仕事で走る時間が確保できない。昨年よりもひどかった。帰りが10時過ぎることも。3年担任受験関係の書類づくりと私だけでない時間内に終わらない仕事が多すぎる。時間外手当も無し。階段の上り下りを時々繰り返してランニングできない体を慰めた。 | |
2006年12月2日(土) | ※ | ※ | ※ | 練習再開 15㎞ 快調に走れた。痛み無し | |
※ | 11月の走行距離 | 220㎞ | ※ | ※ | |
2006年11月23日(日) | 第19回大田原マラソン ゼッケン8481 |
42.195㎞ 90日前走行距離 642㎞ 214㎞/月 |
3時間33分12秒 532位/868人中 10㎞通過タイム 0:48:23 10~20 0:49:51 通過順位705位 20㎞通過タイム 1:38:14 20~30 0:50:08 通過順位720位 ハーフ:1:43:41 716位 30㎞通過タイム 2:28:22 30~40 0:53:50 通過順位658位 40㎞通過タイム 3:22:12 40~ゴール 0:11:00 通過順位559位 ゴールタイム :3:33:12 |
○気に入りました。もう来年参加することを決めました。 今までにないマラソン大会でした。 ・一番乗り 那須塩原駅には迎えのバスが待っていた。何と二人で出発。早いことはいろんな意味で得をする。着いたらすぐにスペシャルドリンクの受付。初めてなので勝手がわからずみんなが手頃な小さな容器に一目で自分の物だとわかるような目印と素早く取りやすくするための工夫をしていた。私は大きなペットボトルにとりあえずガムテープに名前を書く。 取るときに同じような容器があって迷って一時停止の場面もあった。 ・コインロッカーのある更衣室が温かく良かった。走り終わったらすぐにここに駆け込んで体を冷やさないで着替えをすれば良かった。 スタート直前まで保温のため上着を着てウォームアップ。競技場の芝に敷物で場所を確保。 ・雰囲気は北海道マラソンににていました。地元の大きなイベントとして実況放送も入っていました。タイムもネットタイムがなくて位置取りによってだいぶ違ってしまう。1分以上のロスはあった。次回は前の方からスタートしよう。 ・取手発5:02に乗るため3:40起床。新幹線やまびこ201号 帰りは指定席を取っていたが1時間早い自由席で帰る。 ・食事 おにぎりづくし前日ワイフ様がつくってくれました。金芽米使用。 ・調整 走行中にトイレにいかないようにするため水と食べ物を2時間前にストップギリギリまでトイレに行く。 拘りの水を大量に持参。(500ペットボトル10本) ・スタート直前 バナナ半分 カステラ一切れを食べる。 それでもエネルギー切れが心配でゼリー状炭水化物を携帯。 ・4時間の時間制限で北海道より人の数が少なくそのために招待選手だけでなく私たち一般ランナーも15㎞から5キロごとにスペシャルドリンクを用意することができた。どのように一人一人がそれを取るのか興味深かったが旨く工夫されていました。私はペットボトル500に拘りの水を入れてガムテープにゼッケン番号を書いて係員に渡した。 ・レース展開 記録更新をねらいましたがダメでした。3時間30分のペースアドヴァイザーに30㎞までついて行きその後余力があれば飛び出してというイメージでいましたが,15㎞~20㎞でもう後れを取り始め,アドヴァイザーの姿を確認できないくらい離されてしまいました。記録更新どころか収容されるかもとチラっと頭をかすめました。事前に制限時間のことがかなり強い調子で知らされており打ち切り通告が審判員よりなされ収容されるとか。 ただ我慢して自分のペースをつくり走り続けていると何故か調子が出てきました。あの丹後の猿のことを思い出したり少しきつくなってきたらそれに体を慣らすつもりでペースを保ちました。30㎞過ぎてから足が動くことを確認。後5キロでスピードアップしてごぼう抜き。ゴール寸前まで抜いて走ることができ元気よくゴール。 3時間33分12秒でした。極端な失速がなくて,最後に沿道の多くの人が応援する中を快走できたのが気持ちよかった。次につながる満足な走りとなりました。引き続き1月の勝田で記録更新を目指します。帰りの新幹線で缶ビールで一人で乾杯。贅沢な時間を過ごせました。 ・ランニング後の身体 走り終わってもすぐに普通歩行ができた。初心者の頃よりだいぶ強くなった。今回は 股関節を使ったフォームをイメージして走った。そして右利きなのどうしても右足を軸とした走りになっているようなので左足に軸を置く練習をしてみた。リズムに乗ってワン ツー ワンツそのためか左股関節に翌日から痛みを感じた。ということはフォームが少しは変わってきたのか。走ると痛みは消えていくが気になって,完全休養。本日12月1日にほぼ痛みが消え明日から練習を再開する予定。 |
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2006年11月18日(土) | 第15回利根川楽走会練習会 | 21.0975㎞ | ※ | ○前回風邪で参加できなかったので楽しみにしていた。今回は私と牧さん中島さん和田さん河上さんそして私たちより1時間早く来てすでに10キロ走り続けていた和島さん。今までに最高の6人の参加。河上さんが初参加で話しが盛り上がる。河上さんは東京マラソンに当選。その話しが出たとき何と牧さんが補欠当選のメールが来たとさらりと話したのに皆でビックリ。二人の仲間が東京マラソンフルに出場が決定。あと10キロにも参加する仲間いるから,応援組も何らかの形で参加しなくてはと思った。最高の日和で,道の駅の向かい側に建設中のスーパー銭湯も形が整ってきた。 | |
2006年11月5日(日) | RUNWEB練習会 | 30㎞ペース走 | ※ | ○起きるのが辛かった。もう少しで負けそうだったけれど何とか起きて超スピードで準備。16号線から千葉北インターから館山自動車道で前回より時間短縮で間に合った。5分/㎞ で30㎞。途中からペースメーカーのランナーを勢いよく抜いて自分のペースをつくる人がいたり,大変刺激になる練習。きっちり30㎞走れた。本当に毎度毎度サポートしてくれるRUNWEBのスタッフに頭が下がる。安田コーチ、大胡コーチありがとう御座いました。 | |
10月の走行距離 | 124㎞ | ※ | ○ | ||
2006年10月29日(日) | 第12回手賀沼エコマラソン21.0975㎞ ゼッケン 5956 |
第11回の記 1時間37分16秒 1319位(5940人中)年代別 101位(693人中 ) 1㎞:5:08 2㎞:4:47 3㎞:4:50 4㎞:4:40 5㎞:4:46 6㎞:4:34 7㎞:4:45 8㎞:4:33 9㎞:4:29 10㎞:4:32 11㎞:4:31 12㎞:4:31 13㎞:4:34 14㎞:4:34 15㎞:4:35 16㎞:4:40 17㎞:4:26 18㎞:4:27 19㎞:4:27 20㎞:4:41 21km~ゴール 4:39 |
1時間39分55秒 1815位(5750人中) 年代別 113位(693人中) 1㎞ 5:12 2㎞ 4:46 3㎞~5㎞:13:50 6㎞ 4:30 7㎞ 4:31 8㎞ 4:31 9㎞ 4:40 10㎞ 4:50 11㎞12㎞ 9:12 13㎞ 4:58 14㎞ 4:49 15㎞ 4:55 16㎞ 4:54 17㎞ 4:40 18㎞ 4:42 19㎞20㎞ 9:40 |
○今回の「実験」は少しきつかった。15日のタートルマラソンで1時間34分56秒の自己記録更新を目指したけれどダメでした。そして2週間後のこの大会に向けてやる気でいたのに,「学習発表会の準備」という仕事で連日遅くそれでも18日に12㎞のスピード練習をしたけれどそれだけ。そして金曜の午後からおかしくなり21日の楽走会の練習会に欠席。発熱ダウン。そして月曜日からまたハードな日々。学習発表会を何とか乗り切ったけれどその反省会も欠席してこの大会にのぞんだ。 12日間のノーランニングを経て,まだ少し鼻がグスグスいっている状態でスタートラインに立った。 それでもはこのスタートラインに立てる喜びは変わらない。 そしてこの大会があっての私の今のランニングがあると思うと感慨ひとしお。 和島さんからこの大会への誘いがあったから続いている。 その和島さんも連続出場,完走12回という記録を更新した。 ○会場に行くまでの間に雨が激しく降りだし気持ちは今ひとつ。しかし仲間と一緒だったから助かった。体調不十分ながらテントを用意してくれた中島さんのお陰で着替えもユックリと雨に濡れずにできました。 ○病み上がりでのレースで,最初の5キロで体調を見るつもりで走った。練習不十分での参加は積極的になれない。そしてやはり後半でのスピードダウンが顕著だった。昨年の記録と比較すると明らかだ。何か力が入らないという感じだった。 ○反省会が楽しかった。大きな企画が話題に上り実現しそうな雰囲気。私の夢が実現しそうだ。 |
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2006年10月21日(土) | 利根川楽走会第14回練習会 | 利根川コース23㎞ | ※ |
○快適な秋の・朝の空気の中、私(和島さん)は牧さん、ナカジ、そして、牧さんの同僚の桑鶴さんと走りました。
桑鶴さんは本格的には走ったことが無く、「膝に来てます」発言から結構きつかったらしく相野谷の水門のあたりで引き返されました。(和島さん記)
○タートルマラソン後 仕事で遅く夜のランニングができず 貴重な練習会だったのに,風邪でダウン。久しぶりの発熱。 土日と眠りました。 |
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2006年10月15日(日) | 第35回タートルマラソン全国大会兼 第9回バリアフリータートルマラソン |
21.0975㎞ | 記録1:35:44 214位(2158人中) 1㎞ 4:48 2㎞ 4:27 3㎞ 4:22 5㎞ 22:44 10㎞45:04 折り返し47:34 ラスト3㎞ 4:38 4:20 5:08 |
ゴールして呆然。ストップウオッチを押すのを忘れた。 | |
2006年10月8日(月) | 清里で本格ラン | 12㎞以上 | トレイルランも | ○高地トレーニング 標高約1500メートルいつかは走りたかった。仕事で2回清里に行き,早朝皆が寝ているときに宿舎から「美し森」に走った。その時見た景色が忘れられなかった。 距離測定器をもっていよいよ,コースづくりのため清里へ,そして4回目の訪問で自分のつくったコースを確かめながら気ままに走った。 |
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2006年10月8日(日) | RUNWEB練習会 | 33.6㎞ | ※ | ○1周2.8キロコース 12周でストップ。コーチが自転車で給水。走り続けた。ペースメーカーのランナーの見事なイーブンペース。レベルアップの期待が持てる練習となったが途中エネルギー切れ。初めて富津公園に車でいく。 | |
※ | 9月の走行距離 | 265㎞ | |||
2006年9月23日(土) | この指とまれ練習会 | 21.0975㎞ | ※ | ○和島さんからの呼びかけ。100キロマラソン後の休養期間を経て練習再開となった。手賀沼コースを気持ちよく走る。中島さんと私参加。 | |
2006年9月17日(日) | 京都丹後歴史街道100㎞ウルトラマラソン ゼッケン4 |
100㎞ 第9回目ウルトラマラソン |
90日前走行距離600km 月間200km |
○2ヶ所にある着替えステーションの利用の仕方を前回より工夫。自分の気に入った食べ物も袋に入れる。 ○3回目の挑戦。昨年は猿に追いかけられた忘れられないランニングとなった。大幅記録更新してのゴール。もう来年に向けての計画が頭に浮かぶ。 |
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2006年9月2日(土) | 利根川楽走会第13回練習会 | 21.0975㎞ | ○牧さん和島さん中島さんそして私。利根川平和祈念マラソン・ウォーク大会のハーフコースを走った。このコースのすばらしさを再認識。ユックリと話しながらのランニングの気持ちよさもこの練習会ならではの魅力になってきた。 | ||
8月の走行距離 | 200㎞ | ||||
2006年8月27日(日) | 山日YBS富士吉田火祭りロードレース | 20㎞ ナンバー 1497 |
種目男子50歳以上 1時間42分31秒 137位/426人 436位/1192人 |
○牧さんと仲間たちと走った。富士山の周辺をいつかは走りたかった。これが実現。 | |
2006年8月6日(日) | 第4回利根川平和祈念マラソン・ウォーク大会 | 10㎞ | ○30名の参加。ウォーキングそして高速ラン ゆっくりランと参加者の幅が広がりこれからの課題もはっきりしてきた。 | ||
7月の走行距離 | 208㎞ | ||||
2006年7月22日(土) |
利根川楽走会第12回練習会 | 21.0975㎞ | ○和島さん 中島さん 菊池の参加でした。 利根川コースは増水で走れず急遽手賀沼コースへ 久しぶりでさながら走りながらのミーティングのようでした。キロ7分。キロ表 示も確認できないままおはなし続けての快適ランニングとなり ました。 手賀沼の蓮が開花直前でした。その立派な葉に見とれてしまいました。また来よう。 | ||
2007年(平成18年7月8日(日) | 第2回磐梯高原ウルトラマラソン 天気:晴 気温:28℃ |
102㎞ 第8回目ウルトラマラソン |
13時間53分55秒 131位(149人) エントリー247人 不走16人 完走149人 出走率93.5% 完走率64.5% |
○初参加。サロマにも参加したいでも日曜日開催。 この大会は土曜日開催。しかも車で3時間あまりで会場に行くことができる。これだけでエントリーを決めた。日程的には仕事がきついときだけれど全員の進路確定祈願マラソンと位置づけ無理をした。 インターネットでコースと昨年走った人からの情報を得ようとしたが評判が余りよろしくない。なかなか厳しい意見にも出会った。まあ第1回目だから主催者も大変だからと思い少し不安になりながら当日を迎えた。 |
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6月の走行距離 | 222㎞ | ||||
2006年6月17日(土) | 利根川楽走会第11回練習会 | 0㎞ | 沖縄から帰る |
今日の練習会は、わたしと和田さんだけの参加と言うことで、少し趣向を変えて
江戸川を走ってきました。流山電鉄「流山」駅8時集合。
和田さんは近いと言うことでランで集合場所に。私はローカル感あふれる流鉄でやってきました。
二人で江戸川左岸(流山・松戸側)を松戸まで行き、和田さんは川を渡って引き返し家まで、私も自宅に向かって八柱まで走る。
途中から一人旅でそれぞれの自宅がゴールという変わった練習会でした。( 和島さん記 )
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2006年6月10日(日) | 荒川一中 運動会 | 1.5キロ | ○3回目。生徒達と走る仲間の意識で走れた。生徒のスピードにも何とかついて行けた。1年生のときよりも生徒達のレベルも上がっているが私の走力も確実に上がっていることに自信を深める。ランニングのフォームがキレイといわれた。 | ||
2006年6月4日(日) | 第38回六無月東京北マラソン | 42.195㎞ 90日前走行距離 554㎞ 184㎞/月 |
3時間46分12秒 0㎞ 2㎞ 10.03.58 4㎞ 10.06.86 6㎞ 10.05.66 8㎞ 09.55.93 10㎞ 10.0079 12㎞ 10.09.37 14㎞ 10.09.43 16㎞ 10.19.98 18㎞ 10.09.18 21.0975㎞16.27.95 2㎞10.10.50 4㎞11.21.45 6㎞10.07.37 8㎞9.55.79 10㎞11.11.01 12㎞12.01.88 14㎞12.01.26 16㎞13.26.11 18㎞11.43.75 20㎞10.49.46 ゴール06..16.11 |
○目標達成できませんでした。でも気に入りました。中規模の大会の良さがある。ラジオ体操第1第2をしっかりとやる。ランニング後冷えたポカリ・リンゴ・バナナが配られたけれども,走り終えた後のりんごよかった゜。RUNNERS9の会のユニフォームのSさんが声をかけてくれた。若い仲間と参加 上野で祝杯 新たなランニングの輪がつながった。 6/6 ○レース展開 反省 2キロ表示で2キロ10分ペースで調子がよければ30㎞過ぎからペースアップと考えたがダメでした。それでも最後持ち直して,Sさんの応援に応えて最後一人抜いてゴール。次につながる手応えを感じた。レース前の食事でタンパク不足を感じる。 ○いよいよ明日スタートだ。90日間走行距離554㎞月平均約184㎞の練習で参加します。 今までの記録で3:48:22のとき397㎞3:29:42のとき580㎞の記録を出しているから目標は3:31切りが適当かな。とにかく失速せずに最後まで走り通せる走り。後半一人二人と抜けるような状態のペースを確保することができるか。 昨日 夜7時過ぎスタートの30㎞走をやり遂げた。かなり消耗した。15㎞まで給水無しで走る。ゼリー状の補助食品を途中で補給したが,最後は少しエネルギー切れ気味。普通に運動会のための仕事その後部活動とめいっぱい仕事をして帰宅。小さな海苔巻きを5つくらい食べて走り始めた。体にはかなり厳しいトレーニング。本当は水曜日にやる予定ができなかったため一日大会より近づけてのランニング。このランニングがどのように影響するかも興味深い。体を使った実験。これがおもしろい。まさに知恵と総合的体力のスポーツ。6/3。 ○初参加 |
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5月の走行距離 | 181㎞ | ||||
2006年5月21日(日) | 第32回チャレンジ皇居マラソン ●4時間42分10秒138位(299人中 ) 1周25:50:72 2周26:00:05 3周25:46:80 4周25:03:34 5周30:14:82 6周26:42:61 7周28:57:85 8周31:11:69 9周31:11:64 10周31:18:1 |
50㎞ 第7回目ウルトラマラソン |
4時間52分33秒98位/176人 手元の時計 1周23:56 2周24:01 3周25:37 4周26:04 5周25:45 6周27:04 7周29:12 8周34:09 9周36:14 10周42:01 最後のエイドでストレッチ。昨年の9月のウルトラマラソンの70㎞付近からの左足全体の痛みを感じる。この痛みは何なのだろう。 走り終えると痛み無し。走るフォーム。靴。インソール。走行距離。どこに原因があるか探すのも面白し。 |
○今回は楽走会4人で会場に向かった。昨年の経験がいきた。牧さんと取手で待ち合わせ。7時41分またもやスレスレで飛び乗りセーフ。松戸で和島さん和田さんが乗り込んで活気溢れる会話を楽しむ。有楽町からのが近いのだけれど昨年と同様に東京駅丸の内 北口で降りて地下のロッカーで貴重品をまとめる。会場までは広々とした道と皇居の緑が実に気持ちよい。 ・会場はもうたくさんの人でよい場所が占有されていた。私たちは昨年と同じような場所をとった。ただし此処は午後日差しがきつくて場所を移動。次回はもう少し早く来て場所取りも考えねば。とにかく相当な厳しいランニングなのでランニング後の回復に快適な休み場所の確保が大切だ。 ・桜田門時計台近くのトイレはながーい列。「あの駐車場のトイレ空いていますよ。」の声を聞いて行ってみた。ガラガラで綺麗。これは使える。 ・2002年の5月初参加で7周35㎞でストップ。このときも他のコースよりも何故かハードなコースだと印象が強いけれど何度やっても皇居はきつい。 ・昨年よりも最後はヨレヨレのゴールとなった。昨年は気持ちよくゴールできたのに。それはやはり練習不足とペース配分の失敗。記録を見れば明らか。練習に見合った走りでなく気持ちだけが先に行った走りだった。 最後まで失速することなく走り通せることを目標としよう。記録は後からついてくるものだ。 ・50㎞45㎞40㎞35㎞とそれぞれハードな距離を走った仲間と上野聚楽で乾杯。聚楽の巨大なフロアーで回りを圧倒する盛り上がりでした。元気回復。 ・気持ちよく最高の一日も終わりに近づいて,またもや 大失敗。以下掲示板に掲載した内容を転載 ・皇居10周50キロマラソンを久しぶり苦しみながら完走し,仲間と上野で気持ちよく飲みそして常磐線に乗りました。柏駅に停車したところ前に座っていた男性が一旦降りたのにまた乗り込んで私の前に立ち「この定期落とされましたね。」と差し出したのです。最初は意味がわからず自分が落としたとも思わなかったのですが確かに私のものでまだ8月まで残っている定期と中には金には変えられない大事なものが入っていました。楽しい一日が一転真っ暗になるようなことに自分が気がついていなかったことにショック。どのようにしてそれを拾われたかを聞かせてもらいたくて,我孫子で降りようとしたその方に,是非名前を教えて欲しいこととその経緯を聞かせて頂きました。私の座っているときに私のポケットから出た定期を隣にいた男がとって下車したのを目撃して,その男から取り返してくれたというのです。今のこの殺伐した世の中で場合によっては大変危険な場面でした。見知らない私のために私を救ってくれた方に感謝感激。断られたけれども無理を言って名刺を頂きました。早速お礼のメールを送りました。その方から次のようなメールを頂きました。 「メールありがとうございました。自分自身でもどうしてあんな行動ができたのか、後になってみると 正直よくわかりませんし、少し怖い気もします。かなり衝動的でしたが、運がよかったのだと思います。でもお役に立ててなによりです。」 あらためて感謝致します。 ○昨年は牧さんと参加。今回は利根川楽走会の仲間も初参加。 ○目標は左の昨年のデータを参考に設定する。 4時間30分を切る。これができれば7月の102キロマラソンで10時間30分を切れるかもしれない。 |
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2006年5月14日(日) | RUNWEB練習会 | 30㎞ | ○「想定外」のバーベキューにまで参加させて頂き,遠方(茨城取手)からの参加にもかかわらず明るいうちに帰宅できて大満足の豪華な一日でした。時間通りに車で送って頂いたり本当にお世話になりました。山道あり海を見て砂浜を走り,スゴイ階段,急斜面,ハードル(通行止めのチェーン)そして松林を走り気持ちのよい空気を響かせるウグイスの鳴き声,3時間に及ぶ,かなりハードな練習なのに目をきょろきょろさせて回りの景色と変化に富んだコースに刺激されいつの間にか走り切れました。一人ではできない私にとって初めての素晴らしい体験となりました。皆さんありがとう御座いました。来週日曜の皇居50キロ,6月4日の六無月北マラソン(フル)7月8日磐梯高原ウルトラマラソン102㎞に向けて勢いがつきました。
○雨の神宮を走った仲間と走れるのが楽しみだ。 距離は30㎞とハード。 |
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2006年5月13日(土) | 利根川楽走会第10回練習会 | 21.0975㎞ | ○牧さん,和島さん,和田さん,中島さん,菊池と久しぶりに役員全員がそろいました。天気予報は今にも雨が降り出しそうということでしたが,最後の1キロで少し本降りになった程度で久しぶりの快適ラン。1キロ7分20秒前後のペースで一人ではなかなか作れないペースでのLSDトレーニング。途中キロ表示を確認しながらのランニングで前回消されていると思っていた表示があって結局,ほぼ全部の距離表示がいきていました。(あと2キロの表示だけ未確認。)前回はみんながおしゃべりに気をとられて見過ごしていたということでした。 | ||
2006年5月3日(憲法記念日) | 筑波山自主トレ午前6時筑波山神社スタート | ○いつかはやってみたかった。地元,牧さんが午前5時自宅までお迎えにきてくれた。筑波山神社の駐車場には午前6時前について途中コンビニで買い込んだ朝食 おにぎり1個 サンドイッチ1箱をを食べる。 ウエストポーチに携帯電話と補助食品一つとお金少々をもち水はペットボトル500とウエストポーチにもつけてゆとり。ケーブルカーに沿った道を走り始める。かなりの急斜面で昨日の雨で少し足下がゆるい。牧さん先頭に登り始める。牧さんの速さについて行くのがやっと。まだわずかの時間なのに呼吸が激しい。しかし回りの緑と空気の気持ちよさで呼吸の苦しさも快感にさえ感じる。1回2分の休みをいれて頂上へ約42分それから女体山頂をへてつつじヶ丘ロープウエイ駅まで約40分そしてそこから主に下りの道が続く3.4㎞コースを約19分 。2時間もかからないで神社の駐車場に戻れました。 途中補助食品もつかわず,水もペットボトル1本だけ。 しかし今までに使っていない筋肉を使ったようで,久しぶりの筋肉痛が翌日の朝から感じられました。 最初の試みで無理をしないで終わりましたが,まだまだいろいろ工夫すれば素晴らしい練習場になりそうです。またやろう! |
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4月の走行距離 | 269㎞ | ||||
2006年4月22日(土) | 利根川楽走会第9回練習会 | 21.0975㎞ | 和島さん,中島さん,和田さんと菊地。気持ちよい朝。快晴。青空と湖そして新緑で素晴らしかった。 前回ハーフコースの測定完了して,新設コースを初めてランニング。久しぶりの再会で走りながらの会話も途絶えることなく,そのために何カ所かの距離表示も気づかないで通過。そして一部表示が丁寧に消去されていることもわかりました。 それなりの距離で走り終えると達成感で満足しました。 次回の打ち合わせをして菊池は,4/30ライブの練習のため取手駅で待つとっしーを迎えに急ぎました。 |
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2006年4月16(日) | 第16回かすみがうらマラソン大会 天気 曇り 気温 6.6℃ 湿度 78% 北東の風 1.5m 大会の特徴 ・事前にゼッケンも郵送されて準備がしやすい。 ・走った後で血圧の測定など健康を意識している。 ・有森裕子さんが盲人ランナーの伴走している。素晴らしいことだ。 |
フル42.195㎞ 90日前走行距離 450㎞ 150㎞/月 |
3時間31分51秒(前回記録3時間48分22秒) 総合順位808位 種目(50~59歳)順位149位 10㎞53分09秒 20㎞49分35秒 30㎞46分46秒 40㎞48分13秒秒 |
○2006/4/16 5時30分起床 7時59分フレッシュ日立特急に乗る。特急が使えることがわかった。 ・おにぎり5個作る 朝食:おにぎり1個 モチ1個 玄米食1杯 昨日の残りうどん1杯 水多量 ・スタート1時間前にはスタンバイ。開会式会場で写真撮影。着替え場所近くに腰を下ろし準備。 ・寒い 雨は降る気配はなかったけれども100円のスケスケカッパを着る。温かい。5キロくらいで脱ぎ捨てるつもりでいたら雨が降り出し防寒に助かる。そしてたびたび雨。あと1キロ表示のところで脱ぎ捨てる。でもRUNNERS 9の会のユニフォームが見えるように前をあけてのランニング。このランニングで雨でもこのカッパを使えば練習できそうだ。これは「収穫」。 ・レース展開 目標13:40:00を達成。練習の割には好記録だったのはやはり私を引っ張ってくれたランナーがいたから。 これがおもしろい。 まず私の前で実にスマートな男性ランナーが無駄のないきれいな走りをしている。ペースも少しずつアップしていく安定している。上半身がほとんど上下しない。 抜かせそうで抜けない。そしてやはり30㎞近くで追いつけなくなってしまった。30㎞過ぎまで自分の体調を確認。足の痛みもなし「いける」ということで少しずつスピードアップ一人一人と抜いていく,そうしたら勢いよく私を抜く若い女性ランナー。豪快な走りで長くは続かないのではと思いきやスゴイスゴイあと3キロ表示まで抜いたり抜かれたりのレース。 そしてそこから100㍍の差をつけられてそのままゴール。この二人のランナーと特別な「RUNNERS 9の会」 のユニフォームを意識してのランニングが,好記録をもたらしたと思います。今年度には「3:25:00切り」も不可能ではないという手応えを感じたランニングとなりました。 ・失敗 23㎞手前でトイレに行かねばならなかった。 4分56秒のペースで進んでいたのにトイレでのロスタイムで6分31秒。これがなかったら3時間30分を切れたかもしれない。水はスタート2時間前の8時にストップしたけれど3時間前にしたほうがよい。スタートギリギリまでトイレに行く。 ・ウエストポーチにゼリー状のエネルギー補給食品とアミノ酸ゼリー。30㎞あたりで補給したのが良かったが寒さと手袋が濡れていてなかなか取り出せなくてがたんとスピードが落ちた。こういうことの練習も必要。 ・水にこだわりエイドステーションは500ミリリットルの水がなくなった30㎞まで使わないで走り続ける。ペットボトルを持って走るのに慣れて好結果につながるようだ。 ○2006/4/15いよいよ明日スタートだ。かすみがうらマラソンまでの90日間の走行距離は少し頑張って450.296㎞になりました。3月はわずか74㎞しか走れず4月に入ってからかなり頑張りました。仕事も超ハードな時期にこれだけできたのはエライ。(自分で自分を褒めてやる。)特に3日前水曜日のランニングはスゴイハードな経験でした。仕事からの帰りも遅くて食事をしないで走り始めたのが7時18分。それから15㎞で水を補給してそして15㎞ 夜の30㎞を走り抜いたのでした。夕飯を準備してもらい,女房様も全面協力で有り難し。 たださすがにその消耗度は激しかった。体には良くない「実験」なのでしょうが,翌日足は全然痛みもなくスムーズでした。もちろん仕事も普通にこなした。そしてそれからスタート直前までランニングをしないで臨みます。走行距離だけをみれば目標タイムは「3:40:00切り」かな。 ○明日は天気が雨で寒くなるとか。その対策も考えた。100円ショップで得たカッパが薄くて軽くてok。 ○また明日は特別な気持ちで走ります。RUNNERS 9の会のユニフォームを着用します。 何か世の中の動きが不安です。どんなことがあっても戦争をしません。という日本国憲法9条が危なくなってているのです。何にもできない歯がゆさに私も参加できる行動をしている人達がいました。(4/15日記) ○目標を修正します。3時間25分切りは今年の目標。 各大会での記録とその大会から90日間の走行距離との関係を検討してみるとかなり参考になりそうだ。 昨年のかすみがうらの記録は3:48:22で初めて4時間を切ったときの90日間の走行距離397㎞ それが今約284㎞。 とにかく昨年のかすみがうら記録を更新するのがやっとかもしれない。 ・1/29勝田マラソンでの3:29:42での90日間走 行距離は580.0945㎞だった。 気持ちよく走るためにはそれなりの走行距離が必要 だとわかる。 ○記録に挑戦します。3時間25分切り。24分台が出れば目標達成。昨年のこの大会で初めて4時間が切れた。 この大会に向けて次の課題に取り組む。 1月269㎞の走行に続けて2月3月も250㎞以上の走行を確保して,大会に参加してみる。これも初めての試みだ。今のところ足などに痛みなど違和感なし。練習量の増加と故障の確率も高まってくる。体と相談しながらどこまでの練習量に応えられるのか,これもかなりシビアな実験になる。食事,練習メニュー,練習量,ランニングスキルの獲得など自分の体を使った総合的な知力体力が試される。マラソンというスポーツがますますおもしろくなってきた。長く続けて走るという大目標のため 故障になったらおしまい。その気配があったらただちにストップ。どこまで行くのか楽しみだ。(2006/2/6) ○1月3日エントリー完了 |
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3月の走行距離 | 74 | ||||
2006年3月12(日) | 第13回京都シティーハーフマラソン | ハーフ | ※ | ○娘の大学合格により急遽沖縄へ下宿探し。残念ながら走ることができなかった。ただ京都にいる娘に頼んで参加賞をもらう。Tシャツとおもったらなかなか洒落た大きなバスタオル。気に入りました。参加賞がTシャツとおきまりだけれどこのように各大会でユニークな参加賞がほしいなぁ。沖縄ではその分走るぞと準備していったが下宿探しなどでヘトヘト。でも沖縄が気に入った。 沖縄のマラソン大会に参加することができる条件が整った。(3/21記) ○11月22日エントリー完了 娘の受験結果によってはキャンセルの可能性ある。一度は走りたかった京都。 |
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2月の走行距離 | 162.0975 | 1月の走行距離に続いて250㎞を目指したが全然ダメ。仕事の持ち込みをせざるを得ない。これを何とか工夫しなければ現役でいる限り走行距離を伸ばせないことになる。何とか工夫しょう。 | |||
2006年2月5日(日) | 第22回守谷ハーフマラソン ゼッケン1922 |
ハーフ ・種目別(55歳~59歳)34位(273人中 ) ・男子総合 349位 |
1時間34分56秒 (1時間37分16秒より )記録更新 1㎞:4:22 5㎞:22:15 5㎞~10㎞ 22:03 10㎞~15㎞ 22:55 あと3キロ~ゴール 13:13 |
○起床5時45分 牧さんが7時15分には守谷市役所内の場所取り。少し送れて合流。初めてこんなに早く大会受付したのは。これもなかなかよい。とにかくスタートまでユックリと過ごせて少しずつテンションが上がってくる。 ○10月9日エントリー完了 |
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1月の走行距離 | 269.945㎞記録更新 | ||||
2006年1月29日(日) | 第54回勝田マラソン ゼッケン 1659 |
フル42.195㎞ 90日前走行距離 580㎞ 193㎞/月 |
3時間29分42秒(3時間32分12秒93より)記録更新 1㎞:5:03 2㎞:4:52 3㎞:4:58 4㎞:4:50 5㎞:5:01 5㎞~15㎞:49:20 15~20㎞:25:23 20~25㎞:25:12 25~30㎞:24:10 30~35㎞:24:53 この後測定できず。 種目別158位 男子総合771位 |
○あっ忘れたがほとんどなかった。コーヒー店で一杯のゆとりで取手駅へ。牧さんがいつもゆとりで待っていてくれる。8時16分取手発,勝田は水戸の一つ先の駅。1時間20分以上かかる。古田さんと車両で待ち合わせして何とか座れるぐらいの混み具合でホッとした。 ・体調は順調,快眠で6時起床6時30分朝食。快便のために起きてからできるだけ早く食事をする。朝食メニュー カップみそ汁(いつもは作っているのだけれど)モチ1個,おにぎり1個(昨晩5個作る)納豆そして水をたっぷり。 ・9時まで500の水を飲みその後は水なし。おにぎりももう一つスタート2時間前。カステラとかパン・バナナなど回りでよく見かける。いろいろやってみよう。スタート前の食事・ゴール後の食事は何が自分に最適か。今回おにぎりづくし。記録が出たのだからこれもよしとしょう。すべてが実験でおもしろい! ・30㎞までは無理しないで様子を見ながら記録更新をねらった。しかしハーフ段階での記録で記録更新できないかもしれないと弱気になったが30キロ過ぎてから足も順調で少しペースをあげることもできた。これも画期的だった。35㎞過ぎに頑張れたのが気持ちよかった。あと何人抜こうとかスピードを維持するために頑張った。(2/6) ○11月20日(日)より練習再開。約2ヵ月後のレースのための練習とします。目標タイムを3時間20分台。 3時間30分を切れば目標達成。このように記録を目指した走りがいつまでできるのかも興味ある「実験」だ。 練習方法・フォームなどまだまだ改善の余地がある。すべてをやり尽くして自分の限界を見極めることができるだろう。ケガをしないを最優先にしたハードな練習も工夫していこう。 ○10月9日エントリー完了 |
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2006年1月28日(土) | 利根川楽走会第6回練習会 | ○手賀沼コース 牧さん,和島さん,中島さん,そして菊池の参加。中島さんと途中合流。9㎞までみんなで測定しながらのラン,道の駅で一息入れて,中島さん和島さんは「一人旅」風が強かったらしい。牧さんと菊池はスタートラインまで測定10.0596㎞コースができた。あと残りのコースの測定をやって完成します。何キロになるか楽しみです。 | |||
2006年1月14日(土) | RUNWEB練習会 | 20㎞~30㎞ | ○皇居を使った3グループに分けた練習会。私は20㎞~30㎞を5分/㎞ペースで走るグループに申し込む。 走ったあと,お風呂に行くというのでそこまで参加予定。夕方6時30分からの新年会は今回はご遠慮。 いずれ利根川楽走会でも皇居を使った練習会をやってみたいのでいろいろ学んできます。RUNWEBというランニングの会についても興味深い。 |
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2005年平成17年 | 年間走行距離 | 2077.1㎞ | 前年1587㎞ | ○173㎞/月 200㎞/月を目標にしよう。 | |
12月の走行距離 | 131㎞ | ※ | ○修学旅行の実踏がはいったり,年末の仕事,忘年会などナカナカ走る時間を確保するのが厳しい。 | ||
2005年12月24日(土) | 利根川楽走会第5回練習会 | 第2練習コース手賀沼 20㎞以上 | ※ | ○2005年走り納めの会 「6時半に北柏南口ロータリー集合。手賀沼周辺ランのあと、柏の温泉で暖まり、そのあと飲んで反省会。」私にとっては初めての練習コースでした。まず素晴らしい日の出を仲間と共に仰ぎ,この日初参加の元同僚との再会とランニングを締めくくるのにふさわしい練習会になりました。
牧さん,和島さん,中島さん,和田さん,大倉さん,そして菊池。反省会に遠藤さんも参加してくれました。 手賀沼一周コースも素晴らしくて早速,測定をして気持ちよい練習コースにします。この1年練習会も定着し,利根川楽走会の活動は大きく飛躍しました。 |
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※ | 11月の走行距離 | 224.195㎞ | ※ | ※ | |
2005年11月13日(日) | 第6回東京シティマラソン | フル42.195㎞ | 3時間32分12秒93(3時間38分11秒より) 10位(43名中) 皇居1周4.98km 1周23:27 2周23:18 3周23:57 4周25:24 5周25:05 6周25:49 7周26:30 8周26:01 折り返し~ゴール 12:58 |
○11月13日起床予定5時が6時40分。ふとんの暖かさが天国のようでなかなか抜け出せずにモゾモゾしていた。 モチ2切れ,おにぎり1個,はるさめスープ8時12分発取手駅発 有楽町からが近い9時20分桜田門着。 気持ちのよい天気。半蔵門から桜田門の並木道の紅葉が素晴らしかった。手作りの温かいマラソン大会でした。宇佐美先生が帽子を空に投げあげてスタートしました。スタートのピストル音はダメ,テント張るのもダメ,机出すのもダメという条件だそうです。皇居周辺は観光客が列をなして走路を横切ります。駅伝練習の大学生が疾走していきます。長い上り坂長い下り坂で足にはかなり応えるコースです。でもこの大会が気に入りました。どこにもない雰囲気がありました。ストップウォッチでスタッフが計時。そのたびに声をかけてくれました。キロ表示もなく,フルマラソン参加者が互いに離れていて競うことができずに自分のペースを維持するのが難しかった。それでもそのよい雰囲気に調子に乗って記録を更新できました。トップランナーの気分も味わいました。 ・今回のランニングではいつも皇居のコースは長い上り坂も大変だけれど半蔵門から桜田門までのながい下り坂が足にこたえてスピードが出なかったが今回ここを比較的にスムーズに走れた。これは収穫だった。 ・最後までフォームを意識して走れた。一周回るごとに計時の人達が声をかけてくれて「ナイスラン」の励ましがうれしかった。桜田門に近くなると恰好つけるため気合いが入った。 ・大きな大会ではトップランナーとはほど遠かったけれど 今回は10番目にゴールできた。9番目の人に最期6秒差で迫った。最後のラストスパートがゆとりがあった。 ・折り返しに看板をもった人が立ってくれました。 ・宇佐美先生にお会いしてお礼をいいました。 ○11月12日私は明日 NPO法人日本スポーツボランティア・アソシエーション(NSVA)主催第6回(秋季第1回)東京シティマラソン・RUN&WALK大会のフルマラソンに出場します。まず 東海大学教授・元五輪マラソン3回代表の宇佐美さんが代表として活動しているこの団体に興味があります。ホームページを見ると多彩な活動をしています。スポーツボランティアという活動に感心しています。私はそんな人とは知らずに,一緒に食事していたのですが親しみを感じていました。 そして皇居の周回コースでフルマラソン・ハーフ・10キロ・ウォークの部(申告距離)の4種目をどのようにするのかも興味があります。皇居1周約5キロということは知っていましたが,もう少し正確に4.98㎞だそうです。折り返しもあって正確な距離が測定されているようです。参加者650名でフルは80名の参加ということで,これもおもしろいと思いました。またレポートします。 ○10月3日エントリー完了 |
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2005年11月12日(土) | 利根川楽走会第4回練習会 | 運動公園 | 30㎞ | 牧さん 中島さん 和田さん 冷雨風の敢行 約30㎞ 菊池は応援 撮影 |
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10月の走行距離 | 174.5㎞ | ||||
2005年10月30日(日) | 第11回手賀沼エコマラソン ゼッケン 2495 気象条件 午前10時現在 曇り・気温16.6℃ 湿度46% |
ハーフ | 1時間37分16秒 1319位(5940人中)年代別 101位(693人中 ) 1㎞:5:08 2㎞:4:47 3㎞:4:50 4㎞:4:40 5㎞:4:46 6㎞:4:34 7㎞:4:45 8㎞:4:33 9㎞:4:29 10㎞:4:32 11㎞:4:31 12㎞:4:31 13㎞:4:34 14㎞:4:34 15㎞:4:35 16㎞:4:40 17㎞:4:26 18㎞:4:27 19㎞:4:27 20㎞:4:41 21km~ゴール 4:39 |
○今週は学習発表会の準備で走れず。10月20日から10日間全く走らないで大会に参加したことになります。そういう意味で新しい「実験」です。ランニングが生活の一部になっているので1日でも走らないと走力は落ちるのではという不安で走り続けることになるのかな。 フルマラソンの前3日間は敢えて全く走らずに参加してよい記録に結びついた。 今回も走り出すとだんだんと回りに刺激されて,「完走できればイイヤ」の走りから積極的な走りに5キロ過ぎたあたりから本気になっていた。それに体がついてきた。大会前の「休み」は必要なのかもしれない。これだからおもしろい。大会でいろんな人が一生懸命走っているのを見るだけで刺激的だ。10キロ過ぎに現れた名付けてピンクレンジャ-もどきの衣装をまとったランナーの軽快な走りに感心。少しでもついて行こうと頑張ってみたが離されてしまった。あんな恰好をして走れると言うことは相当自信ないとできないな。 今回も前日の疲れから起床が遅れて,準備にすったもんだしてギリギリに到着。北柏の駅にはランナーらしき人影はもういなかった。案内のボランティアの人に「遅れてしまいました。」とご挨拶をして,会場受付に向かってランニング。もうランニング姿で走っているランナーをかき分けてたどり着きました。利根川楽走会の仲間がテントを用意してくれてそこで着替えもできて,何とかトイレもすましスタートラインにたったときはもうすでに汗でランニングシャツが濡れていました。「あーあ もっとゆとりもって参加しろよ。」と自分にため息。 でも予想に反して記録更新までできたことは体調がよかったこと。睡眠も充分とれたからかな。 その後の柏での交流会が楽しくまた新しい楽しみな話で盛り上がりました。 ○5月22日エントリー完了 |
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2005年10月16日(日) | 第34回タートルマラソン全国大会兼 第8回バリアフリータートルマラソン |
ハーフ | 1時間37分32秒 (2002年1月の谷川真理マラソン1:40:20) 248位(1763人中) |
○朝から雨模様。例のごとく準備をして出るまでが大変です。「あ!忘れた!」が連発するのが恐ろしい。私の弱点を知り尽くしている女房様。駅まで車で送ってあげるとやさしい。ところが私がいざ車に乗っても発進しない。「どうせ忘れ物があるんでしょ!」嫌みだね!と思いきや,やっぱり「あ!忘れた!」といって戻りました。大事な大会参加証を忘れていました。あーあ。その出発間際に空が明るく少し日差しが見えた。よしこれから雨は降らないだろうと,完全に準備していた雨具をうちに置いて出発。この判断が間違っていた。北千住に着くとかなりの本格的な雨。みんな傘を差しているのに帽子とウィンドブレーカーで会場へ。すぐ止むだろうと思ったら止まらない。会場は足下がぐじゃぐじゃ。受付のために長蛇の列。その間も傘の合間で濡れっぱなし。イイヤどうせ走れば汗が出ると開き直って平気な気分。でもスタートの10時30分になってもこんどは荷物預かりの列がコースいっぱいに繋がっている。「スタートの時刻です。」アナウンスされてもどうにも動けない。「大会運営の人も大変だけれど,ランナーがスタートラインに着けないでスタートもないよね。」回りのランナーとぶつぶつ。 それが聞こえたのか聞こえるはずがないけれど「スタートを15分遅らせます。」のアナウンス。ホッとしたけれど 必ずスタート間際にトイレに行くことにしているのでスタートラインにはギリギリ間に合う。 1キロごとに表示があると思っていたら5キロごと。ペースがつくりにくかった。できたら1時間30分台でゴールということで走りその見通しが出てきたところで力が入る。最後までフォームを意識して走れたことが次につながるかな。でも参加者の最高年齢が90歳台。 ウォーキングもありユックリ走れる雰囲気がこの大会のよいところです。だから他の大会よりも殊の外天気が秋晴れでないと「似合わない」。 高石ともやさんの「陽気に行こう」が会場に響いていた。太鼓のドンドンの響きよりあの歌は体にすーっと入っていく感じ。 ゴールで夜間中学の先生で映画「こんばんわ」の出演者 小十郎先生と再会。そして乾杯! ○6月26日エントリー完了 この大会がマラソンのスタート |
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2005年10月8日(土) | 利根川楽走会第3回練習会 | 30.5㎞ | 参加者 私 牧さん 和島さん 和田さん ゲストランナー2名 計6名 | ||
9月の走行距離 | 200.7㎞ | ||||
2005年9月18日 | 歴史街道100㎞ウルトラマラソン ゼッケン 80 photos集他 |
100㎞ 第6回目ウルトラマラソン 丹後2回目 |
13時間26分18秒(前回13:56:38) 種目別192位(完走者292名) |
○7月27日(水)エントリー完了 ○56歳 |
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8月の走行距離 | 207.1㎞ | ||||
2005年8月28日(日) | 2005北海道マラソン photos集 ゼッケン 3561 男子 優勝 渡辺 共則 2時間14分50秒 女子 優勝 千葉 真子 2時間25分46秒 |
42.195㎞ 90日前走行距離 539㎞ |
3時間38分11秒 1249位(2355人中) 4082人出走 完走2683人( 男女合計) 完走率65.7% ・10㎞ 52:15 ・20㎞ 1:41:59 ・30㎞ 2:33:42 ・40㎞ 3:27:11 ゴール 3:38:11 |
○9月5日(日)やっとここにこれました。まだ北海道マラソンの余韻が残っています。あの走りの感触。苦しいときもあったけれども楽しかった。前回のかすみがうらよりもエイドステーションを流れるように通り過ぎることができた。今回は2週間前に自転車で転倒するというハプニングで練習計画を思い通りにできなかったけれども結果としては10分以上の記録更新ということで最後の調整がうまくいった。 ・当日はスタートが12時10分ということでゆとりの朝だった。食事前にゴールの中島公園を散歩してゴールを確かめた。テレビカメラが何台もセッティングされていた。何人ものランナーとすれ違った。本番前のトレーニングといった感じて走っている。私は今回水曜日に30㎞走って後スタートまでは一切走らないと決めて少しでもエネルギーを保存しようと決めていたので回りの動きに全然焦らなかった。 ・スタート直前5分前くらいまでトイレに並びこの最後のトイレ(小)でかなりすっきり。途中トイレにいかなくてもよい快適ランを確信できた。タイムを目指すと途中トイレに行けばいいやということはなしという調整をしなければならない。 ・食事9時に食べ終わりホテルの朝食バイキングでこれがよかった。この3日間はカーボローディングを意識して前日の夜はお寿司などだが当日は好きなだけ食べた。ご飯3杯チヨット食べ過ぎたかなというくらい。 でもスタート時には腹具合はベストコンデイションになった。12時10分スタートというマラソンは初めて。 いつも午前中スタートで途中空腹を心配していたが今回はランナーにとっては調整しやすいように思った。 私は遅い朝食で昼抜きにした。それはスタートの3~4時間前の食事が適当という助言に従った。 ただ水はタップリギリギリまで飲んでトイレもギリギリ これもよかった。でもスタートの位置取りができないで 後方からのスタートでネットタイムなしの計測で1キロまで混雑して7分くらいかかっていた。 ・ただ途中のエネルギー補給にゼリー状の食べ物を携帯した。気持ち的にも安心して走れた。そして30㎞過ぎの苦しいときにそれを食べて気分を転換できた。 ・エイドステーションをいかにスムーズに通り抜けるかに神経を使った。ただみんな速くてとどまる人がいないので取り損なったらサッと近くのランナーがハイ!とカップを渡してくれた。これはうれしかった。共に走る仲間を感じ私も次のエイドでそれをまねして感謝された。 ・カツプが大きくしかも冷たい水が用意され飲み残して水を体にかけて気持ちよかった。 ・とにかく沿道の応援が多いときで60万人。自分を応援していなくても多くの人が見てくれているというだけで興奮するのでしょうか何か力が湧いてきた。 ・30㎞過ぎ私より前を走るランナーを追い抜こうとしたら そのランナーが「元気いいねぇ。あんたいくつだい?」 「56歳です。」「おれ72歳」としばし併走した。そして私は沿道の皆さんに「この人72歳よ」と言ってしまいました。そしてその人について行けずにペースダウン。 大変励みになります。私より年上の人がこんな走りをしていると。 ・トップランナーとすれ違ったとき思わず大声で応援した。みんなきれいな走りをしていた。カメラはトップランナーだけで表彰が終わったらさっさと片づけに入っていたという。しょうがないねぇ。 ・ゴールでは他の大会と違って豊富な氷が用意されビニール袋にいれて2袋もらい足をアイシングした。気持ちよくて足が楽になった。これはありがたい。こんなに徹底してアイシングをやったのは初めて。足にとってはよいことだと思った。 ・関門が厳しい大会だと聞いていたが5キロごとに切られており,完走率が67パーセントとは驚いた。 完走できたことが貴重におもえた。 ・前日下見をした。ただ当日はバスが使えると思ったが ゆとりがなくて真駒内駅よりタクシーで乗り込む840円。 ○7月27日(水)7月中旬に「2005北海道マラソン出場承認証」が届く。今までの市民マラソン大会とちょっと違った雰囲気だ。やたらと禁止事項が多い。「ランニングベストに表示する所属クラブ名,団体名は高さ4㎝以内とする。」等。走らせてやるぞといった感じ。出場資格4時間以内。テレビで放映。などが関係しているようだ。とにかく関門が私の今の実力だとちょっと気を緩めたらストップがかかりそうだから今までのような走りでない追い込まれた走りをしなければならない。だから逆に記録を更新できるチャンスかもしれない。とにかくいまこの大会で気持ちよく走れるように練習に気合いが入っている。先日のランニングクリニックで学んだことをこの練習の中で何とか取り入れて結果に結びつけられたらと思う。 自分を追い込むために,生徒に出場することを公言した。そして少し恥ずかしいほどハデなランパン,ウエアを用意した。そしてシューズも新しいものをそろえました。 ○5月6日エントリー完了 |
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2005年8月7日(日) | 第3回利根川平和祈念マラソン・ウォーク大会 | 21.0975㎞ | |||
7月の走行距離 | 165.5㎞ | 前半が走れなかった。 | |||
2005年7月30日(土) | 利根川楽走会第1回練習会 | 23㎞ | ※ | 4人の参加でスタートできました。 とにかく長く走り続けるためにセッティングした自主トレーニング。ただ練習といえども23㎞という距離はたとえユックリペース(7分~8分/㎞)でもなかなか走りがいがあった。 大利根橋を渡り我孫子側を回るコースで,もし遅れて参加する仲間がいても逆コースで回ってもらって必ず最後は会って終わりにしよう。そして時間の許す人は近くの極楽湯でミーティング。湯上がりのビールのおいしさは格別でした。これは続けられそうです。 |
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2005年7月24日(土) | ランニングクリニック (NPO法人)NSVA主催 |
※ | ※ | 約40人の参加。一人一人を走らせて正面からと横からビデオ撮影。そして一人一人の走る姿を大画面のスクリーンに映して先生がアドバイスをするというクリニック。 みんなが見ていてしかもカメラがこちらを向いているところを走るという経験も初めて。そしてそれをまたみんなで見ていろいろ言われるのも初めて。もうフルマラソンを2時間台で走る人,これからフルマラソンの完走を目指す人,フルマラソン100回以上走っている62歳の人と参加者の目標も様々。でもみんなの走る姿をスローモーションで丁寧に見ると走るという単純な動作にも微妙に違いがあることがわかった。そして自分の走る姿(短足で恥ずかしいなぁ)もみて,大変イメージが鮮明になった。 「ここを治せば記録が出るよ。」といわれたけれどそれがなかなか難しい。 キーワードは「丹田」(へその少し下の所で下腹の内部にあり気力が集まるとされるところ。)を意識してすべての動きをそこに集中させるというのだが。 何となくわかるような気もするのだけれど。 |
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※ | 6月の走行距離 | 209㎞記録更新 | ※ | ※ | |
2005年6月26日(日) | 第22回富里スイカロードレース | 10㎞ | 49分38秒 種目(40歳以上男子)順位 567位(2777人中)総合順位1321位(7104人中) 1㎞:5:10 2㎞:4:37 3㎞:4:43 4㎞:4:45 5㎞:4:42 6㎞:4:39 7㎞:5:03 8㎞:4:42 9㎞:4:42 10㎞:5:12 |
○初めての参加でした。猛暑の中のランニング。主催者の給水の呼びかけが良かったのか熱中症が少なかったと聞きました。途中のシャワーなどがありがたかった。給スイカも一カ所あったがユックリ味わえず走りながらのどを詰まらせそうでやはりスイカはユックリして食べることにしました。駐車場からバスで会場近くまでそしてそこから歩いて会場へ。結構不便なのにこんなに人が集まるのは富里市あげての取り組みで家族で安心して参加できる雰囲気があるからでしょう。 中学校の校庭が会場というのもユニークでした。 楽走会の仲間のテントがあったので助かりました。 アフターランニングも8月7日の第3回利根川平和祈念マラソン&ウォーク大会の話で盛り上がりました。 そして7月30日(土)に第1回目の楽走会練習会を実施することにしました。 ○4月13日エントリー完了 |
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2005年6月12日 | :東京シティロードレース2005 | 10㎞ スタート時 の天候 晴れ・気温28.5度・ 湿度60% 風0.5㍍ |
48分41秒(前回47分21秒) 1100位(4643人中) 1㎞:5:40 2㎞:4:46 3㎞:5:00 4㎞:4:47 5㎞:4:31 6㎞:4:52 7㎞:5:02 8㎞:4:57 9㎞:4:29 10㎞:4:37 ナンバー3677 |
○6月12日(日)梅雨に入ったばかりの梅雨の中休み。日差しも出て気温がぐんぐん上がりランニンクにはつらい状態でした。そのためにタップリ水分補給をした。お気に入りの水500ccペットボトル4本用意。スタート前に3本飲みスタート直前にトイレそしてまた水分補給。体中に水をみなぎらせてのスタートを意識した。だから2ヵ所の給水ポイントの1ヵ所はパスしても大丈夫だった。 路上で倒れるランナーが続出した。ランニング仲間と完走。記録は破れなかったけれども後半3キロが実に爽快だった。最後の国立競技場でのトラックで何人も抜いてしまった。ゴール近くにスタッフで参加してくれたEさんSさんに会えたのがうれしかった。延々と続くランナーを見ながら観客席で着替えた。 臓器移植者,障害者も参加してのすばらしいマラソン大会でした。 ランニング仲間そしてスタッフとの懇親会は楽しくまた仲間の輪が広がった。何と地元の私たちの楽走会のコースの一部を走っている人と知り合いになれました。 8月7日の利根川平和祈念マラソン大会が楽しみになってきた。 反省 4時起きで家を6時過ぎに出たがもう人がいっぱい。皇居を軽くジョギングするゆとりがほしかった。 ○2005年2月28日エントリー完了 |
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※ | 5月の走行距離 | 162.3㎞ | ※ | ※ | |
2005年5月28日(土) | 荒川一中運動会 | 1.5㎞ | ※ | ○5月29日(日) 運動会で走るのがこれで2回目。どの大会よりも緊張しました。市民マラソン大会では自分の気が向くままに走ればよい。もしトラブルがあっても自己責任で解決すればよい。しかし学校という場で教師として走るということのプレッシャーが重かった。でも若き中学生と全校生徒,教師そして地域の方々の前で走れるチャンスは貴重に思えた。 どんな走りをするか考えました。短距離での急激な負荷を加える走り方は危険。だから中学生ランナーのスピードにあわせたらあぶない。応援や回りの雰囲気に負けないで自分のペースをつくりそして最後尾ランナーを励まし刺激する走りが一番あっていると考えました。 とにかく一緒に走った中学生の速さは凄い。荒川区でも最高レベルの走りをする生徒を中心にすばらしい走りをしました。 1周100メートルのトラック15周私は何回も飛ぶように走る生徒に抜かされました。それが大変快かった。走る前に「自分の最高の走りをしょうね。順番だけに拘って手を抜いたり,諦めたりしないように。」とスタート直前に生徒達に話しました。それは私自身に言っていることでもありました。 何回も抜かされ自分が何周走っているのもわからなくなりもう一周走ろうとしたらストップ。生徒達より1周多く走ったようです。 ・昨年初めて走ってうれしかったのは,今まで話したこともない生徒他学年の生徒が話しかけてくれたことでした。生徒達とダイレクトにランニングの話ができた ・今年はさらにうれしかった。「ナイスラン」と言って握手を求めてくる生徒。「先生ガンバって」の声援その中に「先生無理しないで」の優しい声援。 先生方や卒業生が「フォームがきれいだ。」などと褒めてくれました。あーあ無事に走れてよかった。 運動会を余り好きでなかった私の中学時代。 その人間が今中学校の運動会で走ることができたと言うだけで感謝と感動の思いで胸がいっぱいになりました。どんな大会よりも頭に焼き付きました。 あと何回走れるだろうか。イヤこれからは 運動会で走ることも目標にしてランニングをしようと決意を新たにしました。 ありがとう 中学生! |
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2005年5月15日 | 第31回皇居チャレンジ | 50㎞ 第5回目ウルトラマラソン |
4時間42分10秒 記録更新(前回7周35㎞4時間16分50秒でリタイア) 138位(299人中 ) 1周25:50:72 2周26:00:05 3周25:46:80 4周25:03:34 5周30:14:82 6周26:42:61 7周28:57:85 8周31:11:69 9周31:11:64 10周31:18:15 |
○5月15日(日)完走できた。42.195㎞を3時間50分台で通過。トイレ1回 5周エイドで1回だけストレッチ。途中の歩きなし。膝の痛みなし。左足底が少し痛みを感じたがすぐに消える。とにかく最後まで走る意欲とそれに応える走行が維持できた。これも今までにない走りだった。 ・取手駅7時44分発 東京駅丸の内 北口 会場からは遠いけれども地下ロッカーががら空きで使いやすい。男なら着替えもできてしまうくらい人通りが少ない。 時計台まで少し歩くが気持ちよい。 ・皇居一周コース 桜田門時計台スタート 大きなマラソン大会と違ってスタート位置をどこにとってもよし。時には先頭切ってスタートしてみようといかにもスピードのありそうなランナーと肩を並べてスタートラインに着いた。 すぐに歩道に入り内堀通りに沿った直線がしばらく続く。今回この内堀通りが「歩行者天国」でなく「自転車天国」として解放されていることを初めて知りました。 大手門を左にはしりしばらくすると右手に東京消防庁,気象庁あたりでカーブして竹橋に。東京国立近代美術館前からの上り坂がきつい。美術館前には長い列。 ゴッホ展(3月23日~5月22日)が開かれている。「待ち時間2時間です。」という案内のアナウンスが耳に入る並んでいる人の視線がランナーに向けられる。 ここから千鳥ヶ淵交差点を直角に曲がり英国大使館前 内堀通りの直線コースがゆるやかな登りできついエイドステーションを過ぎると半蔵門この辺が一番高くこれから桜田門まで長い長い下り坂だ。最初のうちはこの下りが楽だが後半になると逆に意外にキツイ。 ・この大会の ・大失敗 フルマラソンや50キロ以上になると疲労も極度に達する。これを如何に早く回復することができるのか。そのためにランニング後の食事をいろいろ試してきたが 今回は大失敗。友人に大変迷惑をかけてしまった。 ランニング後おにぎり1個 そしてしばらくしてお寿司やに入りビール1杯と入るのに任せてぱくぱくと食べる。そしてその後ソフトクリームを食べて電車に乗ったところしばらくして気持ち悪くなってしまった。額に冷や汗がタラタラ。顔から血の気がひいてくるこれはまずいと途中下車してトイレに駆け込んだ。一時目の前が暗くなったが.... 疲労しているのに暴食。体が拒否反応したのだ。 おいおい まだまだ修行がたりない。 ○5月14日(土)11日水曜日20.5キロ走りました。 普通の日だからチョつと大変だった。しかしそれから完全休養のつもりだから気持ちが楽。走らないことが大会の準備だから。本日もユックリ。この3日は炭水化物を多めにとるというカーボローディングを意識して食べた。うどん 寿司 ご飯をいつもより多め。 本に書いてあることなどやれることはやってみようということでこんなに調整しできたことは初めてだ。 明日の50キロがどんな走りになるのか楽しみになってきた。あした新しいシューズを使い始める。 BROOKSの「ムーバーEVO」柏新星堂スポーツにて購入 10290円也。 ○5月10日 いよいよ近づいてきた。第28回チャレンジ皇居マラソン大会では7周でリタイアしている。皇居1周はけっこうハードだ。エイドステーションも1つだった。 ただ前回よりも経験を積んで100キロも走れる力をつけてきた。すこし時間を意識してのランニングにしてみよう。最近鶴沼で52㎞,5時間28分が記録だからこれを参考にすると5時間以内で完走しよう。 今日も帰宅して夕食前に6キロのニコニコペースラン。朝のステップ運動20分など新しい練習を積極的に取り入れて変化をつけている。明日は20キロをニコニコペース走り本番まで完全休養をとり備えます。食事も変化をつけている。 ○4月13日エントリー完了 |
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※ | 4月の走行距離 | 205.695 | ※ | 今年2回目の200キロ以上。練習すればそれだけランニングが快適になる。記録も出るようだ。でもケガをしないでどこまで走行距離を伸ばせるか。 | |
2005年4月17日 | 第15回かすみがうらマラソン | 42.195㎞ ・天候 晴れ・気温17.1℃・湿度49%・南の風 3.6m |
・3時間48分22秒総合984位(4842人中) ・種目(50~59歳)216位(1305人中) |
○2004年4月17日3時間台の画期的なランニングとなった。今までフルマラソンを何回か走ってきたがいつも不満だったのは途中でかなり足が痛くなったり膝が痛くなったり場合によってはしばらく歩行したりして何とか完走ということだった。そんな痛みを感じずに走りきれないのか?これが課題でした。今回のランニングは最後まで失速しないでゴール近くではラストスパートもかけられる力を残してのランニングとなり自分にとっては大変充実したランニングとなりました。それが今までにないタイムに結びついたと思います。今までと何が違うのかを詳細にみて次のランニングにつなげていきたいと思います。 朝五時起床 昨晩からおにぎり6個つくり朝はできるだけ早くでる予定でいた。まるごとマラソン大会を楽しむつもりが準備にモタモタ。そんなとき牧さんから電話。もう駅にいる。先に行ってもらって8時16分取手発。もう電車はマラソン大会参加者で混み合っていた。土浦駅のトイレは長い列。スタート時刻10時までゆとりなし。 会場のコインロッカーで人混みの中でどさくさに紛れて恥ずかしかったけれど着替えた。あーあどうしていつもこうゆとりがないのだ。自分が情けなくなる。 昨晩は牛久での歌声喫茶のスタッフとして参加して帰りが遅く11時過ぎにやっと床についた。それにしては体調は良好。55歳で最後のフルマラソン大会になるので思い切って積極的に走ろうとスタートの位置を3時間30分のプラカードが見える位置に着いた。 スタートしての流れがやはり速い。でも何とか流れに乗って行けそうだとその中で特に目立つ元気のいいランナーを目印について行った。とにかく10キロまでそのランナーから離れないようにしょうと考えた。そうしたら10キロ過ぎても行けそうだと言うことであと5キロそのランナーについて行った。30㎞でどんなランニングになるかを考えると,少しペースを落としてのランに15㎞過ぎから意識した。そして年配の方でいいペースで走っているランナーを見つけてそのランナーにピッタリとついて行った。一人で走っては絶対にできないランニングが大会ではできるのがおもしろい。 30㎞を過ぎ足の調子を感じながらの走行。痛みがない。そして33㎞あたりでのタイムを計算すると6分代で走っても4時間を切れるという見通しが出てきたら帰って元気が出てきた。この辺になるとぼつぼつ足を引きずり始めるランナーも出始める。エイドステーションにも長くいたくなるが記録を意識してできるだけ要領よく水を補給して通り過ぎることにした。施設のエイドについよって 酸っぱいみかんがありがたかった。 今回とくにランニングのフォームを意識して走った。 続く ○2004年12月29日エントリー完了 |
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2005年4月3日(日) | 鶴沼ウルトラマラソン | 100㎞ | ※ | エントリーできず | |
※ | 3月の走行距離 | 79.5㎞ | ※ | とにかく走る気があるのに走る時間が確保できず。京都でも走る気でいたがダメ。 | |
2005年3月6日(日) | 三浦マラソン | 21.0975㎞ | ※ | ○エントリーできず。締め切り過ぎ。残念! | |
※ | 2月の走行距離 | 112.54㎞ | ※ | ※ | |
2005年2月6日(日) | 第21回守谷ハーフマラソン | 21.0975㎞ | ※ | ○エントリーできず。締め切り過ぎ。残念! 牧さん 中島さん ケンさんそして古田さんが走る。 |
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1月の走行距離 | 205.0975㎞ | ※ | 如何にランニングの時間を作り出すかそのために生活を工夫しました。夕食後のランニング。夕食前がよいといはれていますがここでしか時間がとれない。そのためによく噛んで腹八分目酒なしだと1時間後に走れる状態になるのです。自宅周辺1キロコースが気に入っています。足は快調。痛みなし。 | ||
■2005年1月9日(日) | 第6回谷川真理ハーフマラソン~地雷ではなく花をください~ |
21.0975㎞ | 1時間44分42秒 10㎞通過タイム 56分58秒 3520位(7510人) 本大会での自己記録 1時間40分20秒 |
○小生 例のごとく5時20分頃起床し準備に取りかかり,せめて1日遊びに行くから家族の朝食を用意して自分も食べておにぎり作って何てやっていたら受付終 了9時に間に合わなくなってきました。南北線 赤羽岩淵まで1時間10分。 あまりに人気がないので心配しましたが会場は選手応援のひとでスゴイ人。他の大会とちがってハデ。芸能人がマイク握ってうるさいぐらい。静かにしろよと言いたいくらい。絶好のコンディションでした。記録1時間40分20秒この大会で3年前に出した記録を更新できるかと思いましたが,前半10キロくらい までコースをあふれる人で全然自分のペースが作れず,1時間44分42秒でした。よかったことは往復コースだけれど20キロまで1キロごとのキロ表示があったことそしてあと3キロ表示。男子と女子のスタートを10分間ずらしていたこと。ゴールしたら冷たいおしぼりが一人一人に渡されたこと。 3年前よりもいろんな事で改善されていました。ただ人数が多すぎて一部のトイレがあふれてしまっていた,とかコースですれ違うのに肩を触れあうぐらい接近したことでした。 ○12月9日エントリー完了 第3回の大会に出場した。~地雷ではなく花をください~のスローガンの書かれたゴールが印象的でした。実際にこの大会で集められた費用で地雷を相当数撤去しているのです。私たちがやっている利根川平和祈念マラソン&ウォーク大会にも通じるものがあります。 谷川真理さんが自ら走り逆走して参加者を励ましてくれました。そのときみた走りが流石だなぁというフォームでした。この大会でハーフの自己最高記録が出ています。今回記録更新をねらいます。 |
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2004年平成16年 | 年間走行距離 | 1587㎞ | ※ | ○132㎞/月 | |
※ | 12月走行距離 | 74㎞ | ※ | ※ | |
※ | 11月走行距離 | 120.195㎞ | ※ | ※ | |
■2004年11月28日(日) | 第24回つくばマラソン | 42.195㎞ | 4時間3分7秒 2797位 自己記録4時間16分49秒(かすみがうら ) 自己大会記録 4時間36分32秒 ラップタイム 0~5㎞ 26.41.73 5~10㎞ 26.27.93 10~15㎞ 26.27.89 15~20㎞ 26.23.05 20~25㎞ 28.28.37 25~30㎞ 30.29.73 30~35㎞ 36.14.41 この後ストップウォッチの押し間違え 後2㎞5.56.41 後1㎞5.11.79 |
○絶好のマラソン日和。当初の3時間台の記録への意欲なし。最後の調整で仕事やいろんな事で当日までの9日間ランニングできなかった。「今回は9日間全く練習しないでフルマラソンに参加したらどのように体に応えてくるか。今までのランニングの蓄積はいきているのか。」の実験のつもりでした。 結果は後もう少しで3時間台の記録でした。9日休養したからなのか,次回の大会での結果がどう出るかで決まる。 ラップを見るとやはり30㎞過ぎにがくんと失速。右足底に少し痛み,膝に痛みでもラスト1キロを5分11秒で走り抜いたのはまだまだ力が出せそうな気がする。やはりもっと練習すれば30㎞過ぎを普通に走れるようになるのかなぁ。まだ未知の世界だ。 今回は楽走会の仲間と車でゆとりで会場に到着。いつもギリギリでゆとりがないのに今回は仲間のテントで着替えをしウォーミングアップもしたり,ランニンググッズを買ったり 楽しめた。テントのありがたが身にしみました。 久しぶりに「隣人の外国人ランナー」に会えました。元気で会えたのがうれしい。テントに誘い交流を深めました。そして帰りにみんなで食べました。楽しかった。 マラソン大会の楽しみ方 まだまだありそうだ。 そして 次回来年のかすみがうらマラソンで記録を目指します。 ○10月1日 初フルマラソンの大会。この2年スタートラインに立てなかった。久しぶりのエントリーで気合いが入っている。100キロマラソン完走後巨大な目標スパルタスロン参加をするのに100キロ10時間30分で走れないと参加資格がないことを最近知りました。少しタイムも考えての走行にしなければならない。そして今の私の体調でまだ自己記録を更新できそうです。この実験も我ながら興味深くなってきました。まずこのつくばでフルマラソン3時間代の記録を出すことを目標にします。 ○9月26日 エントリー完了 |
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※ | 10月走行距離 | 155.0975㎞ | ※ | ※ | |
■2004年10月31日(日) | 第10回手賀沼エコマラソン | 21.0975㎞ | ※ | つくばに向けたトレーニング ○6月29日 エントリー完了 |
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■2004年10月17日(日) | 第33回タートルマラソン全国大会 兼バリアフリータートルマラソン大会 |
20㎞ ゼッケン 2586 |
1時間34分59秒 262位(1590名中) |
○台風一過秋晴れのすばらしい天気。日差しもあったけれどさわやかで走りやすかった。ユックリ走ろうという呼びかけが聞こえます。 意欲的に走りました。若い女性ランナーをさりげなく抜いたら抜き返してきました。それがキッカケでゴール近くまで抜いたり抜かれたり併走したり一人では絶対にできない気持ちよいランニングとなりました。 ○昨年は応援参加。今年は走れる。この大会でランニング仲間の輪が広がっていく。今年も職場からの初参加者がいます。 ○5月31日エントリー完了 |
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9月走行距離 | 190.2㎞ | ウルトラの100.8キロもはいっています。10月はつくばに向けて300㎞走行を目標にします。ケガ疲労など慎重に自分の体と相談しながらあくまでも,ながーいランニングが巨大目標スパルタスロン参加のさらに超ウルトラ目標になります。 | |||
■2004年9月19日(日) | 2004歴史街道丹後 100㎞ウルトラマラソン |
100.8㎞ 第4回目ウルトラマラソン 丹後1回目 |
30㎞3:14:13 328位 50㎞6:20:27 445位 90㎞12:20:38 325位 goal13:56:38 345位 |
○9月26日(日)詳細レポート完了 ○9月17日(金)部活の日。今日は早めに切り上げようと思ったけれども,11人の部員の熱心さにやっぱり6時過ぎまでやってしまった。ウルトラへの準備はほぼ完了しているがゆとりで就寝したいと思ったがダメでした。 帰りにスーパーでバナナを買いました。 ○9月12日いよいよ1週間前にはいる。 2泊3日のツアーの最終案内・新幹線の切符も届き初の100㎞ウルトラマラソンのスタートラインに立つことが実現しそうだ。体調も良好。しかしホノルルマラソン以来の宿泊を伴った大会参加なので早朝4:30分スタートライン(ホノルルマラソンは5時だった)に立てるのか最後まで心配だ。 本日ハーフを軽く走る。久しぶりの利根川オリジナルハーフコース。何回走っても良いコースだと思う。でもウルトラ1週間前にこんな距離走って良いのか,筋肉トレーニングにしたほうがよいのかわからない。でも気持ちよかった。 学校では区連合陸上大会の準備のための練習が午後入っている。長距離担当で生徒と一緒に走ったりアドバイスしたりウルトラマラソンへの調整のつもりで軽くしている。 ○9月5日いよいよ2週間後に迫った。昨日ウルトラに必要なグッズを買いに御徒町の専門店に。柏にも大きな専門店があるがこの御徒町の店は店員がみんなランナー。サロマ湖100キロを9回完走した店員さんからいろいろ話を聞く。鶴沼のことも知っていていろいろ教えてくれた。特にペース配分。完走を目標とするならエイドステーションでの時間も考えて設定した方がよいとか。後半体を冷やさないように着替えに長袖のウエアも準備した方がよいとか。運動靴はそのままがよい。 ○6月29日エントリー完了 |
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8月走行距離 | 174.2975㎞ | ||||
■2004年8月29日(日) | 第44回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会(52㎞) 1周5.207㎞ 1周30分27秒90 2周32分08秒83 3周31分26秒18 4周30分57秒92 5周31分35秒07 6周31分29秒36 7周32分45秒25 8周33分58秒28 9周37分49秒30 10周35分42秒64 |
52.07㎞ 第3回目ウルトラマラソン 鶴沼2回目 |
5時間28分39秒 記録更新 67位(118名完走 ) |
○9月に向けての重要な大会になる。エントリー必ずする。(7/10) 台風16号の影響で朝から雨時には大雨,横殴りの雨が最後まで続いた。汗と雨で足先から頭のてっぺんまでぐしょぐしょになってのゴールでした。一人一人にゴールのテープを切らせてくれる主催者の皆さんに感動の「ありがとう御座いました。」が自然と心からでました。 この大会で完走できるかどうかは次の100キロマラソンに繋がるということで今までになく真剣に練習をしました。途中で体調を崩して練習を取りやめたり,直前に内視鏡手術で冷や冷やさせたりしたのでゴールのテープを切れたときは体中に感動が走りました。 朝4時起床 おにぎり5個作る バナナ1本 トマトジュース と水を用意して準備。エイドステーションの食料が豊富なので心配なし。靴がぐしょぐしょになることを予想してサンダルを用意(これが良かった)7時10分取手発 8時前に現地着 ゼッケンをつけたり走る準備に時間がかかりちょうど良かった。 今回は7月に200キロを走り8月は118㎞今までにない走行距離が52.07㎞のランニングにどのように現れるのか走りながら自分の体の変化に注意深くしながら走りました。途中で歩かなければならなくなるのか,膝の痛み 足の痛みで顔をゆがめながら走らなければならないのか。 30㎞を過ぎたときの自分の体の変化は 少しずつ変わってきましたが痛みの気配がしたけれど少し慣れると普通に走れました。疲れで崩れていく姿勢を立て直してできるだけリラックスした走り方を心がけました。8周9周10周がきつかったけれども最後までペースダウンしながらも走り続けられたことが何よりうれしかった。やはりこれは練習の成果だと思いました。途中足を引きずるように走るランナーを横目に走り続けられたことは今までにないランニングとなりました。 ただ52㎞を走りながら100キロという距離がとてつもない距離に思えてきました。今の自分には完走は不可能に思えます。しかし本日の完走でそれに挑戦する切符が手に入ったように思えます。オリンピックも今日の男子マラソンで最後だけれど,ギリギリまで頑張る選手の気持ちがわかるような気がします。 ランニング途中に老人の憩いの家がありました。ふと横を見るとおばあちゃん達が応援してくれていたのです。そこを通るたびに手を振りました。完走してから普通に歩くこともできて近くのスポーツクラブの風呂に入る元気がありました。もう交流会はビールで盛り上がっていました。でもビールを飲んでお話しする元気がなくて 会場を後にしました。今走ったコースを逆方向に歩くと駅があります。そうしたら何と遠くから走っている人が近づいてきました。ユックリと自分のペースでまだ走っている人がいたのです。「お疲れ様 頑張ってください。」のかけ声をかけました。顔を上げてニッコリと笑ってくれます。 その最後のランナーまでゴールのテープが待っています。昨日ニューヨークから帰りアメリカ横断レースに参加した人が紹介されました。高速ランナーからマイペースランナーまで走る喜びを知った人達との連帯を感じるすばらしい大会です。主催者のみなさんありがとう御座いました。 |
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■2004年8月7日(土) | 第2回利根川平和祈念マラソン・ウォーク大会 | 21.0975㎞ | ※ | 主催する側のマラソン参加。21.0975を本当に楽しく走れた。おしゃべりしながら友の息づかいを感じながら 美しい景色を見ながら,この大会でなければできない走りと歩き。 |
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※ | 7月走行距離 | 200.0㎞ | ※ | 私のランニング生活で画期的。初めて200キロ達成しました。足の痛みもなしで無理しないで休息を考えながら走りました。ただ途中8日間連続休みました。クーラーをかけて眠ったら朝方のどがおかしい。これでランニング中止。本当にいつも走れる状態に体を保つということはなかなか大変です。8月は300㎞を達成を目標にして走ります。そして9月のウルトラに備えます。 | |
2004年 | 6月走行距離 | 101.6㎞ | |||
■2004年6月26日(土) |
公開 自主トレ挑戦12時間走 | ○楽走会の牧さんが参加してくれた。フルマラソンの時もそうだったけれどユッリならいくらでも走れそうな気がするけれどそうではないことをまた思い知らされた。 (7/1 ) ○とにかくユックリ走り続けると体がどこまで続くのかの実験です。 6月に入ってまだ25㎞しか走れていません。(6月20日現在) こんなはずではなかった。仕事で清里移動教室が入ったりとにかく走る時間が取れない。 でもこの日何とか長時間走りたい。 |
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2004年 | 5月走行距離 | 142.5㎞ | |||
■2004年5月16日(日) |
東京シティロードレース2004 | 10キロ | 1022位(3631) 記録 ネットタイム 47 分21秒記録更新 (49分42秒) |
○4時に起きて5時13分の電車に乗る予定が寝坊のため大幅に遅れてしまった。 これによって昨年とは違ってユッタリとスタートラインに行けなかったのがまず反省点。きっと会場は雨のため着替えするのも大変だろうとJR有楽町駅から会場までにあるビルのトイレで着替え完了。(これはよかった良く気がついた)雨が降っている。日比谷公園のそこら中で着替えをしている。荷物を運ぶトラックの出発時刻8時30分が迫っている。とにかくゆとりのない事になってしまった。ボランティアで参加してくれたトッシーさんとごった返す中でお会いできた。 ○エントリー完了。都心を駆け抜け国立競技場ゴール。気持ちよかったから今年も走ります。2004/2/15 |
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2004年 | 4月走行距離 | 102.4㎞ | 本当に現役でいるときに月200キロ走れるのか 5月は200キロ以上走ろう |
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2004年4月18日 |
第14回かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソンかすみがうら大会 | フル | 4時間21分39秒 総合順位2109位(4968人中) 50歳~59歳男子538位(1295人中) かすみがうらマラソンの良いところ ・コースがすべて全面開放。片側車でない。気持ちよし。 ・キロ表示が1㎞ごとに目立つプラカードで表示されペースが作りやすい ・農家のおじいちゃんおばあちゃん 家族総出で応援してくれる。 ・エイドステーションが暖かい。 特に後半農家のエイドステーションの食べ物が美味しい。 ・完走賞をすぐ印刷して自分の記録を知ることができる ・飲食など豊富なお店がたくさん出店している。 |
○1年ぶりのフルマラソン この1年手術2回 ランニング障害と走れなくなるのではという不安を乗り越えスタートラインにたてただけでうれしい思いになりました。 最低200キロ走行をしてフルマラソン参加を心していたけれども極力練習時間を確保しても3月は78㎞そして4月になって大会まで4日しか走れなかった。 またリタイアーになるかもしれない。 しかし走行距離は短いけれど今までとは違った中身のある練習を積んできたようにおもい完走できそうだという期待も大きかった。 朝4時15分起床 朝ご飯 ご飯に生卵をかけてそしてみそ汁。おにぎりを4個作るが肝心の梅干しがない。 梅干しなしのおにぎり。 いつもギリギリの時間でいくのにゆとりを持って会場へ。でもすでに続々と人の列ができていた。会場にはもうすでにお店も開いてランナー向けの商品がたくさん並んでいた。そうかぁこういうところで買い物を楽しむことができるんだ。ただ走るのではなくイベント全体を楽しむためにはできるだけ早く受付をすませることだ。 スタートラインはランナーがひしめき合っていた。汗のにおいが立ちこめ動き出すまで時間がかった。 ああいよいよフルマラソンがスタートした。 ペースはマイペースと心がけたが,走る姿が安定しているランナーを見つけてその後ろにぴったりとついて走った。そしたらかなり速いペース。時計が調子悪くて困った。 温度はぐんぐん上がりエイドステーションの水をできるだけ飲んだ。 21㎞を過ぎて少しずつ足が重くなってきた。 29㎞近くになり右足でなく左足が痛み始め走行がかなりきつくなり一時歩行。座り込んでいる人もいる。田園風景がきれいだなぁと思いながら再び走り出した。この痛みはランニング障害につながるものなのかだんだん 走るうちに消えるものなのか.. あと5キロ 後4㎞の表示が現れた..後3キロあたりから何故かまた普通に走れるようになった。あと1㎞応援の人垣も多くなると元気が出てきた。最後の陸上競技場のトラックに入りラストスパートもかけられた。 ああ完走できた。途中のあの痛みがそれほど感じない でも披露は極に達していた。係委員の人がチップをはずしてくれた。足を曲げてチップを取ることが結構辛いことをちゃんとわかっているのだ。有り難いなぁ。ボランティアの人達のおかげ走らせてもらえているのだ。感謝! 翌日普通に出勤できた。ただ左足が少し痛み階段を下りるときはいいのだが上るとき少し違和感があった。42.195㎞走ったんだからこのくらいは残るだろうと思った。次の日全く痛みが消えていた。そして4月21日夜 再び走り始めた。次の大きな目標が見えてきた。楽しみだ。(2004/4/21 ) ○エントリ-完了。昨年はリタイアしました。今年はしっかりトレーニングをして快適完走を目指します。2004/2/15 |
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2004年 | 3月走行距離 | 78㎞ | 3月は卒業式 など走る時間がなかなかできなかった。 | ||
2004年 | 2月走行距離 | 165㎞ | もう一息で200キロ。10㎞を連続3日走るなど夜間走行コースが気仁入り仕事から帰ったらすぐに走った。 仕事でへとへとの時はできない。 |
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2004年(平成16年 )2月8日 | 守谷ハーフマラソン | ハーフ | 2時間04分29秒 ハーフ男子50~54歳 251位(336名) ゼッケン1693 |
昨年の8月2日の大会以来半年ぶりのスタート台に立つことになる。それまでに体調が整うのか微妙なところもあるがとにかくエントリーした。(2004.01.11) ◎画期的な日となりました。8月2日の大会後手術 ランニング障害そしてまた手術と困難が続きました。自ら復帰マラソンと位置づけてここで自分の体を試して完走できれば次のマラソンの目標が見えてくると思いました。だからゴールした瞬間今までにない歓喜が体を突き抜けました。 この日のため,1月中に時計を見ないユックリランで 125㎞記録しました。本来の楽しく走るランニングはこれだと言う「発見」をしたようでした。大会は周りの人と走る,そして制限時間があるからどうしても時間を意識してしまう。そこで今回は10キロまでは必ず後ろから来た人に抜かれる走りで体の様子を見ました。そして最後につく救護車の近くまで来ました。なんと快適。10キロを過ぎたら必ず前の人を抜いていく走りをゴールまで続けてみようと久しぶりの積極ランニングをしました。 途中何度も応援してくれた職場の仲間の励ましはすごい力となりました。 私の地元の近くでこんなすばらしい大会があったのだ。 |
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2004年 | 1月走行距離 | 124.72㎞ | 12月26日手術1月7日からウォーキングから始めて少しずつランニングへ24日には21㎞走り体調が回復していることに自信。 | ||
※ | ※ | ※ | ※ | この間 筑波マラソン等 秋のランニングシーズンは,手術 安静 | |
2003年(平成 15年)10月12日(日) | 第4回夢舞いマラソン | ※ | ※ | 応援参加の予定が階段を普通に降りれない状態で 不参加。エントリーしていたのにまた無駄なお金になってしまった。 |
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2003年(平成15年)9月14日(日) | 第32回タートルマラソン全国大会 | ※ | ※ | 初めての応援参加 エントリーしたが走れず。代走で走ってもらう。 | |
2003年(平成15年)8月2日(土) | 第一回利根川平和祈念マラソン大会 (利根川楽走会主催 ) |
ハーフ | 1時間58分26秒 | 画期的な大会でした。 大会レポートをご覧下さい。 |
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2003年(平成15年)5月18日(日) | 江戸開府400年記念大会 東京シティーロードレース2003 10キロ | 10㎞ | 51分46秒 1818位(4088名) 記録 ネットタイム 49分42秒 |
本当にうれしかった。スタート台に立てたことが。だから土曜日からウキウキ。日比谷公園7:00受付開始にできるだけ早く行こうとやる気充分。体調も良好。練習は2日休み。でも42.195㎞ではないj。完走は確実だが,どれだけ積極的にケガなく走れるかそれが課題であった。谷川真里さん,そして後からわかったのだが高橋尚子さんもゲストランナーとして走ると言うことでこのランナーに少しでも近づこうと,とんでもないことを考えての参加。 しかし受付に到着したのが7時過ぎ。日比谷公園近くは結構閑散としていて,今日本当に大会あるのか, 都心で遠慮した大会なのかスタートギリギリまで交通規制がされないためでもある。しかし,ユトリで着替えゼッケンをつけチップをつけて回りを見たらどこから湧いてきたのか思えるような人人人 。ホノルルで着たランニングと本格的ランパンで9時35分のスタートまでウォームアップのつもりで日比谷公園一周 皇居周辺をユックリと走る。これが良かった。すばらしい場所だ。 フルマラソン ハーフではこんなゆとりはなかった。汗を流して ということだったがランニングでは少しからだが冷えそう。ああ しまったホノルルで教えてもらった防寒のビニールを用意すれば良かった。 国立競技場のゲートをくぐった。テレビで見たマラソンの最終シーンを体験しているような自己満足の世界。パット開けた競技場のトラック400メートルに走る人の輪が繋 続く 10キロレースの楽しみは時間が早く終わり後の時間がユトリあること。 東京シティーマラソンの実現 ホノルル ニューヨーク パリ主要都市はすべてマラソン大会を実施している。 私が走れる間に東京フルマラソンが実現することを願っている。 続く |
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2003年5月10日(土) | 第3回富士箱根ふれあいスポーツフェスタ ハーフマラソン | 楽しみにしていたのに参加できず。 | |||
2003年4月13日(日) | 第13回かすみがうらマラソン | フル | 29キロでリタイア 3時間48分24秒 |
残念ながら,かすみがうらマラソン大会で初めてリタイアしました。練習無しの42.195キロはやはり無謀でした。29キロ地点で足下がふらつき近くの係員に自らリタイアを告げました。 救護車に乗りそして収容者に乗り換え満席の収容者で必死にゴールを目指す人の列をうつむき加減に見やりながらの車でのゴールとなってしまいました。その後自宅に戻っても体調が思わしくなく 熱をはかったら39.1度もありあわてて急患で診てもらいました。あすは休暇かと思いきや朝起きたらスッキリとして職場にいつものように行くことができました。 |
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3月の走行距離 | |||||
2003年3月23日(日) | 第6回東京・荒川市民マラソン | フル | 4時間45分31秒 ゼッケン 10086 10k: 1:14:03 20k: 2:17:02 30k: 3:17:57 40k: 4:36:48 Goal: 4:54:55 総合 6614位(9689人中) 50歳代 1652位(2412人中) |
前回より苦しいランニングとなりました。3月に入って34㎞しか 走れなかった。3月8日以来走れなかった。前日もリハビリ病院でのミニライブ 夜間中学校の記録映画の試写会と遅く帰宅しての準備。ユトリのない参加。でも9月15日からのブランクを埋めるため参加することに意義ありと言う思いで会場に向かった。 初めてスプリットタイムをとれる時計をしての参加。 先頭がスタートしてもトイレの列にいた。チョット焦ったが逆にトイレがすいてユックリできた。しかもまだスタートしているのに動いていない部分も長く途中からその列にいり悠々と気持ちよくスタートできたのです。トイレはスタートしてからでも充分。これが今回のよい経験となりました。とにかく走り出すと調子に乗ってしまう。30キロを過ぎてから少しずつ足にきた。 途中の歩きもできるだけ少なく歩くときも走るつもりでを心がけた。5時間を過ぎるかと思ったが完走だけをめざしたにしては頑張った,イヤ回りのランナーが走らせてくれたのだ。一人ではこうならない。次回は練習して走りたい。 |
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2月の走行距離 | |||||
2003年 | 1月の走行距離 | ||||
2002年 | 12月の走行距離 | 0㎞ | |||
11月の走行距離 | 89.6㎞ | ◆2002年11月24日(日) 11月4日ランニング再会 そして通勤ランニング往復6.2キロも調子に乗ってきて12月7日皇居フルマラソンに挑戦するつもりでいたけれども,ランニングをストップしている。また走れる日迄ランニングの心は燃えているのだが。 母の容体が悪い16日に主治医に会っている。(2012年5月7日追記) |
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10月の走行距離 | 0㎞ | ||||
2002年 | 9月の走行距離 | 113.09㎞ | ◆2002年9月14日(土)明日いよいよタートルマラソン大会 この大会から始まった。あれから1年 1年ぶりの仲間と出会える。昨年の9月10日から私の生活は変わった。金町~亀有間の通勤ランニング開始。 そして今年の9月から金町~学校間の通退勤ランニング 6.2キロ そして調子よいときと時間にゆとりがある時は学校~松戸駅7キロのランニング。ランニング中心の生活がエスカレートしてきた。鶴沼での心地よい完走でさらなる限界への実験を続けよう。ケガをしないランニング生活が続けられますように。 |
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2002年9月15日(日) | 第31回タートルマラソン全国大会 Photos集 |
ハーフ | 1時間46分25秒 576位/1654人 反省 ○ボフ゛さんの挨拶を撮ろうとしたらデジカメの電池が切れた。スタート間際にランニングで買いに行く。 よかったこと ○初めてポンチョを使って野外で着替えをした。これは助かる。 |
さあ2回目の参加はこの大会だけ。初めて参加したときのことが想い出される。土手にあがって見えた会場の華やかさ(昨年は天気がよかった)に驚いた。老いも若きも生き生きとしていたのが印象深かった。今年は肌寒いくらいの絶好のランニング日和。 昨年と同じ場所で仲間と待ち合わせ。1年ぶりの再会そして新しい仲間の参加。初めてなのにすぐうちとけて話が弾む。 私をランニングの世界へ誘ってくれた和島さんと教え子の山内君の参加がうれしい。昨年のこの大会で走る喜びと走った後の仲間との交流,そしてそれをきっかけに続いた様々な交流。ランニングのおもしろさは走っての気持ち良さばかりではない。 今年は開会式でまた感銘を受けた。それは松田千枝さん(資生堂)が招待選手として参加しているのを目の当たりに見れたこと。松田千枝さんの「ランニングの贈り物」を読み,すばらしい女性がいるなぁと思っていたからだ。1948年生まれで私とほぼ同じ年齢というのも親しみを感じていた。その挨拶も実にさわやかでした。そして私がさらに驚いたことは松田さんの次に紹介された外国人(アメリカ人)ボブ・ウィーランドさんにお会いできたからだ。この大会はバリアフリー大会で障害者も多く参加していた。アーリースタートといってみんなより速くスタートして全員が完走できるようにしている大会だ。ボブさんは地雷で下半身を失い両手で「走っている」。特別の靴を高くかかげて元気よく挨拶してくれました。開会式に出るためにアーリースタートで走っていたのを中断して壇上で紹介されました。何という励ましでしょう。 私は走っている途中ボブさんの走る姿を見ました。「頑張れ」 と声をかけました。そして自分の持てる力を出し尽くしてみようと 頑張ることにしました。「頑張らないで楽しく走る。」つもりでしたが........ スタート台にたてたうれしさ。そして仲間の声援・そして予期せぬその場に居合わせた父母からの声援。 エイドステイションで教え子から水をもらい,ロードレースよりも 単調なコースは意外と辛い。でも次々と私の前に現れるランナーに刺激されスピードが上がる。エイドステイションも調子によってはパスして快調に走り続けることができた。あと3キロのところでお互いに励まし合って競い合うランナーに出会えて出し切れない力まで出せたような気がします。ゴール近くで「菊池センセーイ」の若い女性の声援。力になりました。 「御苦労さん会」千住の街はお祭りで賑やか。その雰囲気を味わいながら飲める場所を探すの苦労。でも温かい”おじちゃんおばちゃん”のお蕎麦屋さんで乾杯!!! 本当にすばらしい大会でした。 |
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8月の走行距離 | 208.36㎞ | ◆2002年8月25日(日)「第42回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会」参加 完璧完走!!! ◆2002年8月11日(日)危険な実験 早朝ランニングのつもりが起きるのができず日がかんかん照りつけるのを避けずに予定通り23キロコースを走り始めた。 水2リットル おにぎり2個 各種補助食品 チョコレート 保冷剤も使ってできるだけ低温を維持しようとした。風が少しあるがぐんぐん温度が上がっていくのがわかる。前回は7㎞地点で水分エネルギー補給を10㎞地点にそして2回目の補給を19㎞地点にした。そこまで前回より走りは快調だった。ところが19㎞で水分エネルギーを補給して走り始めたがなにかおかしい。全然走る気がしないのだ。 大利根橋を歩いてわたり,そこからおりて日陰の駐車場で腰を下ろし一休み。なにか力がでない。これが熱中症の初期症状なのかと勝手に思ったりした。持っていた水分全部飲みそれでもとにかく冷たい飲み物が欲しい。近くの自販機から飲みたいものを飲む。また飲みたくなる。そしてアイスキャンデーを続けざまに食べる。 きっと体が求めているのだろう。 あぁあぁ-また無理してしまった。水分が少なかったら危なかったかも。とにかく日陰のない高温地帯を走り続けるのは無謀だ。なんとか回復し反省。でも足は前回より快調になった気がする。 ◆2002年8月8日(木)右足が完全復帰しました。本日早朝4時30分頃起床。今年の夏休み初めての早起きでした。遠足気分でリユックに食べ物 飲み物を詰めて,いざランニング。家族にも呆れられるほどかなりはまっている。朝日が登り始めるそれに向かって走る。イヤぁ-青春ですね。田んぼの横を走る。稲のにおいがここちよし。土手に進むともう人の姿 すれ違うたびに「おはよう御座います」これも心地よし。空の青 水の青 そして木々の緑が目にしみる。牧さんと作ったオリジナルコース23キロはすばらしい。久しぶりの長距離をゆっくり走りました。50キロを走れる体に近づけていきます。8月25日を意識している。 ◆2002年8月4日(日)二人の中年男が暑い日差しの中黙々と走りながらときどき止まっては何かをしている。何人かの人に「測定ですか」と声をかけられた。 ランニング仲間の牧さんと1日がかりでランニングのコースづくりをした。5.6㎞の周回コースと23㎞に及ぶすばらしい長距離コース。1キロごとにしっかりとペインティングしました。これからのトレーニングが楽しくなりそうだ。一人ではできない大仕事でした。 ご希望の方にはお教えします。かなり正確です。 |
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2002年8月25日(日) | 42回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会52.07㎞ 鶴沼ウルトラマラソン大会ホームページ |
ウルトラマラソン2回目 鶴沼1回目 |
6時間38分22秒 | 朝おにぎり4つ作った。作り方がうまく速くなってきた。 久しぶりの大会でスタートラインにたてるだけでウキウキしていました。ただ前回と同じ周回コースだが距離が少し長い。前回7周で挫折しているので7周を越えられるのか。走る意欲がどこまで続くか不安いっぱいでのぞんみました。ただ前回と違うことは200キロは走れなかったけれどもこの日に向けて暑い夏でも151㎞走ってきたこと。精神状態もやる気充分。そしてウルトラマラソン100キロサロマ湖を完走した牧さんが菊池の完走を第一に走るつもりでいたこと。(これは後からわかった) 今までと全然違う雰囲気。参加者約150名。みんなが知り合いのように声を掛け合っている。コースも巻き尺を使って計られた普通の生活道路。もちろん何の規制もない。しかしほとんどが田園,牛舎の横をそのにおいを胸一杯にすってのランニング。気に入りました。同じところを何回も走るから変化のあるコースがうれしかった。 最初簡単なセレモニー主催者の人の話が「今日は暑いから水をタップリとってください。」と説得力のある例を紹介しながらの弁。そしてすぐスタート。とにかく完走を願ってのスタート。牧さんにピツタリついてときどき話しながらのランニング。これが助かった。どんなペースで走ればよいのか。元気があるうちはつい調子に乗って前に出ようとする私を「まだ押さえて押さえて。」と牧さん。6周目に30キロの壁がきた。そこをどんな具合で通過できるかが一つの関門でした。6週目を終了 そしていよいよ7周目少しずつ足に響いてきた。でも7周終了の時点でやる気があった。そして足の状態もだんだん慣れてきた感じ。これで何かうれしくなってまた飛び出しそうになった9周走れればよいと言う気持ちが少しあった。牧さんが「完走目指そう。9周と完走では感動が違うよ。完走できればいいなあじゃなくて 絶対完走する でいこう。」これで踏みとどまった。そうか7周終わってもまだ15キロ以上あるのだ。8周後半から9周で足がかなりきつくなってきた。良かったあそこでとばしていたらあぶなかった。 そして9周めにはいり539メートル地点に42.195キロのラインがあった。そのラインを超えたときから未知のきょりへの挑戦となった。うれしくてよし!ここまで来ればやれると気合いが入った。そしていよいよ10周目。10周めのランナーには赤いタスキが渡されることになっていました。私達があと3周というところでもうすでに赤タスキのランナーが軽快な足取りでスタスタと私達を抜かしていく。 走りが違う! 小柄な若い女性が赤いタスキでとぶように走っていく。いいなぁ赤いタスキで走れるのかなぁと歯を食いしばっていた自分がいよいよ赤いタスキをすることができた。そして誇らしく走ることができた。もう子どもの心。そしてラストだという思いで全力を出そうというやる気がまだあった。遠くに赤いタスキのランナーが近づくとゴールテープをはってくれる人の影が見る見る近づいてきた。普通の道路の歩道でのゴール。今までの大会よりずっとちっちゃいゴールだったけれども今までで一番の感動のゴールだった。 こぼれ話 ①暑さとの闘いでもあった。あれだけ日差しが体力を消耗させるのか実感した。少しの日陰があるとそこを求めて走った。 ②あれだけ温かいエイドステイションも初めてだった。あれがなければ完走できたか?エイドには,氷がタップリ用意されていた。そして頭から水をかけるための水がいつもタップリ。そしてくるたびにかけてくれる人が「よしもう一杯」と励ましの言葉と共に水をかけてくれた。この気持ちよさ生まれて初めてだ。 今まで走っていた人がエイドのスタッフ。ランナーの気持ちをしっかりわかっていてくれる。出てくる食べ物がすごかった。 冷えた飲み物 ウーロン茶 スポーツドリンク CCレモン ,各種のサプリメントゼリー クエン酸 食べ物は おにぎり各種 おいなり(これがおいかった) 漬け物 梅干し 白菜キムチ 梨 スイカ バナナ アイスキャンディー 飴 カップ麺 もう走るのが楽しみというより,エイドステイションでのわずかな時間2分~3分の頭からの水 と飲み物 そして食べ物 口に含む氷 を楽しみに走っていたように思います。 そして 3時頃ゴール近くで宴会のビール(さすがに飲めなかった飲んだらその場に動けなくなりそうなほど消耗しました。) とにかく走る喜びを知り尽くした人の心づかいを端々で感じた大会でした。本当にこの暑い中での準備大変だっただろうと思いました。「5月には100キロやりますから。」とさりげなくいった女性スタッフにお礼を言って会場を後にしました。 エイドステイションの滞在時間18分以上を差し引くと5時間台で走れたのかな。 ③あのランナーズの走る整形外科医小嵐先生も参加されていた。完走できたところでご挨拶しょうと思っていたらお会いできなかった。おかげさまで走れるようになりました。 |
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7月の走行距離 | 151.7㎞ | ◆2002年7月31日(水)牧さんからのお誘い。『第42回夏の鶴沼ウルトラマラソン大会』 52.07㎞にエントリーすることにしました。皇居マラソン以来の不調を吹き払い,フルマラソン42.195㎞以上の距離を走ることを目標にします。もちろん完走をめざしたトレーニングをしますが...とにかくゆっくり長時間走り続けることに挑戦しています。1キロ何分でなく何時間走り続けられたかということで走るとスゴク走りが楽になる見たい。足の痛みはまだあるが余り気にならなくなってきた。ユツクリ走ればだけれども。
◆2002年7月21日(日)本日12.4㎞を走れた。2キロあたりからいつもの痛みを感じたが無視。痛む場所が少しずつ変わってきた気がするが気になる。ただ2周目に痛みを押して全力疾走ができたのがうれしい手応えを感じた。以前は踏み込んでも力が入らなかった。「イテテテ」と右足をかばう走りになってしまった。でも今日は外から見て右足をかばっているような走りにはならなかった。本日までの走行距離93.5キロ。31日まで200㎞にどこまで近づけられるか。そして足の痛みがどのようになっていくのか注目したい。早くも5月19日から2ヶ月。「回復しました」と宣言したい。 その日も近いかな。 ◆2002年7月14日(日) 7月6日近くの整形外科に診てもらう。膝から上の大腿部のレントゲン写真もとるが異常なし。走る仲間 牧さんに相談 「自分もそういうことがあった サポーターをつけて走っているうちに痛みが消えた」と。この助言にまた元気が出てきた。早速サポーターをしてランニング再開 7月6日 6.2キロ 7日 10キロ そして通ラン3.1キロ そして昨日 今日 7㎞ 再開して52.8㎞の走行。痛みがあり快適なランニングとはなっていないがしばらく続けてみよう。 |
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6月の走行距離 | 35.5㎞ | ◆2002年6月24日(月) 18日からまたランニングを止めている。 まだ快調な走りができず中途半端は止めて完全休養をしばらく続けることにします。何かランニングがないと元気が出ない。9月15日(日)タートルマラソン全国大会 で走れることを目標として,ランニングを始めた原点に戻ることにする。この辛い気持ちをしっかりと味わおう。(と自分を励ましています。) 1年も経たずに頓挫。これを乗り切れるのか? ◆2002年6月16日(日) 6月8日以来ランニングを再開している。毎朝の通勤ランニング(3.1㎞)も始めた。しかし疲労 過労状態の時は亀有からのバスに切り替えている。(2日間) 本日河川敷の自分のつくったコース6.2キロを走り少しずつ距離を伸ばしているが,最初からの右足の痛みは消えかかっているが,まだ本調子ではない。焦らず完全回復を目指してのランニングとなっている。 反省 ①練習不足の状態で長距離は走らない。 ②余り気分が乗らないとき走らない。 ③走ってからすぐに練習できるようにアミノ酸など不足しがちのものを取り入れる。 ④月間走行距離200㎞を目指す。 ⑤毎月大会参加を止めて参加目標を体調に合わせて設定する。 ◆本日 整形外科医に診てもらいました。2002年6月8日(土) 近くのかかりつけの総合病院にいこうかと思いましたが,お医者さんにこだわりました。テーピングをしながら走る人 そんなにまでして走らなくてもと思っていたけれど,そんなにまでして走りたい気持ちがわかってきました。走ることを知らないお医者さんに診てもらってもせいぜい「もう年も年なのだから,走らないで無理しない。」といって塗り薬でも出しておしまいになるのではと言う独断的偏見で,市民ランナーのお医者さんに診てもらおうと考えました。なかなかそういう人はいないだろうけどなぁ と思っていた。もしかしたらできるかもと思ったことを実行してみた。 雑誌「ランナーズ」で 走る整形外科医 ドクター小嵐のランニング障害クリニック のページがありました。 早速ランナーズに出ている電話番号に電話。そして編集部の電話を教えてもらい そこで小嵐先生が診察しておられる高田整形外科の場所を教えてもらいました。(私の家から遠いけれども,行ける場所だ。)私と同じような方がいるようで待たせずすぐに対応してくれたのがうれしかったですね。貴重な土曜休みでしたが,その日は午前中診察していると言うことそして小嵐先生が診察できることを前日に確かめて一日がかりのつもりで出かけました。早く走り始めたいという思いを胸に秘めてです。 小嵐先生にお会いしました。名前からのイメージそして私より年上で想像していたイメージと違っていた。 一言で 若々しい!さすがウルトラマラソンを走るランナー ランニング日誌もお見せした。 「去年から走り始めたの!?3時間台でますよ」「皇居マラソンよく行きました。」と先生。 「ホノルルマラソンで81歳の男性が走りました。私が幾つまで走れるかという実験のつもりです。」と余計なことまで話してしまった。 こんな会話は走らないドクターとはできない。それだけで安心してしまう。 レントゲンの結果は 異状なし そして痛くなるまえに止めれば走ってヨシそして塗り薬も何もいらないと言うことでした。 「先生 走るためにテーピングしたり塗り薬を塗ったりしている人がいますけれど きくのですか」「一時的にはねでも一番効果的なのは距離を走ること。フルマラソンなら月間200㎞は走りたい」 ということでした。 ひとまず,この痛みのようすをみながら徐々にランニングを開始しょうと元気が出てきたのでした。 うずうずして,帰宅して夕方久しぶりに河川敷に行って走ってみた。 痛みはまだあるが,何というのだろう小嵐先生の力というか,その痛みが何故か だんだんラクになっていきそうな感じになってきた。また調子に乗って無理しないようにしょう。 【変わった生活をまた元に戻そう】 |
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2002年6月2日(日) | 六無月東京喜多(北)マラソン42.195㎞ | エントリーしたが棄権。 | |||
5月の走行距離 | 85.1㎞ | ◆実験を修正 皇居50周マラソンで初めて挫折 35㎞でストップしただけでなくそれ以降右足が走ると痛み正常に走れないと言う事態に直面している。 2002年5月19日(日) |
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2002年5月19日(日) | 第28回チャレンジ皇居マラソン大会 50㎞ | ウルトラマラソン1回目 | 4時間16分50秒 35㎞でストップ ゼッケン103 |
皇居1周5キロを10周するというコース。ゆっくり走れば完走できるだろうと思っていたが甘かった。前回よりもさらに練習不足が20㎞過ぎあたりからこたえてきた。桜田門をくぐり抜けると1周がおわる。そのたびに終わっていいですよという誘惑に誘われる。今回ほど辛いランニングはなかった。日差しも強く温度もかなり上がっていた。 7回まわりながら首都東京のど真ん中にあり車の量も圧倒的に多いのに何て快適なコースなのだろうと思った。今度はもっと楽しく快適に走るために走り込みを充分してからでるべきだとおもいました。 | |
4月の走行距離 | 112.7㎞ | ||||
2002年4月21日(日) | 第12回かすみがうらマラソン大会 | 4時間16分49秒 |
完走をめざして無心に走った。昼過ぎから天気予報通りに雨 風もあり結構肌寒い。ウインドブレーカーを着て帽子をかぶって 手袋をして雨対策。後半に消耗しないようにゆっくりスタート 手元の時計がうまく動かずスタートラインを踏んでから5分位して作動。 かすみがうマラソンも初めてだけれどホノルルマラソンに雰囲気がにている。そして今まで参加した中では一番良かった。コースはアップダウンがけっこうあるが車両を通行止めして大きな道を堂々と走れる気持ちよさ。沿道の人達の温かい声援家族ぐるみの応援。車いすに座って応援しているお婆ちゃんに「婆ちゃん頑張って!」といったらにっこりとわらった。ヒヨットコの面をつけて沿道の人に愛嬌を振りまくランナーに警備のお巡りさんの顔もにこやかに..小さな子ども達の可愛い声援。 エイドが温かい。公的エイドだけでなく家族ぐるみでのエイドステーションもありそれを楽しみにしているランナーも多数。 といった雰囲気で30キロまでは我慢して走るが30キロ過ぎてからアップしていく。そして若い学生のランナーに挑戦的な走りをして競い合っていたらあれー記録更新できるかなとやっぱり力を入れてしまった。若いランナーにはあと2キロの地点でバイバイ。その後エネルギーを使い果たしたようにスピードがガクン と落ちてゴール直前にスパートも気持ちだけ。 ゴールできた!雨が激しくなりチップをはずすのも一苦労。 更衣室はもう大変!! |
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3月の走行距離 | 105.6㎞ | ||||
2002年3月24日(日) | 第5回東京・荒川市民マラソン | フル | 4時間43分35秒 ゼッケン 8544 10k: 1:07:07 20k: 2:04:14 30k: 3:03:48 40k: 4:28:44 Goal: 4:43:35 時刻:13:43:35 ネットタイム() 4時間36分04秒 総合 5953位(9199人中) 50歳代 1503位(2202人中) |
苦しいランニングになりました。3月に入って52.5㎞しか走れないで大会に臨みました。200㎞以上走り込んできた牧さんは6分/㎞でのペースで目標をしっかり立ててのゆとりのランニング。そのペースについていこうと最初は順調だったが。15㎞を過ぎたあたりから嫌な予感。右足に不自然な痛みを感じ始めた。30キロまではノンストップでいこうと頑張った。回りで立ち止まりストレッチをする人歩き始める人が出始める。自分の様子もおかしくなってきた。完全に右足をカバーしながらの走りになりドンドン抜かされる。そして35㎞あたりからとうとう歩き始めだ。あと5㎞ あと4㎞ ...歩いたり走ったり痛みをごまかしながら走る。そしてあと1㎞のところから応援の人並みが見えて格好つけないとと言う意識がはたらくや何か痛みも和らぎドンドン抜いてカメラにポーズしてゴールにたどり着いた。今までで一番苦しいランニングでした。 後日 ゴールのスナップ入りの立派な記録証と全員の記録名簿 ここまで丁寧にやるから人気があるんだ。御苦労様です。 |
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2月の走行距離 | 134.3㎞ | ◆2002/2/23(土)友とのランニング本日初めて,ランニング仲間(牧さん)と走った。偶然走っているコースが同じだったのだ。ランニングしながらのおしゃべり。いつの間にか予定の距離を走ったが,もう一周と5.7㎞もプラスできた。仲間と練習これもなかなかいい。 ◆2002/2/17 夢が一つできた。教え子達とランニングすること。できたら私が主催してやれたらおもしろい。 |
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2002年2月3日(日) | 第24回神奈川マラソン | ハーフ | 1時間44分15秒(手元の時計) 正式タイム1時間44分05秒 ○50歳代男子193位【409人中】 ゼッケン 8645 5キロ 22分台かな エントリー数 6316人 当日受付 4448人 レース完走者 3084人 上の数字を見ても,悪天候でリタイアした人が多かった。 |
すごい経験となった。詳しく記録しておこう。 家族がまだ眠っている。食事をして,おにぎりを3個つくる。これもだいぶ慣れた。スタート前の食事にバナナ レース中はウィーダインゼリー レース後おにぎり と落ち着いてきた。 今日は神奈川の磯子まで出かける。外は冷たい雨。スタートが11時30分とはいえできるだけ早く家を出たい。でも前日になってあわてて準備するためにいつも朝まで何かと忙しい。いつも反省もっと早く準備しなくては。 会場には磯子駅のすぐソバ。日清製油磯子工場の中。今まで参加した中で一番殺風景な会場だ。しかし雰囲気はだんだん激しくなる雨風にもかかわらず元気 明るい。箱根駅伝に出た大学が陸上部で参加している。若者が多い。ホノルルマラソンのように雰囲気を盛り上げる放送がボリュームたっぷりに景気をつけている。5キロ 10キロに学生が記録をめざして参加。スタートのカウントダウンをして号砲がなる。晴れていたらきっともっとスゴイだろうなぁ。 冷たい雨雨雨 風風風 強まるばかり。今まで更衣に苦労したことがないのにテントに入った。水も進入して走らないのに足もぬれてしまう。イヤーこれ最悪。スタートまで体がドンドン冷える。軽いウインドブレーカーをきて走ることにしたが,ランニングパンツはいつも通り。足のほとんどが空気にさらされている。荷物預かり場所もごった返しスタートに近づくと益々雨風強し。雪に変わりそうな冷たさが体にしみる。回りを見ると寒さ対策をしっかりしたウエアで参加している人も多いが,私より薄着で 大丈夫かなと思われる元気?ないでたちもかなりいた。 いよいよスタートラインにたった。前回より30秒速く走れば1時間30分代の記録が出せる。それを目指そうと1時間30分のスタートライン。今回はゼッケンで年齢もわかるようになっていた。たまたま隣にいた人が70歳代。 「何年走っているのですか」「50年くらいかな」イヤハヤスゴイ人達がいる。「自分が70歳になったとき走っていられるのかなぁ。」とチラッと頭によぎる。 まだまだ1年も続いていないのだ。「気楽にやるさ」と自ら励ました。 いよいよ走り始めた。雨にもかかわらず沿道 歩道橋に多くの応援の人達が声援を送っている。 さすが「かながわ未来遺産100」に選ばれた催しだけあって,多くの人達が協力している雰囲気を感じた。私達は走り出せば寒さも少しは軽減できるけれど大会を支えるスタッフ エイドで水を給してくれている人 本当に有り難いと思う。元気のある間はできるだけ「ありがとう」の言葉をかけた。 雨風が止まらない。5キロを通過 通過タイムが22分台 これはかなり速い。若者に引っ張られて全体が速い。ヒヨッしたら1時間30分台で行けるかもしれないぞ。道路に雨の水たまりができている。 思わずその深い水たまりに足がズブリ。あの瞬間の嫌なこと。回りのランナーより路面の様子が気になり始める。それでも3回はズブリと靴が全部冷たい水の中。手にホカロンを握って走ったが手袋がびしょぬれ手の先まで冷たさで凍えてきた。 あーあ しっかり結んでいたはずの靴ひもがゆるみ道の横で結び直そうとするが手が凍えてなかなか結べない。あーあ記録更新は無理だと走り始める。やっと10キロ地点。時計を見て驚いた前回は47分51秒が46分台で通過している。これは行けるかもと再び発奮するがやはりちょつといつもと違う。海沿いを走る時に海からの冷たい向かい風が体を押し戻すような勢いで吹き付ける。足が固まりそう。救護にお世話になる人も出始める。ひよっとして完走するのも大変かもと思いドンドン抜かれてもマイペースの走りに徹した。 周回コースで2回トップランナー達とすれ違った。大学ごとのユニフォームで隊列を組んで走ってくる若者達の格好の良いこと! 「明治大学頑張れ!」とか市民ランナーからかけ声が。私も思わず声をかけてしまった。自分が走るの精一杯なのだけれど若者達がいい顔で走る姿を目の当たりに見て 気持ちがよかった。 やっとゴール 益々雨強し。雨に打たれながら足につけたチップを取り外そうとしたが手が凍えて はずせない。やっとはずしてTシャツをもらいゴールの喜びよりも着替えるためにまた一苦労。 「早く着替えてね。」と声をかけてくれるスタッフの暖かさがうれしい。 かなりのエネルギーの消耗を感じた。ごった返す更衣のテントでおにぎりにパクつく。これできっと元気を回復するだろう。 あーあ完走できて良かった。無事に帰れて良かった。ただならぬマラソンの経験でした。 次回は3月24日荒川市民マラソン これはフル(42.195㎞)だからしっかり準備をしなくては。 冷たい雨風にもマラソン熱は冷めないようだ。ながーく続けよう。 |
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1月の走行距離 | 169.6キロ | ◆2002年1月27日(日)長く走り続けるにはどうしたらよいのか。これがテーマ。ホノルルマラソンで81歳の男性が80歳代で一人。70歳代158人(男)12人(女) 50歳代2037人(男) 1158人(女)この数字を見て考える。まだ走れるのだけれども諸般の事情で参加できないと言うことでの参加者の現象なのか。無理をして走れなくなってしまった。老化で走れなくなった。他の病に倒れた。様々なドラマがあるのでしょう。 そこら辺の追跡調査みたいのがあったらおもしろいのだけれど。 まだ走り始めたばかりなので大きなことは言えないけれども,足の痛みを感じずに走り続けるにはどうすればよいか,実験します。とりあえず1年間走り続けられるかに挑戦。 |
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2002年1月12日(日) | 第3回谷川真理ハーフマラソン | ハーフ | 1時間40分20秒(手元の時計)後日郵送 正式タイム1時間40分20秒 手元の時計と一致 10キロ通過タイム 47分51秒 |
2002年初の「実験」 体調良好 ホノルルマラソン以降の走行距離110㎞。一日平均約3.5キロしか走っていない。JR赤羽駅 この駅も大変立派で人が多い。会場となった北区 荒川河川敷野球場に向かう人の列が続く。まだ3回目という大会からか今まで参加した大会よりスムーズにいかないところもあったが雰囲気は良い。 今回は1時間40分台をめざしてみるか。でも走り出しての調子を見て.... ただスタートは自分より実力以上の80分から89分の仲間に入ってみた。イヤイヤちょっと雰囲気が違う。スタートしてからその走りのペースがちょっと速い。まあ1キロ走ってみるかとみんなにあわせて走った。そうしたらまた私の横をスーット抜いていくランナーがいた背中に武蔵野とある。よし 5キロまでついていってみるかと前半から調子に乗った。そして何と10キロまでその武蔵野についていったら1キロ4分台の記録になっている。ここで武蔵野さんにバイバイ。そして一休みのランニングでドンドン抜かされるがまた気合いを入れてペースメーカーとなる人を捜しながらのランニング。 あれひよっとしたら30分台の記録が出せるかもと計算したときからまた最後の力を出し切った。 そして最後20㎞地点で武蔵野さんに追いついた。またみんなに助けられて走れた感じ。 足の痛みなし。階段もスムーズ。やはり走ることに自分の体が慣れてきたのかなと勝手に理解している。次の「実験」の課題が見えてきた。次は2月3日第2回神奈川マラソンに向け準備しょう。 |
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2001年12月 9日〈日〉 | 第29回ホノルルマラソン | フル | フル 4時間54分00秒 30㎞3時間41分49秒 ハーフ2時間43分36秒 10㎞ 1時間17分17秒 |
○初めての海外マラソン。計画を立ててからそして帰国するまでがすべてホノルルマラソン。 | |
2001年11月25日〈日〉 | 第21回筑波マラソン | フル | 4時間36分32秒 | 初めてのフルマラソン。ハーフとは違う。走り終わってからバスで気持ち悪くなる。走った後の食料補給も考えねばならない。 | |
2001年10月28日〈日〉 | 第7回手賀沼エコマラソン | ハーフ | 1時間52分42秒 | ○手賀沼は13年前私の生活圏であった。しかしそこでこんな催しを始めていたとは知らなかった。 ○それを教えてくれた和島さん。何故か惹かれるものがあったが出場するなんてとんでもないと思っていた。 ○そして,仲間と走ったその後の喜びも知った。忘れられない大会となった。 |
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2001年(平成13年) 9月15日(日) 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件 7月30日 5月12日 2001年(平成13年) 5月6日 1月27日(土)らすとボーイズと仲間達 コンサート |
第30回タートルマラソン全国大会 タートルマラソン申し込み 5月12日元奥戸中学校教師の集まり40人くらい集まる。そこで「手賀沼マラソンを走る」というと小十郞さんが「まずタートルマラソンに出るといいよ。」と勧められた。 52歳 足立区立第十二中学校勤務 この年は私の人生にとって大きな分かれ道となった。 そして世界では同時多発テロに対する「戦争」が始まった。 多くの命が失われた。 (2015/11/19記) ・2001年(平成13年)4月足立十二中学校 6年目 教職26年目 学級減 で16学級 そこで2年生の代表者。珍しく学年の先生のメンバーが全く同じ。 同学年の和島さんにランニングを熱心にすすめられた。(2021/09/13記) |
ハーフ | 2時間11分59秒 | ○最初の10キロまでベテランの先輩遠藤さんについて走る。その後「先に行っていいですよ」 と言われ調子に乗って走った。普通に走っているつもりなのにドンドンぬいてしまう。 ○エイドにボーイスカウトにはいっている教え子(稲元君)から水をもらい張り切った。 ○「頑張らないでくださーい」の応援が新鮮だった。自分のペースで楽しく走ればいいのだ。 ○初マラソンをこのマラソンにできたのがよかった。初めての金メダル 生まれて初めて走って褒められた。 |